藁科川上流の大川地区栃沢から足久保へ抜ける“釜石峠”には次のような伝説があります。
「昔の旅人は釜石峠を越して足久保街道を通り駿府に出ていました。峠の少し手前に石仏のお堂があり、山道はここで三本に分かれて、左が玉川、中は足久保、右は突先の登り道になっていました。栃沢から峠に着くと初めての人は迷いやすいのです。
昔何かの急用で夕方栃沢より登った旅人は一本道と思ってか途中で水をたずねずに登ってきました。そしていつしか玉川に通じる道に迷い込んでいるうち、とうとうあたりは暗くなってしまい、深山で野宿しました。ここで山の動物にくわれては大変と寂しくなるばかり、そこで思いついたのが峠の石仏のお堂のことで、急いで手探り足探りで今来た道を引き返し、漸く峠のお堂にたどりついて『願わくは道に迷いし者、せめて一夜の宿を貸し給え』と心で念じてお堂の中へ入りました。その夜は旅も疲れでぐっすり眠りましたが、夜明け間近と思う頃、石仏さまが夢枕に立ち『お前は道に迷っている様子、夜があけたら中の道を大タルの方へ下るがよい』と告げられました。これに気が付いた旅人は石仏に三拝九拝してお礼を述べ、夜明けをまつ間に一夜の宿を貸してくれた上に夢枕に道案内までしてくれたことをこまごま書置きして峠を下りました。それから幾日か過ぎた日、その書置きを村人たちに見出され『それは大変お気の毒であった』というこどえ、それからだんだんに分かれ道や難所に道しるべが建てられて、迷う人もいなくなったといいます。」
『藁科路をたずねて』(海野實.明文出版社.昭和59)
「昔の旅人は釜石峠を越して足久保街道を通り駿府に出ていました。峠の少し手前に石仏のお堂があり、山道はここで三本に分かれて、左が玉川、中は足久保、右は突先の登り道になっていました。栃沢から峠に着くと初めての人は迷いやすいのです。
昔何かの急用で夕方栃沢より登った旅人は一本道と思ってか途中で水をたずねずに登ってきました。そしていつしか玉川に通じる道に迷い込んでいるうち、とうとうあたりは暗くなってしまい、深山で野宿しました。ここで山の動物にくわれては大変と寂しくなるばかり、そこで思いついたのが峠の石仏のお堂のことで、急いで手探り足探りで今来た道を引き返し、漸く峠のお堂にたどりついて『願わくは道に迷いし者、せめて一夜の宿を貸し給え』と心で念じてお堂の中へ入りました。その夜は旅も疲れでぐっすり眠りましたが、夜明け間近と思う頃、石仏さまが夢枕に立ち『お前は道に迷っている様子、夜があけたら中の道を大タルの方へ下るがよい』と告げられました。これに気が付いた旅人は石仏に三拝九拝してお礼を述べ、夜明けをまつ間に一夜の宿を貸してくれた上に夢枕に道案内までしてくれたことをこまごま書置きして峠を下りました。それから幾日か過ぎた日、その書置きを村人たちに見出され『それは大変お気の毒であった』というこどえ、それからだんだんに分かれ道や難所に道しるべが建てられて、迷う人もいなくなったといいます。」
『藁科路をたずねて』(海野實.明文出版社.昭和59)