■観桜も静かに自由気まま
この静かな社殿もあと一週間しますと祭事の季節を迎えるのですね。

今宮神社、静かなさくらの名所の一つとおもう。実は京都には、というよりも実でも何でもないものの、数多さくらの名所がありますので、混雑するのは有名どころの一部だけ、ただ、みんな有名どころは押さえたいので混雑するという。

観桜も自由気ままな撮影を好んでいまして、逆に酔客に絡まれるような花見はどうしても避けたいというところが。なぜならば、仕事の関係上で幾度か東京の上野公園などの観桜に参加した事が、大昔ですよ、ありますが、確実に酔客に絡まれていまして。

東京嫌い、というわけではないのだけれども、なんでわざと靴を何度も踏もうとする若い女性とか、とおせんぼしてわざとぶつかって喧嘩を吹っかけてくるのかと思い、みなさんは花見よりも喧嘩や因縁を愉しんでいるという、あんな花見は、いやだなあ。

紫野御霊会、今宮神社の始まりとなりました御霊会は朝廷が執り行った御霊会とはなっていましたが、その祭事を主導したのが町衆という点で特筆すべき出来事だったといいます。その示すところは平安遷都から二百余年を経て町衆の力強さを意味するのでしょうか。

疫神社、さて、御霊会がなぜこの地で執り行われたのか、というところなのですけれども、もともと当地には素戔嗚尊を祀る疫神社が鎮座していまして、この疫神社に疾病払いという祈願がありましたので、その先にこの地での御霊会がある、という。

大己貴命、事代主命、奇稲田姫命、社殿にはこの三柱を祀っています。三柱、大己貴命、事代主命、奇稲田姫命、その読み方は平仮名ですとこんな感じ、おおなむちのみこと、ことしろぬしのみこと、くしなだひめのみこと、こう読みます。

本殿は明治35年こと西暦1902年の再建となっていますが、三柱を祀る社殿ということで屋根が複雑な櫓の構造となっていまして。ここに境内の桜の木々が並ぶ様子と、さくら以外の花々とで彩る様子に、三柱、という神社のそのものを示したようで。

さくらの咲く季節、こういう情景は年に一度の、きわめてわずかな期間のお楽しみとなっていますが、今宮神社はこの桜の季節と、あとは縁日のほかは、お祭りの際に、一杯になるという神社であります。そして御霊会を起点とする祭事は今も続きます。

やすらい祭、京都三大奇祭の一つに数えられる祭事は、四月中旬に執り行われまして、第二日曜日、第1師団祭行くかどうかという雨模様の中に執り行われましたが、夜須礼祭とも記します行事がひとつ、そしてもう一つは、来週行われる、今宮祭という。

今宮祭は、今宮神社の氏子衆が永らく二条城あたりから北側全域という広い地域にありましたので、特に西陣織の西陣もその氏子区域となっていまして、要するに産業奨励のようなかたちでかなり大きな催事として今日にも維持されてます。

祇園祭と並ぶ規模の祭事であった、こう呼ばれている今宮祭は、今日の規模から見ますと祇園祭のような山鉾巡行こそありませんが祭の行列はかなり長く、北大路通を交通規制して行われます、この際には境内も活況に包まれまして、紫野一帯が活気に。

紫野御霊会の系譜から成る疾病払いの伝統行事、もういま時分は既に桜の季節は新緑の季節となっている訳ですけれども、着実に暖かい日と寒い日の循環は、温さから暑さ熱さを感じる季節へと移ろう、そんな季節を桜の先に見えるのですね。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
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(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)
この静かな社殿もあと一週間しますと祭事の季節を迎えるのですね。

今宮神社、静かなさくらの名所の一つとおもう。実は京都には、というよりも実でも何でもないものの、数多さくらの名所がありますので、混雑するのは有名どころの一部だけ、ただ、みんな有名どころは押さえたいので混雑するという。

観桜も自由気ままな撮影を好んでいまして、逆に酔客に絡まれるような花見はどうしても避けたいというところが。なぜならば、仕事の関係上で幾度か東京の上野公園などの観桜に参加した事が、大昔ですよ、ありますが、確実に酔客に絡まれていまして。

東京嫌い、というわけではないのだけれども、なんでわざと靴を何度も踏もうとする若い女性とか、とおせんぼしてわざとぶつかって喧嘩を吹っかけてくるのかと思い、みなさんは花見よりも喧嘩や因縁を愉しんでいるという、あんな花見は、いやだなあ。

紫野御霊会、今宮神社の始まりとなりました御霊会は朝廷が執り行った御霊会とはなっていましたが、その祭事を主導したのが町衆という点で特筆すべき出来事だったといいます。その示すところは平安遷都から二百余年を経て町衆の力強さを意味するのでしょうか。

疫神社、さて、御霊会がなぜこの地で執り行われたのか、というところなのですけれども、もともと当地には素戔嗚尊を祀る疫神社が鎮座していまして、この疫神社に疾病払いという祈願がありましたので、その先にこの地での御霊会がある、という。

大己貴命、事代主命、奇稲田姫命、社殿にはこの三柱を祀っています。三柱、大己貴命、事代主命、奇稲田姫命、その読み方は平仮名ですとこんな感じ、おおなむちのみこと、ことしろぬしのみこと、くしなだひめのみこと、こう読みます。

本殿は明治35年こと西暦1902年の再建となっていますが、三柱を祀る社殿ということで屋根が複雑な櫓の構造となっていまして。ここに境内の桜の木々が並ぶ様子と、さくら以外の花々とで彩る様子に、三柱、という神社のそのものを示したようで。

さくらの咲く季節、こういう情景は年に一度の、きわめてわずかな期間のお楽しみとなっていますが、今宮神社はこの桜の季節と、あとは縁日のほかは、お祭りの際に、一杯になるという神社であります。そして御霊会を起点とする祭事は今も続きます。

やすらい祭、京都三大奇祭の一つに数えられる祭事は、四月中旬に執り行われまして、第二日曜日、第1師団祭行くかどうかという雨模様の中に執り行われましたが、夜須礼祭とも記します行事がひとつ、そしてもう一つは、来週行われる、今宮祭という。

今宮祭は、今宮神社の氏子衆が永らく二条城あたりから北側全域という広い地域にありましたので、特に西陣織の西陣もその氏子区域となっていまして、要するに産業奨励のようなかたちでかなり大きな催事として今日にも維持されてます。

祇園祭と並ぶ規模の祭事であった、こう呼ばれている今宮祭は、今日の規模から見ますと祇園祭のような山鉾巡行こそありませんが祭の行列はかなり長く、北大路通を交通規制して行われます、この際には境内も活況に包まれまして、紫野一帯が活気に。

紫野御霊会の系譜から成る疾病払いの伝統行事、もういま時分は既に桜の季節は新緑の季節となっている訳ですけれども、着実に暖かい日と寒い日の循環は、温さから暑さ熱さを感じる季節へと移ろう、そんな季節を桜の先に見えるのですね。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
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