気紛れ貴婦人願望バーバの徒然草~カムイミンタラに憧れ、悠々自適人になりたい

ご訪問いただきありがとうございます。安政の探検家松浦武四郎足跡を訪ね、音楽と自然、いにしえのロマンを愛する旅人です。

大野町の歴史に触れて歩く(2)北海道指定史跡:開拓使三角測量一本木基点

2015-08-22 12:51:58 | 日記
大野町一本木地区の北海道指定史跡になっている「開拓使三角測量一本木基点」に向かった。
 一本木稲荷神社の裏手にあたる所にあり。
雑草が茂り、若干分かり難いが、丸型の石碑が目立った。その側に杭で囲まれた所に基石がある。

説明には
『この標は明治8年(1875)、開拓史が正確な北海道地図を作製するため、亀田郡亀田村と一本木村の間を三角測量の基線とし、その両端に設置したものの一つである。
 開拓使は明治6年、米人ワッソンと測量長に三角測量事業を開始、勇払と鵡川間に勇払基線を設定した。
翌7年から米人ディが測量を行ったが、ディは勇払基線を検証するため荒井郁之助と函館付近を調査し、同年8月亀田村と一本木間を助基線と定め、基点に標石を建てた。・・・(中略)・・・北海道の三角測量事業は我が国における本格的な三角測量の先駆となしたもので、この標石は日本の測量史上きわめて重要な意義を持つ。
標石の下には函館測量所の創始者・福士成豊の名が刻まれてた基石が埋められている』
北海道指定 平成16年9月22日
大野郷土資料館のある北斗市分庁舎に行ったら
三角測量の櫓の模型があり、櫓の下部に重りが下がっており、当時、その基に標石が設置されていたことを学芸員さんが説明してくれました。


櫓の重りの下の標石


測量記念石碑の近くに「豊穣の礎」という立派な石碑がありました。

それは大野町の三大用水の一つ、一本木用水を水脈とするこの地区、慶應元年(1865)二千五百二十間甘利の引水を先人が計画し、着工したのが土地改良事業の始まり・・・ということ。今日ある水田地帯への水が確保されたという重要な事業だったと・・・今日美味しいお米をいただけるのは、こういう先人の御苦労のお蔭・・・感謝ですね。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿