goo blog サービス終了のお知らせ 

北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

南スーダンPKO自衛隊撤収完了,日本UNMISS派遣施設隊五年間の活動終了とPKOの変容

2017-05-25 23:57:51 | 国際・政治
■第9師団が任務完遂帰国
 自衛隊UNMISS派遣施設隊の第9師団派遣部隊最後の一陣が南スーダンを出国、27日に帰国します。無事任務完了を果たせそうですね。

 自衛隊UNMISS派遣隊、撤収が完了です。事実上の内戦状態や事実上の戦闘状態が各所で展開される中、自衛隊の南スーダン派遣任務では、戦闘地域での国連部隊及び文民部隊救出任務を主眼とした駆け付け警護任務、自衛隊駐屯の国連軍基地等への襲撃への各国軍との協力を主眼とした宿営地共同防護任務等を明示した安全保障関連法が昨年追加されました。

 安全保障関連法整備は国内での様ざまな議論を呼び起こしましたが、自衛隊が活動する首都ジュバ市内へ反乱軍のT-72戦車が突入し、政府軍Mi-24攻撃ヘリコプターが航空攻撃で撃破、小隊規模の市街戦が各所で展開される状況を、政府は戦闘ではなく衝突である為にPKO参加五原則は崩れていないとして派遣継続する等、不安を残す派遣が完了した訳です。

 南スーダンPKOはスーダンからの住民投票を経ての南スーダン独立に際し、国連は新国家が軌道に乗るまでの期間、新国家創造を支援する国際連合南スーダン支援団へ2012年に派遣を開始しました。内陸部への派遣は当時の野田内閣のPKO政策の主軸として進められ、第一陣として南スーダンの首都ジュバおよびウガンダに現地支援調整所を設置しています。

 安保理決議1996 に基づき編成されたUNMISS,そのPKO部隊は、インド隊の2600名を筆頭に中国人民解放軍や韓国軍、カンボジア軍、アフリカからはエチオピア軍やガーナ軍にケニア軍及びルワンダ軍、それにイギリス軍等13か国より、総員12523名が派遣されています。軍事要員はこの内11350名、文民警察官1173名が参加し現在も任務継続中です。

 南スーダン派遣施設隊は、対本部、本部付隊、2個施設小隊、施設器材小隊、警備小隊、対外調整班、派遣警務班、以上350名を以て編成されました。南スーダンへの派遣は2012年3月より本格化、最初に国連施設内での宿営地設営と並行し活動準備に着手、4月よりインフラ整備支援を本格化します。2013年には活動地域拡大自衛隊行動命令が発令されました。

 活動地域拡大自衛隊行動命令発令に伴い、首都ジュバ近郊に限られていた自衛隊の国家創建支援は東エクアトリア州と西エクアトリア州へと拡大しましたが、その半年後にあたる2013年12月、南スーダンにおいてクーデター未遂事件が発生、情勢は一挙に緊迫化しました。これに伴い、自衛隊の活動は一時国連施設内の自活支援等に縮小してゆきました。

 クーデター未遂事件ではジョングレイ州における武力衝突、一般的な理解では戦闘、が発生しPKOインド部隊の要員に戦死者が出る等状況は一転、インド軍はBMP-2装甲戦闘車を派遣すると共にPKO派遣各国は中国員民解放軍の90式装甲車等警備能力を強化、国連安全保障理事会は警備要員7600名に加え6000名の増派を求める決議を可決しています。

 南スーダン情勢は、新国家建設という崇高な意思の一方、南スーダン軍による隣国スーダンへの越境攻撃や、スーダン領内油田の南スーダン軍による占拠等の問題が発生し、この際に南スーダン軍はスーダン軍の反撃に対し、PKO部隊を盾とした行動の徴候を見せており、安保理決議1996によるUNMISS派遣決定時との情勢は全く異なる事となっています。

 自衛隊は避難民保護区域の敷地造成及び整備を実施し、給水支援や医療支援を継続的に実施してきましたが、2014年6月、AFP通信やロイター通信等が南スーダン内戦を報じる一方、首都ジュバ地域での情勢が安定化し、自衛隊派遣施設隊は国連施設外の道路整備などを再開、他方ボル国連軍基地が武装勢力に攻撃され、避難民とPKO要員へ死者が出ました。

 2016年7月には首都ジュバ市内において反乱軍が戦車部隊を中心に攻勢に出た為、情勢は一挙に緊迫化しました。これは、PKO部隊が国家創造任務から国連防護軍へ改組される可能性が高くなったためです。一方、この状況にて国連職員及び支援NGO職員が戦闘地域において孤立ち一部が襲撃を受けましたが、PKO部隊は救出要請を受けるも対応できません。

 安保理決議1996は国連憲章七章措置に基づく国際法上の強行規範です。国連憲章七章措置に依拠したPKO部隊派遣は2002年より開始されていますが、これは国連軍派遣と同質の七章決議であり、決議を補強する形で文民保護、安全保障理事会はPKO部隊による内戦状態の戦闘地域での非戦闘員保護等を求める決議を重ね、自衛隊の任務を離れてゆきました。

 政府のPKO任務完了決定は、南スーダンでの自衛隊派遣施設部隊による実施可能な任務が完了した、というものでした。しかし実際には情勢が本格的に悪化する以前に、施設部隊中心の自衛隊派遣部隊では対応できる任務を越えているもので、本格的な国連防護軍への参加は戦闘への参加が常態化し、法的に限界がある、との部分があったのかもしれません。

 我が国のPKO参加はこうして南スーダンPKOの派遣完了撤収を以て一段落します。長期間実施されていたゴラン高原停戦監視任務はシリア内戦激化と共に既に終了しており、国連PKOへは現在、南スーダンPKO任務UNMISS司令部へ派遣している幕僚、兵站幕僚および情報幕僚の2名を派遣するのみとなりました。新しい派遣任務の予定は現在、ない。

 国連防護軍派遣という視点が端的に示すように、現在の国連PKOは国連の平和創造への積極参加を期したものとなっており、自衛隊が1992年に初めてPKO部隊を派遣した、七章決議でも総会決議という六章決議でもないPKOの位置づけから軍事色を強め、国連が紛争を主体的に解決するという方向性が明確なものとなり、転換期を迎えたといえましょう。

 自衛隊の任務は国家創造ですが、近年は地域紛争後の国家再建や独立国家の国家創造支援よりも、紛争介入が重視され、更に授権決議の形を取り、国連が主体的に参加するのではなく有志連合を募り地域機構の協力という方式が採られるように転換しています。PKO参加は自衛隊の海外での経験蓄積に有用であるとの防衛省の見解がありますが、その参加様式については、今後、様々な視点を踏まえて議論する必要がありそうです。

北大路機関:はるな くらま
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする