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【日曜特集】築城基地航空祭二〇一三【6】F-2機動飛行&模擬対地攻撃(2013-10-27)

2017-05-14 20:00:06 | 航空自衛隊 装備名鑑
■蒼空爆闘!F-2支援戦闘機
 F-2戦闘機、支援戦闘機の名の下開発された先端技術の結晶が蒼空を舞台に爆闘の迫力を叩きつける瞬間を紹介しましょう。

 築城基地航空祭、F-2戦闘機が群青の大空を背景に機動飛行や模擬対地攻撃と編隊飛行に勇躍羽ばたき見事な展示を披露してくれました、海洋迷彩のF-2戦闘機、群青海洋迷彩の機体はどの角度からも勇ましいですが、大地から見上げるにはやはり青空が一番映える。

 F-2戦闘機と云いますと、岐阜基地航空祭では岐阜基地に配備されています多種多様のF-2戦闘機、F-2がFSXと呼ばれていた時代の試作機評価試験用塗装を一通り見る事が出来ます、そして小牧基地に隣接の三菱重工名古屋工場はF-2戦闘機の生産を一手に担いました。

 FSX、白地に真紅の直線が描かれた初号機、岐阜基地飛行開発実験団の配備されているF-2は戦闘機という装備体系の枠を超えた機能美を秘めているものでして北海道や九州沖縄にて同好の士と航空祭の話題となりましたらば、岐阜基地飛行開発実験団塗装いいなあ、と。

 岐阜基地でもその雄姿を見上げる事が出来るF-2ですが、評価試験用塗装の機体が多い岐阜基地に見慣れますと、どうしても実践塗装の機体が編隊で飛行する様子を見上げたくなるものでして、実戦部隊F-2,これこそが築城基地へ足を運んだ一つの目的でもありました。

 日米共同開発戦闘機というF-2ですが、この機体については幾つか批判される点があります。二つの視点で、純国産戦闘機として開発していたらばもう少し高性能と出来たのではないか、もう一つの視点は輸入でF-16戦闘機の数を揃えた方が良かったのではないか、と。

 日本が国産戦闘機を開発していたならばどうなったのだろうか、とは様々な想像を掻き立てるものですが、開発されていた時代にはT-2高等練習機を基本としたCCV研究機が開発され、高い運動性能を戦闘機へ附よする技術的基盤が構築されていました、この点が一つ。

 次期支援戦闘機FSX計画ではアメリカの対日貿易赤字補てんへアメリカ製戦闘機を購入して相殺する姿勢を求めたという視点が、幾つかの日米外交研究の視点を供していまして、学術論文も多数出ています、中には明らかに同好の士が書いたと思われるものもあります。

 FSX研究、学部生水準では日米国際関係の理論研究の題材には少々難易度が高く、一種ジャーナリスティックな水準となってしまいますが、博士論文等で扱ったFSX問題の論点は非常に着眼点が一方に鋭いものの片手落ちのものが多い、という印象でした、他山の石とした訳です。

 学術研究の片手落ち、といいますのは理論研究に特化する場合にはFSXの軍事的な位置づけと技術研究の部分に限界があり、航空装備体系に偏ったものは掘り下げ方が理論研究の要諦を為していないものもありまして、エッセイ等ではなく論文となると難しい、という。

 日米関係からFSXを俯瞰しますと、特に日本側には十分な戦闘機を国産開発する技術的蓄積はある、という論点が第一に挙げられているのですが、F-1支援戦闘機の技術水準から延長線上にあったFSX開発開始の時点で、個々の技術をシステム化する能力は未知数でした。

 国産FSXが実現したならば、と航空専門誌は当時の最新情報や今日的には回顧的記事や懐古趣味も含めて紹介されまして、中には双発双尾翼のイメージ図等も関係者から取材により判明したものが提示されています。しかし、形だけで戦闘機というものは完成しません。

 プロジェクトマネジメント能力という視点で戦闘機開発へどの程度認識と実力があったかの第三者的評価には難しいものがあり、特に電子戦や航空優勢への組織防空と対艦攻撃等をシステムに纏める能力は、練習機開発等とはまた違った難易度がある事も留意点です。

 ただ、別の視点から考えますと有事の際の緊急調達という視点や相互互換性、改良型開発や技術的段階改良という視点で国産機とアメリカ製戦闘機の間には大きな格差がある為、この当たりで長期的に見ますとF-2戦闘機という現在の姿は変わって見えるのかな、とも。

 航空自衛隊の戦闘機としてはF-35戦闘機の飛行隊編成がまだ準備隊の段階にありますので当面は最新型の機種とはF-2戦闘機、という位置づけになる訳ですが、そのF-2戦闘機の初飛行は1995年、初号機は初飛行から実に22年を経て運用されている事となります。

 F-1支援戦闘機は1975年にFS-T2として初飛行を果たしましたが2006年までにすべて用途廃止となっています、優れた機体ではありましたが電子戦能力への対応や期待の能力向上への余地等に限界がありまして、特に自衛用電子防護装置搭載は皆無となっていました。

 ミサイル攻撃から機体を防護するためには外装式電波妨害装置や外装式チャフフレアディスペンサを搭載しなければ、回避行動には限界があります。勿論一部の機体には外装式電波妨害装置や外装式チャフフレアディスペンサを最後まで搭載しない事例もあったのです。

 F-1支援戦闘機の運用終了は2006年ですが、この時点で外装式電波妨害装置や外装式チャフフレアディスペンサを省き、更に機体そのものに自衛用電子戦装置を搭載していないという状況、これで有事となった際に艦隊防空能力を持つ部隊への対艦攻撃等は危険すぎる。

 近代化改修がF-1支援戦闘機に対して全く行われなかったのかと問われれば決してそうではなく、自動操縦装置が全機追加搭載され、アナログ式火器管制装置に代えデジタル型J/ASQ-1 管制計算装置換装改修等は行われています、すると方向性の問題といえましょう。

 技術者と運用当事者の関係を密にする努力は欠かされていない日本の航空機開発ですが、戦闘機開発のプロジェクトマネジメントという視点は当時どこまで進められていたか、F-1支援戦闘機後継がその延長線上にあったとするならば少々難易度が高かったかもしれない。

 その上で風洞設備の規模や電子暗室等RCS計測設備などは、今日でこそ多少は整備されているものの当時の水準は非常に低く、技術的なものと産業的なものが違うという意味では、FSX,開発能力を持ているものと開発の可否は直結しなかった、といえるかもしれません。

 F-16を原型として開発する事は、その意味から総合的な意味があり、更に胴体部分再設計などで対立はありましたが、F-16を投じ生産したジェネラルダイナミクス社と三菱重工が協力した、という姿勢により、全体では好影響の方が大きかったのではないでしょうか。

 他方、同じ予算で無尽蔵に戦闘機の数を揃えられるのであれば、例えば18機の飛行隊編成をF-2よりも安価に取得できるF-16ならば26機飛行隊定数に出来る、というならばF-16を取得する意義はあったかもしれませんが防衛大綱上限がある為、国産は既定路線でした。

 F-2への評価を下げる背景にはもう一つ、政治的に何が何でも当初計画通り141機の量産を行う事で数の量産効果を上げる施策へ繋げる事が出来なかったとの部分があります、無論これは機体性能の多寡ではなく、防衛政策がF-2を育てられなかった、という意味です。

 初飛行から長期的に運用するには近代化改修が必要です、短期的に置き換える選択肢はあるのですが、これを財政的に採れない以上、初飛行から22年を経て第一線で通用する背景には、日米共同開発による設計へのF-16の好影響も大きかった、とも考える次第です。

北大路機関:はるな くらま
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コメント (4)
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