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京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

九州ブルートレイン三月のダイヤ改正で全廃 寝台特急の明日について

2009-01-26 18:20:11 | コラム

◆寝台特急存続の鍵とは

 九州ブルートレイン、最後の一本である、富士・はやぶさ号が三月に廃止される。これにより、九州と東京を結んだ夜行列車は、その歴史的役割を終え、新幹線にその道を継承させることとなる。

Img_5607  かつて、非有効時間帯を利用しなければ行くことができなかった九州が、新幹線により五時間少々で結ばれることとなったのは、鉄道技術の勝利であり、喜ぶべきことなのかもしれないが、一方で、夜行列車には新しい果たすでき役割が生まれているのではないだろうか。まず、ブルートレインが生き残るには、攻めの姿勢が必要である。別に攻めの姿勢といっても、装甲列車や列車砲を開発して、自衛隊共同転地演習にB寝台車を大量に動員する、というものでは全くない。ブルートレイン、客車方式が機関士不足により難しいのであれば、定義を一新し、電車方式としてでも、その意義を見出す必要があるのではないか、という視点。

Img_8596  まず、寝台列車、もしくは寝台車を運行できる、ということは、一つの鉄道文化であり、これは路線長が一定以上広がっていなければ成り立たない、鉄道先進国の一つの象徴ではないか、と考える次第。そして、鉄道が持つべき余裕の一形体であると考えれば、移動手段に優雅な寝台車の旅、という選択肢を残すことはややこれまでとは違った意味を持つのではないか、ということ。これを踏まえ、九州ブルートレイン、ブルートレインのみならず、首都圏から九州に向かう夜行列車が全廃される、という状況は、もう少し重くとらえられてはいいのではないか。さもなければ、北海道方面へのブルートレインや寝台列車も遠からず新幹線の延伸により危機にさらされることは明白だからである。

Img_0287 そこで、まず最初に、九州ブルートレインが終えた歴史的役割とは何か、ということ。雑誌鉄道ファン2009年3月号に、寝台特急はやぶさ号の食堂車スタッフとして乗務してきた九州鉄道記念館副館長の宇都宮照信氏のインタビュー、その一節が、その答えとなっているようにおもうので引用する。そのころの東京というのは、今日の飛行機で一時間半でつけるような場所ではありませんでした、一度行ったら二度と帰ってこられないような、そんな感覚さえあるような場所でした、。ところが一夜明けると列車は東京の複々線の中を走っている。その変化は感動的で、寝台特急ブルートレインというのは、そういう感覚が味わえる列車でした[P45~46]。つまり、九州はこれまでと違い、近くなったのだ。いまや在来線で東京~浜松間を移動する時間で、新幹線は博多に到達する。こうして、所要時間を要するブルートレインは歴史的役割を終え、新幹線に代替されたのである。

Img_0346  ブルートレイン復活への道筋は、宇都宮氏のインタビューの中にもうひとつ含まれているのである。九州への足と言えば、まず人々の心に浮かんだのは寝台列車であった、中でも豪華な設備を備えた20系ブルートレインはあこがれの的であった[中略]“あさかぜ”の登場直後に東京から博多まで、三段寝台の下段を利用すると、料金は寝台料金など込みで3420円となった。この金額は現代に換算してみるとおよろ7万円台後半ということになる。決してリーズナブルとは言えない。それでも、“あさかぜ”にお客は殺到した。ほかの列車とは別格と目された別格と目された列車の運転は見事成功を果たしたのである。[P42~43]とある。つまり位置づけとしてが、北斗星のようなものだったといえる。逆にいえば、現代では完全に陳腐化してしまっているわけだ。

Img_8602  ひとつ考えてみてほしいのは、上野駅と札幌駅を結ぶ寝台特急カシオペア、大阪駅と札幌駅を結ぶトワイライトエクスプレスは、何故乗車率が高いのか。たんに北海道に行く、という理由だけではないだろう。そうであれば、寝台特急日本海も、青森から函館までの延長運転を行っていただろう。トワイライトエクスプレスはともかくとして、二人用個室A寝台しか無いカシオペアは、移動のための手段としては利便性は高くない、なにより一人旅には向いていないためだ。しかし、トワイライトエクスプレス、カシオペアともに最上級の個室から予約が満席になってゆく。理由は、あさかぜ号のデビューのときのような、既存の特急との別格化が成功しているためではないだろうか。

Img_2352  九州ブルートレインは、もともとデビュー時から食堂車を連結し洋食を供していたのに加えて1985年にロビーカーが連結され、寝台の二段化、国鉄時代から個室A寝台が連結されるようになった。しかし、個室A寝台は、国鉄時代のものは非常に狭く、古く、そして設備も陳腐化していることは否めない。また、シャワー設備がなく、食堂車は営業終了し編成から省かれ、駅弁や軽食をつまむ場所として使われていたロビーカーも省かれた。他方で、開放型B寝台の寝台券よりも安価なビジネスホテルが次々と生まれ、価格競争では折り合わなくなっているというのも否めない。これでは、例えば九州ブルートレイン以外にも、日本海のような利便性の高い時間帯に運行される列車でなければ、淘汰されることは致し方ないのだが、仮にトワイライトエクスプレスの編成を用いて、九州まで高品質のサービスと共に、運行されていれば話は違ったかもしれない。東京駅を2000時に出発すれば、所要時間はカシオペアと概ね同じ、付け加えて、九州は温泉地を中心として観光名所では北海道に引けを取らず、車内施設を向上させ、食堂車やサロンカーとともに運行すれば少なくない需要はあるようにおもう。

HARUNA

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コメント (2)
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