鴎外「青年」より:
純一がまだ、郷里にいたころ、シェイクスピアの興行があった。しかし、シェイクスピアやゲーテは、たとえ どんなに旨く演ぜられても、青年には痛切な感じを与えることは難しかろう。ばかりか、あんなクラシックな作を味わう余裕はないといってよい。極端にいうと、シェイクスピアのような作が新しく出たら、あのような韻文からなる劇は冗漫かもしれぬのである。--->
ゲーテの「ファウスト」が新作として出たら、青年は何というか。 ヘレナやギリシア神話から題材をとった第二部も、 グレートヒェンの悲劇を描いた第一部でも、アレゴリーだと云われるかもしれない。
何故か。今の写実に慣れている者には、 あのような味わい深いGeschmack 趣味は縁遠くなってきているからである。 * - )) ) *
その日、電車で数寄屋橋まで行き有楽座に入ると、四列目あたりに案内された。見物客は もう、皆いて、第一幕が始まるところであった。東京に初めて出てきて西洋風の夜の劇場に入っても本や画で知っていた純一には驚かされることもない。だが、席の周りは女の客ばかりなのには聊か驚いているのである。--->>>







