ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

静岡県伊豆市、修善寺「源範頼墓所」です!!

2022-02-23 06:24:09 | 遺跡・史跡
 修禅寺の西約500mの所に、「源頼朝」の弟「源範頼」の墓所があります

 範頼は、現在の日枝神社の参道にあったといわれる「信功院」に、建久4年(1193年)頼朝の誤解から幽閉され、

 翌年梶原景時率いる500騎の不意打ちにあって、防戦の後に自害に追い込まれたと言われております。

 
修禅寺山門前の観光ガイドの案内図です、「修繕寺」の左の「独鈷の湯」のすぐ左に「範頼の墓」の文字が有ります


桂谷川沿いの道路から一段上の修禅寺の西側の道路脇に案内板が有ります、480mだそうです

西に向かってきた道路をここで曲がります、あと130mとあります

墓地はこの上です、あと70mですね


墓所です

手水です

大きな五輪塔です


桂谷八十八ヶ所第八十一番 本尊千手観世音菩薩の石碑です

説明版です
  源範頼の墓
 範頼は鎌倉初期の武将。源義朝の第六子で蒲冠者と呼ばれた。
 
 治承4年(1180年)に兄頼朝と義仲が対立した時、弟義経と共に義家を倒し、次いで一ノ谷で平家を破り、功によって三河守に任じられた。
 その後頼朝と義経の仲が険悪化し、頼朝が範頼に義経討伐を命じたが断ったため、頼朝から疑われるようになった。
 建久4年(1193年)の曽我兄弟仇討の際、頼朝討死の誤報が伝えられ、悲しむ政子を「範頼あるかぎりご安心を」と慰めたため、幕府横領の疑いを招いた。
 範頼は百方陳弁に務めたが、ついに修禅寺に幽閉され、さらに梶原景時に攻められ、日枝神社下の信功院で自害したと伝えられている。
   伊豆市

案内図です

上側の道路から修善寺の温泉街を見下ろしました

では、駐車場に戻って次へ行きましょう

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