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北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

【京都幕間旅情】今宮神社,紫野御霊会さくらの咲く季節やすらい祭と五月連休の今宮祭

2025-04-23 20:25:04 | 写真
■観桜も静かに自由気まま
 この静かな社殿もあと一週間しますと祭事の季節を迎えるのですね。

 今宮神社、静かなさくらの名所の一つとおもう。実は京都には、というよりも実でも何でもないものの、数多さくらの名所がありますので、混雑するのは有名どころの一部だけ、ただ、みんな有名どころは押さえたいので混雑するという。

 観桜も自由気ままな撮影を好んでいまして、逆に酔客に絡まれるような花見はどうしても避けたいというところが。なぜならば、仕事の関係上で幾度か東京の上野公園などの観桜に参加した事が、大昔ですよ、ありますが、確実に酔客に絡まれていまして。

 東京嫌い、というわけではないのだけれども、なんでわざと靴を何度も踏もうとする若い女性とか、とおせんぼしてわざとぶつかって喧嘩を吹っかけてくるのかと思い、みなさんは花見よりも喧嘩や因縁を愉しんでいるという、あんな花見は、いやだなあ。

 紫野御霊会、今宮神社の始まりとなりました御霊会は朝廷が執り行った御霊会とはなっていましたが、その祭事を主導したのが町衆という点で特筆すべき出来事だったといいます。その示すところは平安遷都から二百余年を経て町衆の力強さを意味するのでしょうか。

 疫神社、さて、御霊会がなぜこの地で執り行われたのか、というところなのですけれども、もともと当地には素戔嗚尊を祀る疫神社が鎮座していまして、この疫神社に疾病払いという祈願がありましたので、その先にこの地での御霊会がある、という。

 大己貴命、事代主命、奇稲田姫命、社殿にはこの三柱を祀っています。三柱、大己貴命、事代主命、奇稲田姫命、その読み方は平仮名ですとこんな感じ、おおなむちのみこと、ことしろぬしのみこと、くしなだひめのみこと、こう読みます。

 本殿は明治35年こと西暦1902年の再建となっていますが、三柱を祀る社殿ということで屋根が複雑な櫓の構造となっていまして。ここに境内の桜の木々が並ぶ様子と、さくら以外の花々とで彩る様子に、三柱、という神社のそのものを示したようで。

 さくらの咲く季節、こういう情景は年に一度の、きわめてわずかな期間のお楽しみとなっていますが、今宮神社はこの桜の季節と、あとは縁日のほかは、お祭りの際に、一杯になるという神社であります。そして御霊会を起点とする祭事は今も続きます。

 やすらい祭、京都三大奇祭の一つに数えられる祭事は、四月中旬に執り行われまして、第二日曜日、第1師団祭行くかどうかという雨模様の中に執り行われましたが、夜須礼祭とも記します行事がひとつ、そしてもう一つは、来週行われる、今宮祭という。

 今宮祭は、今宮神社の氏子衆が永らく二条城あたりから北側全域という広い地域にありましたので、特に西陣織の西陣もその氏子区域となっていまして、要するに産業奨励のようなかたちでかなり大きな催事として今日にも維持されてます。

 祇園祭と並ぶ規模の祭事であった、こう呼ばれている今宮祭は、今日の規模から見ますと祇園祭のような山鉾巡行こそありませんが祭の行列はかなり長く、北大路通を交通規制して行われます、この際には境内も活況に包まれまして、紫野一帯が活気に。

 紫野御霊会の系譜から成る疾病払いの伝統行事、もういま時分は既に桜の季節は新緑の季節となっている訳ですけれども、着実に暖かい日と寒い日の循環は、温さから暑さ熱さを感じる季節へと移ろう、そんな季節を桜の先に見えるのですね。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
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【京都幕間旅情】今宮神社,京都のさくら名所数あれど,やはり静かなところでさくらを見上げたい

2025-04-23 20:00:54 | 写真
■今宮神社は北大路通り沿い
 今回は少し前に撮影しました話題ですが。

 京都のさくら名所数あれど。やはり静かなところでさくらを見上げたい。もちろん、活気ある風情というところは好きなのですけれども、賑やかすぎますと写真も落ち着いて撮影できない、写真を落ち着いて撮影できれば、そのあとゆっくり見上げられる。

 京都市北区紫野今宮町、北大路機関というわけなのですから北大路通沿いの情景を紹介しよう、という訳では必ずしもないのですけれども、この北大路通は北大路大宮あたりから千本北大路にかけて、緩やかな、自転車だとやや急な、上り坂がはじまります。

 今宮神社、今回散策の様子を紹介しますのは、この北大路通の上り坂、中盤当たり、そう、登ってゆくと左手に船岡山という、織田信長を祀る建勲神社を頂に祀ります山が見えたあたり、北大路通の右手に、やや大きな鳥居が二車線道路で迎えるところにある。

 北大路機関だから、というわけではないのですが、北大路通のほか、地下鉄北大路駅の北口、北揃いの地名の北口、その目の前の通りがまさに今宮通でして、ここから今宮通を西進しますと、ちょうど今宮神社の参道にもいたるところでして。

 さくらの社殿、というわけではないのですが、それでも境内には少なくないさくらの木々が植えられていまして、こと、本殿前の桜と、いや、拝殿の周りをぐるりつつむような桜並木と、そう、点々と確かなさくらの木々が並ぶのが、今宮神社の静けさを醸す。

 歴史ある社殿がひろがる。北大路機関なので北大路通沿いの神社を紹介したという訳ではなく、ここは、もう少し多くの方に詣でてほしい、というほど静寂に、言い方を換えれば閑散としているのです。もちろん今宮祭の時には非常に活況に包まれますが。

 御霊会の社殿である、平安朝の頃、疫病を鎮めるための御霊会を開いた社殿の一つである、こう紹介しますと、まあ、COVID-19新型コロナウィルス感染症の最も厳しい時代は過ぎましたものの、昔から歴史は繰り返している事を実感できる社殿の一つと気づく。

 三密を避けているから閑散としているのでは、なんていう言葉もありましたが、そう、ここは疾病払いの社殿でもあったのです。そして歴史は繰り返すといいますが、疾病と日本の、いや人類の歴史を物語る様に、長保3年と深い歴史を誇ります。

 神泉苑、上御霊神社、下御霊神社、八坂神社、朝廷が御霊会を開く社殿といいますと、こういったところが挙げられます。上御霊神社と下御霊神社といいますと、まさに御霊会、というその名の通りの神社という印象で、八坂神社は祇園祭の社殿ですね。

 長保3年、西暦としますと1001年となっていまして、京都には数多い、千年以上の歴史を誇る神社となっている。その起源は正暦5年こと西暦994年の疫病大流行に際し、朝廷が神与の神輿を二つ造り、船岡山、前述の船岡山山頂に安置したのが始まり。

 幣帛、神輿を安置する、というのはちょっと意味が分からないように思われるでしょうが、科学の黎明期よりも前の時代、疾病や日照りや台風に地震と落雷などは、この世に未練を残して没した人々の怨念が引き起こしていると考えられていた故でして。

 今宮神社の始まりは、疫病を受けての平癒を祈願して、船岡山の山頂に安置した二つの神輿から。それは最初は運べる神輿から始まりましたが、千余年を経て、いまこの社殿は大きく広がり、春には桜の花々が、包んでいるのですね。

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【臨時情報】ロシア軍-北海道東方海域と北方領土全域で演習実施を通告,異例の規模

2025-04-23 07:01:42 | 防衛・安全保障
■北日本隣接,ロシア軍演習
 ウクライナ情勢というよりもウクライナを巡る世界の緊張が北海道に届いたという厳しい状況です。

 ロシア政府は北海道東方海域を含む北方領土地域全域を軍事演習海域とする通告を我が国外務省に対し行いました。産経新聞が4月18日1057時に配信した記事によれば、まず4月16日、ロシア政府が北方領土全域への国連海洋法条約に基づく無害通航権停止を発表、これにつづいて択捉島と国後島及び色丹島と歯舞諸島での演習を通告しました。

 ロシア政府の意図は不明です、ただ、ロシア政府は6月に自衛隊が計画している北海道での演習に対し、外交ルートを通じ抗議した事実があります、一見してこれに対する対抗演習とも受け取れますが、本来は対抗演習とは、相手が行う軍事演習が侵略の為の兵力集結であった場合に備えるもので、先に行って威嚇する事は対抗演習でさえありません。

 ロシア軍は現在、千島列島の第52師団など駐留兵力をロシアウクライナ戦争へ抽出しており、兵力のめんでは余裕がありません、このために北方領土全域と北海道東方海域までふくめた広大な地位での演習がどの程度可能なのかについても、注意深く見守る必要があるところですが、その一方で、ロシアウクライナ戦争に端を発する延長線上という見方も。

 日本政府はロシア制裁の強化とともに軍事物資を含まない範疇に限定しつつ、ウクライナ支援を強化しています。ロシア軍は陸上兵力の大半がウクライナ方面に派遣されている一方、ロシア太平洋艦隊は無傷であり、黒海艦隊のようにウクライナ軍による攻撃で消耗もしておらず、トルコによるボスポラス海峡封鎖により増援兵力をおくっていません。

 ただ、北方領土に直面する道東地域は第五旅団、冷戦時代の第五師団よりもかなり小型化しており、現状では北方領土を策源地とした着上陸の蓋然性はロシア軍兵力不足により低いものの、北海道が冷戦時代の様な最前線に戻りつつあり、また、有事の際に南転する戦略予備、という日本防衛戦略に、大きな転換を強いる事となるのかもしれません。

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