■永遠に咲き続ける桜の木
桜並木がばっさりやられているところを見かけまして昨今おもうことが。

花見について、こちらのほかには、堤防に梅並木というところをさがしますと、一応植えてある場所にはみあたるのですけれども、さくら並木ほど一般的ではない。一方で、桜はソメイヨシノの寿命が60年ほどというところで、終戦後植えた木々はそろそろ。

永遠に咲き続ける桜の木、というゲームとアニメーションが20年ほど前にありましたが、現実は真逆、気づけば桜並木を一連ごとぶったぎられて空襲か艦砲でもあったのか、と危惧するとこともあります。誰が植えて誰が管理するのか、こういう問題はあるけれど。

真言宗の門跡寺院であるのですが、現存する建物も総門は宝暦3年こと西暦1753年に二条家より移築したという歴史あるもの、本堂 は江戸以前の慶長4年こと1599年に再建されたという歴史あるものとなっています、故に普請中の時も多いのですけれど。

表書院も寛永年間の1624年から1631年という時代に再建されたもので、庫裡は宝暦3年こと西暦1753年に二条家より移築されたもともとは同家の政所御殿となっていたところ、薬医門 はやはり寛永年間の造営となっていて、この一角の梅林は安泰といえて。

大阪万博、今の時代にいろいろありまして1970年大阪万博の関連資料を調べる機会がありまして、それは2020年に東京五輪、1964年東京五輪を調べた際の延長線上のような調べごとではあったのですが、いまの万博と重なる点が桜並木にもある。

終戦後の桜並木整備は、おそらく、管理者等を所掌という視点から並木を考えるのではなく、関連法令や条例が無かった時代に個人で植えたものやかなり曖昧なできちゃった桜並木があった、これはアガンベンのいう“例外状態”のような最中で成立したのだ、と。

例外状態、要するに基本的な法機能が何らかの混乱により無政府状態ではないが正常に機能しない最中で決定を必ずしも平時の法手続きではないが有事法制も機能しない欠缺の分野において物事が決定される、これ本来は憲法制定権力などを考える理念ですが。

桜並木の考えにアガンベンを持ってくるのも自分でもどうかしているとおもうのですが、逆にそういった手続きで生まれた桜並木が樹木の寿命を迎えた場合に、更新する、再生する、新しい桜並木を生む基盤がないゆえ、消えてゆく桜並木があるのだ、と。

大阪万博と大阪関西万博を比較しますと、フィクサーという存在ではないでしょうが、大きな国家的行事を国家が主体ではなく責任を分散する委員会のような存在で討議し進めようとすることで、重要な決定の責任の所在が分からなくなるという状態に。

無責任状態という丸山眞男理論を出せば早いのかもしれませんが、いまは例外状態ではなくがちがちの法整備がある時代ですので、思い切った決断ができず、平時の手続きでは難しい決定を平時の手順で行う故の隔靴掻痒が起きているのだろうなあ、と思う。

寺院の梅林を見ますと、そういった意味ではここは、独自の正統性と正当性に依拠して梅林を維持しているのだから、と考えるのですね。無論、城址公園はじめ公園という位置づけであれば桜並木は維持されてまた予算が附けば、更新されるのでしょうが。

梅花拝観と共に、例外状態とか無責任状態とか、大阪関西万博と大阪万博の比較まで行ってしまいましたが、逆に公開期間が終わった故に満開でも開放しない梅園をみて、教条主義でがちがちの時代を生きているのだ、こう実感もしてしまうのですよね。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
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(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)
桜並木がばっさりやられているところを見かけまして昨今おもうことが。

花見について、こちらのほかには、堤防に梅並木というところをさがしますと、一応植えてある場所にはみあたるのですけれども、さくら並木ほど一般的ではない。一方で、桜はソメイヨシノの寿命が60年ほどというところで、終戦後植えた木々はそろそろ。

永遠に咲き続ける桜の木、というゲームとアニメーションが20年ほど前にありましたが、現実は真逆、気づけば桜並木を一連ごとぶったぎられて空襲か艦砲でもあったのか、と危惧するとこともあります。誰が植えて誰が管理するのか、こういう問題はあるけれど。

真言宗の門跡寺院であるのですが、現存する建物も総門は宝暦3年こと西暦1753年に二条家より移築したという歴史あるもの、本堂 は江戸以前の慶長4年こと1599年に再建されたという歴史あるものとなっています、故に普請中の時も多いのですけれど。

表書院も寛永年間の1624年から1631年という時代に再建されたもので、庫裡は宝暦3年こと西暦1753年に二条家より移築されたもともとは同家の政所御殿となっていたところ、薬医門 はやはり寛永年間の造営となっていて、この一角の梅林は安泰といえて。

大阪万博、今の時代にいろいろありまして1970年大阪万博の関連資料を調べる機会がありまして、それは2020年に東京五輪、1964年東京五輪を調べた際の延長線上のような調べごとではあったのですが、いまの万博と重なる点が桜並木にもある。

終戦後の桜並木整備は、おそらく、管理者等を所掌という視点から並木を考えるのではなく、関連法令や条例が無かった時代に個人で植えたものやかなり曖昧なできちゃった桜並木があった、これはアガンベンのいう“例外状態”のような最中で成立したのだ、と。

例外状態、要するに基本的な法機能が何らかの混乱により無政府状態ではないが正常に機能しない最中で決定を必ずしも平時の法手続きではないが有事法制も機能しない欠缺の分野において物事が決定される、これ本来は憲法制定権力などを考える理念ですが。

桜並木の考えにアガンベンを持ってくるのも自分でもどうかしているとおもうのですが、逆にそういった手続きで生まれた桜並木が樹木の寿命を迎えた場合に、更新する、再生する、新しい桜並木を生む基盤がないゆえ、消えてゆく桜並木があるのだ、と。

大阪万博と大阪関西万博を比較しますと、フィクサーという存在ではないでしょうが、大きな国家的行事を国家が主体ではなく責任を分散する委員会のような存在で討議し進めようとすることで、重要な決定の責任の所在が分からなくなるという状態に。

無責任状態という丸山眞男理論を出せば早いのかもしれませんが、いまは例外状態ではなくがちがちの法整備がある時代ですので、思い切った決断ができず、平時の手続きでは難しい決定を平時の手順で行う故の隔靴掻痒が起きているのだろうなあ、と思う。

寺院の梅林を見ますと、そういった意味ではここは、独自の正統性と正当性に依拠して梅林を維持しているのだから、と考えるのですね。無論、城址公園はじめ公園という位置づけであれば桜並木は維持されてまた予算が附けば、更新されるのでしょうが。

梅花拝観と共に、例外状態とか無責任状態とか、大阪関西万博と大阪万博の比較まで行ってしまいましたが、逆に公開期間が終わった故に満開でも開放しない梅園をみて、教条主義でがちがちの時代を生きているのだ、こう実感もしてしまうのですよね。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
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