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一谷城

2011年01月04日 | 地名の由来
藁科川上流の日向集落の中央に残る「イチヤシロ」という地名は、一時的に社が留め置かれたことから“一社”という由来があると、地元の郷土史家から伺ったことありますが、山頂の萩多和城の麓にある出城として“一谷城”が地名の由来という説もあります。どちらでしょうか?

写真の右手から突きだしている台地上に一谷城があります


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「一谷城」

一谷城は、日向の中央に突き出した舌状の台地にあり、東、南、西の三方は、千田沢、藁科川、堂沢の三川bに囲まれた断崖上の要害に位置している。城の北方には萩多和城跡、小城の段があり、矢上げ辻より降りたところは、堀切りで遮断されている。
堀切りに続く台地は、法相宗朝旭山福田寺の境内で、その前面は御堂本と称し、古来、社家内野右近大夫家の屋敷であったが、現在は茶畑になっている。福田寺境内を東にとると白髭本社大明神の神境にいたり、樋道を経て、更に先へ進むと樋口へと続いている。
一谷城北の堀切(空堀)跡は、秋葉街道として利用され、東西の坂道は御堂坂と呼ばれており、この道は萩多和城詰の城への道であったと思われる。北の堀切りを越えて尾根を辿ると、庚申塔、秋葉山常夜燈、そして宝筐印塔をまつる聖域となっている。

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「ふる里わら科八社~第二集~」
(大川寿大学講座受講生一同・静岡市中央公民館大川分館、1981)


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