静岡市葵区日向の千田地区で稲刈り作業の手伝いをさせていただきました。千田と言われる位、かつては田んぼが段々に広がっていたと思いますが、現在日向地区で田んぼをつつけているのは、二軒だけになってしまいました。
大川地区では在来ソバを利用したおもてなしの里づくりを目指して、大川100年そばの会が毎月定例でソバ打ち教室を行っています。そば打ち関心のある30代から60代の男女が、坂ノ上の公民館に集まり、おいしいそばが打てるように練習しています。
今年は畑でゴマを収穫しました。
恥ずかしながら、初めてゴマというものがどういう風になるのか知りました。
収穫したものを束ねて縁側などで干していると、お天気の日など、パチパチはぜる音が聞こえてきたりします。
四つの房に丁寧に丁寧に格納されているごまの一粒一粒。
“あーーーーーーーこういう風になっているものなんだぁー”と、こういう様子を間近に見ると、これまでの固定観念が、心のどこか奥底でごそごそと認識が変わるような感じがするのです。
すごいですごま、一粒からこれだけの量になるのですから、栄養があるはずです。
恥ずかしながら、初めてゴマというものがどういう風になるのか知りました。
収穫したものを束ねて縁側などで干していると、お天気の日など、パチパチはぜる音が聞こえてきたりします。
四つの房に丁寧に丁寧に格納されているごまの一粒一粒。
“あーーーーーーーこういう風になっているものなんだぁー”と、こういう様子を間近に見ると、これまでの固定観念が、心のどこか奥底でごそごそと認識が変わるような感じがするのです。
すごいですごま、一粒からこれだけの量になるのですから、栄養があるはずです。
友人のアドバイスに従って、一昨年にコマを打ちつけ山に置かせてもらっていたシイタケのホダ木を、自宅の庭まで運び下ろしました。二度三度、頭の部分をコンクリートの地面に打ちつけて刺激を与える天地返しの作業も行いました。こうすると、菌が刺激され、椎茸のなりが良くなるとのこと。
今か収穫が楽しみです。
今か収穫が楽しみです。
藁科川上流・日向の友人の茶腹で、全国品評会出展用のお茶を手摘みさせて頂きました。集まったのは地元の方を中心に約50名。大切に育てられた茶葉を、一芯二葉ところによっては一芯一葉で、丁寧に丁寧に摘みとっていきます。どんな仕上がりになるんでしょうね♪和気藹藹の茶摘みでした。
日曜日に藁科川上流・諸子沢の友人の竹林に入らせて頂き、タケノコを掘りました。この容れ物はエビラと言うそうです。ゆがいたタケノコを細かく切って天日干しにしました。油断をすると、ニワトリがついばんでいました^_^;
藁科川上流にある大川地区では、沢道を辿っていくと、以前わさびを栽培した後の石組みが残っている場所に出くわすことがあります。たまたま訪れた学校の図書館に、大川中学校50周年記念誌があってめくってみると郷土史を紹介するコーナーがあって、こんな一文を見つけました。わさび栽培には、単にきれいな水があればよいという訳ではなく、大きくおいしいものに育つには、その清流に微量の鉱物が混入していることが決め手になるという話を聞いたことがありました。かつてのナンバーワンとして、それだけの潜在能力を有していると言えるのかもしれません。
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『大川もわさびの元祖』
わさびの栽培は今から約400年前の慶長年間に有東木の地に自生していたわさびを村人が谷川の水を引いて栽培を試みたのがはじまりとされていますが、安倍郡誌によると大川地区でも同じ頃からあったとされており、文政年間(1820年代)には崩野の宝光寺住職がわさびの栽培法を研究し、寺の沢に試作し、その後村民に普及したとあります。
大正元年(1912年)のわさびの生産量は、当時の安倍郡下で19,257貫、35,647円。うち大川村では、6,200貫、15,500円で第1位を占めておりました。
現在では有東木のほか伊豆天城地区が有名です。
引用:大川中学校50周年記念誌(平成8年)
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『大川もわさびの元祖』
わさびの栽培は今から約400年前の慶長年間に有東木の地に自生していたわさびを村人が谷川の水を引いて栽培を試みたのがはじまりとされていますが、安倍郡誌によると大川地区でも同じ頃からあったとされており、文政年間(1820年代)には崩野の宝光寺住職がわさびの栽培法を研究し、寺の沢に試作し、その後村民に普及したとあります。
大正元年(1912年)のわさびの生産量は、当時の安倍郡下で19,257貫、35,647円。うち大川村では、6,200貫、15,500円で第1位を占めておりました。
現在では有東木のほか伊豆天城地区が有名です。
引用:大川中学校50周年記念誌(平成8年)
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「シイタケも音を聞くんだねぇ。こうして刺激を与えると、どうやら目覚めるらしい」。そう言って、シイタケを栽培している近所の方は、菌のコマを打ち込んだホダ木を、持ち上げてドスンドスンと落とす動作を繰り返しました。先日朝の雷の音を聞いたのでしょうか?このところの雨とそれに続く陽気で、シイタケが一気に出始めました。「採れたよう」と玄関の開く音がして急いで出ると、両手にどっさりのシイタケと満面の笑みで、「やるよ」。この採れたてで肉厚のシイタケを食べると、“山のステーキ”という言葉も納得で、もうスーパーでのものは買えません。夜の食卓がキノコ三昧だったのは言うまでもありません。