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京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

京都 『祇園祭』 祇園会鉾立・鉾引き染め

2006-07-13 11:53:06 | 写真

 794年に遷都され、長きに渡り皇都としての役割を担った京都は、世界歴史都市連盟の中枢を担い、且つわが国史の体現者として、また東京と二極の対を成す学問の一大拠点としての地位を不動のものとしている。

 この京都にあって、時代祭り、葵祭りとともに京と三大祭りといわれるのが、この祇園祭である。

Img_3998  平安遷都より一世紀近くの時を経た877年、藤原基経が私邸を寄進し、神社を建立、これが今日の八坂神社の始まりといわれ、京都において疫病や飢饉を招くとされた怨霊の鎮魂を願い、八坂神社より樹木の枝を飾った鉾や山車を曳く神事を行い、悪霊や怨霊をこの樹木に取り込むことで京の街中から取り払い、これを最後に火にくべ、若しくは解体することで、これを取り払うと考えられていた。

 京都市内は数百のバス系統により結ばれているが、今日では四条通りを走るバス車内から車窓を外に目を移らせれば、壮大な山鉾の威容を見る事が出来る。山鉾の組立は十日より始まり、小生が撮影した十二日は完成した山鉾を実際に曳く「曳き初め」という行事が行われているところであった。

 なお、四条通を走る京都市営バスなどは祇園祭の時期には大きくその運行路に影響を受ける為、これについて祇園祭を訪れる方は京都市交通局のWebサイトなどでの確認をお勧めしたい。

Img_3999  祇園祭は、千年以上に渡り京の祭事として執り行われてきたが、その形態は時代とともに変化を遂げてきている。当初の樹木の枝を曳き回す神事は、所謂御輿の形態を採っており、京の裕福な町民の寄付を以て行われていた。

 しかし、1300年代には今日のような山鉾を用いた祇園祭の形態となり、その最盛期となった1400年代半ばには山鉾の数は実に58もの数に達していたと記録されている。

Img_3954  祇園祭が一時期中断したのは、応仁の乱である。第二次世界大戦に際して京都は極僅かな空襲を受けるに留まった事を考えれば、1467年から1478年にかけての応仁の乱は京都を荒廃させ多くの人命を奪ったという点で大きな災厄であった。1500年に復興するまで祇園囃子が京の都に鳴り響かない時期が続いた訳だ。山鉾の数は38となり、また町民が山鉾順行の順番を巡り対立する事があった為、くじ引きによって決定する制度がこの頃から始まった。

Img_3973  江戸時代に入ると有力町民からの寄付に頼った祇園祭は、広く町民からの支出に支えられる方式に変わった。

 幕末、長州藩が京において薩摩藩などと大規模な市街戦を展開した禁門の変、京都御所には当時の弾痕が生々しく残っているがここから大火災が発生し、山鉾もその多くが焼かれてしまった。また、明治維新を契機とする神仏分離に際して、祇園祭の宗教的性格が混乱を招いたものの、山鉾順行の日程が太陽暦を元としたものに変わった以外は変わらず存続する事となった。

Img_3969_1   第二次世界大戦に伴う国内情勢の悪化は、祇園祭の存続を許さないものであり、1947年に長刀鉾一つでの山鉾順行によって漸く復興を見、今日の32の山鉾による祇園祭へと急速に回復したものの、戦災復興に邁進する一方で、御輿としての山鉾を担ぐ世代が大戦により多く失われてしまい、今日の山鉾のような車輪を有するものへと変貌を遂げている。

 また、山鉾順行の道程が今日の御池通へと変更されたのもこの時期であった。こうして比較的早い時期に復興を見たのは京都が余り空襲を受けなかった事に起因する訳であるが、実のところ原爆投下予定地(梅小路鉄道検車区)に挙げられたり戦後賠償の為の美術品保護が目的であったなど複雑な要因があり、こうした連合国側の目論見が現実となることなく今日に至る事は、全くの僥倖というか奇跡に近い事であり、本土を沖縄のような地上戦の業火に焼くことなく終戦の詔勅を出された大御心を忘れてはならないといえよう。

Img_3979  山鉾は昭和初期まで人力にて順行していた事を考えると軽いものを想像しがちであるが、重量は木造12トンにも達し、小生の勝手な想像だが、公道を走る木造車輌の中では日本最大のものではなかろうか。こうした山鉾が32、並んでの順行は戦車大隊の観閲行進も凌駕する迫力である

 山鉾は組立式で、その組立には釘を用いない伝統的な方法によって組み立てられる。

Img_3986  組立には専ら人力に頼り、且つ釘を一切用いない伝統的な方法にてその巨体を組み立てる。

 更に、四条通のような大通は別格であるものの、山鉾が多く置かれる烏丸通の烏丸御池と四条烏丸の間の小さな通りは巨大な32もの山鉾により自動車の通行が不能となり、五条警察署と京都市により大規模な交通規制が引かれる。

Img_4004  祇園祭は今月末まで一ヶ月間行われるが、その最大の見せ場である山鉾順行は17日月曜日(祭日)、また14日、15日、16日は宵山という祭事が行われ、夕刻から烏丸通や四条通を数キロに渡り車輌を全面通行止めとして出店を出し、山鉾の中などを見学する事が出来る。

 この祇園祭、遠くからの方も是非観覧に訪れてはいかがであろうか。

HARUNA

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