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藁科川上流の大川地区・日向の地名は、集落の中央の舌状台地を中心に様々な地名が残されています。この「蔵ノ段」という地名も、一谷城との関係から命名された名前のようです。
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「蔵ノ段」
一谷城の東方、千田沢を隔てた台地を蔵ノ段と云う。北西部は千田台地に連なるが、他の三方は断崖に囲まれており、現在は茶畑になっている。
ここは一谷城の東の郭跡で、食糧や武器などを常備した蔵の跡と云われている。現在はこの蔵ノ段の中央に灌木の茂みがあるが、何かこの段の秘められた歴史を物語っているようにも思える。
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「ふる里わら科八社~第二集~」
(大川寿大学講座受講生一同・静岡市中央公民館大川分館、1981)
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「蔵ノ段」
一谷城の東方、千田沢を隔てた台地を蔵ノ段と云う。北西部は千田台地に連なるが、他の三方は断崖に囲まれており、現在は茶畑になっている。
ここは一谷城の東の郭跡で、食糧や武器などを常備した蔵の跡と云われている。現在はこの蔵ノ段の中央に灌木の茂みがあるが、何かこの段の秘められた歴史を物語っているようにも思える。
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「ふる里わら科八社~第二集~」
(大川寿大学講座受講生一同・静岡市中央公民館大川分館、1981)
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