平和エッセイ

スピリチュアルな視点から平和について考える

ユダの福音書(2006年6月号)

2006年07月15日 | バックナンバー
 今から一七〇〇年ほど前に作成された「ユダの福音書」という文書が解読された。これは、十三枚のパピルスに、古代エジプト語であるコプト語で書かれた文書で、ギリシャ語からの翻訳である。

 ユダというと、イエスの十二弟子の一人でありながら、イエスを裏切ったことで有名である。新約聖書はユダを、悪魔の唆しによってイエスを売った人物として描いている。ところが「ユダの福音書」では、ユダは、イエスの指示に従ってイエスを官憲に渡した、イエスに最も忠実な弟子とされている。イエスはユダに向かって、「お前は、真の私を包むこの肉体を犠牲とし、すべての弟子たちを超える存在になる」と語り、ユダをほめたたえているという。

 この記述には、典型的なグノーシス思想が見出される。グノーシスは、キリスト教と同時期に地中海世界で興った宗教思想で、キリスト教とはライバル関係にあった。グノーシスは「反宇宙的霊肉二元論」と要約することができる。人間存在を霊と肉からなると見る点ではキリスト教と類似している。キリスト教ではイエスを神の子として特別存在とするが、グノーシスは、万人の中にイエスと等しい神の光が宿っており、霊的な知識(グノーシス)によって、自己の解放に至ることができるとする。また、キリスト教では創造神は善であり、悪は人間の原罪に由来するとするが、グノーシスはこの世と肉体を悪なる神によって創造された牢獄であると見る。したがって、グノーシスは現世否定的な面が非常に強い。

 「ユダの福音書」でイエスがユダに向かって語った言葉は、イエスが「真の私」とそれを包む肉体を区別し、イエスの肉体からの解放を手伝った点でユダをほめたたえているが、これはまさにグノーシス的である。イエスはおそらくそういうことを語らなかったとは思うが、「ユダの福音書」がユダの裏切りに新しい解釈を加えているのは面白い。

 五井先生は『聖書講義』の中で、ユダはユダなりにイエスをメシアと信じていた、と述べている。ユダは、「我が師イエスにとっては、如何なる難病も癒されるのであり、如何なる天変地異も静められるのであり、如何なる軍隊が押し寄せてきても、これを壊滅させることができるのである」と信じ、イエスが奇跡を起こすことを期待して、イエスをユダヤ教の指導者やローマの官憲に売り渡したのだという。しかし、イエスはあくまでも自己犠牲による人類の救済を優先して、奇跡力に頼らなかった。

 ユダを単なる守銭奴や悪魔の手先とする解釈は皮相的である。「ユダの福音書」がユダの真実を解明するきっかけになれば、キリスト教にとっても有意義なことであろう。

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