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伝承『護応土城』

2012年01月20日 | 言い伝え&伝承
いくつかの伝承を生み出した藁科川上流・松の平には現在茶畑が広がり、火葬場は廃止され、七人塚も取り払われています。

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『護応土城』
 
 徳山城の砦の城で、城を中心に地下七米位に掘下げ周囲広大二条の城壁を築造し、地形はきわめて平坦で山岳起伏が多く谷深く東に大井川まで川が流れて天然の要害地であったが、今川範氏が徳山城を陥れて続いて護応土城日向の上の萩田和城が落城し廃城となり、現在では熊笹がおい繁り狐狸が出没しておる。護応土城攻略に討死した武士の霊を祀った「ごおと地蔵」を祀った堂宇が現存して居る。残党が残って杉尾の桜石仏で切腹しこの地に霊を祀ったので桜石仏と名付けて山の神として現在でも山林所有者が祀っておる。残党が能又川を下り、現在の日向の松の平で切腹したとの伝説が残り、この地に七人塚があってこんもりと茶畑の中に土が盛り仏の樹木の類の香花の木があったが、現在伐木し地蔵尊を建立して碑面には為当所無縁諸精霊頓生菩薩、昭和九年盛夏陽明寺二十九世建立。当地は茶畑が多く七人塚の付近には大川地区の火葬場も設置してある。
萩田和城は落城後山林となり山の神(兵乱山神)として住民は恐怖心をもつと伝えておる。(上湯島、小沢慶一)

『梶原景時の生涯ほか』(松尾四郎.松尾書店.昭和54年)

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