大好き!藁科川

静岡市の西部を流れる清流・藁科川の自然・文化の魅力やイベント等の情報をお届けっ♪

小島の歴史

2010年09月15日 | 集落の地誌
もし外国人の方などに“これこそ静岡市!といった風景を見せてほしい”と言われたら、皆さんなら、どちらを紹介しますか?
私なら散々迷ったあげく、ここの景色を紹介するかもしれません。

小島です。

小島は藁科川上流の清沢地区にあり、八幡から県道60号線を入って、10分ほど走った藁科川の車道の対岸に張り付いた山里です。

写真のように、山の緑を額縁にした斜面に集落が這い上がり、人家と茶畑がジグゾーパズルのように組み合わさって、そのピースを遠い先祖が一つ一つ組み上げた石垣の強いラインが縫いあげている、この景観が私は好きです。

自然と歴史によって織り成されてきた暮らしの風景が、一目瞭然に眼前に迫り、集落へと渡る小島橋は、なんだか神聖なもののようにさえ感じられます。

===============

『小島の歴史』

藁科川中流域右岸に位置し、村名の由来は、名馬摺墨を頼朝の命で受け取りに来た鎌倉の武将の一人、小島三郎によると言う。寛文13年(1673年)までは、小島、坂本、赤沢、寺島、鍵穴五か村を「清沢郷」と称したという(『駿河記』)。小島は天領で、明治になると駿府藩、静岡藩、静岡県へとめまぐるしくその所属がかわり、明治22年、上記5か村に昼居渡、相俣、黒俣、杉尾を加えて清沢村になった。
集落の背後の山の尾根筋には、川根街道が通っていた。黒俣境には相俣砦があり、南北朝時代、南朝と北朝方が攻防の歴史を留めたところとされている。小島、久能尾、笹間へとつながる東西方向の峠道も発達していて、榛原方面から藁科の谷に通うお茶摘みさん達の通路にもなっていた。かつて、洞泉寺という曹洞宗の寺院があった。神社には、天満宮、地神社、山神社などがあり、また、天満宮の脇には、五輪の塔が祀られている。
小字地名に、「大芋地」、「長麦地」などがあり、焼畑も古くから盛んに行われていたことがわかる。また地域には藁で編んだ円形の舟に松明を乗せて流す「タイナガシ」と言われる祇園祭りが残る。

『藁科川流域の民族行事』(静岡市文化財課.平成21年)に一部加筆して引用

=================


最新の画像もっと見る

コメントを投稿