平和エッセイ

スピリチュアルな視点から平和について考える

靖国神社(2006年9月号)

2006年10月07日 | バックナンバー
 七月二〇日の日経新聞の朝刊に、元宮内庁長官の富田朝彦氏の手帳に記された昭和天皇のお言葉が報道された。

「私は 或る時に、A級が合祀されその上 松岡、白取までもが、筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが 松平の子の今の宮司がどう考えたのか 易々と 松平は 平和に強い考があったと思うのに親の心子知らずと思っている だから 私あれ以来参拝していない それが私の心だ」

 インターネットや週刊誌では一時、メモ捏造説や、この発言の語り手は別人(徳川侍従長)だという説も流されたが、様々な検証によって、このメモが昭和天皇のお言葉を反映していることは確実だと見られている。昭和天皇は、一九七八年に松平永芳宮司が、松岡洋右元外相や白鳥敏夫元駐伊大使を含むA級戦犯一四名によって靖国神社に合祀されて以来、靖国参拝を取りやめたというのである。

 A級戦犯というのは、極東国際軍事裁判(東京裁判)で「平和に対する罪」で有罪とされた政治・軍事の指導者たちである。この裁判は事後立法であり、また戦勝国側の戦争犯罪(たとえば原爆投下)が裁かれていないという不備がある。裁判官の一人、インドのパル博士は東京裁判を否定している。松平氏は、日本の戦争は邪悪な戦争であった、という「東京裁判史観」否定論者であり、合祀によってA級戦犯とされた人々の名誉を回復しようとしたのであった。

 一般の戦没軍人を追悼することに異論を唱える人はいないし、明治以降の歴史の中で、靖国神社はそのような場として日本国民の間に定着してきた。しかし、A級戦犯が合祀された靖国神社への政治家の参拝をめぐっては、毎回のように国の内外から様々な意見が寄せられ、神社への参拝が、純粋な祈りからはずれ、政治的な論争のテーマとなってしまったことは残念である。

 昭和天皇がA級戦犯合祀以来、靖国神社参拝を取りやめたのは、それが戦前の軍国主義を肯定し、戦後の平和主義を否定することにつながると危惧されたからではないかと思う。天皇は、一九八八年四月の最後の誕生日記者会見で、

「何と言っても、大戦のことが一番いやな思い出であります。戦後国民が相協力して平和のために努めてくれたことをうれしく思っています。どうか今後共そのことを国民が良く忘れずに平和を守ってくれることを期待しています」

 と語っている。

 靖国神社を政治的論争の場とするのではなく、国民一人一人が戦没者に平和の祈りを捧げる場とするためにはどうしたらよいか。私どもには、昭和天皇の遺言を深くかみしめ、知恵を出しあい、国民的合意を形成していく責務がある。

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