大好き!藁科川

静岡市の西部を流れる清流・藁科川の自然・文化の魅力やイベント等の情報をお届けっ♪

白い葉にネコ

2011年05月31日 | 自然&生き物
藁科川上流の日向・大川地区センターのあたりには、発電所の取水口があります。その対岸側にはえている木がところどころ白く、花か反射かと思っていましたが、図鑑を見ていて分かりました。「マタタビ」でした。葉の尖端が白化して、白く見えていたんですね。

マタタビといえば、すぐにネコっと思っていましたが、インターネットで調べてみたところ、下のような謂われがあるんですね。

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「マタタビ」

マタタビという名前は、疲れた旅人が、マタタビの果実を食べたところ、再び旅を続けることが出来るようになったということから、「又旅」から名付けられたとの説がある。だがこじつけという説もあり、アイヌ語の「マタタムブ」からきたというのが、現在最も有力な説のようである。 アイヌ語で、「マタ」は「冬」、「タムブ」は「亀の甲」の意味で、おそらく果実を表した呼び名だろうと思われる[要出典]。

若い果実は辛いが熟すと美味しい。薬用酒(マタタビ酒)の素として果実がよく使われる。因みにキウイフルーツもマタタビ科である。

ネコ科の動物はマタタビの匂い(中性のマタタビラクトンおよび塩基性のアクチニジン)に恍惚を感じ、強い反応を示すため「ネコにマタタビ」という言葉が生まれた。

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空の表情

2011年05月30日 | 自然&生き物
強く叩きつけた台風のもたらした雨が去り、今朝の空に青空が顔を覗かせました。山の端を駆けあがっていく雲や、綿菓子のような雲、ちぎれていく雲、筆でさっと描いたような雲など、いろんな形をした雲が刻々とその姿を変えていく空の表情を眺めながら、夏物が増えた洗濯物を干しました。

どっち?ボール大会

2011年05月29日 | 行事レポート
あいにくの雨で、朝の資源回収は延期となりましたが、藁科川上流の大川中学校体育館では、その外の雨を吹き飛ばすかのように、子ども会の活動が開催されました。

園児~生徒まで地元地域の子どもたち18名と、その保護者のお父さんお母さんたちがまざりあい、体育館集合したらハイタッチでお互い挨拶後、準備体操をして、最初は手を胸のところにあてた手押し車や、片足相撲を行いました。

続いて、負けた人が勝った人の背中につく、ジャンケン列車で、勝ち残った先頭の子どもにはなんと豪華賞品が!?十分に体があったまったところで、いよいよドッチボール大会です。

大人は聞き手以外で投げるをルールに、小さい2つのボールと、大きなバランスボールを1個使い始まったどっちボールは、のっけから左右前後からはげしく球の行き交う乱打戦に突入!大人対衣や、子ども同士、混合戦、そして女チーム対男チームなど様々な組み合わせで対戦を行いました。

最後は負けチームの×ゲームで終了。歓声の絶えない元気な活動となりました。

100年前の大川

2011年05月28日 | 歴史&文化
今から100年前というと、時代はだいたい大正時代(1912~1926)にあたります。その頃、この地域はどんな様子だったのでしょうか?

昭和の前の時代の当時の世相を口伝えで聞く、と言うことがほとんど不可能になってしまってきているため、断片的な記録から、その時代の様子を推し量るしか術はありません。

わずかですが、藁科川上流の大川地区の、100年前の暮らしぶりが垣間見られるような記録がありましたので、引用します。

100年後の大川では、一体今の社会がどのように語られているのでしょうか。タイムマシーンにのってのぞきにいってみたいですね。

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*大正6、7年頃の大川地区は、自家製の紙作りが盛んだった。

*坂ノ上の中央橋は、丸太を3、4本繋いだもので、毎年台風で流されていた。また、分校は1、2学年合わせて15名位の生徒数で、当時歌った童謡は、牛若丸・弁慶・桃太郎であったこと。

*その頃、小島から坂ノ上までは天王峠を越え、天秤棒を担いで荷物を運んでいたこと。

*大正10年には、大川地区(坂の上)に初めて発電所が完成し、電灯がついたこと。またその頃の小学校での筆記用具は、石版、石筆で、書物は風呂敷に包み、肩に背負って通学したなど。

*大正11年、坂ノ上分校は小学校2年生までで、3年生からは大川の本校に通ったこと。当時の服装は、絣の着物と羽織、尻切れの草履と穴あき足袋であったこと。

*大正12年頃、初めて坂ノ上に自転車屋が開業、主に中古の部品を組み立てる、自転車販売であったこと。同年秋の関東大地震は、大川でも感じられたこと。

*小学校3年の遠足は大原(片道約20km)まで往復徒歩で、むすび三個を風呂敷に包み、腰に巻いて行ったこと。

*昭和初期の遠足は、徒歩で八幡に集合し、馬車(運賃40銭)で街に向かい、帰りは安西から自動車(同60銭)だったこと。又、もう少し古い話として、安西橋がかかったのは明治5年頃で、大正末年まで2銭の通行料が掛ったこと。その後、昭和5年にコンクリート橋ができ、その工事費が5万円であったこと。

*藁科街道というのは、当時山崎から昼居渡間であったこと。明治末、幅員2m程の大まかな路線が確定。その後大正5年、現在の路線が完成して、物資の交流がかなり楽になったこと。

*大正10年頃、大川街道(八幡~湯ノ島)が幅員3mに拡幅され、荷車が通行可能となり、車力と呼ばれる運送屋が数軒大川に生まれた。

*戦前の道路整備に伴い、自転車でリヤカーを引きながら静岡まで1日で往復できるようになり、戦中・戦後もしばらくはそうであったこと。

*昭和28年4月、路線バスが静岡ー日向間で開通したこと。

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「ふるさと大川の方言」(大川クラブ創立80周年記念事業実行委員会.平成17年)




エゴノキの花

2011年05月27日 | 自然&生き物
好きな花は何ですか?と聞かれると、とても回答に困りますが、その中に必ずエゴノキの花は入ります。

河川敷に繁茂した藪の中を、草木をかき分け歩いていたところ、ぽっかりと空間の抜け出たところに出て、匂いを感じてふりかえると、頭上にこのエゴノキの花が降って来るかのように咲いていました。

この季節、マルバウツギやミズキなど、白い花をつける草木が多いように感じます。より緑が濃くなった雑木林の中では、ハチやチョウといった蜜を求める昆虫たちも、このような“白”に目を奪われるからでしょうか?

山の実

2011年05月26日 | 自然&生き物
先日川べりを歩いていると、ヤマグワの実が赤く熟し始めているのを見つけました。

ユキノシタも石垣の隙間からピンバッチのような可憐な花を咲かせており、ドクダミの花も見かけ、梅雨入りとのニュースと共に、そろそろホタルのシーズンが到来ですね。

地元の友人が、山の作業に出かけていた両親が、山の実を枝ごとおやつに持ち帰ってきてくれるのが楽しみだったと言っていました。

土手を飾る黄色い花・・・実は

2011年05月25日 | 自然&生き物
藁科川沿いの土手のあちこちに、この季節になるとコスモスのような背丈のたくさんの黄色い花が見られるようになりました。

この花は「オオキンケイギク」といって北アメリカ産の帰化植物。1880年代に鑑賞用として日本に入ってきて、確かに美しい花なのですが、実はその強い繁殖力から、全国各地で野生化し、もともと河川敷などにはえていた植物などの生息環境を奪ってしまっています。

そのため2006年には、特定外来生物に指定され、外来生物法により個人的に栽培するのも禁じられている、実は招かざる植物なのです。

河原を彩る美しい花々にも、こんな一面があるのですね。


ぬっと突き出た正体は…!?

2011年05月24日 | 歴史&文化
藁科川上流の大川地区・日向から湯ノ島に向かう道の途中に、藁科川にそって大きく左にカーブする場所があり、その下にえぐられているのがイノ渕です。

その渕に下流側からぬっと突き出たコンクリートの構造物があって、上の車道から覗きこんでは、最初は橋げたの礎石の跡かなと思っていました。

でもそばに降りてみると、それが違うことを発見!(^0^)

写真で見ると右側の部分が、用水の引き込み口であることが分かりました。
どうして分かったかと言うと、今は使われていないので、藪に阻まれてところどころ跡を辿ることが困難ですが、ここを入り口に下流側の日向の集落まで、手積みの石垣で組まれた用水路があったから。

以前は、日向の今の郵便局があるあたりの字名・下島から藁科川に向かっての一帯に田んぼが広がっており、そのための水を、ここから取水していたのではないかと思います。

ところどころに残る石垣が立派で、これも文化遺産と感じました。


屋敷神と屋敷墓

2011年05月23日 | 歴史&文化
藁科川上流・大川地区の日向在住の友人のお宅に別用でお邪魔した際、家の裏に社がある、と聞いてどんなものかと見せて頂くことになりました。

この友人は代々この日向にお住まいの方で、御先祖は村長さんもお勤めになられたという名家。由緒あるお家の裏に回りこんで、20mほど急斜を登ると山の斜面の山腹に大きさ一畳ばかりのお社が祀ってあり、「山の神を祀ったものと聞いている」と教えてもらいました。

その下の台地状になった部分には、いくつかの墓碑があり、その中の戦争で亡くなったご先祖の墓は、以前は地区の陽明寺というところにあったものを、改めて敷地内に引っ越して祀ったものだそうです。

屋敷神と屋敷墓について、地域の歴史を著わした書に以下のような文章がありましたので、引用します。

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『家屋敷と屋号』

日向には、屋敷内に屋敷神と屋敷墓をもつ家々がある。そういう家には屋号がついていて、旧家であることが多い。そして、屋敷墓には初代である先祖をまつる。カジヤという屋号の家では、屋敷神としてカナヤマサン(金山社)をまつる。この家では屋敷神をショイガミといい、先祖が移住してきたときにもってきた神様だと言う。また先祖が刀鍛冶であったという家でも金山社をまつり、庄屋であった佐藤家や土着した小長井家でも屋敷神はやはり金山社であるとする。このように、日向には金山社を屋敷神とする家が非常に多い。鍛冶屋や刀鍛冶のように職業として金山社をまつる家もあるが、むしろ日向では金山社を屋敷神としてまつる習慣があるのではないかと考えられる。

屋敷神の呼称として、ほかにイチヤシロ(一社)という言い方がある。「屋敷の一番隅っこに氏神さんをまつるものだ」といって、これをイチヤシロというのである。つまりイチヤシロというのは、その土地に住み着くときにまずまつる、地の神的な意味を持つとも言える。個人の家の屋敷神に限らず、神官家の屋敷跡ネギヤシキ(禰宜屋敷)は、イチヤシロというところにある。白髭神社は何度か移転を繰り返しており、前述したように仮宮跡がこのイチヤシロである。この場所を字で一谷城と表記しているが、白髭神社は神官家のイチヤシロ(一社)であったという見方もできよう。なお、この屋敷跡には、現在も神官家の屋敷墓が残っている。・・・

『日向の七草祭』静岡市教育委員会.平成18年

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はじめての機械を使ったお茶の刈り取り作業

2011年05月22日 | 日記
先日、友人のお茶摘みの手伝いをさせてもらいました。手摘みでの経験はありましたが、機械での刈り取りは初めて。写真のようなエンジンカッターの両端を二人で持って、茶腹に沿って行ったり来たりを繰り返します。また刈り取った生葉の入った袋は事前に両端にセットし、収穫した所で運び出し、できるだけ発酵を抑えるために日陰に干します。根気のいる作業で、当日は日差しも強く、腕も次第に張ってきます。収穫した生葉の袋を開けた時の若葉の香りが忘れられません。
とても貴重な体験でした。

おいしい水と言えば?

2011年05月21日 | 料理・食べ物
藁科川上流の大川地区はおいしいお茶の産地。「それでは、おいしい水が出ているところはありませんか?」と、以前大川地区を訪ねた方から質問を受けたことがあります。道や林道わきから水管を通って流れ出している箇所はいくつかあるのですが、その中で、はて・おいしい水と言えば・・・?

と思っていたところ、同行していた地元の方が「大間の白髭神社の下からわき出ている水がおいしいかもしれない」とお返事されました。
それから、この湧水を訪ねるのを楽しみにしていましたが、先日お届け物があったついでに訪ねてみました。

大間・白髭神社は県道沿いですぐに分かるのですが、周辺は割と切り立った崖になっていて、はたして水がとれるところなんてあるのかと、降り口をさがしたところありました。木の階段を10mほどくだると・・・

“ピーン!”ありました。

ほんとうに神社の真下から流れ出ている水で、霊験あらたかそうなことには間違いありません。お味の方は・・・

皆さん、ぜひ確かめに行ってみてください♪

静岡・大川から石巻・大川へお茶を通じた支援

2011年05月20日 | お知らせ

藁科川上流の大川地区では、現在、同名の地区で今回の東日本大震災で大きな被害のあった石巻市の大川地区・大川小学校へお茶を通じた支援を行うため、地域内の茶農家に荒茶の提供を募っています。

提供を受けた荒茶はブレンドしてパックし、それを販売した売り上げ金を支援に回す仕組みとのこと(詳しくは下記のチラシの文面参照)

荒茶の提供や、ブレンド茶「大川への思い」の販売協力や購入をしてくださる方は、連絡先までお問合わせください。

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★★大川地区自治会連合会&大川地域振興協議会承認プロジェクト★★

本山茶『大川への想い』の販売による被災地支援へのご協力のお願い

2011.5.16 「大川への想い」実行委員会/大川小保護者有志会

東日本大震災の被災地支援のため、奥藁科Webの会(代表:諸子沢 佐藤拓哉)が声かけ人となり、新たに「大川への想い」実行委員会を組織して、大川地域の茶農家の皆さんから荒茶のご提供を募っています。集まった荒茶は再生加工してパッケージングし、「大川への想い」と名付けて販売し、売上金を支援金として宮城県石巻市立大川小学校関係者へ送り、復興のための資金として活用していただきます。

○名称: 東日本大震災復興祈念 本山茶「大川への想い」(静岡市大川産)
○製造元:大川への想い」実行委員会 ※荒茶をご提供頂いた皆様がメンバーです。
○収集方法:6月10日(金)までに1口1㎏(2,000円前後の新茶、何口でも可)の荒茶をご提供ください。下記連絡先までご連絡いただければ、こちらから取りに伺います。

○連絡先:「大川への想い」実行委員会・事務局
℡080-3628-4523 Fax054-291-2655
E-Mail  daisuki_ookawa@hotmail.co.jp

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ジャケツイバラ

2011年05月19日 | 自然&生き物
ホトトギスの声が聞こえ始めた今週、黒い大きなアゲハチョウの仲間も、道脇を飛んでいたり、道端の水たまりで水を飲んでいる姿をよく見かけるようになりました。

飛び立ったそんなチョウチョの軌跡を追っていると、高いところに房状に立ち上がっている明るい黄色い花の固まりを見つけました。ジャケツイバラです。どこかで夏の花と思っていたところがありましたが、不意を打たれた感じです。濃くなってきた新緑によく映えます。

あの白い花はなんじゃ?もんじゃ!

2011年05月18日 | 自然&生き物
暗闇に光る灯台といえば大げさでしょうが、遠くから見ていて、白い花が降り積もった雪のように光っているように目立ち、思わず“なんじゃ?”と思って近づいてみると正解でした。なんじゃもんじゃ=ヒトツバタゴの木です。

名前の由来を調べてみると、『明治時代、東京の青山練兵場(今の明治神宮外苑)の道路沿いにこのなんじゃもんじゃがあり、名前がわからなかったので「何の木じゃ?」とか呼ばれているうちに、いつのまにか「なんじゃもんじゃ?」という変わった名前になってしまった。』とのこと。花弁は4つに裂け、甘い芳香が香る花が特徴的ですが、日本では天然での分布している地域は狭く、長野県や愛知県、岐阜県、長崎県でポツポツと自生しているものの、絶滅が心配されいてる希少な種ということも、今回調べてみて分かりました。

静岡市では、城北公園に咲き誇るヒトツバタゴが有名ですが、なんで藁科川沿いにも???と思って、お庭の家主に伺ったところ、九州の出身の方で実家の方から持ってきて植えたものだそうで、郷里のヒトツバタゴの自生林は海から見ると、それは夜でも明るく光ってみえたとおっしゃっていました。

灯台の例えも、どうやら間違えではなかったようです。

精悍な山蛙

2011年05月17日 | 自然&生き物
夜、家に戻ると暗闇から“じゅういちぃ~、じゅういちぃ~”との大きな声。新緑の季節にやってくる夏鳥・ジュウイチです。アオバズクやフクロウの鳴き声もして、夜もなかなか賑やかです。

家の周囲からは、シュレーゲルアオガエルやニホンアマガエル、川からはカジカガエルの声も聞こえるようになりました。近くの小学校のプールでは、モリアオガエルの卵塊が見つかったと先生に教えて頂きました。

カエルと云えば、先日、藁科川上流の諸子沢から一本杉峠に登った途中のゴツゴツした沢で、娘が赤茶けた色のカエルを捕まえました。源流も源流だったので、その出現に驚きましたが、目の後ろの所が角ばっているところや、喉をみると細かい黒い班でいっぱいだったところから、どうやらタゴガエルのようです。

余分なものをそぎ落としたスリムな体つきと、すっきりとした顔立ちが精悍でした。