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【日曜特集】木更津駐屯地創設45周年航空祭【05】訓練展示&機動飛行(2013-05-12)

2017-05-21 22:56:46 | 陸上自衛隊 駐屯地祭
■陸上自衛隊,空中機動の威力
 木更津駐屯地創設45周年航空祭,第五回は前回に引き続き訓練展示の様子と、AH-1S機動飛行の迫力とともにヘリコプター団の歴史と自衛隊航空史をお伝えしましょう。

 第1ヘリコプター団の新しい歴史は2007年に新編された中央即応集団の隷下部隊となった事で始まりました。防衛庁も防衛省へ改編され、長官直轄部隊から中央即応集団隷下部隊へ、巨大な空中機動能力を機械化連隊や空挺部隊と特殊部隊支援へ専従させる事になる。

 中央即応集団は司令部及び司令部付隊、第1空挺団、第1ヘリコプター団、中央即応連隊、特殊作戦群、中央特殊武器防護隊、対特殊武器衛生隊、国際活動教育隊、以上4500名を基幹とする自衛隊緊急展開部隊で、空挺団以外警備隊区を持たず日本に世界へ展開可能です。

 第1空挺団は自衛隊最精鋭、習志野に駐屯する自衛隊唯一の空挺部隊で3個普通科大隊9個中隊と特科大隊に施設中隊や通信中隊と後方支援隊を加えた1900名規模の部隊で、精鋭無比、厳しい訓練と専門教育に数段上の体力練成から日本唯一の旧陸軍、とも称される。

 中央即応連隊、宇都宮に駐屯しており中央即応集団創設と共に全国の普通科部隊から選抜した隊員を以て新編、軽装甲機動車に96式装輪装甲車や輸送防護車といった装甲車両により高度に装甲化された普通科連隊で、本部管理中隊と3個普通科中隊を基幹としています。

 特殊作戦群、自衛隊初の特殊部隊で指揮官以外の名前は公表されず300名程度の部隊です、米軍は1765名の特殊作戦群5個を有していますが自衛隊の場合2004年に新編されたばかりで、作戦分遣隊規模での部隊強化と実任務対処能力構築が進められているのでしょう。

 中央特殊武器防護隊と対特殊武器衛生隊、大宮駐屯地と朝霞駐屯地に駐屯するNBC防護部隊で地下鉄サリン事件や東海村臨界事故と福島第一原子力発電所事故等世界で最も経験を積むNBC防護部隊で、アメリカがCBIRF化学生物事態対処部隊新編時に参考としたとも。

 国際活動教育隊、駒門駐屯地に駐屯する自衛隊の教育訓練部隊で各国のPKO任務への研修や全国の自衛隊部隊の海外派遣に先んじての教育訓練等を専門とする部隊です。中央即応集団は陸上総隊創設への過渡的編成とされますが、緊急展開部隊編制へ先鞭を付けました。

 多数のヘリコプターを目の前にして、自衛隊は装甲車が不足故に近代化が遅れていると誤解されますが、実はヘリコプターを買い過ぎただけではないか、と思ったりも。CH-47を10機以上持っている国は稀ですし専用の攻撃ヘリコプターを100機近く持つ国も少ない。

 AH-1S対戦車ヘリコプターと89式装甲戦闘車、量産が進んでいる時期では其々27億と5億円ですので、AH-1S一機と89式FV縮小2個小隊の費用は同じ程度で、ミサイルに機関砲で武装は似ているもAH-1S90機調達という事は89FV440両に匹敵する費用を要する。

 CH-47JA輸送ヘリコプターと96式装輪装甲車の比較では、CH-47JAが50億円に対し96WAPCが1億円弱、つまりCH-47が1機で96WAPCを三個中隊と本部管理中隊施設作業小隊や情報小隊に充足させられるだけの費用が掛かりまして、これを50機もっている。

 陸上自衛隊にはもう一つ、改良ホーク地対空ミサイルが8個高射特科群全国に配備され戦域防空を担っていましたが、高射特科群整備費用が甲師団全装備費用に匹敵し、これを改善Ⅰ型に改善Ⅱ型と改善Ⅲ型と改修していましたが、これも各群230億円程掛かった、と。

 改良ホーク改善費用だけで73式装甲車230両と96式装輪装甲車240両や89式装甲戦闘車46両に匹敵して、これが8個群、無論改良しなければ現代戦に対応できませんが、もう少し航空自衛隊の防空戦力が頼れれば、3個群分程普通科の装甲化に回せたのになあ、とも。

 撮影位置について。木更津駐屯地は飛行場ですので、撮影可能な立地は比較的広く様々な撮影場所を何年かに分けて撮影する事も出来るかもしれませんが、大編隊がどの方向から飛来するかを正確に把握していませんと、いきなり後ろから大編隊飛来となりかねません。

 実は2006年に、この場所空いているから最前列確保出来るよね、と充分吟味せず撮影しまして、大編隊は後ろの格納庫から飛来して、肝心のチヌークやコブラ大編隊が電線や電柱と重なってしまったよ、という大失敗、してしまった事も、ありましたので気を付けたい。

 改めて足を運んでみますと、その前回失敗した撮影場所は、実は正門からかなり近いのですね、そこで空いているというあたりにその撮影立地のアングルが難しい、ということ、気づくべきだったのかもしれませんが、ただ同行の友人が開口一番、この場所いいね、と。

 チヌークのエンジン出力が凄い事は冒頭に九六式陸上攻撃機や一式陸上攻撃機と比較しても高出力だという表現で示しましたが、その凄さは実は日本海軍機はもとより、エンジン出力だけ比較すれば四発重爆撃機のB-29戦略爆撃機よりも高出力で、つまり離陸も凄い。

 2006年に何気なくチヌークの編隊を真後ろから撮影しようとしていましたらば、周りに他子供たちが一斉に逃げ出しまして、千葉っ子は軟弱だなあ、と千葉愛が凄い作家さんなどが聞けば激怒しそうな印象を持ちましたが、カメラのファインダー視ていると何か変だ。

 大編隊離陸という決定的な瞬間を撮影するのにファインダーが芝生色で覆われていくので何だろうと思い直に見ますと、なんとローターが巻き起こす後方気流が芝生を掻き集め直径50cm以上ありそうな芝玉となって幾つもこちらに走る如くの速度で迫ってくる、という。

 会場に設定された安全地域ですし、芝生が玉になって大半は空気で重さは無く問題ないのですが、一発が子供に纏わりつきチヌークと子供たちの雪合戦ならぬ芝合戦状態に、知識でエンジン出力の凄さは知っているが、編隊離陸となると芝生が凄いことになるのだなあ。

 幸い当方は芝生玉にも当らず風に向かって頑張っていましたけれども、今度は足元に置いていたカメラバックが無い、置き引きかよ千葉治安悪いなあ、と千葉愛が凄い作家さん等が聞けば激怒しそうな印象でしたが、そうではなくカメラバックが風で動いていたもの。

 カメラバック待って、と追いかけていますと、何故か航空愛好家で遠巻きに撮影していた方々の白レンズ群がチヌークではなく当方を視ているようにも、面白いかこっちは必死だ、と、まあそんなことがありまして最初の撮影は教訓が多かったのですが今回は大丈夫だ。

 痛コブラ、痛オメガ、最後の年、と言いますか特別過ぎた記念塗装により、市ヶ谷の偉い人たちから怒られ、その意味で注目が集まったのが木更津航空祭二〇一三でした、当方は京急沿線に一泊しまして友人と東京湾横断橋を経由し、木更津駐屯地へと展開しました。

 横須賀基地へ練習艦隊近海練習航海部隊が入港しており、前日に撮影を併せて、一寸横須賀で美味いネイビーバーガーと夜にホッピーでも頂こう、という旅程、期せずしてCH-47地上滑走にも乗る事が出来、その後中折れ帽を無くしましたが満足できた写真が撮れた。

 木更津駐屯地祭当日は快晴に恵まれ祝賀飛行大編隊、空挺団と協同しての訓練展示、対戦車ヘリコプター機動飛行、一通り撮影できました。近年大編隊指揮官が減っていると言われるものの、木更津興味深い行事と展示を撮影する事が出来ました。さあ機動飛行開始だ。

北大路機関:はるな くらま
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