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『木の精』

2012年01月10日 | 言い伝え&伝承
藁科川上流・日向地区に伝わる伝承を再録します。
以下の話は、「原坂姫の神話」「木魂明神」などバリエーションが豊かな伝承です。

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『木の精』

今は昔、日向村には忠左衛門という人が住んでおりました。この家には、とても美しい娘があり、村の若い者たちの憧れの的になっていたのです。
いつの頃からか、この娘のもとに、気品ある、美男の武士が通うようになりました。この武士は毎夜毎夜、娘のもとに通ってくるのですが、いったいどこからやってくるのか、話そうとしませんでした。娘は、この武士がどこから来るのか知りたくてなりません。そこである夜のこと、武士の帰り際に、ハカマのすそに、麻糸を縫い付けました。そして、その麻糸をたぐってゆきました。すると不思議なことに、杉の大木の中にはいっていたのです。驚いたのは忠左衛門「娘は、木の精に取り付かれてしまった。このままでは、命までも奪われてしまう。」と思いました。「それでは、この大木を切り倒して、木の精を供養してやろう」と考えました。
今のように、能率の良いチェーンソーなどない時代でヨキで木を切っていたのです。朝から晩まで、村人たちが代わるがわる切っても、切り倒せないほどの太さです。翌日また切ることにしたのですが、朝になると、切葉が元のようにくっついているのでした。そこで、切葉をもやしながら、七日七夜かかって切り倒し、木の精を供養するために、この大木で舟を造り、いんねんのついた娘を乗せて、ある大水の出た日に、川に流したということです。ヨキで切った大木が杭のような形で残ったので、ここを切杭と呼ぶようになり、舟に乗せて流した娘の手と足がなにかのひょうしで取れ、その足が、今の坂ノ上の下流に流れ着きました。そこで、そこを足バラと言い、もっと下流へいって手が流れ着いたので、そこは手越と呼ばれています。舟も途中に流れ着きましたので、そこは舟山と呼ばれるようになったとのことです。
こんな出来事があってから、忠左衛門の家では、武士のハカマにつけたのが麻糸であったため畑に麻を植えてはいけないと言い伝えられているそうです。そして、この家には、その後も代々、美しい子どもが生まれるそうです。
(藁科物語第4号~藁科の史話と伝説~.静岡市立中央図書館.2000)

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1 コメント

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Unknown (中村)
2024-03-30 18:59:03
とても興味深い言い伝えです。私の実家は田町ですが、父は諸子沢出身で、父について子どもの頃日向には行った方があります。
田町の実家からも近く、舟山は藁科川と安倍川の合流地点の河原の中にその名の通り舟のようにこんもりと浮かんでおり、伝承の舞台にピッタリだと思います。
このブログで故郷について不思議な言い伝えを色々と聞き、この様な話をもっと皆に知って欲しいと思いました。
このブログを時々見ています。
これからもずっと見れると良いな。
私も実家を離れ今は東京在住なので、より故郷の話が貴重に感じます。
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