一度探しに行ったのに見つからず、懸案となっていた頼朝石。
今年の締めにふさわしく、念願かなって遂にその場所を訪ねることができました!
ご案内いただいたのは、地元の友人とその親御さん。
このお父さんが、間伐の手伝いに山に入った時にありかを知り、祠&石碑好きの私にわざわざご連絡くださり、この大晦日のお忙しい中、お二人に連れて行って頂きました。
感謝・感謝です<(__)>
場所は、藁科川上流の諸子沢の奥地。
県道60号線を諸子沢方面に右折し、中村を過ぎてずっとそのまままっすぐ大道島方面に登りつめたところの砂防堰堤に車を止めた、まだその先。
堰堤前の川を左岸側に渡渉し、そのまま山道を7~8分ほど登ると、道の左側に、こんな山奥に田んぼの跡があること自体に驚く1、8段の水田跡が現れます。
頼朝石は、この水田跡の丁度中段ぐらいに位置し、石組みの一部として、ひっそりと残っていました。
木製の立て札はありますが、膝下ぐらいの古びたもので、案内していただかなければ、きっとわからなかったことでしょう。
言い伝えによると、平治の乱に敗れ、捕らわれの身となった頼朝公が、伊豆に流される途中に運試しに切りつけたとされる石だそうで、そう言われてみると確かに刀の跡のような傷が石に2~3条入っています。
失意の若き日の頼朝は、この刃跡に吉凶何を読み込んだのでしょうか?
「あの石の脇の沢沿いには、2~3の大きな石があって、その下にと武田信玄の埋めた財宝が眠っていると聞いたことがあるよ」
帰りがけに声をかけた諸子沢の方が、そんな話も聞かせてくれました。
頼朝と信玄。
山の奥深くに残る大きな伝承を地元の方に伺うことができ、今年の藁科川流域の探訪も最高のクライマックスとなりました。
今年の締めにふさわしく、念願かなって遂にその場所を訪ねることができました!
ご案内いただいたのは、地元の友人とその親御さん。
このお父さんが、間伐の手伝いに山に入った時にありかを知り、祠&石碑好きの私にわざわざご連絡くださり、この大晦日のお忙しい中、お二人に連れて行って頂きました。
感謝・感謝です<(__)>
場所は、藁科川上流の諸子沢の奥地。
県道60号線を諸子沢方面に右折し、中村を過ぎてずっとそのまままっすぐ大道島方面に登りつめたところの砂防堰堤に車を止めた、まだその先。
堰堤前の川を左岸側に渡渉し、そのまま山道を7~8分ほど登ると、道の左側に、こんな山奥に田んぼの跡があること自体に驚く1、8段の水田跡が現れます。
頼朝石は、この水田跡の丁度中段ぐらいに位置し、石組みの一部として、ひっそりと残っていました。
木製の立て札はありますが、膝下ぐらいの古びたもので、案内していただかなければ、きっとわからなかったことでしょう。
言い伝えによると、平治の乱に敗れ、捕らわれの身となった頼朝公が、伊豆に流される途中に運試しに切りつけたとされる石だそうで、そう言われてみると確かに刀の跡のような傷が石に2~3条入っています。
失意の若き日の頼朝は、この刃跡に吉凶何を読み込んだのでしょうか?
「あの石の脇の沢沿いには、2~3の大きな石があって、その下にと武田信玄の埋めた財宝が眠っていると聞いたことがあるよ」
帰りがけに声をかけた諸子沢の方が、そんな話も聞かせてくれました。
頼朝と信玄。
山の奥深くに残る大きな伝承を地元の方に伺うことができ、今年の藁科川流域の探訪も最高のクライマックスとなりました。
亀レスでございます。
頼朝石、お先に見せて頂きました。
近くには金銀財宝が眠ると聞きました。
ただ急いで上がると見逃してしまうかもしれませんので^_^;、キョロキョロとゆっくり上がってみてください
十年前とは土地や川の様子も変わっているかもしれませんが、もしよかったら、アドバイスいただけませんか?