北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

【京都発幕間旅情】犬山城,この城郭には不思議が多い-戊辰戦争も西南戦争も太平洋戦争も超えて

2024-06-26 20:24:45 | 旅行記
■犬山城は不思議が多い
 歴史研究というものは大まかな流れを除けばほとんど手つかずの分野ばかりなのだと散策するたびに思うのです。

 犬山城は不思議が多い、先ず城郭には定型があるのだけれども天守閣形状がほかの城郭とは個性を放っていて、いかにも付け足したような三層目の形状から長らく第三層は後年建設、と言われ続けていた訳でして、そして地下は二階に渡るのですけれど。

 天守閣造営は1590年頃であるという事が年輪年代法によりほぼ確実となった為、この城郭の造営は織田信長の子織田信雄の時代に行われていたことがほぼ判明します、それは同時に従来節で一定の支持を集めていた慶長年間説を覆した訳なのですが。

 織田信雄の時代に造営されるとともに、これは小田原城攻めと北条氏滅亡の後の転封を拒んだことで織田氏が改易されたことで、中途から豊臣氏が造営に加わることとなり、特殊ともいえる外見を有する事となった実情と矛盾しなくなるということになる。

 関ケ原戦役、重要なのはこの犬山城は慶長年間造営という説を支持するならば関ケ原戦役の直前あたりに造営されていたこととなるのですが、故にこの前提は素早い城郭機能の構築、野戦築城とまではいかないが、速度を求められたゆえの二層まで先行説に。

 天正年間造営が部材から判明した事で、ゆっくりと、ではないものの通常の工事手順を踏んで造営していた、という事に納得がいく合理性が生まれた構図です。そして成瀬氏の治世下、天下泰平の江戸時代に入り唐破風など意匠を豊とする余裕に繋がるわけで。

 犬山城、現存天守閣という単語はあるのですが、先ず、仕方ないのだけれども天守閣の未現存している事例が多く、たとえば大名屋敷、行政中枢といえる江戸時代の機能など完全にのこす城郭はというと、江戸城、宮城ともいう、ここくらいなのかなあ。

 大名屋敷で現存しているのは二条城のみ、戦争おそるべし、という訳では無く戊辰戦争も西南戦争も太平洋戦争も大変ではあったけれども、破却された時点で明治政府の破綻状態にあった国庫を補填するべく建材として解体され売却されたというのが現実で。

 城郭はこう、考えてみると完全な形で残っている方が無理というものです、けれども犬山城は、此処も確かに多くが破壊されてしまっているのですけれども、天守閣と共に本丸黒門だけは残っていますので、ここから天守閣に向かう際の風情はいまもそのまま。

 本丸黒門、ただしかし昔犬山城そのものの黒門があったのですが、こちらは大手道、天守閣に向かう長い坂道の途中に礎石だけがのこっているのみという。明治初期に撮影された犬山城の写真には木曽川河畔にいくつかの櫓が映っているのですが現存しない。

 丑寅櫓と水の手櫓という、木曽川に向けた櫓、なにしろ後堅固という木曽川を防衛線とした段丘上の城郭ですので、逆に木曽川から攻められるのを警戒していた防衛施設が必要だったわけだ、けれども写真で記録された時代の櫓もやはり現存しないのですね。

 観光地として見上げます天守閣は、大きくてすっごい、という単純な感想で収斂してゆくのかもしれませんが、史跡としての城郭を思い起こすには、城郭の現状を見るに相応の資料とともにある程度の想像力が必要になるのだなあと実感してしまう訳です。

 文化財、当時はこうした概念が無かった故に不要な建物として破壊してしまった、と思いつつ、しかし現代日本でも昭和時代の貴重な建物が単純に破壊されている様子を見ますと、22世紀の西大路機関あたりで批判されていそうな気が、するのですよね。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
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【京都発幕間旅情】犬山城,日本最古の天守閣である十二現存天守閣に二〇二〇年代の新発見

2024-06-26 20:00:37 | 旅行記
■日本最古の天守閣
 高すぎない山の上の城郭というのは絵になるし上る際にもあまり気負わずに愉しく探訪できるのです。

 犬山城、犬山という地名は城郭の知名度と共に小京都と呼ばれ観光地を形成するとともに、犬山橋は2003年まで鉄道自動車併用橋として長大な編成のパノラマカーやパノラマSuperが橋梁狭しと自動車と並び行き交ったことでも知られるところなのですが。

 城郭こそやはり、犬山城あってこその犬山なのではないかなあ、と考えさせられるところでして。そして実際探訪してみますと、木曽川の雄大な流れと、岐阜基地に発着するF-15やC-2などなど平日限定でみられますし、なかなか心ひく城郭とおもう。

 COVID-19,先日個人的に病院でも医師の先生と違いまして幸いと日常の会話に紛れ込む言葉なのですが、実はこの犬山城、ロックダウンこそなかったものの社会の多くを自粛で行動ごとウィルスを押し込んだ全てが緩慢な時代に、大きな研究の進展がありまして。

 日本最古の天守閣である、これが具体的に明らかになったのが、COVID-19猛威振るう2021年のことでした。日本には現存天守閣が十二ありまして、これらは国宝重文併せて現存十二天守閣と呼ばれているのですが、難しいことの正確な建築年数は不明が多い。

 十二現存天守閣は、明治維新と戊辰戦争に廃藩置県で先ず多くが破却されていまして、残った僅かな天守閣も太平洋戦争で、岡山城や名古屋城のように空襲で焼かれたり、広島城のように核攻撃で吹き飛ばされたり、首里城のように艦砲で破壊された事例さえ。

 核攻撃も艦砲も空襲も無かった幸いというべき十二天守閣ですが、古い城郭ほど資料が散逸してしまいますので、明らかに新しいものは別として長らく、見た目が古い福井の丸岡城とかなり古くから存在すると二次資料の多い犬山城どちらかが最古といわれていて。

 最古の天守閣であると判明したのは2017年に丸岡城が、古い天守閣ではあるもののそれは北陸の厳寒つづく冬季に氷結欠損しないよう石瓦を多用したことで外見が古そうに見えただけ、ということで、犬山城の方が古いとだけは判明していたのですけれども。

 年輪年代法、この数年間で犬山城に関する研究が大きく進みまして、建築部材として用いられた木材を判定する技術からほぼ生活な木材の伐採時期が判明するところとなりまして、天正13年から16年にかけて、西暦だと1585年から1588年頃の伐採だ、と。

 天守閣造営は1590年頃であるという事がこの分析により判明したのでした。これまでは最上部が元和年間造営という説が主流ではあった。安土城のほうが古い、と叫ばれた方は落ち着け、伊勢戦国時代村の安土城は安土町から移築したものじゃあない。

 三層にわたる天守閣は四階と地下二階から構成されている城郭でして、長らく言われていて、わたしもそう理解していたのは、二層まで櫓状のというよりも寺院の法堂のような天守閣が造営されて、後世に改めて三層目を増築し現在の姿になった、というもの。

 しかし、この2021年の研究報告によれば年輪年代測定法により、三層目の部材と一層目二層目の部材は同時期の物であることが判明したのでした、つまり今まで主流であった三層目後付け説は否定され、加工法の共通性から同時期に加工された部材と判明する。

 犬山城、科学万能と言われた時代は一周してまだまだ分からないことだらけだという達観の時代に入っているのですけれども、こうした中で定説が覆す発見がありました故に、この美しい城郭を、また久々に散策してみよう、とおもいたったわけなのですね。

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ウクライナ情勢-ロシア軍のFAB-3000-M-54滑空爆弾とクリミア半島のロシア防空能力低下

2024-06-26 07:00:44 | 防衛・安全保障
■防衛情報-ウクライナ戦争
 ウクライナ情勢に関する話題を三つ。

 ロシア軍のFAB-3000-M-54滑空爆弾について。ISWアメリカ戦争研究所6月20日付戦況報告によれば、ロシア国防省はFAB-3000-M-54滑空爆弾の使用状況を大々的に報道公開しました。FAB-3000-M-54滑空爆弾の映像は目標から10m離れたところに着弾したが、大威力により標的を破壊する様子を映したものとしています。

 FAB-3000-M-54滑空爆弾はロシア軍が最近ウクライナ軍前線基地に投入し、本来精密誘導爆弾は威力を祖敢えて不随被害を抑えることが目的の装備ですが、ロシア軍は遠距離からの適当な投下であっても目標を破壊させるために大威力のものを誘導しているもよう。前線基地のほか、前線付近のインフラ破壊にも多用され壊滅的威力とのこと。■

 ロシア空軍はミサイル攻撃の標的をウクライナ空軍基地に切り替えた、6月20日付イギリス国防省ウクライナ戦況報告に記されたところによれば、6月12日から18日にかけ戦略爆撃機からの長距離巡航ミサイル攻撃をウクライナの都市部への無差別攻撃や発電所などのインフラ攻撃には用いず、ウクライナ空軍の基地へ転換したもよう。

 F-16戦闘機のウクライナ供与が近いと考えられる現在にロシア空軍は、先ず飛行場だけでも叩いておきたいという認識の表れと解釈できるとともに、もう一つはウクライナ空軍によるロシア空軍基地攻撃が立て続けに成功していることから、ロシア軍もウクライナ空軍企図を叩かなければ面子が立たないためと解釈できる可能性もあります。■

 クリミア半島のロシア防空能力低下がさらに進んでいる、6月20日付イギリス国防省ウクライナ戦況報告によれば、ウクライナ軍はクリミア半島のロシア軍S-300地対空ミサイルとさらに高性能というS-400地対空ミサイルをATACMS戦術ミサイルにより破壊した事で、ロシア軍のクリミア防空を一層窮地に追い込んでいると分析できる。

 S-300地対空ミサイル、S-400地対空ミサイルについては全損ではなく修理可能と考えられるものの、修理までの期間は見通せず、現状のままであれば防空は劣勢のまま、ほかの地域から地対空ミサイルを転用するにも引き抜ける地域が無く、航空部隊を置く事ができずクリミア半島駐留部隊の空からの攻撃に対する無防備が続く可能性がたかい。

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