今年の抱負はこれまで同様 「 明鏡止水 」
加えて今年は、昨年ボランティアを始めたこともあって「 堪忍柳 」とした。
「 気に入らぬ 風もあろうに 柳かな 」 仙和尚の言葉だ。
加えて今年は、昨年ボランティアを始めたこともあって「 堪忍柳 」とした。
「 気に入らぬ 風もあろうに 柳かな 」 仙和尚の言葉だ。
机上の学習から社会という現場に出た。私を無視する人もいれば、とても無愛想な人もいるがまるで気にならない。
むしろそれを学びのためのヒューマンウォッチングとして楽しんでいる。昔の私ならこうはいかない。きっと気を使い過ぎて自滅していたはず。
とにかくいろんな風が吹くだろう。心地よい風にも、不快な風にも枝をしなやかになびかせる柳のようにさらりと受け流そう。
そして私は抑えて我慢して許すのではなく、受け容れて許して待とうと思う。 次に吹く風は心地よい風かもしれないし(^^)
傾聴は、耳で聴くんじゃないんだよ 心で聴くんだよ。心で聴くんじゃないんだよ 気で聴くんだよ。…と言われる。
佐世先生の言葉をおかりして言うなら…。
むしろそれを学びのためのヒューマンウォッチングとして楽しんでいる。昔の私ならこうはいかない。きっと気を使い過ぎて自滅していたはず。
とにかくいろんな風が吹くだろう。心地よい風にも、不快な風にも枝をしなやかになびかせる柳のようにさらりと受け流そう。
そして私は抑えて我慢して許すのではなく、受け容れて許して待とうと思う。 次に吹く風は心地よい風かもしれないし(^^)
傾聴は、耳で聴くんじゃないんだよ 心で聴くんだよ。心で聴くんじゃないんだよ 気で聴くんだよ。…と言われる。
佐世先生の言葉をおかりして言うなら…。
自他の心に逆らわず、自分の耳にすなおになるには、明鏡止水、澄み切ったすなおな心になることであろう。
自分の心が、ざわざわ波立っていたのでは、全てのものがゆがんで映ってしまう。
計らわず、自分のとらわれや、滞りを捨て去り、いわゆる無心であるときに
本当に相手の心の動きが、そのありのままに受容でき、理解し得るものである。
静かな澄みわたった湖面に、月の影がぽっかり、そのまま映る様態でもあろう。
「 雁、寒潭を渡る、雁去りて雁影を認めず 」
自分の心が、ざわざわ波立っていたのでは、全てのものがゆがんで映ってしまう。
計らわず、自分のとらわれや、滞りを捨て去り、いわゆる無心であるときに
本当に相手の心の動きが、そのありのままに受容でき、理解し得るものである。
静かな澄みわたった湖面に、月の影がぽっかり、そのまま映る様態でもあろう。
「 雁、寒潭を渡る、雁去りて雁影を認めず 」
心をあとに残さず、淡々とした気持ちで、自分で決めた自分の道を歩いて行こう。
・・・そうそう、自分で決めてね~~~
?
後ろ向きに歩いてる・・・
時にはいいのさ~ 3歩進んで2歩下がるって言うじゃ~~~ん
?
後ろ向きに歩いてる・・・
時にはいいのさ~ 3歩進んで2歩下がるって言うじゃ~~~ん
はるさんのブログを読んで、吹く風を受け流す柳になるようにしなくっちゃって思いました
ありがとうございました