平和エッセイ

スピリチュアルな視点から平和について考える

ES細胞(2006年2月号)

2006年03月01日 | バックナンバー
 人体は無数の細胞から構成されているが、ある臓器の細胞は特定の機能しか持っておらず、他の臓器の細胞に変化することはできない。これに対してES細胞は、あらゆる臓器に分化する能力を持っている。ES細胞は通常は受精卵から取り出される。ES細胞を利用して臓器を培養し、現在は治療不可能な病気や怪我の治療(再生医療)に利用することができると考えられている。

 ES細胞の研究には卵子が用いられる。卵子を入手するためには、排卵誘発剤やホルモン剤を投与するので、女性の体に大きな負担をかける。提供者への十分な説明とケアが必要である。卵子をお金で買い集めれば、生命倫理に違反するし、もし教授が部下や学生に卵子を提供させれば、地位や権力を利用した強要(アカデミック・ハラスメント)となる。受精卵は人間として誕生する能力を持っているので、研究目的で安易に使用することは、生命の冒涜と紙一重である。

 韓国ソウル大学教授・黄禹錫(ファン・ウソク)氏は、ES細胞の研究者として世界的に有名であった。黄教授は当初、卵子の取得をめぐる倫理面で疑惑が持たれた。これだけでも重大な問題であるが、さらに、黄教授が作ったとされる、世界初のヒト・クローン胚を使ったES細胞が偽造であったことが判明した。

 黄教授はなぜこんな虚偽論文を捏造したのか。科学者であれば誰しも、できればノーベル賞を受賞し、その名を歴史に残したいと考えるだろう。しかも、科学後発国である韓国は、科学の分野でまだノーベル賞を受賞していない。ノーベル賞最短距離にいた黄教授は、韓国の英雄であった。次々と目覚ましい業績を出してみせた黄教授の研究室には、政府から多額の特別研究費が投入された。黄教授は、成果をあげ、韓国民の期待に応えなければならない、というプレッシャーにさらされていたのだろう。

 科学界の競争は熾烈である。競争は論文の質と数によって行なわれる。「ネイチャー」や「サイエンス」などの一流誌に論文が載ることは、学術的評価を高めるだけではなく、大学や研究所のポストや研究費の額など、学者の生活さえ左右する。医療や技術という、実生活に応用される研究であれば、特許料などの富に直結する。そういう状況の中で、論文捏造の誘惑に駆られる学者も出てくるし、倫理面の違犯も行なわれるのだろう。

 科学者が倫理意識を高め、自分を厳しく律しなければならないことは当然だが、「成果」を求めてこのような状況を煽っている政府、企業、国民にも責任がないとは言えない。結局のところ、肉体生活をより快適にしてほしいという人類一人ひとりの欲望が、科学と科学者を突き動かしているのかもしれない。

認知症(2006年1月)

2006年02月01日 | バックナンバー
 社会の高齢化が進む中、認知症患者が増えている。以前は痴呆症と呼ばれていたが、その言葉はよくないということで、最近では認知症という言葉が用いられる。筆者の周囲にも、認知症の家族をかかえて、苦労している知人がいる。

 人間は年齢とともに自然に肉体諸器官が老化し、衰え、やがて死亡する。これは、人間も生物の一種である以上、避けられない運命である。脳も肉体器官の一部であるから、やはり加齢とともに衰える。それが極度に進んだ状態が認知症である。最近では、まだそれほどの年齢でないにもかかわらず、認知症になる人もいるという。それは、車やコンピュータや電化製品などの文明の利器に依存しすぎた、不自然な生活に起因しているのかもしれない。

 多くのお年寄りの願いは、「家族に迷惑をかけずに、ぽっくり死にたい」ということである。その願いを叶える「ぽっくり寺」や「ぽっくり地蔵」なるものまで存在するという。認知症になって自分の人格が崩壊し、家族や周囲の人々に大きな迷惑をかけることは、誰しも避けたい。また社会全体としても、認知症患者が増えることは、介護のための経済負担が増大することを意味する。

 昨年十一月二十六日のNHK教育テレビは、脳科学者・川島隆太教授(東北大学)の認知症研究について報道していた。川島教授の研究によると、文章の音読や簡単な計算を毎日、短時間でも続けると、大脳前頭前野の血流が増大し、脳機能が回復し、認知症が大きく改善するという。いくつかの具体的なケースも報告されていた。川島教授は、「脳は鍛えることができる」と述べている。筋肉は使わなければ衰えるし、使えば鍛えることができるが、脳も同じなのである。それが、音読と計算という簡単な訓練でできるというのが、ありがたい。この事実は、認知症患者をかかえる家族ばかりではなく、いずれは認知症になるかもしれない可能性がある老年世代にとっても、大きな福音であろう。

 長年、修行を積んでいる仏教僧の中には、高齢になっても驚くほど健康で、頭脳明晰な方が見うけられる。規則正しい生活と質素な食事のほかに、読経や瞑想もよい影響を与えているのだろう。読経はまさに、脳を鍛える音読の一種であるし、坐禅などの瞑想も、大脳前頭葉の活動を活発化させることが知られている。

 私たちは、老化による病気や認知症の発生をいたずらに恐れる必要はない。日頃の生活習慣と努力によって、死ぬまで健康を保ち、脳の力を維持することができるのである。筆者もそろそろ若いとは言えない年齢になったが、肉体と脳を健全に鍛え、他人に依存することのない老年を迎えたいと思っている。

自分史(2005年12月)

2006年01月07日 | バックナンバー
 『地球のまわる音を聞きながら』(光文社)という本の著者・原水音さんは、若くしてアメリカに渡航し、人里離れたカリフォルニア山中で暮らし、その後、日本に帰国してからも、屋久島や熊野山中で自然と一体の生活を送ってきた女性である。原さんは、「結婚願望ゼロ、子どもがほしいなんて思ったこともない。都会志向の私が、電気もガスも水道もない山のなか、赤ちゃんを産み育てることになるなんて、つくづく人生って不思議だ」と書いているが、たしかに、世間一般のルートからはかなり逸脱する、不思議で波瀾に富んだ人生である。

 この本は、第一四回北九州自分史文学賞の佳作に入賞した作品だという。この賞は、「誰もが一編の物語をもっている。人生はひとつの長編小説です」というコピーで、作品を募集している。

 「自分史」という言葉は、いつから使われるようになったのだろうか。この賞は平成の初めから開始されているので、その頃から一般的になったのだろう。

 自分史は言うまでもなく自伝の一種である。ただし、自伝が著名な人物の自分史であるのに対し、自分史は、いわば名もない庶民の自伝である。著者が有名人ではないからといって、その人生が興味深くないということはない。どんな人生にも、その人独自の貴重な体験が含まれている。それが自分史の魅力である。

 自分史の流行の背景には、個の自覚の高まりがあるのだろう。たとえ自分の人生が世間の華やかな脚光を浴びるものではなくても、そこには何かの意義があるはずだ、それを本という形で確認し、できれば他の人々とも共有したい――そういう願望があるのだろう。そして、パソコンやインターネットの出現によって、自分史を本として出版することが、以前よりもはるかに容易になっている。

 だが、自分史を書くには、まず書くに値するだけの人生を生きなければならない。人生は「長編小説」、人によっては「短編小説」かもしれないが、たしかにある種の物語ではある。その物語が波瀾万丈の方もいれば、平凡な方もいるだろう。平凡だからといって、それが無意味ということにはならない。大切なことは、人生という物語を通して何を学ぶか、ということであろう。その物語が苦労や失敗の連続であったとしても、愛や感謝や希望の結末になれば、それは素晴らしい物語である。逆に、成功と幸福の人生でも、内面性の成長が感じられなければ、つまらない物語となる。

 自分史を本として著わす人は今でも少ない。だが、執筆とは無関係に、私たちはすべて、日々の想念行為によって、宇宙に一つしかない自分史を創造しつつあるのだ。それを光明の自分史とすることは、私たちの責任である。

原さんのHP

希有の出来事(2005年11月号)

2005年12月01日 | バックナンバー
 今年の八月、NPO法人「聖地のこどもを支える会」の招きで、イスラエル人六名とパレスチナ人六名の学生が、七名の日本人学生とともに広島・長崎を訪問した。このプロジェクトは、ベツレヘム聖誕教会のイブラヒム・ファルタス神父(フランシスコ会)の発案による。神父は、二〇〇二年春の聖誕教会包囲事件の際に、イスラエル・パレスチナ双方の仲介者として、話し合いによる平和的解決に尽力した方である。

 周知のように、イスラエルでは長年、両民族の間で血なまぐさい紛争が続いている。それでは、両民族は闘争相手のことを知っているかというと、相手の民族の人と一度も会ったことも話したこともない、という人々が大部分なのである。生身の相手のことを知らずに、互いに恐怖し、憎悪しているというのが実情である。一昨年、広島を訪れた神父は、「紛争のために出会うことすらできない聖地の若者たちに、この地においてこそ、直接に対話をさせたい」と願った。

 イスラエルとパレスチナの若者は、日本という外国で、相手の民族の若者と初めて出会うことができた。最初のうちは隔たりもあったようだが、すぐに仲良くなり、最後はお互いに抱きあって別れを惜しんだという。このような人間的交流ができただけでも、この行事は素晴らしい成功だったと言えよう。

 それに加えて、日本ではもっと多くの学びがあった。彼らは、両市の平和祈念式典に参加し、市長と面会し、被爆者の体験談も聞いた。広島・長崎の原爆資料館はとくに衝撃的であったようだ。

 あるイスラエル人学生は、「日本に来て『許す』ということを知った。アメリカは原爆を落としたのに、日本はアメリカを許した。イスラエルに帰り、このことの意味をよく考えたい」と語っている(朝日新聞長崎版)。

 日本はアメリカを許したのだろうか?「許した」、と意識的に思っている日本人はそれほど多くはないだろう。しかし、被爆者たちはたしかに、アメリカを憎むことはしなかったのである。

 ある被爆二世の方は、ご両親や祖父母から、「原爆を落としたアメリカが悪いからアメリカを怨め」という言葉は一度も聞いたことがなかった、それに対して、いちばん多く聞いたのは、「もう二度とあのようなことをしてはいけない」という言葉だった、と語っている。

 広島・長崎は、そして日本は、原爆という未曾有の破壊を受けながらも、それを敵に対する憎悪に転化することをしなかった。それは人類の歴史上において希有の出来事ではなかっただろうか? 日本人はその意義をもっと理解し、日本に与えられている世界平和への使命をいっそう深く自覚すべきであろう。

ハリケーン(2005年10月)

2005年11月01日 | バックナンバー
 八月の終わりにアメリカ南部を襲ったハリケーン「カトリーナ」は、甚大な被害をもたらした。これはもちろん自然災害ではあるが、人災の要素もかなりあると指摘されている。

 堤防の決壊によって最大の被害を出したニューオーリンズ市は、市街地の大部分が海抜以下の低地であった。この地域はもともとミシシッピ川河口のデルタ地帯であったが、沖合の石油と天然ガスが採掘され、さらに都市化によって大量の地下水がくみ上げられ、大規模な地盤沈下が起こったのである。

 しかも、堤防を補強するための予算が、イラク戦争のためにカットされて、まともな補強工事が行なわれなかった。また、ハリケーンの直撃を受けたルイジアナ州とミシシッピ州の州兵がイラクに派遣されていたために、救援活動や治安維持活動に遅れが出た。イラク戦争が被害を拡大した面があるのである。

 ニューオーリンズはジャズの発祥の地として有名であるが、ジャズは黒人の音楽である。一九世紀には全米最大の奴隷市場があったところで、今なお人口の三分の二が黒人である。今回の死亡者の大部分は、黒人の低所得者層であった。車を持っている富裕層は、前もって車で逃げ出すことができたが、車もなくレンタカーも借りられない人びとは、町にとどまらざるをえなかったのである。「カトリーナ」は、アメリカ社会が依然として、事実上の黒人差別から抜け出せていないことを暴露した。

 ハリケーンはカリブ海で発生し、海水からエネルギーを吸収して成長する。

 米ワシントン大学の研究グループによると、一九五〇年から五〇年間で、世界の海水の表面温度が平均で〇・五度上昇した。〇・五度というと大したことがないと思うかもしれないが、これは、膨大な熱量が海に吸収されたことを示している。その熱量は、大気なら四〇度も上昇させるほどのものだという。高温度の海水は当然ハリケーンを巨大化させる。

 このところ、アメリカ南部は毎年のように大型のハリケーンに襲われている。日本も近年、強い台風に見舞われることが多くなっているが、これも日本近海の海水温の上昇と無関係ではない。

 海水温の上昇は、いわゆる地球温暖化によってもたらされていると考えられる。温暖化の最大の原因と目されているのが、温室効果ガス二酸化炭素である。世界最大の石油消費国であるアメリカは、世界最大の二酸化炭素排出国である。

 このように見てくると、アメリカは自分で今回の大災害を招いたように思えてくる。いずれにせよアメリカは、これまでのように、他国を侵略しても石油を確保し、自然環境を破壊する文明を維持することは、許されないであろう。

持続可能な開発(2005年9月号)

2005年10月01日 | バックナンバー
 東京の国連大学で七月二九日に「未来をつくる教育を考えるシンポジウム」が開かれた。これは、二〇〇二年の第五七回の国連総会において、二〇〇五年からの一〇年を「国連・持続可能な開発のための教育の一〇年」とすることを決議したことを受けての行事の一つである。

 「持続可能な開発」とは日常生活でよく使う言葉ではないが、これは英語の「sustainable development」の邦訳語である。人類はこれまで常に、自然を開発して文明を築き、豊かな生活を享受してきた。しかし、地球は有限である。樹木を伐採しすぎれば、かつての大森林も砂漠と化すし、海の魚介類も、乱獲すれば絶滅する。近年の人類の経済活動は、環境に回復不可能な負荷を与えつつある。今日の私たちが豊かな生活を送るために地球に過度の損傷を与えることは、私たちの子供や孫たちの生存を脅かすことにもつながりかねない。「持続可能な開発」とは、現代の世代が、将来の世代の利益を損なわない範囲内で環境を利用し、物質的要求を満たすべきである、という考え方である。このような理念が最初に打ち出されたのは、一九八〇年の国連の「世界環境保全戦略」においてであった。

 「持続可能な開発のための教育」は、このような「持続可能な開発」を実現するためには、何よりも教育が重要であるとの認識に立って行なわれる取り組みである。シンポジウムの内容は多彩で密度も濃かったので、とてもこの小欄では紹介しきれないが、筆者の印象に強く残ったのは、世界が緊密なつながりの中に存在し、一人ひとりの行動やものの考え方が、世界に思いもかけない影響を及ぼしている、という事実であった。

 たとえば、ヤシの実から採られるパーム油は、洗剤、石けん、マーガリンやインスタント食品などで広く使われている。植物性ということで、地球にやさしい、体にいい、というイメージがあるが、ヤシの木を大量に植えるために、熱帯雨林が伐採されている。それによって生物多様性が失われ、海洋汚染も引き起こされている。原住民の入会地であった森林が、特定の企業の所有地になり、原住民の生活が破壊される。また、味噌、醤油、豆腐、納豆などの材料として、日本人の食生活に欠かせず、健康食品としても人気の高い大豆は、今日、大部分が海外から輸入されている。その輸入大豆の一部は、ブラジルの熱帯雨林を伐採して栽培されているという。

 私たちが「地球にやさしい」「健康的な」食品や製品を、安価に入手しようとすることが、環境破壊に手を貸すことになりかねない。私たちは、まずこうした事実をしっかりと認識し、その認識の上に立って、いかなる行動を取るべきかを考えなければならない。このような「教育」は、子供だけでなく、大人にとっても重要なものである。 

サイパン(2005年8月)

2005年09月03日 | バックナンバー
 天皇・皇后両陛下は、六月二七日、二八日、サイパン島をご訪問なさった。

 サイパンはグアムと同じくマリアナ諸島に属する島で、今日では美しい自然を売り物にする観光地であるが、第一次世界大戦後、国際連盟の下で日本の委任統治領になり、沖縄県民をはじめとする日本人が入植し、現地島民とともにサトウキビ栽培などを行なった。しかし、軍事上の要衝の地であったため、第二次世界大戦中は日米の間で激しい戦闘が行なわれ、五万五千人の日本人(軍人、民間人)だけでなく、多数の現地住民、米兵、朝鮮人も死んだ。悲惨なのは、「生きて虜囚の辱めを受けず」という戦陣訓に呪縛され、多くの日本人が「天皇陛下万歳!」と叫びながら、みずからの命を絶ったことである。

 昭和天皇は常に国民一人ひとりの幸せを願い、世界の平和を望む心がひときわ強いお方だった。日米開戦のときにも、「四方の海みなはらからと思う世になど波風のたちさわぐらん」という明治天皇の御製を読み上げ、戦争は決して自分の本意ではないことを示した。しかし、明治開国以降の日本の対外進出は、否応なしに戦争への道を突き歩んできた。それは、天皇お一人の力で止めることができるような、なまなかの歴史の奔流ではなかった。

 自分の望まなかった戦争であったとはいえ、その中で大勢の日本人が、天皇のために、天皇の名において、人を殺し、また殺されていったことは、陛下にとって生涯の十字架となったことであろう。昭和天皇も激戦の地におもむき、斃れていった多くの人びとのために慰霊の祈りを捧げたかったに違いないが、それは実現できなかった。この度の今上陛下ご夫妻のサイパン訪問は、昭和天皇の遺志を引き継いだものであったろう。

 出発にあたり、陛下はこうおっしゃっている。

 「私どもは十年前、終戦五十年に当たり先の大戦で特に大きな災禍を受けた東京、広島、長崎、沖縄の慰霊の施設を巡拝し、戦没者をしのび、尽きることのない悲しみと共に過ごしてきた遺族に思いを致しました。また、その前年には小笠原を訪れ、硫黄島において厳しい戦闘の果てに玉砕した人々をしのびました。

 この度、海外の地において、改めて、先の大戦によって命を失ったすべての人々を追悼し、遺族の歩んできた苦難の道をしのび、世界の平和を祈りたいと思います。

 私ども皆が、今日の我が国が、このような多くの人々の犠牲の上に築かれていることを、これからも常に心して歩んでいきたいものと思います。」

 日本の皇室は祈りの皇室であることをあらためて深く思った。


天皇陛下のおことば全文


人間力(2005年7月)

2005年08月01日 | バックナンバー
 学習院院長の田島義博氏は、学習院での教育の目標を「人間力」の形成においている(『「人間力」の育て方』産経新聞社)。人間力というのは聞き慣れない言葉だが、これは田島先生の造語である。田島先生は、学問的専門は経済学であるが、近年の日本における様々な経済不祥事に強い危機感をいだいた。企業や官界の指導的立場にある一流大学出のエリートが、法を破り、嘘をつき、私腹を肥やす。今の社会は「お金のためなら、何でもあり」の世の中になってしまった。日本社会の倫理観が崩れてきている。これまでの日本の教育のあり方に根本的な間違いがあったのではないか。知育と体育はあっても、いちばん大切な人間としての教育、心の教育をなおざりにしてきたのではないか。

 田島先生は、「人間力」は「アタマ、ココロ、ハラ、カラダ」から成り立つと考える。アタマとカラダについては今さら説明するまでもないだろう。ココロというのは、包容力、他人を思いやる心、嘘や裏切り、不正、不公平を憎む心だという。ハラは、勇気、決断力、「渇しても盗泉の水を飲まず」とやせ我慢できる力。罪を部下になすりつけないで、自分がひとりで責任をとる度量である。

 日本にはかつては、こういうココロとハラをもった人々がかなりいたように思う。それはなにも西郷隆盛や勝海舟などいった歴史上の有名人ばかりではない。市井の平凡なおじさんやおばさんの中にも大勢いた。田島先生は事情があってお祖母さんに育てられたが、本書の中にかいま見られるお祖母さんも、まさにそういうココロとハラをもった人であったようだ。そういう人々が日本社会を底辺で支え、次世代のココロとハラをもった人々を育ててきたのであろう。

 これに対して、現代日本の政治、経済、官界、マスコミのトップにある人々には、このようなココロとハラがあまり感じられない。不祥事が起こっても、責任は他に転嫁して、ひたすら自分の保身をはかる。「金で手に入らないものはない」「稼ぐが勝ち」などと公言してはばからない。こういう人物たちを日々見て育つ子どもたちは、どういう大人になるのだろう。教育は、学校だけの問題ではなく、社会全体の風潮の問題でもある。

 まず親が、自分の子どもにどういう人間になってもらいたいと願っているのか、自分に問いかけてみるべきであろう。一流大学を出て、大企業に就職して、よい相手と結婚して、お金持ちになってほしい、とだけ思っているのでは、その子はココロもハラもない人間になることは必定である。自分の子どもには、何よりも心が立派な人間、「人間力」に富んだ人間になってもらいたい、と親が願うことが先決である。

ミリからの贈り物(2005年6月号)

2005年07月06日 | バックナンバー
 『ミリからの贈り物』(中央文化出版)という絵本は、文章は「みどりかわみり」さん、絵は「みどりかわきよみ」さん。ミリさんもキヨミさんもペンネームで、ミリさんはキヨミさんのお子さんである。ミリさんの言葉にお母さんがとてもすてきな絵を添えている。

 お母さんの前書きから――

 「現在小学四年生の娘が、五才位の時でした。
 悩んじゃいけないよ。
 苦しい時は、どうすればいいか考えればいいんだよ。
 悩んじゃうと、あー、もうだめだとか、がっくりきちゃうよ。
 だから、悩んじゃいけないよ。
 考えるようにすれば、自分の心が必ず助けてくれるよ。
 自分を信じる事が大事だよ。
 こんな言葉を、当時仕事で悩んでいた私に語りかけました。
 この本の言葉は、その後、現在まで娘が語った言葉の数々です。
 最初はどうして五才の娘が、このような言葉を知っているのか、とても不思議でした。
 しかし、日々、娘やまわりの子供達をみていると、もしかしたら、子供達は皆、こうい う言葉を知っているのではないかなっと思うようになりました。
 子供達の声に、ひとつひとつ耳をかたむけたら、私達を癒やしてくれる色々なメッセージが語られているような気がします。」

 お母さんがおっしゃるように、とても五才のお子さんの発言とは思えないような、素晴らしい言葉の数々である。いくつかを紹介してみよう。

 「嬉しい事もいっぱい、悲しい事もいっぱい、いろいろ経験出来たら、それは、とても良い人生なんだよ。両方から、いろいろな事を学べるから。」
 「本当の自分自身を思い出したらいいよ。そうすることで、自分の心が助かるよ。」
 「何のために、人間は生まれてきたの? それはね、自然を学ぶ事と、心の奥深くをよみがえらせるためだよ。ただ、それだけの事だよ。」

 今の世界には、深い愛、知恵、直観をもった子供たちが誕生しつつあると言われている。そういう子供たちは、インディゴ・チルドレンとか、クリスタル・チルドレンと呼ばれるが、ミリさんもその一人なのだろう。

 大人たちは過去の体験、知識、固定観念に縛られて、なかなか現状を変えることができない。戦争、テロ、環境破壊、核兵器などはみな、これまで大人たちが作りだしてきた問題である。私たちは今、子供たちの叡智に素直に耳を傾ける時ではないだろうか。

ヨハネ・パウロ二世(2005年5月号)

2005年06月05日 | バックナンバー
仕事のほうも一段落しましたので、これからまた少しずつ投稿したいと思います。
まずはバックナンバーから。

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 ローマ法王ヨハネ・パウロ二世が四月二日に八四歳で逝去した。歴代のローマ法王の中でも、最も偉大な法王ではなかったかと思われる。彼が成し遂げた偉業の数々をあげてみよう。

 共産主義の終焉――一九七八年に法王に選出されたヨハネ・パウロ二世はポーランド人で、四五五年ぶりの非イタリア人法王であった。カトリック国ポーランドは、自国出身の法王に熱狂した。当時、共産主義に支配されていた東欧圏で、共産党の一党独裁を最初に揺るがせたのは、ポーランドの独立自主労働組合「連帯」であった。一九八九年から始まった一連の東欧革命の背後には、カトリック教会の支援があった。ヨハネ・パウロ二世は、ゴルバチョフと並んで、共産主義を終焉させた立役者として、歴史にその名が刻まれるであろう。

 無限なる赦し――法王は一九八一年、イスラム教徒トルコ人に銃撃されたが、のちに犯人を訪問し、彼を赦した。犯人は、法王の愛と赦しに改心し、その犯行が共産圏の指示によるものであったことを自白した。

 科学界との和解――一九九二年には、一七世紀に地動説を唱えて教会から破門されていたガリレオ・ガリレイの破門を解いた。法王は進化論も認めた。

 過去の謝罪――長い歴史を持ち、世俗的権力とも結びついてきたカトリック教会は、過去において数々の過ちも犯してきたが、ヨハネ・パウロ二世はそれらを率直に認め、勇気をもって謝罪した。二〇〇〇年三月に法王は、キリスト教会の分裂、十字軍、異端審問、魔女裁判、反ユダヤ主義、先住民族への侮辱などに関する教会や信者の責任を認め、神に対し赦しを請うた。そしてその直後には、さらにイスラエルを訪問し、ユダヤ人に謝罪するとともに、イスラエルとパレスチナの和解を訴えた。
 非戦の訴え――法王は、湾岸戦争やイラク攻撃など、アメリカの武力攻撃を批判し、国際紛争を対話によって解決することを訴えた。

 異宗教間対話――諸宗教との対話を進め、世界平和のために宗教が協力することを求めた。二〇〇二年一月にはアッシジで、法王出席のもと、世界の諸宗教の代表が集まって世界平和を祈る集いが開かれた。

 法王の葬儀にイスラム圏からも数多くの宗教者、政治家が参列したことは、十字軍を謝罪し、宗教間の対話を進めた法王への敬意の表われである。しかしながら、ヨハネ・パウロ二世が希求した諸宗教の和解と協力は、いまだその端緒についたばかりである。カトリック教会だけではなく、世界中の宗教が、ヨハネ・パウロ二世が切り拓いた道を歩むように努力しなければならないのである。

比叡山延暦寺(1994年8月)

2005年05月20日 | バックナンバー
5月22日に富士山のふもとの朝霧高原にある白光真宏会富士聖地で、

世界平和交響曲

という行事が開かれます。私も土日にかけて参加します。

これは世界の諸宗教のそれぞれの世界平和の祈りをともに祈りあうという行事です。類似の行事はいろいろと行なわれ、私もいくつか参加したことがありますが、今回の行事は、それとはひと味もふた味も違ったものになりそうです。

今回はまだ1回目ですから、規模も小さなものでしょうが、この行事は、世界の宗教界の流れを変える可能性を秘めています。詳しい内容は来週にでもご報告できると思います。

以前に参加した行事に関するバックナンバーを紹介します。

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比叡山延暦寺(1994年8月)

 平成六年六月十九日に、比叡山延暦寺根本中堂で、世界各国の平和を祈る集いが開かれた。

 今からおよそ千二百年前、若き修行僧最澄は比叡山に登り、草庵を結び、修行生活を開始した。最澄はその後、西暦八〇四年に入唐して、天台宗を学び、日本天台宗を確立し、伝教大師と尊称された。最澄の草庵のあとには本堂の根本中堂が建てられた。

 だが、比叡山はただ天台宗という一宗派の総本山にとどまるだけではない。ここで学び、修行した学僧たちの中からは、法然、親鸞、栄西、道元、日蓮など、きら星のごとき宗教的天才が輩出した。これらの偉人がいなければ、日本人の宗教生活ばかりではなく、日本の文化も、かなりレベルの低いものになっていたであろう。ある意味では、比叡山延暦寺は、日本仏教と日本文化の「根本」と言えるかもしれない。

 しかし、延暦寺は常に宗教的聖地であったわけではない。派閥争いもあれば、政治的な野心に駆られて、僧兵という軍事力を持ったことさえあった。織田信長の叡山焼き討ちは、延暦寺にまつわる業生を焼き尽くす、浄化の炎であったのだろう。

 今年亡くなられた前座主山田恵諦師の呼びかけによって、今から七年前、比叡山に世界の宗教指導者が集って、「比叡山宗教サミット」が開かれた。この催しには、仏教、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教、ヒンズー教、シーク教、儒教の七大宗教の指導者をはじめ、海外から二四人の代表が参加し、比叡山上でともに世界平和を祈った。そのとき、山田師は、「地球上での宗教にかかわる多くの紛争は、なお後を絶たず、また核戦争による地球壊滅という大問題を抱えている。宗教者の取るべき道は、宗教者がお互いを理解し合うことだ」と述べたが、この言葉は現在でもそのまま当てはまる。

 そのときの祈りは、各宗教のそれぞれの祭式に則っての祈りであった。中には、仏像という他の宗教の偶像の前では祈れない、という、形式にこだわる頑迷な宗教もあったそうだが、それに対して、他の宗教の代表者を自宗の聖地の中に招き入れ、その宗教の祈りを許した延暦寺の、ひいては日本仏教の寛大さとふところの深さは、さすがに偉大であると思われる。このような寛容の精神こそ、世界平和の基盤であろう。

 このたび延暦寺根本中堂で開かれた行事は、「世界人類が平和でありますように。○○国が平和でありますように」という、一切の宗教形式、教義の対立を超えた、端的に平和を祈る行事であった。この次は比叡山に世界の宗教代表者が集って、世界平和の祈りを祈ってもらいたいものである。



精神神経免疫学(2005年4月)

2005年05月01日 | バックナンバー
 筑波大学名誉教授の村上和雄先生は、高血圧の原因物質であるレニンの発見者として知られているが、最近は、笑いが遺伝子のオン/オフに影響を与えることを解明して、大きな話題を呼んだ。

 村上先生の近著『遺伝子オンで生きる』(サンマーク出版)によると、アメリカでは現在、祈りの科学的研究が盛んに行なわれているという。「たとえば、ハーバード大学、コロンビア大学、デューク大学などアメリカでも権威ある有名大学で、祈りの効果が研究されはじめ、すでに研究事例は一二〇〇を超えている。そして《精神神経免疫学》という新しい学問分野が開かれようとしている」とのことである。

 祈りがなぜ体によい効果を与えるのか、その理由について、ハーバード大学医学部のH・ベンソン博士は、「祈りや瞑想行為は、脳の思考活動を遮断する。そうすると、循環器系を管理する脳幹、記憶や学習を管理する海馬、集中力を管理する脳部分が活発化する。その結果、体がリラックスして、さまざまな病気の症状を軽減する」と説明している。禅などの瞑想も同じ効果があるそうだ。

 祈りや瞑想のこのような生理的効果は、これまでの医学や生理学でも十分に説明がつく。しかし、祈りにはそれ以上の不思議な作用があるという。というのは、自分が祈るのではなく、他人に祈ってもらっても、祈りが有効であることが示されたからである。

 デューク大学医学部で、八組の祈りのグループが、遠隔地から患者が回復するように祈りを送った。祈りの効果の査定は合併症率の有無で行われた。そして、他人に祈ってもらった患者の合併症が起こる確率は、祈られなかった患者グループの五〇%という結果が出た。明らかに、祈ってもらったほうが、合併症率が低下したわけである。

 祈りの作用は「プラシーボ」効果ではないか、という反論もあるという。プラシーボというは「偽薬」という意味で、ただのデンプンの固まりでも、お医者さんが「これは素晴らしい効果がある最新の薬ですよ」と言って与えると、患者の信念の力で効いてしまう、という現象である。しかし、患者が、祈られていることを知らない場合でも、祈りの効果が確認されているので、祈りの力はプラシーボ効果では説明できない。

 祈りがなぜよい効果を発揮するのか、そのメカニズムはまだ解明されていない。しかし、効果があるのであれば、祈ったほうが得だということになる。身近に病人がいれば、その方のために祈りを捧げていただきたい。自分でも日頃から祈る習慣をつけていれば、自分の健康状態が改善されることは、「精神神経免疫学」が保証してくれている。

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みどりの日(1989年4月)

2005年04月29日 | バックナンバー
4月29日の「みどりの日」は昭和天皇の誕生日です。昭和天皇は1989年1月に崩御なさいましたが、その年にこの日が「みどりの日」に制定されました。

五井先生も昭和天皇をとても敬愛なさっていました。とくに終戦の御聖断は、イエス・キリストの十字架にも匹敵する人類救済の大偉業だとたたえていらっしゃいました。日本人がこのように、まがりなりにも平和で豊かな日本に住むことができるのは、昭和天皇のご恩を受けているからなのです。私たちは昭和天皇に心から感謝の念を捧げなければならないと思います。

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「もしも世界的な協力体制が整わなければ、地球救済への時間的猶予は、数十年どころか数年しかない」――ワールド・ウォッチ・インスティテュートが発表した『世界環境年鑑一九八九年度版』は、私たちにこう警告している。石油や石炭などの化石燃料の使用によって増え続ける二酸化炭素は、宇宙空間へ放射されるべき温熱を地球圏に閉じこめ、地球の平均気温を上昇させていると言われている。スプレーや冷蔵庫といった日用品ばかりではなく、半導体などの先端技術製品の製造過程でも用いられるフロンガスは、大気圏のオゾン層を破壊し、地表に到達する有害な紫外線の量を増大させるが、これは皮膚ガンを増加させるものと予測されている。海に流された有害な化学廃棄物は野生動物を奇形化させ、死滅させている。人類の滅亡は、核戦争という一挙の破壊によってではなく、知らず知らずのうちに進行する地球環境の変化によって生ずるのかもしれない。

 人類は自然界の中に生を営んでいる生物であるから、良好な自然環境なしには生きながらえることはできない。ところが近年の科学・技術の発展は、自然を破壊する方向に進み、また自然界の中には本来存在しなかった物質を大量に生産しつつある。これらの人工物質は自然界のリサイクル過程によって分解されることなく、そのまま地球に蓄積され、自然環境を変えてゆく。科学・技術によって人間は一時的な便利さを手にいれることができたが、そのかわり、自らの生存の基盤である自然環境を狂わせつつあるのである。

 私たちはこの辺で、目先の便利さの追求よりも、生命の母体である自然界の恩恵にもっと深く目を向けなければならない時代にさしかかりつつあるようだ。このような時に、昭和天皇の誕生日が「みどりの日」という国民の祭日にされたことはたいへん時宜にかなったことだと思う。昭和天皇は生物学者で、野の一木一草にまで深い愛情を注ぎ、「雑草などという草はない」とおっしゃる自然愛護の精神にあふれたお方であった。この日、国民一人ひとりが、植樹なり、生活排水の浄化なり、スプレーの使用の抑制なり、物品のリサイクルなり、あるいは砂漠緑化のための募金なり、自分が自然保護のために何ができるかを考え、実行するならば、この日の意義も生きてこよう。地球環境を保護するのも、破壊するのも、結局は一人ひとりの人間の生き方の集積で決ってくるのである。

過去を水に流す(2001年9月)

2005年04月26日 | バックナンバー
昨日、ドイツ人・ローマ法王の過去のことを書いたので、それに関連したバックナンバーです――

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 この夏、ドイツのボンとベルリンを再訪する機会があった。私が留学していたころは、ボンは旧西ドイツの首都であったが、現在では首都機能がほとんどベルリンに移される中、のどかな地方都市に戻りつつあるとの印象を受けた。

 ライン川のほとりを散策していると、以前は見かけなかった事物に出くわした。地面に、イスラエルの国旗にも使われているダビデの星の形をした岩が置かれている。近くの碑文を読んでみると、その場所には以前シナゴーグ(ユダヤ教会堂)があったのだが、一九三八年の暴動で破壊されたそうである。ナチスの蛮行を忘れないために、五〇年後の一九八八年にこの記念碑が造られたという。私がボンを離れたのは一九八〇年であるから、見ていないはずである。

 統一ドイツの首都となったベルリンはあちらこちらに建築現場が見られた。その中でもとくに大規模なのが、ベルリンの中心ブランデンブルク門のすぐそばにあるホロコースト記念碑の敷地である。これはまたライヒスターク(国会)の近くという位置でもある。首都のど真ん中に、自分たちの過去の犯罪の記念碑を作ろうというわけである。

 ごくわずかの観察しかしていないので正確なことは言えないが、最近のドイツではこの種の記念碑や記念館が増えているように思える。

 過去を反省することは大切である。しかし、過ぎ去った悲惨な出来事の記憶をいつまでも保存し続けることが、はたして人間性の本質にかなったことなのだろうか。現在のドイツ人の大部分は戦後生まれで、戦争ともホロコーストとも無関係である。そのような人々に、先祖が行なったおぞましい犯罪の証拠写真を突きつけ、いつまでも反省を迫るということは、その人々への威圧にもなりかねない。一度犯した罪はいつになったら許されるのであろうか。父が犯した罪の責任は子孫が未来永劫に担わなければならないのであろうか。現在のドイツと過去のナチスを結びつけるのはもういい加減にしてほしい、というのが一般のドイツ人の正直な気持ちであろう。

 その中でもとくにいきり立った人々が、「ホロコーストはなかった」と主張し、ユダヤ関係の施設や墓を冒涜する行動に出る。そうすると、さらにまた、ドイツ人は過去を反省していない、という非難が加えられる。ユダヤ人が自分たちの受けた被害を強調しているかぎり、ドイツ人も許されたと感じることができない。そこにいらだちが生まれ、かえってユダヤ人への憎悪が蒸し返される。こうして、反ユダヤ主義という過去の亡霊が、ネオナチとなって実際に再び呼び出される。一種の悪循環である。

 過去をどこかで断ち切らなければ、人間は過去に縛られたままである。それは被害者であるユダヤ人にとっても不幸なことである。「過去を水に流す」という日本の言葉は、実は深い意味があるのではないか。

中国人の苦悶(1989年6月)

2005年04月17日 | バックナンバー
中国では反日暴動が各地に飛び火しつつあるようです。

私は、この反日暴動は1989年6月4日に起こった天安門事件に端を発していると考えています。お若い人の中には、天安門事件が何かということを知らない人もいると思いますので、まずそのとき書いたバックナンバーを紹介します。

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 天安門の虐殺――より公正な政治と腐敗の追放を求める中国の学生や市民の民主化の要求は、銃と戦車によって無惨に踏みにじられた。この報道に接した世界各国の人々は、一様に深い悲しみと憤りにおそわれた。それ以上に、自由で豊かな将来を夢みていた中国の若者は、言いようのない絶望を感じたことだろう。

 最近読んだ『中国人の苦悶』(カッパ・ブックス)という本は、中国のジャーナリストが自国の病状を客観的に抉り出したレポートであるが、そこには若い人たちが国を捨てて外国に逃げる事情や、暗躍する闇屋の姿や、猛烈な住宅難など、一般大衆の悲惨な生活が赤裸々に描かれている。この本を読むと、学生たちが改革の要求をするのも当然という気がする。

 この本はまた、「中国人は、法律が自分の生活をどう保障しているのか、自分がどんな権利を持っているのか知らない。……一人の人間の人生が、指導者のツルの一声や政変で、一瞬にして無になるというのは、悲惨なことである。中国人は過去、このような事態の再発を常に恐れてきた。というのも、中国にはそのような事態の再現を防ぐ法律がないからである」と指摘している。この文章はまさに天安門広場の事件を予言していたとも言える。

 しかし、一部指導層や特権階級がどれほど自分たちの立場を守ろうとしても、国民大衆の自由な生活への要求は抑えきれないだろう。なぜなら、中国はもう自由主義諸国との接触を行ない、将来の指導者層を形成することになる知識人はすでに外の世界を見てしまっているからである。日本や欧米などの先進諸国と比べれば、自国の立ち後れは歴然としたものがある。中国の近代化のためには、先進諸国の援助が必要であることは、頑迷な老人たちでさえ知っている。今回の事件によって、中国の民主化と自由化は何年も遅れてしまったことは確かだが、より自由で、より開かれた社会への動きは、とどめることのできない歴史の流れであろう。

 ソ連でもペレストロイカが開始されたのは、革命後七十年もたってからのことだった。中国の民主化にも時間が必要なのだろう。だが、人間は本来神の分霊として、自由な存在、自由に生きたいと願う存在である。そういう人間の本然の欲求を抑圧する社会体制は決して長続きするはずがない。私たちは、隣人である中国の人々が、一日も早く平和と自由の中で生きられるよう、世界平和の祈りとともに中国の平和と天命の全うを祈り続けている。
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天安門の若者たちの民主化要求は、戦車によって弾圧されました。

私は、1990年の初めに、学会で北京に行きましたが、そのとき天安門広場の観光が許されました。広場中央の記念碑には生々しい弾痕が残っていました。

中国共産党指導部は、このようなことが二度と起こらないように、思想教育を徹底することにしました。そのために導入されたのが、愛国教育=反日教育です。

中国の歴史教科書では、4分の1が日本の侵略戦争の学習に当てられているそうです。異常です。中国各地には、1990年代半ばから抗日記念館が100カ所以上建設され、そこでは、偽造写真、絵、人形などによって、鬼のような日本人兵士が、中国人を虐殺する場面を描いています。生徒たちはそこで日本に対する憎悪をかき立てられます。

そうやって育てられたのが、いま反日暴動を起こしている若者たちです。

中国共産党がなぜ反日教育が必要か、もうおわかりですね。自分たちに向けられる民衆の怒りをそらせるスケープゴートが日本なのです。反日教育なくして、中国共産党の権力は維持できないのです。

しかし、このような卑劣なやり方がいつまでも続けられるはずがありません。日本に向けられている憎悪は、いずれ共産党に向けられるでしょう。自分の発したものは自分に返ってくるのが、宇宙の理法です。

私たちは、真実を知らされていない一般の中国人が反日洗脳から一日も早く目覚めるよう、無限なる愛の祈りを送り続けましょう。

中国が平和でありますように
中国人即神也