平和エッセイ

スピリチュアルな視点から平和について考える

千の風になって(2007年3月号)

2007年06月01日 | バックナンバー
 昨年の大晦日のNHK紅白歌合戦で、テノール歌手の秋川雅史さんが歌った「千の風になって」がブームになっているという。この歌の元になっているのは、

 私のお墓で泣かないで
 私はそこにはいません
 眠ってなんかいません
 私は千の風になって吹きわたっています
 私はやわらかに降る雪であり
 やさしく落ちる雨のしずくです……
   (英語の原詩より)

という英語の詩である。この詩を新井満氏が独自に訳し、メロディーをつけた曲が、秋川さんによって歌われた。

 この詩には英語でもいくつかのヴァージョンがあり、作者が誰かははっきりしないが、人から人へと伝わっていくうちに、改良が加えられたことがうかがわれる。

 人生には必ず愛する人との別れがある。どんな人でも親を、伴侶を、恩師を、友人を、時によっては子供を喪う。そして、自分もまたいつかは肉体界を離れ、家族と別れなければならない時が来る。愛する人との別れほど悲しいことはない。

 四苦八苦という言葉があるが、これは仏教用語で、生老病死の四苦に加えて、求不得苦(ほしいものが手に入らない苦)、怨憎会苦(憎い人と会う苦)、愛別離苦(愛する人と別れる苦)、五取蘊苦(世界の一切は苦)という四苦を加えたものである。古来より、愛する人との別れは痛切な苦と意識されていたのである。

 「千の風になって」は、死者が永遠に消滅したのではなく、姿を変えて自分のそばにいると語っている。このような思想が、愛別離苦に苦しんでいる多くの人々に慰めをもたらしたのだろう。

 世界の宗教は様々な形で、人間存在は肉体の死とともに消滅するのではなく、神や霊や仏として生きつづけると教えている。それらの教えは、人間の願望が生み出した単なる幻想なのではなく、事実の一端を示している。心霊科学は、人間は死後も霊として霊界に生きつづけていると語っている。これは、現代の科学ではいまだ証明されていないが、霊視能力のある人にとっては、当たり前の事実なのである。

 筆者も両親と妹に先立たれているが、ときどき故人たちの気配を身近に感じ、懐かしさで胸がいっぱいになることがある。筆者には霊視能力はないが、縁者たちの愛念はいつも私たちを見守っていてくれるし、私たちの愛念は縁者たちに届いている、と自然に思えるので、別離の悲しみはない。

 やがて近い将来、人間生命の永遠性が常識となる時代が来るに違いない。その時には、愛別離苦は消滅し、お墓も無用の長物になるだろう。

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