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『久造島と夫婦石』

2011年05月11日 | 言い伝え&伝承
藁科川上流の日向を過ぎ、諸子沢・畑色の十字路を、そのまままっすぐ県道60号線を走ると、湯ノ島の手間で左手に下っていく道が分岐しています。

この左の道は「日向林道」といい、下った所が、かつてこの辺り一帯の白髭神社の総本山だった藁科八社や火葬場のあった松ノ平です。そのまま直進して藁科川にかかる丸山橋を渡ると、直に左手に現れるのが能又川(よくまたかわ)です。

渓流釣りの専門書では「藁科川屈指の良渓」と紹介されているそうで、アマゴ釣りのポイントとして釣り人が訪れます。この川の流域に残る字名の由来として、こんな言い伝えが残されていました。


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『久造島と夫婦石』

昔、藁科川上流のゆき又の奥深くに久造という一人の若者が住んでいたそうです。今とは違い、昔はお伊勢参りなど、なかなかできない時代だったそうです。久造は、一生に一度で良いからお伊勢様にお参りしてみたいと心に誓い、せっせと働き旅銭を蓄え始めました。それから何年かたち、やっとの事で旅費がたまり、念願のお伊勢さんに参拝に行く事になり、心弾ませて支度にかかりました。

ところが久造は夫婦の鶏を飼っていました。「さてさて長い旅の間、鶏に飼料(えさ)をくれる人がない、これは困ったことだ。俺の帰ってくる迄には死んでしまう。何か良い考えはないものか」と思いながら、ふと庭の隅にあるたち臼を見て、「ああこれだ。この臼をふせ、中に鶏を入れて、えさをたくさん与えていけば、重くて逃げる心配もなくよかろう」と思い、鶏をそこに入れて行くことにしました。

翌朝、久造は早く起き、まず鶏に「わしたお参りから帰って来るまで元気で待っているんだよ」と、いそいそ出発しました。何しろ四、五十里もある道のりを歩いて行くことです。往復十五、六日もかかったことでしょう。何年かの思いで、久造はその日その日を楽しくお伊勢様にと着きました。荘厳で神々しいお社に念願が叶った喜びも大きく、かしわ手を打って深くお参りしました。其の時、ふとお庭を見ると、きれいな夫婦の鶏が、あちこちと餌をかきたてていました。久造は忘れかけていた自分の家の鶏のことを思い出し、「さぞ苦しくしているだろう」と何もかもそこそこに、一心に家路に急ぎました。

遠い道のりゆえ何日か立ち、やっと帰ってきました。久造は旅の疲れも忘れ急いで立臼を上げ「今帰ったよ、元気でいたか」と声をかけるやいなや、二羽の鶏は羽ばたいて川上の方にと逃げ去ってしまいました。「ああ、どこへ行くのだ」久造は急いで追いかけましたが、夫婦の鶏は大きな石の上にとまり、間もなく息絶えてしまったそうです。

「わしの帰りをさぞ待ったことだろう、悪かった」念願のお伊勢参りは出来たものの鶏を亡くし、悲しみに明け暮れ、その後どこへも行くことなく、この山奥で一生を送ったそうです。今も尚、久造島と呼び名が残っています。鶏のとまった医師はあまりにも夫婦の鶏に似ているので、夫婦石と呼ばれています。

久造島と夫婦石の地名の由来です。

湯ノ島 木おせい

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引用:「ふる里わら科八社 第二集」(大川寿大学講座受講生一同.静岡市中央公民館大川分館.1980)


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