大好き!藁科川

静岡市の西部を流れる清流・藁科川の自然・文化の魅力やイベント等の情報をお届けっ♪

あごなし地蔵

2010年08月31日 | 祠・石碑
本に挿入された愛らしい顔立ちの写真に、ぜひ出会って見たいと探していたお地蔵さんがいました。
だいたいこの辺りと、地図についた石碑のマークや、参考資料の文章から場所の見当はついていたのですが、それでもこれまでは、なかなかその姿を見つけ出すことができませんでした。
「一体どこにあるんだろう」と再度、文章を読み直して、藁科川上流の下湯ノ島の集落に入る手前のところで、今日はピンときました。
道脇の小高くなった岩山と、小屋の間に2つの小さな石碑を発見して「あれだ!」と直感。
車を止めて、急いで小屋の裏へと回り込み、3メートルばかりのほんの僅かな踏み跡を一気にのぼると、丘の上に数十体の祠がひっそりと建っていました。

「あった!あった!!」

どの石碑もツタが這い、苔がむし、あるものは倒れ、あるものは埋まり、急いで急いで、それらを取り払う。
地中に胸まで埋もれていたのが、意中の「あごなし地蔵」でした。
顔にはびっしり苔がついていたけれども、30センチばかりのその体つきからあごなし地蔵に間違いありません。

(あぁ、間に合った・・・・)

もちろん村の人たちに手入れされ、土中に埋もれ所在がわからなくなるまでに至るはずもないのですが、掘り起こしている最中に、妙な感動がどこからかやってきて、目頭が熱くなりました。

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「あごなし地蔵」

下湯島は戸数三十七の小である。の入口は峻険な山で、これを切り開いて上湯島に通じる道をつけた坂道の左側、藁科川に面した小山の上に、庚申塔、弥勒菩薩、馬頭観音菩薩、地蔵尊などの石仏群が、十体余も立ち並んでいるなかに、三十センチぐらいの小さなあごなし地蔵尊を見つけた。浮き彫りの地蔵尊の後背の左側に「虫歯守護、あごなし地蔵大菩薩」。左側に「祈願成就為小沢弘寅年三歳、日向、佐藤成一郎建立」。左側面に「おきの国すき郡中すど村大字かみにし」と刻まれている。肉身の三歳児が虫歯に苦しめられ、地蔵尊に祈願して快癒したそのお礼のため、また一つには虫歯に苦しみ悩む人がないようにとの願いで、この石仏を建てたのであろう。「あごなし地蔵」とは思いきった名をつけたものである。あごがなければ歯がないし、歯がなければ虫歯にならないし、苦しめられることもないと思ったからであろう。山の人の温かく素朴な心が、地蔵尊の姿や、微笑をたたえた顔容から、あふれてくるようである。(1962.6.24)

『野山の仏』戸塚孝一.金剛社.1963)
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「さかなっこ、しらべっこ、はとりっこ!」開催のお知らせ

2010年08月30日 | お知らせ
来月の5日(日)の午後1時から、藁科川の下流、服織小学校そばの服織児童館さん主催行事「さかなっこ、しらべっこ、はとりっこ!」という自然観察会に、私こと、葉茶が出動しまーす。
こちらの行事は、昨年に続いて2回目。
羽鳥の町は、かつて田んぼだったところに今はたくさん住宅がたちならんでいますが、実はその間をきれいな湧き水がいたるところを流れているんです。
今回はそんな小川を生き物を捕まえながら、探検してみたいと思います。

去年の様子だと・・・
ザリガニ→ウジャウジャいます
アブラハヤ→かなりつかまります
ドジョウ→まぁ、いるでしょう
スナヤツメ・・・・


















ぎょえー!!大変めずぅらすぅい~

スナヤツメはぱっと見、大きなミミズのようで、正確に言うと魚の仲間ではないのですが、体の側面に目を入れて八つの穴があることからヤツメの名前がついています。
静岡県ではたしか絶滅危惧種に指定されている貴重なお魚が、去年この行事に参加してくれた子どもが見つけてくれて、私の魚の師匠に聞いたところ、藁科川の左岸でははじめての記録ということでした。
泥の中のようなところに生息するので、今年は観察できるかな?きれいな水と泥という環境があってのこと。
たのしみだなぁー、会いたいなぁー
もしお近くの方がいたら(もちろん遠くの方でも)、是非ご参加ください。一緒に生き物を観察しましょー
参加ご希望の方は、服織児童館へお電話で参加予約をお願いします。


「さかなっこ、しらべっこ、はとりっこ」

期 日:2010年9月5日(日)午後1時ぐらいから3時ぐらいまで
テーマ:身近な小川には、どんな生き物たちがすんでいるのかを知ろう
内 容:児童館のすぐ裏を流れる小川を探検しながら、そこに住む生き物たちをゲットしちゃおう。さてさて、どんな川の生き物たちと出会えるかな?
持ち物:さかなをとるタモ網(あれば)、ひものついた小さな水槽(又はバケツ/あれば)、帽子、タオル、着替え、かかとが固定されるサンダル(又はぬれても良い運動靴)、水筒
連絡先:服織児童館
    静岡市葵区羽鳥6-27-14
    電話/FAX番号:054-277-1201
    E-Mail:hatori-jdk@ka.tnc.ne.jp

ダイビーング!

2010年08月29日 | 川遊び
いやぁー、今年の夏はよく飛び込みました。
子ども達も川に飛び込むの大好きですね。
冷たかろうが、唇が真っ青だろうが、帰りましょうと言われようが、
一度味を占めると、とにかく何度も何度も岩をよじ登って、

ぼぁちゃ~ん・バァッチャーン

と、飽きずにダイビングを楽しんでいます。
負けじと私も飛び込みましたが、あんなにはどうも続かない。
さすが子ども達の遊び力です。

でも良く見ていると、毎回同じではないんですね。
年齢によっても違うようですが、すこしずつバリエーションを変えながら、技を高度にしながら、飛び込んでいるのが分かります。
いくつかの技を紹介しましょう


【藁科川公認飛び込み20】

1)前方まっすぐ飛び → いわゆる普通のまっすぐ前を向いて飛び込むヤツですな

2)ばんざい飛び → 飛び込んでいる最中にバンザイをします。

3)ばんざい足曲げ飛び → バンザイ飛びの応用で、膝をL字に曲げます

4)だるまさん飛び込み → 足をお腹にひきつけ丸くなって飛び込みます

5)体操座り飛び込み → だるまさん飛び込みの足を完全に腕で抱えてしまいます

6)横まわり飛び → プロペラのように横に回りながら飛び込みます。右回転、左回転の場合あり

7)シェー飛び → 言わずと知れたイヤミのしぇ~でございます

8)起立・礼・着席飛び → 飛び込み台のところできりっと立ち上がり一礼して、座りながら飛び込みます

9)前ならい飛び → 学校ネタの第2弾、第3弾は休めの姿勢で飛び込みます

10)はばたき飛び → 鳥のように手をバタバタさせて飛び込みます

11)キック飛び → ライダーキック(?今はなんて言うんだろう)の形になります

12)命飛び → 人型で“命”の文字を作って飛び込みます。でも、もう古い

13)歩き飛び → 歩いているのに気づくと「あれぇ落ちていた~」という漫画の一場面飛び込み

14)走り飛び → 歩く飛びがあれば当然です

15)二人飛び → 仲良く手をつないで飛び込みます。三人飛び込みは結構難しいみたい

16)前転飛び込み → ここまで来ると上級編。着水に失敗するとかなり背中が痛い

17)後ろからまっすく飛び → 飛び込む場所に後ろ向きで立って飛び込みます。これだけでも勇気がいりますよ

18)浮き輪の真ん中ねらい飛び込み → 下に浮き輪を流し、その真ん中を狙って飛び込む方法。

19)頭から飛び込み → つまり“飛び込み”です

20)後ろ回り飛び → 体操の後回りをしながら飛び込む最上級難易度の技です

まだまだありそうですね。

子どもに“大人の癖に意気地なし”と言われようが、最後までできなかった後回り飛び。
そういっていた男の子が、最後その後回り飛び込みを成功させました。
いやぁー、ほんとにすごい!!
心からリスペクトしちゃいました。

でもみんなが金メダル
飛べなかった子が、固唾を飲んでみんなが見守る中、飛び込めるようになったり、
ただ飛び込んでいた子が、新たな技に挑戦したり、開発したり、
飛び込みの上手な子が新たな境地を開いたり、

川はみんな主役のオリンピック舞台なのです


絵地図プロジェクト進行中

2010年08月28日 | お知らせ
私に元気をくれる“川”と“子ども達”

そんな2つのもののために、何かできることはないかと、以前から少しずつ地域の情報などを集めていました。すると、今年度から私が所属している環境ボランティアリーダー会という団体が、政策提言のためのデータ収集とリーダーの養成の2つを目的に全国で河川や海岸の絵地図を作成するというプロジェクトを立ち上げることになり、“渡りに宝船”とばかりに手を挙げさせていただきました。

この絵地図、通常の地図とは違い、開くと3メートルに横に伸びる細長い体裁のもの。

プロの絵地図作家の村松昭さんの手により、流域の自然ばかりではなく、伝統行事や名所・名産などがところせましと詳細に描かれ、ここ静岡では天竜川をはじめ、遠州灘海岸、浜名湖などの地図が既に市販されています。

昔、絵本作家の加古里子さんの「川」という本が大好きで、ページをめくってはそこに描きこまれた人々の動きや海に至るまでの場面展開を夢中に追っていましたが、それがこの藁科川でできるだなんて夢のようです。

おかげさまで、プロジェクトの対象地として選ばれ、セブン-イレブン記念財団さんからは助成を頂くことができ、現在皆さんのお力を借りながら、流域のデータを集めているところです。

先日、そのリーダー会の会合が東京であり、全国からブロック毎の幹事が集まる中、プロジェクトの進捗状況を報告しました。
報告後は・・・


A氏:「河口まで対象地をのばしてみたら?」
私:(そうか!)

B氏:「祭とかを入れると見栄えがカラフルになるよ」
私:(なるほど!!)

C氏:「ターゲットはだれか?その数は?」
私:(げげっ)

D氏:「製作資金の調達見込みは?」
私:(ひょぇー)

というような按配で、助言や懸案事項の検討が行われ、つくづく良い機会を与えていただき、勉強させてもらっていることに感謝することしきりでした。

完成に至るまでは、あと1~2年。まだまだ先は長いのですが、このブログで「できました!」という完成報告ができる日がとても楽しみです。

藁科の谷

2010年08月27日 | 歴史&文化
藁科川の地形を子ども達に伝えるとき、手の平を上に両手の小指側をあわせて、お碗を作るようにくぼませるような形をしてみます。
すると、指先が七ツ峰などの1,000メートル級の山々となり、指や手のひらの皺がたくさんの支流、そして本流の藁科川は手と手をあわせた部分の窪みにあたることになります。
手のひらにできる小さな流域地図。
できればそれを左右に揺すると、この地に起こってきた地形の変化や戦乱、流域の人々の喜びや悲しみが揺りかごとなって、この地の自然や文化が育まれてきたと言えるのではないでしょうか。
それを表現するだけの知見は私にはありませんが、以下にコンパクトに分かりやすくまとめた文書を見つけましたので、引用します。


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「藁科谷」と流域の村むら

安倍川水系の一支流である藁科川は、全長29.2メートルの清流である。アユ釣りのメッカとしてして知られ、その源流は、七ツ峰や天狗石山、天狗岳などの峰々から始まる。北から南に向かって南下する本流には、東西方面から崩野川、諸子沢川、杉尾川、黒俣川、氷川、坂本川(清沢川)、水見色川、小瀬戸川、飯間谷川、久住谷川、大門川など、数多くの支流が流入し、複雑な谷筋を形成している。各集落は、この沢筋に沿った谷間に入り組む形で開発され、長い歴史を刻んできた。
流域は、江戸時代、「藁科の谷」と呼ばれ、一つのまとまった領域を形成していた。上流域は、三方を1000メートル級の山塊に囲まれているが、閉塞された行き止まり空間ではなかった。尾根筋には高位緩傾斜が発達し、そこが古くからの人や物資の行き来する交易路ルート取りとして利用されてきた。
遡って中世の時代、「藁科越え」は大井川上流域に通じる重要な戦略的物資補給ルートとして位置づけられていた。藁科の谷で、東西と南北方向の道筋がクロスする中継路としての伝統があった。戦国時代、朝比奈(藤枝市)から小瀬戸に抜け、そこから本川根(川根本町)に米を運び込むルートがあり、八草には金山へ送る物資を見張る番所が設けられていた。また、「藁科口水見色」という表記もあり、まさに、藁科の谷への出入りは、沢筋の谷間と谷間をつなぐ峠道を伝播ルートとして、外部から文化が持ち込まれる歴史があった。
明治22年(1889)の市町村制施行により、藁科の谷の村むらは、新たに再編され、服織村、中藁科村、南藁科村、清沢村、大川村と命名された。これらの新しい村名は、「服織荘」、「藁科郷」などの歴史的由来や、「清沢」、「大川」など川の名前にちなんで命名されてきた。
この「服織荘」は平安時代後期の荘園、「藁科荘」は室町時代の荘園の存在を意味しており、この谷筋の開発の古さを示している。荘園時代の生業が何であったかは明確ではないが、山間地域の自然を利用した特産物を産出していたことが考えられる。その生業風土は、羽鳥の建穂寺に伝わる養蚕の守護神とされる馬鳴大明神への信仰や、栃沢の名馬摺墨の生誕地伝承、大間の福養の滝で沐浴させると駿馬になるという伝承を育んできた歴史に反映されてきたと言えよう。また日向福田寺観音堂の七草祭では、稲作の豊作を祈願する田遊びが行われており、中世の生業として水田稲作が重要であったことを今に伝えている。さらに小瀬戸遺跡からは、ヤト(谷)の湿地に開発された鎌倉時代から室町時代にかけての水田跡が発掘されており、小さな沢筋に入り組んだ水田開発の古さを示している。
カイト(常畑)の畑作では、お茶栽培が普及する以前、麦の栽培が盛んに行われていた。また、「切杭伝説」を伝える原坂家では、畑に麻を栽培することを忌んできたと言い、このことは、逆に、畑作物として麻の栽培もかつて重要であったことを示唆している。このように藁科の谷筋は、温暖な風土と豊富な水に恵まれた土地柄の中で、農業の他に、製糸や紙漉きなど、手工業的生業も発達させていたことがわかり、閉塞された谷の歴史の古さが想像されるのである。

「藁科川流域の民族」静岡市文化財課.平成21年
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道での遭遇

2010年08月26日 | 自然&生き物
今朝、原付バイクで藁科川上流の小島のあたりを少々眠気まなこで走っていると、

ぬぅ~

と左側からふいに黒いでっかいものが現れました。

なんだなんだなんなんだぁ??????


と走りすぎてから急ブレーキをかけて振り向くと・・・・

















でたぁ~

カモシカじゃぁ~



と両方驚いたと同時に、カモシカはどすどすどすどす・・・と一気に道を渡って、茶畑に駆け上がる。駆け寄ろうかと思ったダッシュ寸前に、

“そうだ、そうだ、カメラ、かめら、かめら”

とバックをあさってあわてて後を追跡すると、茶畑向こうに、まんじりとこちらを眺めるカモシカの視線が刺さる。

茶畑を間に見つめあう両者・・・・
そのままの姿勢で、じぃーっと
じぃーーーーーーっと









ながっ(ツッコミ)

「立ったまま気絶してるじゃないか?」
というぐらい動かずにこちらを見つめるから、こちらも負けじと見ていると、道の真ん中だったので、クラクションが高鳴り、思わずトラックにひかれそうになってしまいました。

そんな人間の所作をあざ笑うかのようにきびすを返して、特別天然記念物は森の中に消えていった道での遭遇でした。

諸子沢の地蔵堂祭り

2010年08月25日 | 歴史&文化
先日24日に、藁科川上流の諸子沢という地区で行われた「地蔵堂祭り」という祭礼に寄らせていただきました。

日もとっぷりと暮れた七時頃のこと。県道60号線を「諸子沢」の道標にそって右折し、川沿いの真っ暗な山道を自信なくくねくねと曲がった先に、提灯の灯りが見えてきました。車を車道に止めて、大間方面に通じる峰林道の坂道をのぼった踊り場から、地元の皆さんがテーブルを持ち寄った縁日の屋台が並んでいます。そのすぐ先には、サイコロに屋根を葺いたような端正な地蔵堂の扉が、その晩は大きく開け放たれて、中からはお坊さんの読経の声が響いてきました。まずは、お焼香をして合掌。

静岡の市街地・安西の川除け地蔵祭りと同じ24日に開催され、昔から子どものお祭りとして受け継がれきたそうです。提灯には地元の子ども達の名前がはいっていて、本日の主賓には花火やお菓子などが振舞われ、たいそうご満悦な子ども達でした。

かつては舗装されてなく、カーブでは何度も切り替えしたという悪路も、今日では立派に舗装されていて、集まったのは30名ぐらいでしょうか、地元の方々がそのコンクリートの上にゴザ敷いてどっかりと座り、飲んだり、食べたり、歌ったりで和やかに時間は流れます。

最後にはもらって嬉しい食料品や日用品が並ぶくじ引き大会が行われ、あちこちから歓声があがりました。いつもはひっそりと地域の人々を見守る地蔵堂も、今日は笑顔や歓声に囲まれて、火照ったよう。

はじめて参加したのに、どこかとても懐かしく感じる温かなお祭りでした。


流域の歴史&文化物

2010年08月24日 | 歴史&文化
前回の生きもの同様、藁科川流域の歴史や文化については少しずつ調べています。
調べれば調べる程、あーあれも行きたい、これも見たいと、どんどん期日だけは去って行きます・・・。まだ清沢の黒俣川方面は未知の領域で、ほんとうに奥が深いですね。
あわてない、あわてない
こちらも、情報お待ちしていまーす!

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【県指定無形民族文化財/2件】
清沢の神楽、日向の七草祭

【その他の大きな祭礼等】 ※確認中
洞慶院の開山忌、羽鳥八幡神社祭典、鍵穴不動尊の祭礼、一色天満宮秋の例大祭、諸子沢の地蔵堂祭り、坂ノ上の松明、久能尾のナガシダイ、小島のタイナガシ、富厚里のアゲンドーロー、八幡のアゲンドーロー、陽明寺の大般若会、福田寺の春秋祭礼、黒俣東光寺の百万遍

【伝承・言い伝え】 ※確認&入力中
239話確認(37話入力)

【祠・石碑】 ※まだまだ確認中
地蔵尊、庚申塔含め66箇所100体以上

【巨木・特徴ある樹木】 ※確認中
*県指定天然記念物/黒俣の大イチョウ、黒俣の大ヒイラギ
*市指定天然記念物/杢左衛門の大アカガシ
*その他の巨樹/竜珠院の大カヤ、清源寺の大カヤ、中藁科小学校の大イチョウ、浅間神社の大クス、峰山のスギ、坂ノ上の大ヤナギ、栃沢のシダレザクラ

【城跡】
山城跡/7地点
(萩多和城跡、水見色砦跡、中村砦跡、羽鳥砦跡、久住砦跡、安倍城跡、小瀬戸城跡)

【遺跡】
52箇所
(縄文時代遺跡/8箇所、弥生時代遺跡/1箇所、古墳時代遺跡/33箇所、中世遺跡/9箇所、近世遺跡/1箇所)


【県指定文化財/9件】
木造不動明王立像(2体)、木造吉祥天立像、紙本墨書増壹阿含経、清沢神楽、日向の七草祭、木枯森、黒俣の大イチョウ、黒俣の大ヒイラギ

【市指定文化財/7件】
坂ノ上薬師堂仏像群、木造阿弥陀如来坐像、木造伝大日如来坐像、木造伝阿弥陀如来坐像、雲版、建穂寺関係歴史資料、杢左エ門の大アカガシ

【国指定文化財/1件】
日本カトリック教会谷津巡回教会

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これまでに出会った生き物たち

2010年08月23日 | 自然&生き物
4月に藁科川上流域に引っ越してきて以来出会った生き物たちや、それまでに観察してきたデータを整理してみました。

写真は、大川小学校のプールサイドの飛び込み台の下で寝ていたモリアオガエル。種類が膨大な昆虫類や植物も、リストにはなっていませんが、少しずつ写真に撮り貯め調べています。

まとめてみると、改めてこの流域の自然の豊かさを感じます。そして、これを一つのステップとして、これからも野山を歩き、地元の方々や、自然観察の先輩たちに教えてもらいながら、どんな生き物たちと出会っていけるか、とても楽しみです。

藁科川流域の生き物の情報があったら、是非ぜひお寄せください。

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哺乳類/9種類
ニホンジカ、ホンドタヌキ、ノウサギ、ニホンザル、ニホンイノシシ、ハクビシン、アナグマ、ヒミズ、アブラコウモリ


鳥類/45種類
ツバメ、イワツバメ、ホオジロ、メジロ、ヒヨドリ、ムクドリ、ハクセキレイ、セグロセキレイ、キセキレイ、ハシブトガラス、ハシボソガラス、シジュウカラ、ヤマガラ、エナガ、アオゲラ、コゲラ、キジ、コジュケイ、ウグイス、モズ、カワガラス、ミソサザイ、カケス、スズメ、キジバト、ドバト、アオバズク、フクロウ、ジュウイチ、ツツドリ、オオルリ、キビタキ、イカル、アカショウビン、ヤマセミ、カワセミ、カワウ、ダイサギ、アオサギ、コサギ、トビ、カワラヒワ、ホトトギス、トラツグミ、コチドリ


爬虫類・両生類/12種類
モリアオガエル、カジカガエル、ツチガエル、ヌマガエル、トノサマガエル、タゴガエル、シュレーゲルアオガエル、アカハライモリ、ニホンアマガエル、カナヘビ、シマヘビ、ニホンヤモリ

魚類/21種類
アマゴ、アブラハヤ、タカハヤ、オイカワ、ドジョウ、シマドジョウ、アユ、シマヨシノボリ、カワヨシノボリ、トウヨシノボリ、ヌマチチブ、カワムツ、スナヤツメ、カマツカ、アユカケ、スミウキゴリ、ナマズ、ウグイ、ギンブナ、コイ、ズナガニゴイ

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陽明寺の地蔵

2010年08月22日 | 祠・石碑
朝の5時と夕方の6時、私が住んでいる山里に鐘の音が響きます。

時報の機械的な電子音とは違ったやわらかく響き渡る音とその余韻が、なにか単に時間を告げること以外の、鐘を鳴らす人と私の、また鐘の音を聞いている人同士のつながりを感じさせるようで、とても好きです。

この大きな鐘がさがるお寺は陽明寺といって、永正7年(1510年)と言いますから、今から丁度500年前に雲叟(うんそう)という和尚さんが開山したお寺です。本尊は薬師如来で、例年7月26日は、檀家さんが会し、ありがたいお経が読み合わせされる大般若会が開催されます。

http://www.okushizuoka.jp/blog/okawa/diary/2010/0728075329.html

この境内にあるお地蔵さんは腹痛や歯痛を治すと言われ、写真のようにボコボコです。
それには、こんな由来が残っています。

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『陽明寺地蔵尊の由来』

むかし、この土地にごんざえもんというおじいさんがおりました。おじいさんは、ある日のこと、ここから約十キロ西にある、小さなに行きました。そのときそのでは、大きな山火事があり、村の人達は大変騒いでおりました。おじいさん、これは大変なことと思っておりましたが、ふとその道ばたにお地蔵様のあることに気づきました。そのお地蔵様は石の大きい1メートル以上もあるお地蔵様でした。おじいさんは、お地蔵様に言葉をかけました。「地蔵さん、わしと行くか」と言いました。その時お地蔵様は、だまっておじいさんの背中に、軽々しくおぶさりました。
おじいさんはそのお地蔵様をおぶって「それでは帰ることにしようか」と言い、遠い坂道をとぼとぼとわが家に帰りました。そしておじいさんは、このお地蔵様をどこにおまつりしようかと思い、考えた末、お寺さんの門前におまつりしました。
お寺さんへは、毎日子どもが大勢遊びに行き遊んでおりました。するとお地蔵様は、大変子どもが好きで、子どもさんの言うことはなんでもよく聞いてやりました。子どもは大変喜んで、毎日、毎日お地蔵様のところへ遊びに行きました。
ある日のこと子どもは突然歯が痛くなりました。子どもはお地蔵様に私は急にここが痛いのですと言い、お地蔵様の歯のところを小さな石でたたきました。またお腹の痛い子どもはお地蔵様のお腹のところを、私はここが痛いですと言い、小さな石でたたきました。
そのため石のお地蔵様は子どもがたたいたところが、だんだんくぼんでなくなりました。それでもお地蔵様はなんとも言わずに、子どもとよく遊んでやっておりました。
今はそのお地蔵様もお寺さんの境内に村人達によりお堂が立てられておまつりされていて、毎年お盆の十六日におまつり法要をしております。

『ふる里わら科八社 第一集 』(大川寿大学講座受講生一同.静岡市中央公民館大川分館.昭和55年)

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坂ノ上のタイマツ

2010年08月21日 | 言い伝え&伝承
灯篭流しを行った先日13日の坂ノ上での夏祭りの時に、河原に大きなタイマツが立ち、燃え盛っていました。

先祖の霊を迎えてまつり、送る行事であるお盆に、火を焚く風習があることはもちろん以前から知っていましたが、静岡出身ではない私にとって、草薙や朝比奈で行われる龍勢花火や、瀬戸川沿いに立つ柱松の行事などを知るにつけ、各屋に迎え入れるといった目印としての火を灯す以上に、燃え上がるタイマツや花火の勢いに、随分と豪勢な行事という印象を持ってきました。

そこで、坂ノ上の大きなタイマツを見て、どんな由来があるのだろうと少し調べてみると、その答えが「藁科川流域の民族行事」(静岡市文化財課.平成21年)という冊子に見つかりました。

以下に引用します。

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『坂ノ上のタイマツ』

8月13日、坂ノ上では、藁科川の川辺に大きな松明を立てて、川施餓鬼*1)を行う。大松明は、ハチコを束ねて直径60㎝、長さ約8メートルと約6メートルの大小2本作る。
松明作りは、1週間前に年番で回る松明当番が行う。ハチコはハチクという細い竹で、藁科川の川岸に生えているものを、前年の11月頃に伐って枯らしておく。ハチコを40本ほど束ね、モウソウチクを芯に入れ、燃えている途中で崩れないよう番線でしっかり締める。先端部分には、切り落とした粗朶や青竹を差し入れる。
8月12日、松明を川辺に立て、倒れないよう竹の筋交いで支える。松明の中には点火しやすいように、油を染みこませた布を仕込む。また、河川敷の広場に施餓鬼棚も作る。
13日の夕方、村人が七夕飾りを松明の根元に持ってくる。施餓鬼棚には、施餓鬼幡やナスの牛、キュウリの馬、供物などをあげておく。午後6時、日向の陽明寺住職による川施餓鬼供養の読経が始まる。
読経の最中、竹竿の先端に布に火をつけ、松明に点火する。読経が終わり、簡単な直会がすむと施餓鬼棚を壊し、松明で燃やす。同様に、納められた七夕飾りも燃やす。
松明への点火を目安に、各家では手作りの灯篭を持って墓参りに行き、灯明を灯す。また、子ども達が橋の上流から灯篭流しをする。

*1)施餓鬼(せがき)とは、餓鬼道(がきどう)にあって飢えと渇きに苦しむ餓鬼に飲食を施し、仏に供養することによって餓鬼を救済し、自身も長寿することを願う仏事をいい、特に川辺で死者の霊を弔う施餓鬼を川施餓鬼という。川辺や船を用いて行われ、施餓鬼法要の後に、水死者の法名を記した経木(きょうぎ)や供物(くもつ)などを川に流す。本来は時期を限ったものではなかったが、盆行事と結び付き精霊(しょうりょう)送りや納涼の要素が大きくなっていった。

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この坂ノ上の大小一対のタイマツのルーツは、山梨県富士吉田市の「吉田の火祭」で焚かれる結松明と同様、“修験の柱松”にあるとされ、他の藁科川流域で行われている高い灯籠を立てて下から点火用のたいまつを投げ上げるアゲンドーローという行事とは来歴を異にするとのこと。

柱を祭るといえば、同じく藁科川上流域・諸子沢にある大日堂では、各柱にお供え物をするという珍しい風習が残っています。

なぜこのような柱松が坂ノ上にあるかは不明とのことですが、上流域の文化が、信州や甲州といったところの影響を受けている可能性を示唆するものであるかもしれません。







川の終わり

2010年08月20日 | 言い伝え&伝承
“川の終わり”という話になった時のこと。
支流の藁科川としては、本流の安倍川との合流点が、川のおしまいということに地名上なりますが、そのような区切り方に、地元の方との会話がほんのしばらく途絶えました。

“えっ?”という小さな違和感。

そこには「川は海まで続いている」という、山里で長く暮らす方の当然の認識があるようで、反対に、川を途中で終わらせてしまっている私たちの考えの在り方に気づかされた間合いでした。

実際、江戸時代より以前、藁科川は安倍川と合流することなく、おおよそ今の河道で、海に独立して注ぎ込んでいたことが復元された古地図から分かります。
この2つの川をくっつけたのは、治水面と水運に配慮し、駿府城を築いた徳川家康とのこと。
川の流れを変えるという大きな為政者のパワーを感じるエピソードです。

さて、その合流点に先日出かけました。
娘の自由研究の石拾いのため、茫漠と広がる石の河原を歩きました。

この辺りには、こんなさびしい言い伝えが残っています。

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『野良の墓』

藁科川と安倍川とが落ち合う川原の芝間を野良島という。昔、歌舞伎に妓女を禁じたので、少年の男子がこれに代わって演じるようになった。これを野良(やろう)といった。ところが世上、男色をもてあそぶことが盛んになった。ここで野良を集めて数度歌舞伎を興行したが、ある時、男色のことから喧嘩が起こって野良が殺された。野良島はその墓であるというが、時代は知れない。それ以来、ここで歌舞伎の興行は絶えたという。(服織村誌)
「藁科物語 第4号 ~藁科の史話と伝説~」(静岡市立藁科図書館.平成12年)

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藁科川クリーン作戦2010のお知らせ

2010年08月19日 | お知らせ
今年もやってきましたクリーン作戦!
来る8月29日(日)に、藁科川流域の各地でいっせいに川の美化活動が行われます。
奥藁科の日向町内でも、同日、河川及び道ばたのゴミ拾いが下記の要領で実施されるとのこと。日本一の清流・藁科川に向けて活動を盛り上げていきましょう!
なんて言いながら、私はこの日出張で参加できません。とほほほ・・・残念すぎます。

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●期 日:2010年8月29日(日)
●時 間:7時30分~8時30分
●集合場所:※組によって異なります
  1組/日向堰堤、2・3組/小向橋、4・5組/福田寺(草取り作業)、6・7組/農協前、8組/郵便局、9組/城山橋
●注意事項等:
*持ち物は軍手、帽子、タオル ※ゴミ袋は町内会で準備するそうです
*作業はそれぞれの組の組長の指示に従って進めて下さい。
*作業が終わりましたら、拾ったゴミを持って農協前に集  
 まり、活動の成果を共有しあいましょう。
*ご不明な点などは、事前に各組長のところまでお問い合
 わせください。
●共 催:藁科地域振興協議会、日向町内会

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『野山の仏』

2010年08月18日 | 図書文献
今回は一冊の本を紹介したいと思います。
今から約50年ほど前に書かれた『野山の仏』という本です。
藁科図書館の地域資料のコーナーで見つけた本書は、大きな本と本の間に埋もれていた小さな体裁ですが、まさに私にとっては長年探していた宝物と出会ったような感動でした。

筆者の戸塚さんは市街地に開業するお医者さんで、戦後間もない藁科川流域をはじめ、隣の安倍川筋に分け入り、野山のお地蔵さんたちを訪ね、その由来や地域の人々の言葉を断章風に紹介しています。

科学者(医者)としての客観的な視点と、野仏に対する限りない主観的な愛情が融合し、その文章は凛として格調高く、そしてみずみずしく、筆者が追い求めた野仏たちの魅力が、今なお色あせず読み手に迫ってくるすばらしい本です。
読み物としての面白さと、歴史的資料文献としての価値ある一冊。

“この地蔵は生きているかも知れない。
人々の限りない無理な願いを、慈悲の心で受け止めて
幾世紀の間、日だまりの野辺に、風雨の辻に、土を踏みしめて、
村人の心を救ってきた。
石に刻まれた像ではあるが、大地の精が宿っているかのように、
石造であって人間をいのままに動かす力を持っているものであってみれば、
確かにこの地蔵尊は生きている。
菩薩はその目で歴史の変転を見守ってきた・・・”

このような文章に出会うと、大きく頷き、時間を越えて、心が震えます。
本著に背中を押されて、またいろいろな藁科川の魅力を見つけてみたくなるのです。


『野山の仏』戸塚孝一郎著.金剛社.1963年

カマ淵

2010年08月17日 | 川遊び
うだるような暑さの中、同じようにゆだっていた娘たちを誘って、歩いて3分の目の前の藁科川本流の淵へ川遊び&生き物調べに出掛けました。

イノ淵や道光淵、お松淵など、この辺りの主だった瀬や淵には、名前や由来がそれぞれついています。かつて川と人の暮らしが密接だったことが伺われ、この場所は、かつては左右の岸がつながり、滝が落ちていたとのことで、深い淵があったためか、地元の方はカマ(=釜)淵と呼んでいるところです。小学校にはシーズン始めにプール開きと同じく“川開き”という時間があり、その時もここで遊んだそうで、子どもたちに案内してもらいました。

上流部の隘路のため大きな石も多く、流れは幾分複雑ですが、淵は深いところでも1.5mでかつて深い淵をえぐった水量は今はなく、下流側の平瀬も脛より浅くて、比較的安全に遊べる場所です。

右岸側からは、不動沢からの水が流れ込んでいて冷たく、よどみの部分にヨシノボリ類の姿がよく観察できました。逆に左岸側の急流は流れるのが楽しく、淵の中を覗くとアユが泳いでいる姿を見ることができました。ガサガサと周辺にタモアミを入れた結果、アブラハヤ、ヨシノボリsp、チリメンカワニナ、コオニヤンマのヤゴなどが見つかりました。カワニナは、この淵より上流の右岸側に相当数のゲンジボタルホタルが飛び交う場所があり、そこのよどみに生息したものが流された来たのかも知れません。右岸側の尾根を上がった野道には、滝が好きな不動尊が祀られているとのこと。

地元の方々のお話や言い伝えによると、この辺り一帯は、昔はガケ崩れや河道の変化など多かった土地だったそうで、当時の人々の暮らしや歴史に与えた影響も大きかったようです。そんな土地の履歴も少しずつ調べていきたいです。