「これはなに?いっぱい居(お)んねんけど。」
「ああ。これはヒラタチャタテっていうムシです。ヒトを咬んだり刺したりしません。よくいる普通のムシですよ。」
「こんなんが出てくるということは、この家がもうアカンちゅーこと?」
「そんなことありません。どんな家でも多かれ少なかれ居てますって。」
「ホンマに?どうちゅうことないムシなん?良かったわー。」
害虫駆除の業界に入って、何回この会話を繰り返しただろう。大抵の人が、ワケ解らん小さいムシに名前があることに軽い驚きを覚えるようだ。そして、漠然とした不安な対象に名前がつけられることで、すこし落ち着くようにみえる。
日頃ムシの標本をたくさん作って名前を調べることで、現場で害虫以外のムシであっても、名を尋ねられたら、ある程度答えられるように心がけてはいるけれど、金儲け的には重要なスキルではない。
でも、得体の知れないものにも生物名があるということを伝えるだけで、相手が少し安心するときは、こちらもなんだか嬉しい。
そして、近頃はよく考えるのだけど、害虫の研究というのは、ムシの生物学だけでなく、ヒトの不安な「心」も深く探求するべきなのではということ。
以前は、ムシが嫌いなヒトの過剰な反応に、苦笑したり、関わらないでおこうと無視したりしていたが、近頃は「ワケ解らん」ところに重要な問題が隠れているような気がしてならない。
害虫の専門家や殺虫剤メーカーは、ヒトの不安を煽るのには努力を惜しまないが、ムシのノイローゼになったヒトは「専門外」なので当然相手にしない。「害虫」は、実はリアルなムシの部分だけではなく、ヒトの心が作り出した実態のないものが、害虫の専門家が想像する以上に大きな割合を占めているような気がする。
害虫駆除産業がバーチャルな害虫を量産して、儲けているのかもしれないってことも時々は考えてみようかと思う。