平和エッセイ

スピリチュアルな視点から平和について考える

三島由紀夫と2・26事件(17)

2005年12月23日 | 三島由紀夫について
 昭和天皇と三島由紀夫の相違は、

(1)憲法への忠実と憲法無視
(2)平和主義と軍国主義

の2点において際立っています。

 昭和天皇がいかに明治憲法(大日本帝国憲法)に忠実であろうとなさったかは、すでに詳述しました。昭和天皇は、憲法を無視した二・二六事件の青年将校らの暴挙を断じて許すことはできなかったのです。また、新憲法、すなわち戦後の日本国憲法も昭和天皇は、その発布を「深くよろこび」、終始、憲法に忠実でありました。

 これに対して、三島は二・二六事件の青年将校らを英雄視しています。そして、テロリズムは宮廷の「みやび」文化の一形態であり、国家危急の場合には、法を無視したテロも是認されるべきだ、と主張していますが(『文化防衛論』)、テロリズムを「みやび」に結びつける議論は、あまりにも論理飛躍していると言わざるをえません。

 三島はさらに、

********************
 菊と刀の栄誉が最終的に帰一する根源が天皇なのであるから、軍事上の栄誉も亦、文化概念としての天皇から与えられなければならない。現行憲法下法理的に可能な方法だと思われるが、天皇に栄誉大権の実質を回復し、軍の儀杖を受けられることはもちろん、聯隊旗も直接下賜されなければならない。
********************

と述べ、戦前のように天皇が軍との直接的結びつきを回復すべきだ、とも主張しています。現代でも三島の影響を受けた、こういう考え方はなくなっていません。

 しかし、日本の歴史を振り返ると、天皇が「大元帥」として軍服をまとったのは、日本が対外侵略をはかった明治から昭和20年までの一時期のことで、これは例外と見なすべきで、天皇は日本史の大部分において、それこそ「みやび」という「文」(菊)の中心であり、「武」(刀)の中心でなかったことは明白です。三島はここでも日本の歴史と文化をねじ曲げています。

 五井先生は、著書の中で一度だけ三島由紀夫に言及しています。『日本の天命』(白光出版)の中の「私の愛国心」の章です。この文章は、昭和46年の初め、つまり三島割腹事件のすぐあとに書かれています。

********************
 三島氏割腹事件以来、憲法改正、再軍備の問題が、表面にはっきり浮び上がってきて、外国でも日本の軍国主義化を警戒の眼でみはじめている。四次防防衛費の急速なる増大予算は、保守的な人々の心にも、左傾の人々の心にも、本格的軍隊の姿を感じさせてきた。
 三島氏を愛国者とみる人々は、愛国ということと天皇中心ということ、それに軍備増強ということが結びついて離れないようである。天皇を元首として表面に出す、ということと軍隊ということを、どうして結びつけて出さねばいけないのか。私にとっても不思議でならないし、天皇ご自身にとっても甚だ迷惑なことではないのか、と思うのである。
 天皇をはっきり日本の元首と打ち出すことに私はなんの異論もない。しかし、天皇元首ということも軍隊ということも、すべて憲法改正に結びつく。そこで、天皇元首ということと軍隊ということが憲法改正というところで一つに結びついてしまう。かえって結びつけて考えようとしている人々も随分とある。
 自衛隊をすっきり軍隊として取扱うための憲法改正、これはまた別の話として、それと同時に天皇元首説が出てくるので、天皇が主権を握れば、また再び軍隊が生れ、軍国主義に日本がなってゆく、というように連想されてゆくのは、日本にとって実に不幸なことといわねばならない。天皇はあく迄、平和の天皇であって、軍国主義の天皇ではないのだから、こんな想い違いを多くの日本人や諸外国にさせてしまっては、大変なことになる。
********************

 五井先生が書くように、「天皇はあく迄、平和の天皇であって、軍国主義の天皇ではない」のです。三島由紀夫は、天皇を根本的に誤解していたと言わざるをえません。それは、磯部浅一ら二・二六事件将校らの誤解と同じ誤解でした。

---

 今年は三島由紀夫と2・26事件に関係する出来事が奇妙に集中しました。不思議な偶然の一致ですが、その背後には霊的な意味があると私は感じています。私がこのような文章を書いたのもそのためです。

 私が気がついただけでも、

(1)河出文庫版『オリジナル版・英霊の声』の刊行

(2)映画「春の雪」の完成と上映
http://www.harunoyuki.jp/

(3)映画「憂国」のネガフィルムの発見
http://www.sankei.co.jp/enak/2005/aug/kiji/20mishima.html

(4)処刑された青年将校ら17人の遺書の発見
http://show.yomiuri.co.jp/photonews/photo.php?id=7602
 「2・26事件」(1936年2月26日)で、処刑された陸軍の青年将校ら17人分の遺書45枚が69年ぶりに見つかった。処刑前に入っていた陸軍刑務所の看守にあてたものなどで、自宅に保管していた仙台市太白区の平田俊夫さん(77)から、将校らの遺族で作る「仏心会」に届けられた。七十回忌が営まれる12日、東京・港区の賢崇寺で関係者に公開される(神奈川県葉山町で)。

(5)三島由紀夫研究会事務局長の三浦重周氏の割腹自殺
http://nippon-nn.net/

 三島由起夫と二・二六事件は、日本のあるべき姿、とくに天皇、憲法、靖国問題への鋭い問いかけを行なっていますが、女系天皇問題、自民党の憲法改正草案の作成、靖国神社問題にも見られるように、過去は現在と共鳴しているのです。

 これらの出来事はまさに、三島由起夫と二・二六事件関係の「英霊」の、現代日本人への呼びかけであると私は理解しております。本論は、仏教的に言えば今なお成仏できていない彼らに語りかける、鎮魂と慰霊の諭しです。

 この三島由紀夫論は、ちょうど1ヶ月前の11月23日に始まり、12月23日に終わりましたが、今日はまた今上陛下の誕生日でもあります。この日に当たり、明仁陛下は、皇室のあり方とは「国民と苦楽をともにすることに努め、国民の幸せを願いつつ、務めを果たしていくこと」だとおっしゃっておられますが、これは昭和天皇のお心そのものでもあります。昭和天皇は明治天皇を鑑とし、今上陛下は昭和天皇を鑑とされているのです。

 皇室のあり方は時代によって変化しますが、その根本に流れている日本国民への愛情と、世界平和を願うお気持ちは一貫して不変のものです。それを言い換えれば、天皇とは、無私・無我の中心空の存在だということになります。この務めを果たすことは困難なことですが、明治以降の日本が、その任にふさわしい天皇をもってきたということは、大変幸せなことです。

 私は、三島由紀夫と2・26事件を背景にして、天皇の本質について書きたかったのです。

 以上、「三島由紀夫と2・26事件」を思いもかけず長々と書いてしまいました。書き残した論点は多々ありますが、それについては別の機会に取り上げ、今回は一応これで終わりにしたいと思います。