北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

新田原基地航空祭2011詳報⑬ 大空を舞台に南九州のブルーインパルス飛行展示

2013-04-23 23:25:54 | 航空自衛隊 装備名鑑

◆新田原航空祭のフィナーレ飾る飛行展示

 新田原基地航空祭もいよいよ最後の飛行展示へ移ります。この詳報も第13回を数える事となりましたね。

Nimg_8985_1 航空祭の最後を飾るのはブルーインパルス、松島基地第4航空団の第11飛行隊であり、航空自衛隊の看板部隊であるブルーインパルスの飛行展示です。航空祭の日程は重なることがあり、航空祭によってはブルーインパルスの飛行展示が行われないこともあるのですが、この有無で来場者数が大きく変わるといわれています。

Nimg_8995_1 新田原基地航空祭、ブルーインパルスの飛行展示は、この終了と同時に一斉に全員が帰路に就くので帰りの交通手段によっては、飛行展示観覧を断念したほうが最寄駅までの所要時間が三時間ほど異なることもあるのですが、新田原航空祭展開の当方は交通手段が折畳自転車と自動車なので快くみれることに。

Nimg_9383 ブルーインパルスの離陸、スモークを曳き四機編隊で一斉離陸です。航空祭というと人が多すぎて、という印象があるのですが、入間や岐阜などを除いて多くの場合最前列付近だけで、離着陸さえ撮影しなければ少し引いた場所の方がいい写真が撮影できます、飛行展示は大空が舞台なのですからね。

Nimg_9389 四機編隊での離陸に続いて大きく編隊で旋回し、会場上空へ進入します。ブルーインパルスが使用する航空機は川崎重工を中心に国産開発したT-4練習機、200機以上が生産され、搭乗員養成や連絡任務などに活躍、戦闘機や支援戦闘機に偵察機のパイロットはT-4で養成されています。

Nimg_9394 ブルーインパルス、引いた場所から撮影し、超望遠レンズでその飛行の様子を大きく切り取って芸術的に仕上げるのも良いのですが、当方はブルーインパルスの写真ではなく新田原基地航空祭の写真として仕上げるために地上の展示航空機や観衆がいれるよう、広角ズームレンズを使用してみました。

Nimg_9400 六機で飛行展示を行うブルーインパルス、最初に離陸した四機が編隊旋回を行い編隊を次の飛行展示種目へ組み替える最中、残る二機が離陸し独自の飛行展示を実施、間断なく機動飛行を見せつけ、飛行展示が間延びしないように、というブルーインパルス創設以来の手法が採られている。

Nimg_9403 松島基地を拠点とするブルーインパルスですが、この新田原基地航空祭2011を撮影したこの年、宮城県東松島市の航空自衛隊松島基地はマグニチュード9という東北地方太平洋沖地震による津波により被害を受け、第4航空団は九州新幹線開業記念祝賀飛行へ向け九州芦屋基地へ進出していたブルーインパルスを除き全機津波により使用不能となってしまったのは御存じの通り。

Nimg_9415 東日本大震災から長く松島基地が津波対策工事により運用が制限されていた中、第13飛行教育団の展開する芦屋基地を拠点として訓練を行ってきましたが、基地周辺の防波堤工事完了と、格納庫地区の嵩上げ工事や防水格納庫整備が今年完了、年度末へ松島基地へ戻ることが出来ました。

Nimg_9426 管制塔越しにT-4の編隊が見えます。望遠レンズの圧縮効果で霧島火山と一枚に収まれば、と思たのですが、なかなか。F-2の飛行展示や地上展示機の回で紹介したとおり、この航空祭の時点で霧島火山の火山活動が続いており、航空祭の最中にも幾度か水蒸気爆発の様子が見えました、火山の爆発を見たのは当方、初めて。

Nimg_9430 スモークを曳き再度会場へ進むブルーインパルス、使用している練習機はT-4練習機で、元々は中等練習機という位置づけで国産開発されたもので、開発当時は高等練習機として、やはり国産開発された三菱重工製T-2練習機が運用、実は一世代前のブルーインパルスはT-2を使っていたのですよ。

Nimg_9435 当方は辛うじてT-2練習機時代のブルーインパルスを見たことがある世代ですが、T-2は超音速練習機であるため、主翼が小さくアクロバット飛行向けの機体ではないのですけれども、超音速機の鋭く尖った機影と比べ、T-4の丸っこい、練習機然とした姿へ、ブルーインパルスが機種転換した時は残念に思ったりもしたもの。

Nimg_9442 T-4ブルーインパルスは使用機として三代目にあたります。初代は戦闘機であるF-86で、浜松基地に配備されており、創設当時の航空自衛隊は戦闘機数も防衛力も不十分という時代でしたので、戦技研究部隊、つまり戦闘機を使っての戦闘機動能力を研究する部隊が、併せてアクロバット飛行を行う、という方式を採っていました。

Nimg_9448 F-86の時代のブルーインパルス飛行展示は、東西冷戦下、兎に角ソ連といつ戦闘状態へ展開するかという際どい状況下で、MiG-19など優勢な戦闘機を相手に如何に本土防空を達成し、我が国上空へ爆撃機進入を阻止するかが真剣に考えられていた時代であり、併せて空対空ミサイルの性能が過渡期であったため、戦技がそのまま勝敗と生死に直結する時代、それはそれは過激な展示飛行が行われた、とのこと。

Nimg_9457 編隊のスモークに直射日光が影を浮かび上がらせます。航空自衛隊で最強を宿命づけられている部隊は、各部隊を巡回して教育を行う、この新田原基地飛行教導隊ですが、前述の通り、F-86時代では実戦機であったことから、教官が最高水準の飛行を展示というよりも示威していたといい、その昔は航空祭で展示する際、低空飛行が多く最前列付近でなければ見れない部分が多かった、のだとか。

Nimg_9471 航空自衛隊の精鋭、F-15とブルーインパルス、F-86時代は1981年に航空自衛隊F-86運用終了と共に幕を閉じ、超音速練習機T-2を使用することとなります。T-2はエンジンこそイギリス製アドゥーアですが、その他は国産であり、後期型は火器管制装置と機関砲を搭載、有事の際にはサイドワインダー空対空ミサイルを搭載し補助戦闘機として運用される練習機でした。

Nimg_9475 併せて、T-2は現在F-15を運用している飛行教導隊でも使用されている航空機でした。他方、ブルーインパルスはT-2練習機時代でも戦技研究部隊として教育訓練に当たりつつ、アクロバット飛行を行うという位置づけにあり、特に当時の松島基地第四航空団は二個飛行隊のT-2を装備すると共に、ソ連空軍の戦闘爆撃機行動圏外にあったため、同圏内にある千歳基地と三沢基地の補完や代替という要衝、なかなかアクロバットに専念できない事情があったのです。

Nimg_9480 ブルーインパルスの転機となったのはこのT-4練習機へ機種転換した1995年で、ブルーインパルスは飛行展示任務と訓練飛行任務との兼任から飛行展示を専任とすることになります。これは緊張の緩和と共に、広報任務は国民理解に直結する、いわば平時の実戦、という認識が全体で共有されたことも一部あるのかもしれません。

Nimg_9485 こうして今日のブルーインパルスの姿となりました。ぶすーインパルスの飛行展示ですが、写真の下には飛行教導隊塗装として用途廃止後に保存されているT-2練習機の姿があります。ちなみに飛行教導隊が新編されたのは1981年、奇しくもブルーインパルスがF-86からT-2へ機種転換したのと同じ年だったりします。

Nimg_9491 飛行教導隊とブルーインパルスのT-2時代はある程度任務が似ていますので、もしかしたらば飛行教導隊とブルーインパルスが同じ基地に、となっていた可能性もあるのでしょうかね。そしてT-4練習機ですが、実は2000年代まで、ブルーインパルスをF-2へ機種転換させよう、という計画はあり予算案へ盛り込まれたこともあるとのこと。

Nimg_9496 松島基地第四航空団が第21飛行隊をF-2Bに機種転換しているのですから、ブルーインパルスへF-2A/Bの機種転換を行うことは整備補給上の意味もあり、有事の際には予備戦力として期待でき、併せて日米共同開発の実戦機を曲技飛行に供することの広報効果はそれなりに高いのだと思うのですが、維持費と運用費用も大きく、T-2時代のようにある程度任務と兼任させる方式を採ったとして、事業評価がどう考えられるのか、個人的には賛成なのですが、現実味としてはなんともいえない。

Nimg_9499 と、まあ、飛行展示の写真を掲載してきましたが、ブルーインパルスの飛行展示はまだまだ続きます。一回の掲載でブルーインパルスの写真を全て紹介したかったのですが、機動飛行と編隊飛行を緻密に計画し打ち合わせた妙義の実演、厳選しても写真は意外と枚数が多く、残りは次回に紹介することとしましょう。

北大路機関:はるな 

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