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北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

【京都幕間旅情】随心院,梅花拝観と共に、例外状態とか無責任状態とか、大阪関西万博と大阪万博の比較

2025-04-03 20:25:42 | 写真
■永遠に咲き続ける桜の木
 桜並木がばっさりやられているところを見かけまして昨今おもうことが。

 花見について、こちらのほかには、堤防に梅並木というところをさがしますと、一応植えてある場所にはみあたるのですけれども、さくら並木ほど一般的ではない。一方で、桜はソメイヨシノの寿命が60年ほどというところで、終戦後植えた木々はそろそろ。

 永遠に咲き続ける桜の木、というゲームとアニメーションが20年ほど前にありましたが、現実は真逆、気づけば桜並木を一連ごとぶったぎられて空襲か艦砲でもあったのか、と危惧するとこともあります。誰が植えて誰が管理するのか、こういう問題はあるけれど。

 真言宗の門跡寺院であるのですが、現存する建物も総門は宝暦3年こと西暦1753年に二条家より移築したという歴史あるもの、本堂 は江戸以前の慶長4年こと1599年に再建されたという歴史あるものとなっています、故に普請中の時も多いのですけれど。

 表書院も寛永年間の1624年から1631年という時代に再建されたもので、庫裡は宝暦3年こと西暦1753年に二条家より移築されたもともとは同家の政所御殿となっていたところ、薬医門 はやはり寛永年間の造営となっていて、この一角の梅林は安泰といえて。

 大阪万博、今の時代にいろいろありまして1970年大阪万博の関連資料を調べる機会がありまして、それは2020年に東京五輪、1964年東京五輪を調べた際の延長線上のような調べごとではあったのですが、いまの万博と重なる点が桜並木にもある。

 終戦後の桜並木整備は、おそらく、管理者等を所掌という視点から並木を考えるのではなく、関連法令や条例が無かった時代に個人で植えたものやかなり曖昧なできちゃった桜並木があった、これはアガンベンのいう“例外状態”のような最中で成立したのだ、と。

 例外状態、要するに基本的な法機能が何らかの混乱により無政府状態ではないが正常に機能しない最中で決定を必ずしも平時の法手続きではないが有事法制も機能しない欠缺の分野において物事が決定される、これ本来は憲法制定権力などを考える理念ですが。

 桜並木の考えにアガンベンを持ってくるのも自分でもどうかしているとおもうのですが、逆にそういった手続きで生まれた桜並木が樹木の寿命を迎えた場合に、更新する、再生する、新しい桜並木を生む基盤がないゆえ、消えてゆく桜並木があるのだ、と。

 大阪万博と大阪関西万博を比較しますと、フィクサーという存在ではないでしょうが、大きな国家的行事を国家が主体ではなく責任を分散する委員会のような存在で討議し進めようとすることで、重要な決定の責任の所在が分からなくなるという状態に。

 無責任状態という丸山眞男理論を出せば早いのかもしれませんが、いまは例外状態ではなくがちがちの法整備がある時代ですので、思い切った決断ができず、平時の手続きでは難しい決定を平時の手順で行う故の隔靴掻痒が起きているのだろうなあ、と思う。

 寺院の梅林を見ますと、そういった意味ではここは、独自の正統性と正当性に依拠して梅林を維持しているのだから、と考えるのですね。無論、城址公園はじめ公園という位置づけであれば桜並木は維持されてまた予算が附けば、更新されるのでしょうが。

 梅花拝観と共に、例外状態とか無責任状態とか、大阪関西万博と大阪万博の比較まで行ってしまいましたが、逆に公開期間が終わった故に満開でも開放しない梅園をみて、教条主義でがちがちの時代を生きているのだ、こう実感もしてしまうのですよね。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
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【京都幕間旅情】随心院,香りつたえる梅の季節はこの寺院という印象がある

2025-04-03 20:00:00 | 写真
■梅の季節は随心院
 さくらの季節がやってきましたが。

 随心院、梅の季節はこの寺院という印象があるのだ、ここは山科区小野御霊町、地下鉄東西線の小野駅から五分、というのだけれども慣れない人は遠く感じるという、恐らくそれは坂道であるのと、どこまで登ればいいのかわからない静かな一角にある故とおもう。

 小野という一画、小野氏の根拠地となっていたといい、小野小町と小野妹子、この二人が有名な氏族なのかもしれませんが、ここ随心院も小野小町の文塚があることで有名で、北大路機関程没原稿を量産するところも少ないでしょうから定期的に拝観しています。

 仁海さんという、10世紀半ばから11世紀半ばに活躍したが僧侶が創建しました寺院でして、歴史はと言えば概ね千年ほどの時を経た寺院、具体的には牛皮山曼荼羅寺という寺院の塔頭として始まった歴史があります、そしてこの寺院は梅、前述のとおり。

 梅林、今年はほんとうに満開まで時間がかかりましたので、桜並木と梅林が部分的に重なる情景を見るところがあり、昔は梅花から桜花へ流れるように花見の季節が移っていたのになあ、と考えたりするものの、さくねんはいまごろは既に桜が散り始めていたか。

 花の季節の桜と梅、この移ろいというものを愉しむ考え方自体が古い考え扱いになるのかと考えたりもします。小野の梅林、有名な風景ではあるのですが、昨年はもう一月下旬から梅花の開花が始まっていまして、速いと感じていたけれど、今年は遅いなあ。

 梅園が開放された頃には既に満開を過ぎようとしていたことを思い出しますが、今年は真逆に、どうするのこれ的なまったく咲いていない情景が広がっているばかりで、一般開放はこの期間だからと教条的な開放期間を有料開放して、咲く前に開けていて。

 梅花のいよいよ満開を迎えようとする季節には梅林の一般公開を延長せずさっさと閉めるところも多くありまして、それはちょっとなあ、と思ったり。そうしましたうえで、不思議なものですが桜並木を誇る堤防屋公園というものは数多いのだけれども。

 雨僧正、仁海さんさんはこう呼ばれていまして、干ばつの時に朝廷より招かれ、神泉苑にて雨乞の祈祷を9回も成功させたという、この偉業を以て当地を朝廷より下賜されたという歴史もあります。雨即ち梅雨ということで梅、という訳では無いでしょうけれど。

 順徳天皇、後堀河天皇、四条天皇の祈願所となっていた、だから高貴な方々の花見の為の梅林、という事ではないのでしょうけれども。しかしなぜ梅なのか、もう少し聞いてみたいのです、なにしろ梅林は花見のほか、悲田院という歴史も京都ではありますゆえ。

 悲田院というのは貧窮院のような日本のセイフティネットで、特に梅の実は薬になると薬効作用が長年珍重されていたもので、その為に植林された場所が多い、もっとも、明治維新後には廃仏毀釈のあおりを受けて梅林を打って凌いだり寺が無くなったり。

 隨心院史略によれば、最盛期には伽藍が今の相国寺あたりまで塔頭を広げ、山城国、播磨国、紀伊国に寺領を有したということですが、応仁の乱の勃発が、相国寺のすぐ北で始まると短期間で全部失い、その後点々としますが廃寺だけは免れまして今に至る。

 慶長4年こと西暦1599年、二十四世増孝の時代に当院は戻ってきまして、江戸時代には門跡であった堯厳さんが諸事情から還俗することとなりまして、九条尚実となり、関白、そして太政大臣の任に附くなど歴史にふと姿を示す、そんな寺院なのですね。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
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ウクライナ情勢-ウクライナ軍,ロシア深部のエンゲルス2戦略航空基地攻撃に成功

2025-04-03 07:02:34 | 防衛・安全保障
■防衛情報-ウクライナ戦争
攻撃用無人機の導入が自衛隊ではいよいよ着手されますがウクライナの戦況を見ていると数をどうそろえるかの製造基盤こそが重要といえます。

ウクライナ軍はロシア軍エンゲルス2戦略航空基地を攻撃に成功した、イギリス国防省3月25日付ウクライナ戦況報告によれば、ウクライナ軍は3月19日から3月20日にかけ、無人機によりこの航空基地を攻撃したとのことエンゲルス2戦略航空基地はロシアウクライナ国境から600kmを隔てた内陸部に配置されている航空基地という。

エンゲルス2戦略航空基地の弾薬庫を標的とした攻撃であり、イギリス国防省によればこの弾薬庫にはウクライナ攻撃用の弾薬が大量に備蓄されていた、この攻撃によりこれら弾薬が破壊され、この基地からの航空攻撃は一時的に中止されているといい、2025年に行われたウクライナ軍の攻撃としては最も効果を上げたものだと分析されています。

弾薬庫攻撃を受け、ロシア航空宇宙軍はこの基地に配備されていた航空機を緊急に周辺基地へ分散すると共に、ロシア軍は弾薬配備の見直しと再生産により航空機用弾薬を補充する必要性にも見舞われていると、イギリス国防省は分析、また、この種のロシア領土深部への攻撃は定期的に行われており、ロシア軍は何度も突き付けられている問題が未だ。

戦略航空基地は多数の航空機を集中配備しているため、本来であれば強力な防空砲兵部隊により防護されているべきものが、無人機攻撃に対抗する防護手段を充分に配置していない事が、ロシアの防空リソースが枯渇している状況、その状況にロシア軍が解決する見通しを立てられていない事を同時に示しています。

この事例で注目すべきは、トランプ第二次政権移行後、アメリカによるウクライナ軍への情報支援が終了したのちにも、また長距離兵器が供与されていない段階でも、ウクライナ軍は独自の無人攻撃と、そしてアメリカ以外の情報をたよりに、こうした長距離攻撃を成功させている点で、何よりもこの種の攻撃が定期的に行われていることです。

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