■はじまりの知恩院
日本の宗教への寛容性は上手く転じれば社会の多様性に繋がり悪用されればだまされる人を量産してしまうのでしょうが、柔軟さのない硬すぎる社会よりは良くする努力の余地が残る社会の方がまだ良い。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/c9/6dea5f970821f2734280fe26afd50991.jpg)
知恩院という寺院は、南無阿弥陀佛ととなえる源流という考えができるようです。それは当地が法然さんの臨終の地であり、門弟たちがその別れを惜しみ追善法会を知恩講として集った事が、知恩講の場所としての寺院、すなわち知恩院、冠せられたためといいます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/49/9b76c562be680c15eae898d0c85bdb10.jpg)
念仏、法然の教えは、この以前と以後では日本の価値観を大きく変容させたようにおもえるもので、専修念仏、ただ南無阿弥陀佛と唱えることが信仰の要諦であるとした民衆救済のあり方として広めたものでした。悪人でも善人でも貴賤とわず救われるという考え方だ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/de/d755fa59968b7103f441286432bdce41.jpg)
南無阿弥陀佛、この考えが日本の価値観というものを転換させたのは、それまでは仏教とは出家し学問として先人の教えを学び、その上で厳しい修行を経た僧侶が、徳を積んでそして修行を津痔家学び続け、こう救われるには相応の努力か、別のものを要していました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/74/0997f53849dd2fd6a2e108c0fcc820a2.jpg)
観光寺院のなかにはいくつか有りますが貴人が寄進した別荘や別宅の寺院化というのはこの努力を飛ばして、金銭は努力の結晶というような考えとともに、お金は出すので往生をという、時代は違うが昨今一部カルトの問題に先例を与えるような流れをおこなっている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/18/a50049c4a9e2661bd2872a0c4e7a3a19.jpg)
寺院、この表現は迷ったのですがそうした寺院は当時としては意味があった、ただ敢えて例示とだしたのは、カルトは千年前の手法をいま用いているところが問題で、これは百年前の価値観と現代の兵器や核兵器で隣国を侵略する某国と同じように問題、区別は要る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/b7/8942ee1e683de8af6b3225760f163f83.jpg)
祈るだけで、この法然さんの教えというものはここで転換点となった、考えれば明治維新後の四民平等、現行憲法の法の下の平等は、既に宗教、当時の宗教といえば価値観に影響を及ぼしている重大要素ですから、平等という価値観の源流の一つを築いたともいえます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/e6/eed281ad5ea466f67396072e5029c659.jpg)
神は実在すると思うか、この問いに対して日本は先進国のなかでもっとも低い数字の回答という。日本の同盟国は半数が実在を信じているというし、とあるNATO加盟国では九割以上が実在するし存在を疑わない、回答したようです。これも21世紀の感覚というものか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/8e/20ea1091285b8bc7aa16122f34ea2c04.jpg)
信仰を問われる考えですが、しかし日本でもっとも高い回答は、いるかもしれないしいないかもしれない、いたらよいと思うことはある、との割合の合計がかなり高い水準になるという。このあたりが、日本の寛容さというか曖昧さというか、価値観に通じるようにも。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/18/059dfd67e43ea78fc633fb8a70c8ed2a.jpg)
法然さんの専修念仏という考え方はまさにこの点でして、実在を確信するまでに突き詰めるには人生を傾ける覚悟と行動が必要になり、しかし実在を確信する人たちだけでは社会を動かすことはできません、そしてそこには平等というものも存在し得なくなってしまう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/9a/0126e2a7277beb404a47cf91864f63bc.jpg)
専修念仏という考え方そのものは、いわば宗教の大衆化とえいるのかもしれません、それは同時に大衆化による負担云々よりも、なにしろ救いのない時代でした故に、求められていた信仰との距離感なのかも知れません。これが曖昧さと寛容さという日本的価値観へ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/55/e3512964e8e17f1d6f5a4fe32ef30c33.jpg)
法然さんは建暦2年こと西暦1212年、当地で没しました。嘉禄3年こと西暦1227年に延暦寺衆徒に焼き払われた嘉禄の法難というように、当時の日本はある種保守的ではあったといいますか、その保守性が寺院焼き払いとなったのは少々考えさせられるところですが。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/28/b06a9aefde9217b307f86218b5e8d201.jpg)
四条天皇により華頂山知恩教院大谷寺という寺号を下賜されますと、こうした法難の騒擾が漸くひと段落しまして。しかし元々ここは吉水草庵という小さな庵、法然さんがそこに座っていて迎えてくれた、そこから親鸞さんなども、という今よりも小規模であったのだ。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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日本の宗教への寛容性は上手く転じれば社会の多様性に繋がり悪用されればだまされる人を量産してしまうのでしょうが、柔軟さのない硬すぎる社会よりは良くする努力の余地が残る社会の方がまだ良い。
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知恩院という寺院は、南無阿弥陀佛ととなえる源流という考えができるようです。それは当地が法然さんの臨終の地であり、門弟たちがその別れを惜しみ追善法会を知恩講として集った事が、知恩講の場所としての寺院、すなわち知恩院、冠せられたためといいます。
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念仏、法然の教えは、この以前と以後では日本の価値観を大きく変容させたようにおもえるもので、専修念仏、ただ南無阿弥陀佛と唱えることが信仰の要諦であるとした民衆救済のあり方として広めたものでした。悪人でも善人でも貴賤とわず救われるという考え方だ。
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南無阿弥陀佛、この考えが日本の価値観というものを転換させたのは、それまでは仏教とは出家し学問として先人の教えを学び、その上で厳しい修行を経た僧侶が、徳を積んでそして修行を津痔家学び続け、こう救われるには相応の努力か、別のものを要していました。
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観光寺院のなかにはいくつか有りますが貴人が寄進した別荘や別宅の寺院化というのはこの努力を飛ばして、金銭は努力の結晶というような考えとともに、お金は出すので往生をという、時代は違うが昨今一部カルトの問題に先例を与えるような流れをおこなっている。
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寺院、この表現は迷ったのですがそうした寺院は当時としては意味があった、ただ敢えて例示とだしたのは、カルトは千年前の手法をいま用いているところが問題で、これは百年前の価値観と現代の兵器や核兵器で隣国を侵略する某国と同じように問題、区別は要る。
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祈るだけで、この法然さんの教えというものはここで転換点となった、考えれば明治維新後の四民平等、現行憲法の法の下の平等は、既に宗教、当時の宗教といえば価値観に影響を及ぼしている重大要素ですから、平等という価値観の源流の一つを築いたともいえます。
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神は実在すると思うか、この問いに対して日本は先進国のなかでもっとも低い数字の回答という。日本の同盟国は半数が実在を信じているというし、とあるNATO加盟国では九割以上が実在するし存在を疑わない、回答したようです。これも21世紀の感覚というものか。
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信仰を問われる考えですが、しかし日本でもっとも高い回答は、いるかもしれないしいないかもしれない、いたらよいと思うことはある、との割合の合計がかなり高い水準になるという。このあたりが、日本の寛容さというか曖昧さというか、価値観に通じるようにも。
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法然さんの専修念仏という考え方はまさにこの点でして、実在を確信するまでに突き詰めるには人生を傾ける覚悟と行動が必要になり、しかし実在を確信する人たちだけでは社会を動かすことはできません、そしてそこには平等というものも存在し得なくなってしまう。
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専修念仏という考え方そのものは、いわば宗教の大衆化とえいるのかもしれません、それは同時に大衆化による負担云々よりも、なにしろ救いのない時代でした故に、求められていた信仰との距離感なのかも知れません。これが曖昧さと寛容さという日本的価値観へ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/55/e3512964e8e17f1d6f5a4fe32ef30c33.jpg)
法然さんは建暦2年こと西暦1212年、当地で没しました。嘉禄3年こと西暦1227年に延暦寺衆徒に焼き払われた嘉禄の法難というように、当時の日本はある種保守的ではあったといいますか、その保守性が寺院焼き払いとなったのは少々考えさせられるところですが。
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四条天皇により華頂山知恩教院大谷寺という寺号を下賜されますと、こうした法難の騒擾が漸くひと段落しまして。しかし元々ここは吉水草庵という小さな庵、法然さんがそこに座っていて迎えてくれた、そこから親鸞さんなども、という今よりも小規模であったのだ。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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