◆最後の砦は如何に備えるべきか
原子力発電所の全停止以降、既に暦では夏となるにも拘らず夏季の電力供給計画は国家として無策です。
原子力発電所の緊急時における式を行う免震重要棟の有無を以て再稼働の可否を決めかねている現状ですが、それならば指揮通信車、国産のものが余剰が無いのであればM-577装甲指揮車のような核降下物下においても機能する車両を複数連結し、場外気密制御室としての機能を行使できる基盤を構築する方法があるでしょう。しかし、私企業には可能な選択肢が限られ、実現は現時点で非現実的です。
それにしても、原子力発電所は原子炉が停止しても冷却が必要、維持費が嵩み電力生産に寄与しないばかりか、電力会社は地震津波を強化するべく多くの資金を投じて発電所の脆弱性を抑えねばならない一方で資金は無く、電気料金値上げも認められず、再稼働が認められない一方で廃炉の予算さえも捻出できない、廃炉へ電気料金値上げを行うとして認められるのか、化石燃料依存での燃料費高騰と両立して、です。無策、政治主導の無策は、このまま推移し、次の震災となれば原子炉を無理に停止したことによって第二の原子力災害がこの国を襲うのではないでしょうか。
誰がとめるかではなく誰が止められるか。福島第一原発に決死の放水を行ったのはCH-47,一機50億円の機体で、事故当時に出張中の東京電力社長が東京本社へ戻るための航空機さえも常備できない東京電力として、事故が発生した場合の準備を行うことはそもそも出来ないものでした。常時一機を即応状態とするだけの予備機と運用コスト、私企業が維持訓練するには限界がありますし、民間チャーター機にも限界がある以上出来なかったことを自衛隊が担った、ということ。
政府は要請することがあっても命令しない、原子力事故の芽自衛隊への命令もそうでしたが、原子力発電所の停止は、特に浜岡原発の停止について、政府は強制する立場にありましたが、これを保証する措置を行わず、再稼働に必要とする条件を提示すれば次の条件を提示し、条件を満たす報告書を提示すれば早すぎると。ストレステストに地盤評価に津波対策と住民理解、続いています。
しかし、これは事故が発生した場合に民間企業に対応できない規模の被害が生じるため責任を回避するための措置として行っているようにしか思えません。事故が発生する場合を想定し、私企業に対応できない状況が生じ、しかし、政府が担保するだけの管理能力を放棄しているからこそ生じる責任回避の風潮、それならば、国が最後の砦として担いうる装備品を自衛隊が運用するほかないのではないか、と。
先日、原発維持も化石燃料依存も共にリスクがあり、リスクがある以上結局は受益者である国民が最後には負担を強いられることとなる、と掲載しましたが、自衛隊が最後の砦とされているように、その負担を人命を賭して責務に応えるのは、自衛隊、ということになります。結果、原子力政策維持へと展開する場合のリスク対応も、国民の税負担を背景に自衛隊へ能力を整備する必要があるのではないでしょうか。
電源喪失となった原子炉は適宜補助電力装置を展開させ通電させれば復旧可能です。障害物を除去する核防護車両と、電源車を地震発生に伴う地形崩壊を超えて展開させる輸送ヘリコプター、冷却水の大量緊急搬送手段、周辺住民の緊急搬送用の与圧式輸送車両。即座に事態を最小限の被害で抑制する目的上、必要なのはこんなところでしょう。
私企業が行う原子力事業であるのだからリスク負担は私企業が、という話ではないのか、震災後数週間後にこの内容を掲載した際にはこうした反論も寄せられましたが、私企業が多くの輸送ヘリコプター、多くの陸軍国でも十数機以上を保有することは予算上難しい機体を保有し、核事故対処能力を有する装甲車をもつそいうのは難しい。
装甲車というと、どうしても響きが大袈裟なのですが装甲車でなくともタングステン防護板と鉛板防護板を有し不整地突破能力を有する車両であればいいのですが、定義ではこれらを輸するものは装甲車です。民間軍事会社でも保有には数の上での上限があるこれら、揃えることは非現実と言わざるを得ません。
例えばこの任務を自衛隊が、最悪の場合に想定し、方面ヘリコプター隊を中心に輸送ヘリコプターの装備数を強化し、特に原子力発電所が集中する若狭地区などを有する中部方面航空隊をはじめ、災害派遣と原子力事故対処とを両立するだけの能力余裕を持ち、電源車の空輸など必要な支援基盤を平時から構築しておくことが考えられるところ。
更に、全国に展開する師団及び旅団、この中で管区内に原子力発電所を有する師団、もともと有さない師団や旅団は限られるのですが、導入すること。これは自衛隊の本来任務である防衛出動に際しても装甲車は最大限の能力を発揮しします。装甲車は排土板を装備すれば障害除去にも、輸送には車体のNBC防護力が効果を挙げます。
結局のところ、脱原発を行い、化石燃料へ依存することとなれば資源中枢やシーレーン防衛へ、国民は防衛力という形をもって、その整備と運用、投射の面で負担は強いられます。結局のところ、震災を契機に自衛隊の能力強化を図るだけではないのか、という懸念は当てはまるのですが、それはリスクを引き受ける立場の位置を曖昧としてきたこれまでの視点を改める必要があるためです。結果、最後の砦は、もう少し固めるべきではないか、ということを考えました次第です。
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