北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

憲法記念日、日本国憲法の安全保障防衛力整備視点と憲法制定権力に主権者政治参加の視点

2017-05-03 21:41:44 | 北大路機関特別企画
■特別企画:憲法記念日
 日本国憲法、憲法記念日です。一年に一度、日本国憲法について深く考えてみる事としましょう。

 本日は憲法記念日です。憲法とはConstitution、その国の構造を示すもの。70年前の今日、日本国憲法が制定されました。日本国憲法について、実のところ世界でみても先進的な部分があり、例えば男女同権一つとっても世界の憲法を俯瞰し、世界的に女性の人権が強く叫ばれている現代でも男女同権を明記した成文憲法は日本国憲法のみとなっています。

 平和主義において軍事力の放棄を明文で示した憲法として希有なものでありますが、国際協調主義、平和主義、生存権、これは70年前の第93回帝国議会において大日本帝国憲法から改訂されるというかたちで制定され、今に至ります。日本国憲法は議会両院の七割近くの参道を持って初めて改正が発議され、国民投票を経て改正される硬性憲法である。

 このため、憲法は改正されず維持され70年を経ました。憲法改正、憲法改正の手続きが非常に厳格であることから、憲法の範囲はどこまでなのか、これは司法の憲法解釈と統治行為論として政治問題である故に憲法判断を授権された行政府の内閣法制局解釈により、実質的に明文である憲法から判断の及ばぬ部分をその都度に解釈を重ね、今日に至ります。

 防衛力を日本国憲法はどのように位置づけているか、これは憲法は自衛権を否定していないとの解釈が最高裁判所より授権された行政府の統一解釈となっています。その上で、憲法が禁止する軍事力と憲法が受容する自衛権の講師のための実力とに分水嶺があると考えられ、集団的自衛権の保持、当初は行使できないが保持されているという解釈でした。

 集団的自衛権については、続いて今世紀には集団的自衛権の行使を憲法は認めているとの解釈が為されていますが、平和主義を手段ではなく目的とする護憲の視点からは、合憲という認識が違憲で最高法規の合憲を厳格とするべき視点、解釈改憲の制度そのものが立憲主義の解釈次第によっては問題視しうるため敢えて改憲に踏み切るべき、との視点も。

 勿論逆に改憲するくらいならば解釈改憲として抑制的に法制度を運用するべき、など様々な視点があります。平和主義は今日的に観て必要な視点であり、実のところ世界各国の憲法には侵略主義を盛り込んだものもありません。一方、平和主義の手段として軍事力の放棄を盛り込んだ憲法もなく、軍事力を放棄していない憲法の国際法上の自然権と摩擦する。

 自衛権は国家の自然権として認められるもので、憲法は自衛権までは否定していないと解釈できるも、護憲の視点から憲法に防衛力保持の冗長性を担保する加憲は可能か、平和主義の部分を維持したまま自衛権を明文化する手段はないのか、そもそも平和主義は日本国憲法骨子であり、基幹を改正することは憲法そのものを代えてしまうという視点もある。

 憲法改正への同床異夢、という視点が憲法にかんする視点を複雑なものとしています。平和主義は現在隣国の大半が核兵器国と核保有国で我が国排他的経済水域へミサイルが着弾し、毎年1000回以上の国籍不明機が防空識別圏を突破する、台湾海峡と朝鮮半島に南シナ海と東シナ海は、シリアやイラクと東部ウクライナに南スーダンと並ぶ緊張地域です。

 極論すれば世界の緊張地域の半分以上が我が国周辺地域となっている、故に平和主義を手段とするのではなく国民の平和的生存権を維持できるよう防衛力を保持できるよう改正する、という視点は為政者、国民の生命財産に直接責任を持つ政策決定者には大きな課題です。逆に護憲改憲では、ほかの新しい権利などは主題となっていない事の方が概して多い。

 しかし、同床異夢という視点では、他の権利の保障を求める声が比較的多く、環境権として国民はよりよい生活環境を享受する権利を明白に憲法に明示するべく改憲するべきという視点、プライバシー権として個々人の自己実現への行程とともに内心の自由という現在明示されている権利を更に発展させ政治と行政機構から無関心を求める権利についてなど。

 永住外国人や一時居留者を含め外国人の人権が日本国憲法において担保されるのかとの視点から過去にようやく法廷での筆記行為を景気とした憲法裁判の末に日本国憲法が担保する人権は日本国籍を有さずとも保障される権利との漸くの判断を更に進め外国人の人権を地方参政権や国勢参政権の有無について明確に明示するべきとの改憲の意見もあります。

 憲法裁判の論点となり繰り返し強調されている部分では民放が明治憲法時代の骨幹を維持している事から生じる問題、特に挙げられるのは日本国憲法制定以降も整合性が難しい民法上の嫡出子と非嫡出子の権利に関する現状を憲法に明確に反映させるべきとの意見、憲法改正では安全保障上の改憲以上に主権者であり有権者の視点は多様なものとなりました。

 憲法制定権力、日本国憲法を必要とされる安全保障上の自衛権と防衛力にかんする改訂を行うとともに、外国人人権、環境権、プライバシー権、嫡出非嫡出子権利、全てを転換させる改憲は、日本国憲法が大日本帝国憲法からの改正以来の大きな転換となるものであるわけですので、憲法制定権力をどのように考えるのかの部分の議論も尽くされていません。

 政権与党だけでの改訂作業に全面的に依存することができるのか、憲法制定国民会議を構築し意見集約を行うことを省くことは逆に現実的であるのか、命題は尽きません。原点に回帰すれば、国民投票法が施行される前夜、憲法が国民投票での改憲を念頭としながら、法整備が放置され、改憲をどの程度現実的問題として挙げていたのかも論点となりました。

 憲法観として私見というものを、上記を踏まえた上で示しますと、個人的には主権者と為政者の同床異夢の実情がありますので、憲法は一つの部分のみ喫緊に改訂されるべき、と考えます。その他については議論を習熟完熟させるべく、祝祭日を増やし政治議論を主権者が主体的に参画する事ができる態勢を構築するべきではないか、これが当方の視点です。

 憲法制定権力については、視点は多いのですが、そもそも70年間も憲法を改正せず今日に至るのですから、憲法改正により実質的な新憲法を制定するためには、与党一党に任せるには課題が大きすぎるのではないでしょうか。憲法問題は様々ではありますが、個々人の意見は多種多様でありながら、意見集約を集団として地域や社会で行う機会はありません。

 それ故に、集団的自衛権を行使でき、必要ならば平時にも同盟国との実任務での防衛協力が可能で、海外邦人救出への戦闘任務やPKO部隊と連携した戦闘参加が可能となった今日、憲法改正を経ずとも、現段階で合憲だと解釈されるうちは、必要な責務を果たすことは可能だ、と考えます。現行憲法で自衛隊を防衛軍に改編する事さえ不可能ではないでしょう。

 ただ、現在の法制度が違憲であると司法が明確に判断するならば、国民の平和的生存権よりも平和主義という手段が優先されることは、憲法のために死ね、という状況とを回避するべく、そこで初めて、改憲すべきでしょう。この部分については、基本的人権の生存権と財産権に平和的生存権という目的に対する平和主義との手段が衝突する訳ですから、ね。

 上皇、憲法改正の唯一の喫緊の課題は今上天皇退位のご意志へ、明確に上皇という制度を盛り込むことです。上皇、これは皇室典範改訂や特別法制定の範疇で対応できる曖昧な問題ではなく、皇室について記した日本国憲法第1条から第8条までに加えて、現在の平和主義を盛り込む第9条を第10条とし、憲法9条"上皇”という条項を加筆すべきでしょう。

 国家体制の問題、皇室典範改訂や特別法だけでは、今後百年単位で日本史を歩む中、院政という二重権力の問題が生じる可能性があります。皇紀2677年という長い歴史を歩む我が国ですので、次の百年を見越すならば二重権力と院政と、制度に歪みが生まれる可能性は否定できず、やはり、上皇、天皇、として上皇陛下の制度を明確に憲法に示すべきです。

 その上で、現在の平和主義を憲法10条として、条文はそのままとし、安全保障を抑制的に、しかし、国民の平和的生存権を担保する制度を構築すべきではないか、こう考える次第です。防衛面では中国の軍事的脅威が指摘される一方、顧みれば1949年建国の中華人民共和国の歴史は日本国憲法よりも浅く、日本と皇室の歴史は遥かに遥かに長い訳ですから、ね。

 憲法は日本国家の将来を大きく転換し得るものです。その上で、21世紀は近代国家の構造と国際公序における個々人の位置づけが転換しつつある中であり、ここを逆説的ではありますが、例えば地方自治法などの視点から民会、直接民主主義を住民集会のような形で醸成し、新しい国家観のあり方を模索し、その上で国民の憲法観、というものを醸成する、参政権を駆使しての改憲、というものが、理想的ではあるのかな、と考える次第です。

北大路機関:はるな くらま
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コメント (2)
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