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【くらま】日本DDH物語 《第四五回》給油艦はまな竣工とヘリコプター搭載護衛艦量産

2018-07-07 20:09:38 | 先端軍事テクノロジー
■護衛艦ひえい建造と給油艦
 はるな型護衛艦は、一番艦はるな建造と共に二番艦ひえい建造へ進みます。

 海上自衛隊の空母導入計画、するとヘリコプター搭載護衛艦の量産を筆頭にその到達点として航空母艦を中古でも新造でも取得、と考えられるかもしれませんが、仮に航空母艦を導入した場合でもどう運用するのか、という初歩的な視点、その上で実際にその為に運用できる基盤を構築しておかなければ、象徴的な一隻、という存在に終わりかねません。

 海上自衛隊はヘリコプター搭載護衛艦整備前には、しかし、いくつかの視点で外洋が要軍再編への準備を継続していました。第一に給油艦はまな建造です、1960年度防衛計画により建造された給油艦で、現在は同名の補給艦はまな、が現役ですが、それよりも遥かに小型であり、基準排水量2900t、満載排水量7500tに過ぎず、燃料のみの輸送に限定される。

 はまな、はるな、艦名は似ています。はまな、といいますと海上自衛隊の補給艦とわだ型を思い出すところですが、昭和35年度計画艦として1962年に竣工した広島呉基地母港の給油艦です、建造は護衛艦はるな竣工11年前、しかし給油艦が高速航行し並走する護衛艦へ給油を行うスパンワイヤ横引給油方式を採用、米軍との共同作戦上の必要性など洋上補給を戦術体系に内部化する上で果たす役割は大きい。

 ミサイル護衛艦あまつかぜ建造により当時最新鋭と云えたターターシステム艦の取得と艦隊防空能力の付与、たかつき型護衛艦量産による外洋対潜艦の強化、と進んでいますが、水上戦闘艦は巡航速力以外の戦術運動をつづけた場合、四日乃至五日程度で燃料の大半を消費、一旦母港へ戻るか補給艦から補給を受けねばなりません、はまな建造は転機となる。

 給油艦はまな能力を見ますと補給能力は重油4000 kLと真水1000 t、1979年に竣工しました海上自衛隊第二の補給艦、新造時から給油艦ではなく補給艦として建造されました、さがみ、基準排水量5000tと満載排水量11600tのような、燃料4940kLに加えての一個護衛隊群の弾薬搭載や食料4万食の搭載能力とは比較になりませんが、戦術構築に寄与した。

 基礎固めを行ったうえでの防衛力構築、成程簡単に大型艦を揃えるよりは時間を要するものではありますが、艦隊保全主義として威圧感のみもちいる象徴のようになってしまい、実任務にあたる艦艇としては充分能力を発揮出来ません。そして、能力としての整備は、戦術研究以上のことを望むのであれば、稼動率念頭に即応艦を維持できる数が必要となる。

 ヘリコプター搭載護衛艦建造とともに、海上自衛隊は段階的に推進していた外洋海軍への転換を確実なものとしてゆきます。しかしのその背景には、南西諸島と小笠原諸島のアメリカからの返還、これは必然的にこの地域の防衛警備任務をアメリカより返還される事も意味しているといえましょう。一方、当面ヘリコプター搭載護衛艦の整備へ特化してゆく。

 ヘリコプター搭載護衛艦は当時画期的な洋上での対潜哨戒能力を付与させるものとなりますが、一隻では搭載するHSS-2対潜ヘリコプターは三機、一応常続的にヘリコプターを飛行させる事は不可能ではありませんが、その哨戒期間を24時間体制のまま一週間や十日と延伸し続けるには流石に限界があるといえます。複数の建造はこの時点から必須といえた。

 ヘリコプター搭載護衛艦は、仮に護衛艦はるな一隻で終わったならば、ここまで装備体系として自衛隊へ影響を及ぼすことは出来なかったでしょう。ヘリコプター搭載護衛艦の建造は、はるな竣工を筆頭に、はるな型護衛艦として進められたことに大きな意味があり、その目的は海洋国家へ回帰する日本に必要な防衛力の再構築という意味が強かったのです。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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