大好き!藁科川

静岡市の西部を流れる清流・藁科川の自然・文化の魅力やイベント等の情報をお届けっ♪

見惚れた伝統の手技

2011年04月30日 | 料理・食べ物
毎日の食卓で、何気なく飲んでいるお茶。“静岡と言えば云えば、お茶”と言われるぐらいの産地に住んでいながら、茶摘みからそれが食卓に上がるまでの過程をこれまで知らずにいました。

今回、午前に摘んできた茶葉を、伝統の手揉みで仕立てていく一連の過程を見せて頂く機会に恵まれ、時にダイナミックに体全体を使い、時に繊細に手先で仕上げていく、その技にすっかり見惚れてしまいました。

場所は、藁科川上流の大川地区の畑色。藁科の谷を一望する山腹で、心をこめたお茶づくりを続けられていらっしゃる「はたいろ製茶」さんを訪ね、その手揉みの工程を見学させて頂きました。

「ほいろ」と呼ばれる表面に和紙が張られ下から温められた台の上に、採れたての蒸したお茶の葉が広げられます。まずはそれを両手ですくうように取って、手を回転させながら散らすように落とす動作を繰り返す「茶ふるい」からスタート。続いて、縦や横にむらなく転がす「回転もみ」など全部で7工程、6時間程度かかる作業でした。

力がしっかり入っていながらも、それが力んでいる風ではなく、リズムよく作業をこなしていく名人の手技と体全体の動きは、踊っているよう。最後は剣先のように鋭くとがった茶葉に仕上がり、あの採れたての柔らかい葉が、人の手を経て、次第に変化していく様は驚きでした。

これだけの労力と技をかけて出来上がる工程を見ると、ますますおいしくなった静岡のお茶です。

飛び込んできました春の使者

2011年04月29日 | 自然&生き物
今年もやってきました春の使者“ツバメ”。勢い余って玄関から入り込んだのでしょうか、家の中を飛び回わり、なかなか出口を見つけられず、あちらこちらと行き惑っていたので、悪いこととは知りながら、一度虫捕り網で捕まえて、外へ逃がしてあげました。
今年は、家の中にではなく(昨年は泣く泣く外に追い出してしまった)、軒に巣をつくってほしいです。

オ・ク・シ・ズ~♪

2011年04月28日 | お知らせ
「オクシズ」は、新たに開設されたテレビ局・・・・ではなくて、静岡の奥、つまり静岡市の山側の中山間地を表した言葉です。

そのオクシズの魅力を発信するため、『奥静岡への誘い』(静岡市議会自由民主党議員団.平成23年3月)と題するパンフレットがこの程、発行されました。
私は藁科川上流の大川地区センターで発見!静岡市内でしたら、皆さんのお近くの公共機関においてあることでしょう。

もちろん藁科川筋の「服織地区」「中・南藁科地区」「清沢地区」「大川地区」の情報も載っています。第二東名の開通を前に、副題が『「オクシズ・まるごと博物館」の実現に向けて』とあって、今後の中山間地域の情報発信の足がかり一つとなりそう。

ぜひお手元に一冊どうぞ。

足元の世界

2011年04月27日 | 自然&生き物
野原に出て、いつもはあまりにも目に慣れ見過ごしてしまう春の小さな草花たちを撮影してみました。腹ばいになって可憐な花たちを接写していると、ファインダーの横からやってきたテントウムシ。しばらくその様子を目で追っていると、近くには蟻の道があって、たくさんの蟻たちが行き来しています。また、ほんの小さな斜面から小石がゴロッと落ちてくる。
草が生え、花が咲き、虫が動き、小さな石も落下して、“ああ、足元の世界もこんなに動いているのか”って、改めて当たり前のことを感じました。

「ゆとりすと静岡」取材

2011年04月26日 | お知らせ
私たちのように、豊かな自然環境や、文化的遺産や暮らしの知恵に恵まれた山間地に移り住んで暮らしてみたいという声は、次第に大きくなってきています。

このように移住や定住を希望される方に、静岡県を積極的にPRしていこうと、「ゆとりすと静岡」というホームページの作成・更新や「一緒に暮らそうふじのくに」というガイドブックを発行している、静岡県文化観光部の交流促進班の方が、静岡市中山間地振興課とご一緒に、本日取材にいらっしゃいました。

なんと静岡県は、NHKの全国意識調査だと、北海道に続く「第二位!」

今後は、「住んでよし訪れてよしの理想郷」と題して、静岡県に移住された方を対象にネットワークを作っていきたいとのことでした。

少子高齢化で過疎の問題が深刻な中山間地ですが、これを機会に多くの人が関心を持ち、山里に戻ってきてくれると嬉しいです。

センター&お隣さんとの情報交換

2011年04月25日 | 行事レポート
集落支援員・島村さんのコーディネートで、県内の中山間地を視察巡回中のふじのくにNPO活動センターを運営しているプラットホーム静岡代表の荻野幸太郎さんと、お隣の川根で活動するエコプラ川根のプロデュースや、地域活性化を図る企画+コミュニケーションデザインを事業内容とするユニークエモーション代表の武藤喜彦さんが、藁科川上流・大川地区を訪れ、中山間地活性化に関する情報交換を行いました。

企業の森の事業内容から、川根本町や伊豆市・小布杉等での地域おこしの事例、またSOHOで行われている「中山間地どぶ板奮闘記」という取り組みのレポートなどなど。大川地区の現状も交えながら、あっと云う間の一時間半で、その中で様々な情報を伺うことができ、少しずつでも顔の見える関係を作りながら、今後も情報交流を行っていきたいという話となりました。

教えて頂いた「地域の人を説得しようと思った瞬間にまちがい」という言葉。肝に銘じていきたいと思います。

荻野さん、武藤さん、そして島村さん、ありがとうございました。

「大川っ子くらぶ」活動スタート!

2011年04月24日 | 行事レポート
子どもたちは昔に比べると少なくなってしまいましたが、地域の宝物である子どもたちに、ふるさとの自然や文化に親しんでもらおうと、藁科川上流の大川地区でこども会活動が復活しました。

名付けて「大川っ子くらぶ」!

昨日までの激しい雨が嘘のように晴れ渡った春の陽気の中、始めての活動日に、幼児から園児・児童、中学校のお兄さんお姉さんに至るまでの子どもたちと、てその保護者の皆さんで、総勢50名ほどの参加者が集まりました。

日向のバス停から、陽明寺の裏山を通って、かつて萩多和城の兵士たちが行き来した道をたどる「裏山コース」と、食べられる野草を摘みながら町内をのんびり歩く「野原コース」の二手に分かれてハイキングをし、最後は福田寺に境内に集まって、採ってきたばかりの野草を天ぷらにして、それをおかずに持ってきたおにぎりを食べるランチタイムとなりました。

おかげさまで、春の陽気と味覚を満喫した、記念すべき第一回目の活動になりました。

大間の芝切り砂宮大夫

2011年04月23日 | 言い伝え&伝承
藁科川の最上流にある標高800mの地・大間。なんでこんなところに人が、と思うのは間違いで、逆に藁科の谷の歴史はここから始まったという云われのある歴史の古い集落です。今なお、下記の言い伝えに残る砂家さんは健在で、大間の由緒ある歴史を今に残しています。

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「大間の芝切り砂宮大夫」

大間の氏話には砂宮太夫に関する事が多い。宮大夫は何の為に追われたのかは分からないが、信州高遠乾の町より従者三人と共に来たり住んだと伝えられ、その中の一人仲谷某は鍛冶を受け持ったと云われ、三家共農家として現存している。太夫と云う官職は、正五位從五位の位階の五番目のものであったと辞書に在り、再三追手が来て、迎えうったと伝えられる事から宮大夫は従者等の取り締まりをする太夫ではなく、高官で当時高遠は京都よりの通り道であったとも云われる事から、京都を追われて一旦高遠に逃れ、更に安住の地を求めて来たり住んだとも思われる。

それでは、それが何時頃かと云うと、羽鳥があって、その次に大間が出来た。その間には大きな家がなかったので、大きい間、即ち大間と云う名称になったと伝えられている。何時頃から大間が創ったのかこれを証するものはないのであるが、大間の神社の境内に不動様の御宮があるが、そのお宮に不動尊を御尊像を寄贈してあり、新旧二尊像が安置され居り、初めの方が古くなったので、新しいのを更に奉献したもおんと思われる。これには天文五年(1536年)申十二月吉日旦那宮太夫、刀工弦心と記されてあり、年代表に合わすれば、約四百五十年位前となり、古い方の腐食度を調査して換算し、それと落ちて来て村を形成し神社を建造するに何年位を要したか、これ等を合算すれば相当な年月となり、一千年以上を経ているものと推測される。

宮太夫は神官で弓の名人であったと云われる。追手の来た時射たという矢平と云う地名、七人の捕り手を射殺したと云う七人塚という地名、追手が来た時見橋をしていたものが旗を振って知らせたという旗立(現在、畑立)という地名などがある。又五六人の追手が来た時家人や村人は豫め避難っせ己れ一人家の東側の高い処にあった樅の木の上に上がって様子を見ていた宮太夫は、機を見て矢を放ち射殺したと云われている。

一度井川の大島へ逃れ又引き返して来たと伝えられており、火災にもあったと伝えられている処から、古い物は失くしたり焼失したものと思われる。古びた烏帽子と、神事用のたすき、手彫りの祭事の時に使ったと云うお椀が蔵されている。

屋敷の裏山に天王様と称して小さな祠があり、先の三本になった槍と、反りのない小刀が御神体として納められている。正月には、小正月まで斎戒木曜してお祭りをしたと言われ、今でもそれに倣って行っている。井川の大島にも天王様の祠があり、宮太夫の井川へ落ち延びた時お祭りしたものの如く伝えられている。

宮太夫は、神社への信仰篤く神社の鍵持ちとして、子孫が継承し現在に及んでいる。旧二月七日、六月十四日の年二回の天王様のご縁日には、村内砂家へ寄って御日待をしたもので、これは戦前まで続けられていた。今でも砂家は大間の芝切りと云い、屋号も宮太夫(みやだい)と呼んでいる。神事のヘンバイを踏んだ屋敷として、不浄は殊に厳しかったとの事である。

こんなエピソードもある。その頃は、自給自足で衣料は藤の皮の繊維で織った太布を用いていた。或る日、宮太夫が士分らしく羽織袴で羽鳥を通った時、丁度田植えのころで女人等は山家の武士太布袴でサツパツタと云って笑ったので、宮太夫は羽鳥田圃、昨日、今日、明日、三日植え実らずにサツパツタと云い返したら、その田は亜紀になって実らなかったという。宮太夫の太夫と云う官職と大凡年年位経ているかをもう少し調べてみたいと思ったが後日に譲ることにした。    おわり

中村鎌一
森 清

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「ふる里わら科八社~第二集~」
(大川寿大学講座受講生一同・静岡市中央公民館大川分館、1981)

花が咲いて

2011年04月21日 | 自然&生き物
4月に小2になった下の娘が、宿題の詩の暗唱を繰り返しています。

「・・・・
花が咲いて、見ない人は いない。
花が咲いた。 花が咲いたよ。
ほへふひ ははは 
花が咲いて、怒る人はいない」

背中越しに聞きながら、レンゲの花を思い浮かべます。
近くの田んぼの跡地に、レンゲの花が咲きました。

大川地区の近年の地域おこし活動

2011年04月20日 | 歴史&文化
意外に最近の出来事についてまとまった資料が見当たらず、それならばということで、あちらこちらから抜き出し、地域の皆さんにも伺いながら、藁科川上流・大川地区の近年の地域おこしに関係するような活動や出来事を、年代順に並べてみました。

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1979年(S54)
    「ふるさと藁科八社」発行(~1981年第三集まで)
    「大川中学校体育館」完成
1989年(H元年)
    「大川の屋号と屋印」発行
    「大川の茶を考える会」発足
1990年(H2)
    「第1回大川夏祭り」開催@坂ノ上
1991年(H3)
    「摺墨庵」設置@大間
1992年(H4)
    「お茶しま専科」結成
    「大川運動会/小学校・中学校・地域」合同開催化
1993年(H5)
    「大川地域振興協議会」発足
    「楢尾小学校」休校@楢尾
1994年(H6)
    「湯ノ島温泉・玄国茶屋」オープン@湯ノ島
    「グリーンティー大川茶農業協同組合/茶工場」完成 
    「ティーロードハイキング」開催@栃沢
1998年(H10)
    「大川地域振興協議会/ティーロード事業」着手
    「聖一国師八百年記念事業実行委員会」設立
2000年(H12)
    「第1回大川収穫祭」開催(以後、毎年実施)
    「草庵/茶室」の完成・お披露目会開催
2002年(H14)
    「聖一国師生誕八百年」
「大川高齢者生活福祉センター」開所(4/15)@日向 
    「絵本/聖一国師」発行
    「聖一国師」発行
2005年(H17)
大川クラブ創立80年記念事業「ふるさと大川の方言」発行
    「栃沢茶を育てる会」結成@栃沢 
2007年(H19)
    「大川地区活性化研究会」結成
2008年(H20)
    「縁側お茶カフェ」スタート@大間
    「はばたけ大川」結成
2009年(H21)
    「乗り合い買いものツアー」開始@崩野・楢尾・大間
    「奥藁科Webの会」結成
2010年(H22)
    「静岡市移住促進対策事業」移住者受け入れ@日向
    「大川中学校グラウンド」芝生化@日向 
    「芝生でお茶カフェ」開催@日向
2011年(H23)
    「大川地域振興協議会」再発足
    「楢尾青少年の家」休所@楢尾

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振興協議会、動き始めました

2011年04月19日 | 行事レポート
19日夜に藁科川上流・大川地区センターにて、3月に再発足した大川地域振興協議会の第1回目の会合が開催されました。14名の参加者が集まり、はじめに自己紹介と大川地域への将来の夢や希望を語っていただいた後、「データで見る大川」と題して、人口や最近の地域おこしに関する出来事などを共有し、最後「やってみたいこと/課題に感じていること」などを出し合いました。お茶の時期に入るため、1カ月お休み後、次回は6/11です。

「被災地支援報告会」開催

2011年04月18日 | 行事レポート
藁科川上流の大川地区で、地域おこしのために情報発信している奥藁科Webの会が、東日本大震災の復興支援のためにメンバー2名を派遣して、作業にあたってきた様子を報告する「東日本大震災被災地支援活動報告会」が、17日夜に大川地区センターで開催されました。

「大川」という地名つながりで支援にあたった石巻市立大川小学校周辺での遺留品探しと仕分けの様子や、石巻市街でのボランティア活動の様子やまちの状況などが詳しく報告され、質疑応答をはさみ、今後の支援の在り方などについて話し合われました。

「次は東海」という意識で、今後の地域の防災を考えた時、二人の現地で得てきた情報と経験は、非常に大きなものであったと、地元住民として二人の行動力を「誇り」に感じました。

ぬく森ツアーがやってきた!

2011年04月17日 | 行事レポート
「静岡市の森林(もり)を元気にして地球温暖化防止に貢献しよう!」

このようなテーマで、静岡県地球温暖化防止活動センターが声掛け人となり、有志の皆さんと進めている「ぬく森プロジェクト」メンバーが、藁科川上流の清沢地区と大川地区にやってきました。

ダッシュ村のような、遊び心満載の、自然と共存し、しかも中山間地の振興に役立つようなエコビレッジができないかと、9名のメンバーでその候補地さがしにいらっしゃったとのこと。

大川地区では、まずセンターで地域の概況をご説明した後に、実際に日向・坂ノ上地区をめぐって、中山間地の魅力にたっぷりと触れて頂きましたよ。

これからもいくつか候補地をめぐるとのことで、候補地の選定は8月以降とのこと。

さて結果やいかに?

春の野に出て、わらびつむぅ~♪

2011年04月16日 | 料理・食べ物
藁科川上流は春の山菜シーズン。ぜんまいやワラビなどが丁度、採り頃・食べ頃なのです。地元の方に、たくさん採れる場所を案内してもらって、一緒に出かけました。到着した湿気のある斜面に、山菜いっぱい!ついでにノビルも引っこ抜いて、お鍋3杯分にもなった春の味覚はあく抜きをし、お裾わけもして、とてもおいしく頂き中です。