おおさか佳巨 街頭演説のブログ

減価する地域通貨ですべての改革

毒に食いつかず専門分野に走れ

2009年12月06日 20時03分46秒 | Weblog
人には向き不向きがあるので、無理に不向きなことをやるととてつもないセンスなしの形態となり、見る人が見れば吹き出してしまうぐらいのことは最近よくある。

人それぞれが向く分野というのは、だいたい7パターンにより分類されるかと思う。


1、宗教・思想・哲学など全体を総括するのに向く者
2、全体を総括する者と各分野に精通する者たちとの連絡に向く者
3、政治・経済・自治に精通する者
4、医療・健康・薬事など人体に関することに精通する者
5、律法・道徳・規律などに精通する者
6、科学技術や工業・職人芸に精通する者
7、文学・芸術・歴史などに精通する者


4~7の中のどれかに向いているのに1~3になりたいために無理するとわけわからん滑稽な主張が目立つ。

7つの中で幾つかに跨る人も多いが、1つに精通することが全体を容易に把握することにつながる。専門分野をある程度高い次元にいないと他分野での場で恥をかく。恥をかくというのは、知らなくて恥をかくというよりは人間的に問題がある場合が多い。


別に政治をやる人間が偉いわけじゃないのだが、表面上の統治機構としては確かにそのようなことになっているだけで、魂的には統治者のほうが偉くない場合のほうが多いのである。


なのに無理をして、政治について、どこかその辺の著名人あたりの主張をパクリ横流しの知識垂れ流しを読むと実にお笑いに相当する。

いつも言うことだが、どうしてネット上には、お決まりの右翼思想しか考えられない人が多いんだろうか。リアルにおける政治活動において、私はそのような右翼思想というのはめったにお目にかからない。無論、右翼団体や保守系団体とかにはたくさんいるが、あれほど下劣ではないし、感情的でもない。

きちんとした社会生活を送っており、礼儀正しいし、間違ったことがあれば素直に認める人も多い。これは彼らに日常生活があり、政策論云々よりも以前に、人間関係というものがあるからだ。しかしネット上の人々には人間関係がないために理詰めの政策論のみに終始する。それゆえ政策論を優先して人間関係を断ち切ることもするわけだ。

このネット上での政策論優先の世の中が、社会をバラバラにし、崩壊を招く過程に入っているのだと思う。無理をして政治を語らずに己の専門分野に魂を傾けることが、結局は政治ひいては社会全体に貢献することだと思うのだが、なまじネット上に多くの情報が流されるのでどうしても洗脳されやすい人々がいるということなのだろう。

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