■はるな撮影へ白銀の舞鶴を往く
本日も首都圏は大雪と云う報道ですが、時勢に合せて雪の舞鶴を。舞鶴の吹雪と云うのは数分単位で視界がホワイトアウトしたり急に遠景の峰々の稜線が見えたりもします。
はるな雪景色、舞鶴らしい情景です。しかし撮影に行くのは大変だ、市役所駐車場とATM、ミサイルではなくキャッシュディスペンサーのほう、このあたりから赤レンガ博物館のあたりにかけて撮影適地なのですが、それは構図の話であり、歩くには適地ではありません。
あさぎり、あさぎり艦番号は151ではないかと反論が来そうですが2000年代の日本は平和で、あさぎり型護衛艦は2005年に艦番号を3516として練習艦に転籍していました、それが情勢悪化で2012年に元々の艦番号151に戻されましたので、情勢緊迫を感じたものだ。
しまゆき。艦番号3513は先ごろ最後の一隻が除籍された護衛艦はつゆき型転籍の練習艦です、12番艦なのですが1999年に護衛艦はつゆき型として最初に練習艦に転籍されましたので、新しいのにと云われた頃も。しかし2000年代は、むらさめ練習艦転籍の噂も在った。
舞鶴はこうした雪景色が美しいのですけれども、日本海側の気象は変わりやすいという代名詞的なものでして、そして自動車でもスタッドレスタイヤでは厳しいほど、国道27号線には雪が積もります、夏場に国土交通省の除雪基地をみますと実感はわかないのですが。
除雪基地、冬場には除雪基地のありがたさが身にしみる。第3護衛隊群は第3護衛隊が舞鶴で第7護衛隊が大湊ですが、大湊の雪もなにしろ津軽海峡冬景色です、凄いといいまして、寒さに泣き寂しさに泣き土地の人情深さに泣くという、大湊は三度泣く基地という。
大湊は三度泣く基地という、だから3つながりで配備されているのが第3護衛隊群というわけではないのでしょうけれども、この護衛隊群は豪雪地に基地をおいているという印象ですね。1998年までは護衛艦はるな母港は長崎県の佐世保基地でしたが、あちらは暖かい。
ましゅう。海上自衛隊最大の、とっても二種類しかありませんが、補給艦が見えない程にやはり雪が強くなってきました、この撮影位置は文庫山という老人福祉施設なのですが、高台の美しい眺望が嬉しい施設も、この後に2021年に移転閉鎖されることとなりました。
舞鶴基地撮影は、北吸岸壁で間近に護衛艦と練習艦を、そして高台の文庫山を撮影し、更に北海道とを結ぶ新日本海フェリーのターミナルに隣接する前島埠頭とを移動します、徒歩で30分もかからないのですが、雪が強いと話は全く別物の雪中行軍となったりします。
ミサイル艇、この気象ですと今の艦番号ロービジ塗装では判別できないかもしれない、入港してくる様子が見えてはいたのですが、雪景色とともに風情ある、と言うよりは迷彩効果を実感するという率直な印象をうけました。艦番号はもちろん艦影もうっすらとしか。
141は護衛艦はるな、それでは825のミサイル艇は、といいますとミサイル艇わかたか。ところでミサイル護衛艦は艦番号180はぐろ、でイージス艦8隻体制は完成したのですが、181にヘリコプター搭載護衛艦ひゅうが、次のイージス艦はどうなるのだろう、141かな。
ミサイル艇は、一頃には旧式化した護衛艦を置き換える、地方隊に沿岸護衛用の小型護衛艦、ちくご型護衛艦等配備されていたころには期待された装備ですが、そもそも護衛艦と異なりミサイル艇は潜水艦などによる接近には対処できず、専ら水上目標にのみ、備える。
哨戒艇にミサイル艇はある意味でちかい装備でもあります。哨戒艇にちかいというのはミサイル艇に哨戒艇が127mm艦砲に代えて同等の対艦ミサイルを搭載したものもあったほどですからね。はるな艦砲とミサイル艇の並ぶ様子をみますと、ふとそんなことを思った。
2022年の視点から見ますと、哨戒艦が建造されようとしている時代ですので、そもそも哨戒艦が想定するような中国艦やロシア艦への警戒監視任務と少子高齢化の自衛官不足との両立を考えれば、ミサイル艇の方が勤務は海上勤務でも気楽なのかもしれませんよね。
哨戒艦は居住性を強化させて長期の航海に云々、というよりもその日の内に基地へ戻れるという日帰り任務の多いミサイル艇の方が、現代の働き型改革には向いているのではないかとも考えてしまうのですよね。もっとも航海手当という点を踏まえれば別ともいえます。
ちくご型護衛艦は、アスロック対潜ロケットを装備した小型だが有力な対潜護衛艦でしたが、艦対艦ミサイル対処能力の低さが指摘されていました、が、それはオイルショック前に指摘されており、これも1970年代半ばに改良型が建造される計画があったものですが。
オイルショック、新しい護衛艦計画があっても1973年オイルショックで建造できなかった、という背景があります。もっとも、ミサイル艇の先進国というべき草創期からの運用経験を持つスウェーデンやフィンランドでは、ミサイル艇は沿岸砲兵の一部として運用される。
沿岸部の地対空ミサイル部隊や地対艦ミサイルの援護下で、プレゼンスの発揮に活用される運用が基本といい、いわば接近拒否、ミサイル艇が展開している地域には隠れているだけで有力な沿岸配備部隊が陣地構築している誇示という位置づけがあったようです。さて。
舞鶴基地へ戻ります、除雪、なかなか大変な状況が続いていますが、なにしろ舞鶴というのは、目の前で駅のホームがみるみる白く、という積雪を誇張ではなく発車待ちの最中に見れる程ですので除雪しても追加で積る積雪に難渋している構図、基地にも除雪車が要る。
ミサイル艇は個艦防空能力も限られるため、単体で運用した場合には哨戒ヘリコプターに搭載される射程の短い対艦ミサイルでも容易に無力化されるなか、有用に運用される背景にはこうしたものがありました。自衛隊はこの点、昔の魚雷艇を普通に置換えた構図です。
海上自衛隊には地対艦ミサイル部隊はもちろん、地対空ミサイル部隊も、少し前まで大湊航空基地に81式短距離地対空誘導弾が配備されていたものも廃止されており、そういった意味では時代遅れといいますか、そくまでかんがえない運用の錯誤があったのでしょうね。
もがみ型護衛艦。最終的にミサイル艇の任務は再来月の竣工に向け最後の艤装工事が進む新型護衛艦へと転換される構図ですが、稼働率を高める為に3隻の護衛隊に4隻分の乗員を充てて休養を確実に採らせられる方式という、かなり野心的な試みがとられるという。
艦こそ我が家、その号令一下海上自衛隊は艦隊を編成してきましたが、今後は自分が護衛艦もがみ乗員とか、護衛艦やはぎ乗員、と意気軒高となるのではなく、自分は第XX護衛隊の要員、となるのでしょうか。稼働率を考えねばならない程情勢は緊迫化している訳です。
しらせ。舞鶴から造船業が撤退するという話題が昨年大きな話題となりましたが、この2008年というのは舞鶴で砕氷艦しらせ建造が行われていたのですね、それくらいに昔ですので練習艦を護衛艦に戻したり、艦番号を読めなくする必要も無かった、ということでもある。
はるな雪景色を基地の岸壁以外の場所から撮影する為に、舞鶴市役所まで移動しました。背負い式の5インチ単装砲と巨大な航空機格納庫、日本の水上戦闘艦部隊運用研究の一つの独自到達点で、しかしこの撮影の時点で後継艦ひゅうが建造が進んでいた護衛艦でもあります。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)
本日も首都圏は大雪と云う報道ですが、時勢に合せて雪の舞鶴を。舞鶴の吹雪と云うのは数分単位で視界がホワイトアウトしたり急に遠景の峰々の稜線が見えたりもします。
はるな雪景色、舞鶴らしい情景です。しかし撮影に行くのは大変だ、市役所駐車場とATM、ミサイルではなくキャッシュディスペンサーのほう、このあたりから赤レンガ博物館のあたりにかけて撮影適地なのですが、それは構図の話であり、歩くには適地ではありません。
あさぎり、あさぎり艦番号は151ではないかと反論が来そうですが2000年代の日本は平和で、あさぎり型護衛艦は2005年に艦番号を3516として練習艦に転籍していました、それが情勢悪化で2012年に元々の艦番号151に戻されましたので、情勢緊迫を感じたものだ。
しまゆき。艦番号3513は先ごろ最後の一隻が除籍された護衛艦はつゆき型転籍の練習艦です、12番艦なのですが1999年に護衛艦はつゆき型として最初に練習艦に転籍されましたので、新しいのにと云われた頃も。しかし2000年代は、むらさめ練習艦転籍の噂も在った。
舞鶴はこうした雪景色が美しいのですけれども、日本海側の気象は変わりやすいという代名詞的なものでして、そして自動車でもスタッドレスタイヤでは厳しいほど、国道27号線には雪が積もります、夏場に国土交通省の除雪基地をみますと実感はわかないのですが。
除雪基地、冬場には除雪基地のありがたさが身にしみる。第3護衛隊群は第3護衛隊が舞鶴で第7護衛隊が大湊ですが、大湊の雪もなにしろ津軽海峡冬景色です、凄いといいまして、寒さに泣き寂しさに泣き土地の人情深さに泣くという、大湊は三度泣く基地という。
大湊は三度泣く基地という、だから3つながりで配備されているのが第3護衛隊群というわけではないのでしょうけれども、この護衛隊群は豪雪地に基地をおいているという印象ですね。1998年までは護衛艦はるな母港は長崎県の佐世保基地でしたが、あちらは暖かい。
ましゅう。海上自衛隊最大の、とっても二種類しかありませんが、補給艦が見えない程にやはり雪が強くなってきました、この撮影位置は文庫山という老人福祉施設なのですが、高台の美しい眺望が嬉しい施設も、この後に2021年に移転閉鎖されることとなりました。
舞鶴基地撮影は、北吸岸壁で間近に護衛艦と練習艦を、そして高台の文庫山を撮影し、更に北海道とを結ぶ新日本海フェリーのターミナルに隣接する前島埠頭とを移動します、徒歩で30分もかからないのですが、雪が強いと話は全く別物の雪中行軍となったりします。
ミサイル艇、この気象ですと今の艦番号ロービジ塗装では判別できないかもしれない、入港してくる様子が見えてはいたのですが、雪景色とともに風情ある、と言うよりは迷彩効果を実感するという率直な印象をうけました。艦番号はもちろん艦影もうっすらとしか。
141は護衛艦はるな、それでは825のミサイル艇は、といいますとミサイル艇わかたか。ところでミサイル護衛艦は艦番号180はぐろ、でイージス艦8隻体制は完成したのですが、181にヘリコプター搭載護衛艦ひゅうが、次のイージス艦はどうなるのだろう、141かな。
ミサイル艇は、一頃には旧式化した護衛艦を置き換える、地方隊に沿岸護衛用の小型護衛艦、ちくご型護衛艦等配備されていたころには期待された装備ですが、そもそも護衛艦と異なりミサイル艇は潜水艦などによる接近には対処できず、専ら水上目標にのみ、備える。
哨戒艇にミサイル艇はある意味でちかい装備でもあります。哨戒艇にちかいというのはミサイル艇に哨戒艇が127mm艦砲に代えて同等の対艦ミサイルを搭載したものもあったほどですからね。はるな艦砲とミサイル艇の並ぶ様子をみますと、ふとそんなことを思った。
2022年の視点から見ますと、哨戒艦が建造されようとしている時代ですので、そもそも哨戒艦が想定するような中国艦やロシア艦への警戒監視任務と少子高齢化の自衛官不足との両立を考えれば、ミサイル艇の方が勤務は海上勤務でも気楽なのかもしれませんよね。
哨戒艦は居住性を強化させて長期の航海に云々、というよりもその日の内に基地へ戻れるという日帰り任務の多いミサイル艇の方が、現代の働き型改革には向いているのではないかとも考えてしまうのですよね。もっとも航海手当という点を踏まえれば別ともいえます。
ちくご型護衛艦は、アスロック対潜ロケットを装備した小型だが有力な対潜護衛艦でしたが、艦対艦ミサイル対処能力の低さが指摘されていました、が、それはオイルショック前に指摘されており、これも1970年代半ばに改良型が建造される計画があったものですが。
オイルショック、新しい護衛艦計画があっても1973年オイルショックで建造できなかった、という背景があります。もっとも、ミサイル艇の先進国というべき草創期からの運用経験を持つスウェーデンやフィンランドでは、ミサイル艇は沿岸砲兵の一部として運用される。
沿岸部の地対空ミサイル部隊や地対艦ミサイルの援護下で、プレゼンスの発揮に活用される運用が基本といい、いわば接近拒否、ミサイル艇が展開している地域には隠れているだけで有力な沿岸配備部隊が陣地構築している誇示という位置づけがあったようです。さて。
舞鶴基地へ戻ります、除雪、なかなか大変な状況が続いていますが、なにしろ舞鶴というのは、目の前で駅のホームがみるみる白く、という積雪を誇張ではなく発車待ちの最中に見れる程ですので除雪しても追加で積る積雪に難渋している構図、基地にも除雪車が要る。
ミサイル艇は個艦防空能力も限られるため、単体で運用した場合には哨戒ヘリコプターに搭載される射程の短い対艦ミサイルでも容易に無力化されるなか、有用に運用される背景にはこうしたものがありました。自衛隊はこの点、昔の魚雷艇を普通に置換えた構図です。
海上自衛隊には地対艦ミサイル部隊はもちろん、地対空ミサイル部隊も、少し前まで大湊航空基地に81式短距離地対空誘導弾が配備されていたものも廃止されており、そういった意味では時代遅れといいますか、そくまでかんがえない運用の錯誤があったのでしょうね。
もがみ型護衛艦。最終的にミサイル艇の任務は再来月の竣工に向け最後の艤装工事が進む新型護衛艦へと転換される構図ですが、稼働率を高める為に3隻の護衛隊に4隻分の乗員を充てて休養を確実に採らせられる方式という、かなり野心的な試みがとられるという。
艦こそ我が家、その号令一下海上自衛隊は艦隊を編成してきましたが、今後は自分が護衛艦もがみ乗員とか、護衛艦やはぎ乗員、と意気軒高となるのではなく、自分は第XX護衛隊の要員、となるのでしょうか。稼働率を考えねばならない程情勢は緊迫化している訳です。
しらせ。舞鶴から造船業が撤退するという話題が昨年大きな話題となりましたが、この2008年というのは舞鶴で砕氷艦しらせ建造が行われていたのですね、それくらいに昔ですので練習艦を護衛艦に戻したり、艦番号を読めなくする必要も無かった、ということでもある。
はるな雪景色を基地の岸壁以外の場所から撮影する為に、舞鶴市役所まで移動しました。背負い式の5インチ単装砲と巨大な航空機格納庫、日本の水上戦闘艦部隊運用研究の一つの独自到達点で、しかしこの撮影の時点で後継艦ひゅうが建造が進んでいた護衛艦でもあります。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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