気紛れ貴婦人願望バーバの徒然草~カムイミンタラに憧れ、悠々自適人になりたい

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箱館戦争ゆかりの地:神山稲荷神社(権現台場)を訪ねる

2015-08-09 21:24:58 | 日記
陣川に温泉があったころにはよく神山を通って行ったが、温泉閉館になってからはその方面には行くことがなかった。私の家族が東照宮について調べてあったので、しばらくぶりにその方面へと向かった。
目印は、神山小学校・・・住宅街にあるやや小高い林の中に「旧東照宮」があった。現在は「神山稲荷神社」である。
山道の広場に「旧東照宮と権現台場」の説明版が建っている。
『東照宮は、元冶元年(1864年)五稜郭が完成した時、その鬼門(東北の守護神とするため、日光東照宮から分祀された日高様似の等澍院から東照大権現を分霊して、上山村(現市内神山町)に建てたのが始まりである。(以後上山村は神山村と改められた。)
 明治元年(1868年)五稜郭を占拠した旧幕府脱走軍は、翌2年五稜郭北面守備のため四稜郭を急造、更に五稜郭との重要な結節点にあたる東照宮に砲台権現台場といわれている。)を設けた。
 しかし、同年、この砲台は新政府軍の攻撃を受け東照宮も社殿を焼失した。
 東照宮はその五、箱館の天佑庵(現在の青柳町天佑寺)などを転々としたが、明治12年(1879年)宝来町に移り、平成3年(1991年)に陣川町に移転して「北海道東照宮」と改称した。
 ここの鳥居は五稜郭や辨天台場の石垣造りを担当した石工の柵で、箱館戦争の砲火にも壊されず、この地に残った。』と説明されています。

旧東照宮と権現台場(現神山稲荷神社)参道風景

現存する鳥居(右石柱には「元冶二年」・・・と刻まれている。箱館戦争の砲火にも耐えた鳥居。

神山稲荷神社社殿と狛犬
左の狛犬は右前足で小さい狛犬を抱えている・・・右側の狛犬は蹴鞠のような球状を抑えているようにみえる

本殿から鳥居への道

山道入り口の「開基産百年石碑」

ここには『貞享元年(一六八四年)この神山の地に七戸の佐田郎が鍬を入れて以来開拓に精進された多くの先達の労苦に感謝し神山の永久の繁栄を願いここに記念の碑を建立する・・・昭和六十年五月』と台座に刻まれている。
 次に「北海道東照宮」を訪問するので神山から陣川へ進む。
因みに分霊先の日高様似町にある蝦夷三官寺の一つである等澍院(2012年訪問時撮影)


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