藁科川上流・大川地区の栃沢に生誕した聖一国師の生涯を記した「東福寺開山聖一国師年譜」の現代文訳を記録します。
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(二)修業時代
○建永元年(一二○六)丙寅(ひのえとら)
円尓五歳になる。母はかつて久能寺の堯弁大徳師の言われたことを思い出して、円尓を連れて久能山に登り、円尓を堯弁に預けることにした。円尓は『俱舎頌』*1を与えられたが、これを全部暗唱できるまでに読んだ。
○承元元年(一二○七)丁卯(ひのとう)
○同 二年(一二○八)戊辰(つちのえたつ)
円尓七歳になる。『俱舎円睴頌疏』*2を習った。
○同 三年(一二○九)己巳(つちのとみ)
○同 四年(一二一○)庚午(かのえうま)
円尓九歳になる。『俱舎論普光疏』*3を読破した。
○順徳天皇建暦元年(一二一一)辛未(かのとひつじ)
○同 二年(一二一二)壬申(みずのえさる)
○建保元年(一二一三)癸酉(みずのととり)
円尓十二歳になる。法華の妙玄(玄義)を習う。
○同 二年(一二一四)甲戌(きのえいぬ)
○同 三年(一二一五)乙亥(きのとい)
○同 四年(一二一六)丙子(ひのえね)
円尓十五歳になる。ある日、止観*4の講座に席を連ねた時、古い四諦*5の外別を立て法性*6という句に至って、講師の僧侶が上手に説明できなくて難渋していたので、円尓はその句の解釈を滔々とやった。しかも、言葉の意義が明快・整然としていた。講師は感心して、「この句の解釈は、昔から賢者も苦心したところである。小僧の明快な説明は生まれながらにして身につけたと思われるほどである。私は大変はずかしく思う」と言った。
○同 五年(一二一八)戊寅(つちのえとら)
円尓十六歳になる。法華文句・摩訶止観*7の始めから終りまですべてをよく調べた。
○承久元年(一二一九)己卯(つちのとう)
円尓十八歳になる。名僧智証大師(円尓)の遺蹟を慕って、近江の園城寺*8にのぼり大本山に入り仏門に入るための儀式を行い髪を剃る。十月二十日南都(奈良)の東大寺に赴き、戒壇にのぼり戒法を受けて正規の出家となった。
○同 二年(一二二○)庚辰(かのえたつ)
円尓十九歳となる。京都に行って孔老の教え(儒学)を学んだ。外部の人達からのはずかしめをうけないためであった。
*1『俱舎頌』(くしゃのじゅ)
梵語のkosa gahaの訳。世親の俱舎論からでた小乗仏教の一派ー俱舎宗の仏典、偈、仏徳、教理を説いている。
*2『俱舎円睴頌疏』(くしゃえんきのしゅそ)
俱舎論の中心となる頌疏(頌の注釈書)
*3『俱舎論普光疏』(くしゃろんふこうのしょ)
三十巻。世親の著。玄奘の訳、詳しくは阿毘達磨俱舎論。小乗仏教の教理の集大成である。「大毘婆沙論」の綱要書。一切諸法を五位七十五法に分け、迷いと悟りについて詳細に論ずる。仏教の基礎的教学書を唐の僧玄奘が大小乗経律論を訳して注釈したもの。「普光之に預る。時に大乗光と号す」とある。
*4止観(しかん)
多くの雑念を払い捨てて宇宙の真理を悟ること。止は雑念をとどめて起こらないようにすること。観は真理を悟ること。
*5四諦(したい)
迷いと悟りの因果を説明する四つの真理。苦(現世の苦悩)、集(肉体・財産への執着)、滅(安楽の境地)、道(実践修行)。四聖諦(ししょうたい)の略。
*6法性(ほっしょう)
一切存在の真実の本性、真如・実相・法界などと同義に用いられる。
*7法華文句・摩訶止観(ほっけもんく・まかしかん)
法華経の文字句・天台宗の観心を説き修行の根拠となるもの。
*8園城寺(えんじょうじ)
三井寺、天台宗寺門派総本山。聖一国師十八歳のときここで剃髪し、出家した。
引用:『聖一国師年譜』石山幸喜編著.羽衣出版.平成十四年
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