ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

高知県高知市、春野町秋山「四国八十八ヶ所第34番・種間寺(たねまじ)」です!!

2024-08-11 18:32:33 | 四国八十八霊場
 春野町秋山地区は、高知市役所の南西約11km、高知市役所瀬戸窓口センターの西南西約7kmのところ

 高知市役所瀬戸窓口センター南側の道路を西へ直ぐの信号を左(南)へ、県道34号線です

 北向きに駐車場入り口です、西側の広い駐車場に入りました

 参道入口です

 種間寺寺号標です

 鐘楼です

 石仏が並びます

 地蔵堂です

 弘法大師様です

 宝篋印塔とお地蔵様です

 地蔵堂前の参道脇にも石仏が並びます

 境内東端の石仏です

 銅燈籠です

 綺麗に剪定されたマツです

 観音堂です

 手水舎です

 本堂へ行きましょう

 本堂です

 日本遺産プレートです
     日本遺産「四国遍路」
     四国霊場第34番札所 種間寺 
 弘法大師空海ゆかりの霊場を巡る四国遍路は、四国を全周する全長1400kmにも及ぶ壮大な回遊型巡礼路であり、約1200年を越えて発展継承され、今なお人々ににより継続的に行われている。
 地域住民の温かい「お接待」を受けながら、国籍や宗教・宗派を超えて行われる四国遍路は世界でも類を見ない巡礼文化であり、2015年に日本の文化・伝統を語るストーリーの一つとして、日本遺産に認定された。


 石鎚権現です

 大師堂です

 納経所に寄って次へ行きましょう



2024・6・13・15・00
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高知県高知市、長浜「四国八十八ヶ所第33番・雪蹊寺(せっけいじ)」です!!

2024-08-11 13:35:10 | 四国八十八霊場
 長浜地区は、高知市役所の南約8km、高知市役所瀬戸窓口センターのの南約1.5kmところ

 高知市役所瀬戸窓口センター南側の道路を西へ直ぐの信号を左(南)へ県道34号線です

 約300mで「桂浜・県道34号」の標識に従って斜め右(南西)へ

 約1kmで「⇐33番札所雪蹊寺」の標識に従って県道から斜め左下の側道へ降ります

 丁字路信号を左へ、間も無く県道278号線左手に雪蹊寺駐車場です

 境内入口です

 四国第33番札所 雪蹊寺寺号標です

 鐘楼です

 説明版です
   高福山 雪蹊寺 (四国霊場33番札所)
 延暦年間(782~806)弘法大師が開基されました。
 もとは高福寺といいましたが、鎌倉時代に運慶と湛慶作の毘沙門天の仏像など(国重文)が安置されたところから、運慶寺と改称された経緯があります。
 戦国時代、月峰和尚を中興の祖とし臨済宗に改宗され、長宗我部元親の菩提寺となり、元親の法号にちなみ雪蹊寺と改称されました。
 慶長5年盛親の敗戦で山内一豊公の入国となり、70石を拝領しました。
 歴代の住職やその弟子に朱子学を学んだ天質と小倉三省、谷時中などを輩出し、南学の中心地ともいわれています。 
 明治2年廃仏毀釈により廃寺となりましたが、同12年山本太玄和尚を住職とし復興され、その弟子山本玄峰和尚は、昭和の傑僧といわれました。
 本尊薬師如来三立像。

手水舎です


 本堂です

 大師堂です

 観音堂です

 地蔵堂です

 稲荷社等の祠が並びます

 納経所に寄って次へ行きましょう



 2024・6・13・14・05
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高知県南国市、十市「四国八十八ヶ所第32番・禅師峰寺(ぜんじぶじ)」です!!

2024-08-10 12:56:29 | 四国八十八霊場
 十市地区は、南国市役所の南西約7kmのところ

 南国市役所北側の国道195号線を東へ、約200mからは県道45線となって更に進みます

 約400mの変形十字路を右(南)へ、まだまだ県道45号線です

 約2.9kmで「高知龍馬空港・浜改田・稲生・県道32号線⇒」の標識に従って右(西)へ

 道成りに約1.9kmで「桂浜・十市・県道14号⇒」の標識に従って右(西南西」へ

 約2.9kmで「峰寺トンネル」を潜ります

 トンネルを出て約100mで左に「禅師峰寺」の青い案内板がありますので左(南)へ入ります

 約100mで丁字路を左(東)へ、住宅地の中の道路を進みます

 約200mで、禅師峰寺の寺号標が有る交差点を左(北東)へ坂道を登って行きます

 みぎに回り込む様に約500mで禅師峰寺の駐車場に入りました

 南国市マップです、禅師峰寺は一番下の5のところです

 駐車場入り口には石仏が並んでいます

 駐車場の十一面観世音菩薩像です

 「四国32番禅師峰寺」です

 駐車場入り口脇の石段が参道です

 更に右へ曲がる様に石段を上がります

 納経所入口です、更に参道を進みます

 手水舎です


 大きな自然石が炎のようになったお不動様です

 説明版です
   禅師峰寺略縁起
 寺伝によれば平城天皇の大同2年(807)に、弘法大師が一宇を建て、海上安全祈願のため自刻の十一面観世音菩薩像を当寺の本尊として、安置せられ四国八十八ヶ所のうち第32番札所と定められた。
 当山は観音の浄土天竺補陀落山さながらの霊域にしてその山容八葉の蓮台に似たりとして八葉山と号し、大師当山に於いて求聞持の法を修せられたので求聞持院と称す。
 藩政時代藩主が浦戸港出帆の際必ずこの寺の観音に海路平安を祈ったこのことから船魂観音ともよばれている。
 金剛力士像2体は仏師定明の作(正応4年・1291)で重要文化財に指定されている。(保管庫で保存)
   南無大師遍照金剛

 山門の仁王門です

 「四国第32番霊場 八葉山 禅師峰寺」の寺号標です

 日本遺産プレートです
   日本遺産「四国遍路」
     四国霊場第32番札所 禅師峰寺 
 弘法大師空海ゆかりの霊場を巡る四国遍路は、四国を全周する全長1400kmにも及ぶ壮大な回遊型巡礼路であり、約1200年を越えて発展継承され、今なお人々ににより継続的に行われている。
 地域住民の温かい「お接待」を受けながら、国籍や宗教・宗派を超えて行われる四国遍路は世界でも類を見ない巡礼文化であり、2015年に日本の文化・伝統を語るストーリーの一つとして、日本遺産に認定された。
 第32番札所の禅師峰寺は、八葉山と号する真言宗寺院。
 本尊は十一面観音で、漁師たちの信仰を集め船魂(ふなだま)観音ともよばれる。
 近世には藩主の出帆に際し、必ず船魂観音に航海安全を祈ったという。

 更に参道石段を上ります

 本堂前の広場にも大きな石や石仏が並びます

 鐘楼です

 弘法大師様です

 本堂です

 お地蔵様です

 大師堂です

 阿弥陀堂です

 地蔵堂です

 石塔が並びます

 南側には十市海岸を見下ろします

 良い天気のおかげで西には高知港入口と桂浜を見ることが出来ました 

 納経所に寄って

 次へ行きましょう



 2024・6・13・12・25
 
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高知県高知市、五台山「四国八十八ヶ所第30番・竹林寺(ちくりんじ)」です!!

2024-08-09 12:49:58 | 四国八十八霊場
 五台山地区は、高知市役所の東南東約4kmのところ

 高知市役所前の国道32・56号重複線を東へ

 約1.6kmの「菜園場町」信号を右(南)へ入って直ぐの信号を左(南東)へ川沿いを進みます

 約1.7kmで変形十字路の信号を直進(南東)へ、青柳橋を渡ります

 青柳橋を渡り切った信号から「五台山・竹林寺」の標識に従って斜め左の坂道を登ります

 道成に約2kmで道路左に参道石段です、約400m先に広い駐車場が有ります

 駐車場から2段下に上がって来た道路に下って来ました


 参道入口です

 右手の納経所前に鐘楼です

 竹林寺もっと楽しむおまいりポイント説明版です
  ①鐘楼堂
 鐘をついてほとけさまにごあいさつしましょう。
 きれいな音を出すコツは撞木をしっかり振ること。
 音が鳴ったらきちんと撞木を止めること。
   竹林寺の梵鐘は、自由について結構です。
   心をこめて、しっかり一度つきましょう。
   *お参り前につきましょう。
    鐘をつくのは、仏さまへ
    「いまからお参りにまいります」という合図です。
    お参り後につくことは「出鐘(でがね)」といって、
    仏さまに失礼になりますので、つきません。

 弘法大師様です

 山門(仁王門)です

 竹林寺もっと楽しむおまいりポイント説明版です
  ②仁王門
   向って右の方が阿(あ)、左の方が吽(うん)、っていうくちをしているよ!
 お寺の玄関、仁王門。
 扉はなくてもお寺をしかり守るお仁王さま。
 おまいりするとき帰るとき、一礼できたらとっても良いね。
   この門より内は聖域になります。心を静めましょう。
   仁王門は明治33年の再建。仁王像は貞享3年(1686)の造顕になります。
   お仁王さまは、寺にあっては魔を寄せ付けないガードマン。
   お参りすれば、丈夫な身体と健康にご利益があります。
   毎年新旧1月16日には、中風除け(健康祈願)のため、お鏡餅を持ち寄ってお供えし、病気平癒・神体健康を祈る、という地域の習わしがあります。

 日本遺産プレートです
   日本遺産「四国遍路」
     四国霊場第31番札所 竹林寺 
 弘法大師空海ゆかりの霊場を巡る四国遍路は、四国を全周する全長1400kmにも及ぶ壮大な回遊型巡礼路であり、約1200年を越えて発展継承され、今なお人々ににより継続的に行われている。
 地域住民の温かい「お接待」を受けながら、国籍や宗教・宗派を超えて行われる四国遍路は世界でも類を見ない巡礼文化であり、2015年に日本の文化・伝統を語るストーリーの一つとして、日本遺産に認定された。
 第31番札所の竹林寺は、五台山と号する真言宗の寺院で、土佐屈指の名刹。聖武天皇が中国の五台山で文殊菩薩を拝した夢を見たことから、五台山に似た山を探させて開創、のちに弘法大師が中興したと伝える。

 広い参道石段を進みます

 石仏です

 右手に日吉神社です

 更に参道石段を上ります

 「仮聖天堂」で再建計画が進んでいます、商売繁盛の神様を祀っています

 本堂です、本尊は「智恵の文殊大菩薩(日本三文殊随一)」です

 本堂(文殊堂)は国指定重要文化財です

 子安地蔵尊です、小さなお子様の健やかな発育成長を護ってくださるお地蔵様です

 淡島明神(あわしまみょうじん)です、婦人病に霊験があります

 稲荷明神(いなりみょうじん)です、商売繁盛に霊験があります

 大師堂です

 五重塔が見えました

 では、納経所に寄って

 納経所から駐車場への平坦な通路を出ました

 次へ行きましょう



 2024・6・13・11・00

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高知県高知市、一宮しなね2丁目「四国八十八ヶ所第30番・善楽寺(ぜんらくじ)」です!!

2024-08-08 18:34:00 | 四国八十八霊場
 一宮しなね2丁目は、高知市役所の北東約6kmのところ

 高知市役所の南側の国道32・56号重複線を東へ進みます

 約1.3kmのペットショップの先の信号を左(北)へ

 約300mの自動車販売店前の信号を右(東)へ

 約100mで広い道路の信号を左(北)へ県道249号線です

 約1.1kmで「一宮・高知道路⇒」の標識に従って信号を右(東)へ

 約1kmで高知信用金庫ATM前の信号を左(北)へ、県道384号線です

 約2.5kmの土佐神社神門前の信号を左(北)へ、参道の西側道路を進むと

 参道両脇に広ろがる土佐神社の駐車場に入りました

 すぐ東側に善楽寺参道が西向きに開いています

 土佐神社には参拝客が大勢いたので先に善楽寺から回ることにしました

 境内案内図です

 観音様です

 地蔵堂です

 子安地蔵堂と梅見地蔵様です

 本堂です

 縁起です
   四国第30番 百々山(どどざん) 善楽寺 縁起
 平安時代初期、弘法大師空海上人がご巡錫の際、高鴨大明神(現土佐神社)の森厳幽遠なる霊域が深く御意に敵われ、北部一帯の渓谷が100谷あれば入定の地に定めんと谷々を検分されましたたが、99谷しかなく、当山を開創されて一谷を補い、山号(さんごう)を百々山と名付けられて四国第30番霊場とお定めになられました。
 以降、長宗我部氏や山内公の帰依深く法灯を維持してきたと伝えられております。
 明治の廃仏毀釈で当山は廃寺となりましたが、公許を経て洞ヶ島の安楽寺が第30番を代行して万灯をつなぎ、その間に一宮村民の尽力を支えにして当山は昭和5年に復興、平成6年には安楽寺は30番奥の院、善楽寺のみが30番となり、昔と変わらずお遍路さんを迎えています。

 お不動様です

 大師堂です

 納経を済まして

 次は、土佐神社へお参りしましょう


 2024・6・13・9・45
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高知県南国市、国分「四国八十八ヶ所第29番・国分寺(こくぶんじ)」です!!

2024-08-08 06:30:15 | 四国八十八霊場
 国分地区は、南国市役所の北約3kmのところ

 南国市役所の北側の国道195号線を東へ、約200mの「⇐徳島・国道195号線」の標識に従って左(北)へ

 道成に約800mで国道は右へそれるところで直進してJR土讃線の踏切を越えます、県道45号線に変わります
 
 約2.1kmで国分川の国分橋を越えて直ぐに「⇐29番札所国分寺0.4km」の標識を左(西)へ入ります

 山門の仁王門前に第一駐車所や山門先に第三駐車場が有りますが、乗用車は第二駐車場への案内がありましたので

 境内東側の第二駐車場へ入りました

 参拝順路案内図です

 境内東側の塀沿いを南へ進みます 

 境内は史跡国分寺址です・・・
   史跡国分寺址
 土佐国分寺の創建は奈良時代で、境内に寺域を画する土塁やお堂の基壇が遺存し、大正11年に寺域全体が国の史跡に指定された。
 寺の東及び北に残る高さ1.5m~2m、幅3m~4mの土塁の盛土は、近年の発掘調査から段状地形と遺構が検出され、創建時の境内が方500尺(約150m)であった事が判明した。

 「四国のみち」案内図です

 山門(仁王門)です

 四国第29番札所国分寺寺号標です

 日本遺産プレートです
日本遺産「四国遍路」
     四国霊場第29番札所 国分寺 
 弘法大師空海ゆかりの霊場を巡る四国遍路は、四国を全周する全長1400kmにも及ぶ壮大な回遊型巡礼路であり、約1200年を越えて発展継承され、今なお人々ににより継続的に行われている。
 地域住民の温かい「お接待」を受けながら、国籍や宗教・宗派を超えて行われる四国遍路は世界でも類を見ない巡礼文化であり、2015年に日本の文化・伝統を語るストーリーの一つとして、日本遺産に認定された。

 参道を進みます

 また史跡説明版です
   史跡 土佐国分寺
     大正11年10月12日国指定史跡
 土佐国分寺跡は、天平13年(741)聖武天皇の勅願を契機として諸国に造立された国分僧寺のひとつである。
 伽藍配置を示す具体的な遺構は現存しないが寺域を画する土塁が遺存し、古瓦等の散布や塔心礎が残ることなどから、大正11年に寺域一帯が史跡に指定された。
 創建期の内容等については詳細は判明してはいないが、現書院の内庭園に置かれた塔心礎や伝世品の梵鐘(平安時代前期作重文)など盛期に寺院活動を示す物証が残されている。
 最近の発掘調査等により、創建期の遺構とみられる3間×6間の礎石建物跡、僧房と考えられる掘立柱建物群、南限を画する築地、溝跡などが検出され、寺院の様相が次第に明らかにされつつある。
     南国市教育委員会

 鐘楼です

 説明版です
   土佐国分寺
 天平13年聖武天皇の勅願により僧行基が創建した官寺で、当時は方6町の寺域を有した七堂伽藍が完備されていた。
 その後弘法大師の中興により四国第29番札所となる。
 鎌倉時代から戦国時代にかけ幾度もの戦禍や災害を受けて荒廃したが、室町末期に長曽我部氏の庇護を承け復興。
 特に元親が永禄元年金堂を再建し現在に至る。
 山内藩制時代にも寺領を与えられ建物の造営修復は藩の援護を得て行われていた。
 金堂(本堂)と木造薬師如来像2体並びに梵鐘は国の重要文化財。
 また創建当時の土塁が残る寺域は国の史跡に指定されている。

 手水舎です

 参道右手奥に「開山堂」本尊は行基菩薩です

 金堂(本堂)です

 説明版です
   金堂(重要文化財)
 金堂は七堂伽藍の中心となる建物で、本尊を安置するお堂。
 現在の建物は永禄元年(1558年)に、長宗我部国親・元親親子により創建時の金堂跡に再建されたもので、杮葺(こけらぶき)と天平時代の建物に模した寄棟造りに特徴がある。
 又、内部の海老虹梁は土佐最古といわれ吹寄垂木等に室町時代の特色がうかがわれる。
 明治37年に国の特別保護建造物に指定され現在にいたる。

 大師堂です

 案内板です
   大師堂
 創建寛永11年(1634)。文化2年(1805)3月、藩主山内豊策公(土佐藩10代藩主)再建。桁行3間梁間3間、本尊弘法大師。

 酒断地蔵尊です

 納経所(お寺カフェ)へ行きましょう

 納経終了しました

 ㉙国分寺から次の善楽寺や前の大日寺への案内図です

 次は善楽寺ですね、それでは行ってみましょう




 2024・6・13・9・20
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高知県香南市、野市町母代寺「四国八十八ヶ所第28番・大日寺(だいにちじ)」です!!

2024-08-04 13:28:17 | 四国八十八霊場
 野市町母代寺地区は、香南市役所の北約1.5kmのところ

 香南市役所東側の県道22号線を北へすぐ北西側へカーブして更に北へ向かいます

 約1.5kmで右手に「大日寺バス専用駐車場」があります、普通車などは約100m先から山門前へ入れます

 横断歩道の所に「28番大日寺⇒」の案内板が有りますので、鋭角に右へ入って急な坂道を登って行きます

 山門前を過ぎて駐車場に入りました

 参道石段です

 史跡 大日寺石碑です

 説明版です
   香南市指定文化財
    史跡 大日寺
 四国霊場第28番札所、京都智積院の末寺。真言宗。聖武天皇の勅願を奉じ、行基が開山して空海が中興したと伝えられている。
 かつては寺領八百石の大寺であったが、明治初頭の神仏分離により同4年廃寺となり、同17年に再興された。
 本尊木造大日如来坐像と脇仏木造聖観音菩薩立像は、国の重要文化財に指定されている。
     昭和42年7月28日 指定
       香南市教育委員会
 *香南市は、平成18年(2006)3月1日に、香美郡の赤岡町、香我美町、野市町、夜須町、吉川村が対等合併して誕生したました。
 市名の由来は市域が旧香美郡南部を占めていることによります。

 更に石段を上ります

 石仏です

 鐘楼を見上げました

 手水舎です

 本堂です

 六角堂(地蔵堂)です

 大師堂です

 奥の院に行ってみましょう

 建物が見えて来ました

 奥の院前に弘法大師様です

 奥の院です

 説明版です
   大日寺奥の院爪彫り薬師
 当院奉安の霊木は弘法大師が楠の大木に薬師如来を刻まれたことから、爪彫り薬師として名高く、首から上の病気に霊験があると言われており、御利益を頂くと自然に穴のあいた石を奉納することが習いとなっている。
 奥の院の横に流れ出る霊水は大師のご加持水として古くから尊ばれ渇水時にも枯れたことがない。
 また、平成2年には高知県の名水に選定されている。

 では、納経所に寄って次へ行きましょう



 2024・6・12・14・00
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高知県安田町、唐浜「四国八十八ヶ所第27番・神峯寺(こうのみねじ)」です!!

2024-08-03 12:34:20 | 四国八十八霊場
 唐浜地区は、安田町の南西部を占める広い地区です

 安田町役場の北北西約4kmの山の中に「四国八十八ヶ所第27番・神峯寺」があります

 安田町役場を東へ出て県道12号線を南へ、約200mで国道55号線の信号を右(西)へ

 約1.9kmの「唐浜駅、600m⇒」の標識に従って交差点を右(北)へ

 唐浜駅前を過ぎると坂道を登っていきます約2.4kmで「⇐神峯寺」の案内板を左(北)

 約1.6kmで駐車場に入りました

 駐車場から急な坂道をさらに上ります

 坂道途中の石碑です

 石段が現われました

 仁王門です

 四国第27番霊場神峯寺寺号標です

 右は神峯神社への道です、左側へ下りぎみに参道を進みます

 建物が見えて来ます、ここまでは配送車が入っていました

 トイレの脇に烏芻沙摩明王です

 真言宗豊山派 竹林山神峯寺です

 鐘楼です

 納経所の向かい側・水子地蔵の前に手水です

 石段を上がります

 中段の石仏です

 更に上がります

 右へ上って行くと大師堂ですのでまず左へ更に上ります

 弘法大師様です

 経堂です

 石仏が集められています地蔵堂でしょうか

 本堂です

 正面です

 華麗なお不動様です

 本堂前から大師堂への石段脇には六地蔵様です

 空海の一生(誕生から入定)が表示されています

 弘法大師様です

 日本遺産のプレートです
 四国霊場第27番札所 神峯寺 
 弘法大師空海ゆかりの霊場を巡る四国遍路は、四国を全周する全長1400kmにも及ぶ壮大な回遊型巡礼路であり、約1200年を越えて発展継承され、今なお人々ににより継続的に行われている。
 地域住民の温かい「お接待」を受けながら、国籍や宗教・宗派を超えて行われる四国遍路は世界でも類を見ない巡礼文化であり、2015年に日本の文化・伝統を語るストーリーの一つとして、日本遺産に認定された。 
 第27番札所の神峯寺は、竹林山地蔵院と号する真言宗寺院で、本尊は十一面観音。
 厳しい坂道を登る神峯山頂近くに建ち、土佐の関所とも呼ばれる。
 近世までは神仏習合の霊場として栄えた。 

 大師堂です

 では、納経所に寄って次へ行きましょう



 2024・6・12・11・30
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高知県室戸市、元乙「四国八十八ヶ所第26番・ 金剛頂寺(こんごうちょうじ)」です!!

2024-08-02 18:31:54 | 四国八十八霊場
 元乙地区は、室戸市役所の北西約3kmのところ

 室戸市役所北西側の「浮津」信号を西へ、国小津55号線を進みます

 約2.6kmの「元大橋」を渡った信号を右(北東)へ入ります

 すぐ先に「⇐26番札所金剛頂寺2km」の標識に従って、横断歩道のある交差点を左(北)へ

 道成りに約2.3km坂道を登って行くと金剛頂寺の駐車場に入りました

 案内図です

 駐車場脇の案内板です

 ここから参道石段を上がります

 四国霊場26番金剛頂寺です

 参道石段を上って行くと山門です

 説明版です
   金剛頂寺(26番札所西寺)
 金剛頂寺(26番札所通称西寺)は弘法大師が大同2年(807)平城天皇の勅命を受け建立された、嵯峨天皇により国家鎮護の勅願道場とされた古刹である。
 大師が一刀三礼し彫ったといわれる薬師如来像は、自ら動きだし本堂に鎮座したといわれる。
 大師堂の横には大師が一粒の米を入れて炊くと、万倍に増えたと言う一粒万倍の釜、霊宝殿には、大師の金銅旅檀具ほか、仏像美術品の文化財が多く納められている。
 また、泉井守一氏寄進の鯨供養釣鐘のほか8000頭鯨供養碑が建ち、捕鯨具などが展示されている。その他、貴重な土佐捕鯨資料も残されている。
 また、県指定天然記念物「ヤッコソウ」の自生地でもある。ヤッコソウは椎の古木の根に寄生する植物で、奴に似ているのでこの名が付けられた。
 真言道場であったため、明治初年まで女人禁制であった。
     室戸市教育委員会

 日本遺産プレートです
日本遺産「四国遍路」
     四国霊場第26番札所 金剛頂寺 
 弘法大師空海ゆかりの霊場を巡る四国遍路は、四国を全周する全長1400kmにも及ぶ壮大な回遊型巡礼路であり、約1200年を越えて発展継承され、今なお人々ににより継続的に行われている。
 地域住民の温かい「お接待」を受けながら、国籍や宗教・宗派を超えて行われる四国遍路は世界でも類を見ない巡礼文化であり、2015年に日本の文化・伝統を語るストーリーの一つとして、日本遺産に認定された。
 第26番札所の金剛頂寺は、光明院(こうみょういん)龍頭山(りゅうずざん)と号する真言宗寺院で、密教道場として空海により創建されたと伝える。室戸三山の一つとして、通称、土佐の西寺と呼ばれる。

 更に参道を進みます

 捕鯨八千頭供養塔です

 弘法大師様で

 本堂です

 鐘楼です

 もう一基の捕鯨八千頭供養塔です

 稚児大師尊像です

 境内はヤッコソウの自生地です

 説明版です
   高知県文化財指定・天然記念物
 金剛頂寺のヤッコソウ自生地
   ヤッコソウ(ヤッコソウ科)Mitrastemma yamamotoi Makino
 ヤッコソウは、高知県出身の植物学者・故牧野富太郎博士が新科を立て、新属、新種として発表した。
 幡田郡加久見で最初にこの植物を発見した高知師範学校の山本一を記念して学名をつけ、和名はその姿が奴に似ることから奴草と名付けられた。
 シイノキ等に寄生する寄生植物で、葉緑素を持たない。
 高知県では、西部の土佐清水および大月町と東部の室戸に分布しており、東では奈半利町および室戸の東寺と西寺などに多く自生している。
 日本以外では、台湾、中国南部、マレーシア、タイなどに分布する。

 智光上人廟です

 スダジイの大木です

 琉璃光殿です

 霊宝殿です

 石仏です

 スダジイの古木です

 東側から


 東側にスダジイの大木です

 西側から

 北西側から

 説明版にあった「一粒万倍の釜」です

 がん封じの棒です

 大師堂です

 では、納経所に寄って次へ行きましょう



 2024・6・12・9・20
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高知県室戸市、室津「四国八十八ヶ所第25番・津照寺(しんしょうじ)」です!!

2024-08-02 12:44:37 | 四国八十八霊場
 津照寺は、室戸市役所の南西約500mのところ

 室戸市役役所北西側の「室戸市浮津」信号から国道55号線を南へ

 約650mの「室戸市室津」信号を右へ入って室津港の北岸を北西へ進みます

 約350mで右手に津照寺の参道が南向きで出ています

 駐車場案内がありますので
 
 約200m直進して、丁字路を左(南西)へ室津漁協の駐車場に車を止めさせて頂きました

 歩いて戻って来ました

 四国霊場第25番津照寺です

 説明版です
   津照寺(25番札所 津寺)
 大同2年(807)空海が海の安全と大漁を祈願して開創したと言う古刹で、石段を登りつめたところに本堂、内外陣には八十八ケ所「お砂踏み」周囲には万体地蔵仏が祀られている。
 本尊楫取地蔵菩薩については「今昔物語」第17巻第6に津寺の火災の霊験談が書かれており、南路誌には慶長7年難波しかかった藩主山内一豊公の船を救ったという話もある。
 今も海難除けの楫取り地蔵として厚い信仰を集めている。
     室戸市教育委員会

 山門です

 日本遺産プレートです
日本遺産「四国遍路」
     四国霊場第25番札所 津照寺 
 弘法大師空海ゆかりの霊場を巡る四国遍路は、四国を全周する全長1400kmにも及ぶ壮大な回遊型巡礼路であり、約1200年を越えて発展継承され、今なお人々ににより継続的に行われている。
 地域住民の温かい「お接待」を受けながら、国籍や宗教・宗派を超えて行われる四国遍路は世界でも類を見ない巡礼文化であり、2015年に日本の文化・伝統を語るストーリーの一つとして、日本遺産に認定された。
 山門を入ると右手に大師堂がありますが、まずは本堂へ

 手水です

 急な石段を上ります

 右手に稲荷神社です

 楼門です

 楼門下から山門を見ました

 石段曲り角に石仏が並びます

 これを上ると

 本堂です

 一度石段を下まで下ります

 石段を戻って境内東側に大師堂です

 大師堂前の石仏です

 では、納経所に寄って

 駐車場へ戻るのに港を見て行きます、室津港の奥の方には小型船です

 漁協側には大型の船が停泊していました
 
 では、次へ行きましょう



 2024・6・12・8・20
 
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高知県室戸市、室戸岬町「四国八十八ヶ所第24番・ 最御崎寺(ほつみさきじ)」です!!

2024-08-01 06:37:11 | 四国八十八霊場
 室戸岬町は、室戸市の南側一帯の広い地区です

 最御崎寺は、室戸市役所の南南東約5kmのところ

 室戸市役所前の道路を西へ直ぐで国道55号線を南へ進みます

 道成に約5kmの「⇐24番札所・最御崎寺」の標識に従って信号を左へ、県道203号線で坂道を登って行きます

 約1.4kmヘアピンカーブ3ヶ所を過ぎて、最御崎寺の参道入口前の駐車場です

 境内案内図です

 説明版です
   最御崎寺(24番札所 東寺)
 四国霊場24番札所で、平城天皇の大同2年(807)弘法大師空海の開基である。
 本尊は虚空蔵菩薩で空海一刀三礼の作と伝えられ、嵯峨天皇以来の勅願所で、多くの寺領荘園を所有していた。
 国指定の重要文化財として、薬師如来坐像、月光菩薩立像で如意輪観音半跏像及び、日和佐八幡宮玄勝の寄進による三足丸盆一対を所蔵しているが、中でも如意輪観音半跏像は大理石で作られ有名である。
 その他、天延3年(975)の大般若経10巻、慶長18年(1613)の鰐口等がある。
 また、珍しい石像の仁王像は、正保4年(1647)2代藩主、忠義寄進ののものである。
 真言道場であったので、明治初年までは女人禁制であった。
 なお、足利時代には土佐の安国寺として、足利家の土佐の祈願所であった。
        室戸市教育委員会

 四国第24番霊場最御崎寺寺号標です

 空海(弘法大師)様です

 参道を南へ進みます

 建物が見えて来ます

 左手にの仁王門が見えました

 直角に左へ曲がると、東向きの山門(仁王門)前です

 また弘法大師様です

 日本遺産プレートです
日本遺産「四国遍路」
     四国霊場第24番札所 最御崎寺 
 弘法大師空海ゆかりの霊場を巡る四国遍路は、四国を全周する全長1400kmにも及ぶ壮大な回遊型巡礼路であり、約1200年を越えて発展継承され、今なお人々ににより継続的に行われている。
 地域住民の温かい「お接待」を受けながら、国籍や宗教・宗派を超えて行われる四国遍路は世界でも類を見ない巡礼文化であり、2015年に日本の文化・伝統を語るストーリーの一つとして、日本遺産に認定された。
 第24番札所の最御崎寺は、室戸山と号する真言宗寺院で、第26番札所金剛頂寺を西寺というのに対し東寺とよばれる。
 若き日の弘法大師が当地で修行し、唐から帰国後に創建したと伝える。

 石仏と五輪塔(供養塔)です、説明版には・・・
   岩見重太郎・薄田隼人の塚
     生没年・・~慶長20年5月6日
 豊臣秀吉に馬廻衆として仕えたと伝わる。秀頼には3000石で仕えていた。
 剣の道を極める為、諸国を武者修行の旅に出たが、天橋立での仇討ちの助っ人をした話や、信州松本の吉田村で狒々退治をした話などが著名である。
 大阪冬の陣といわれる慶長19年11月には、大いに戦って有名をとどろかし、更に翌元和元年5月の夏の陣では、ついに惜しくも戦死したと伝えられる。

 境内案内図です
 
 境内に入ると土俵ですね

 十一面観世音菩薩です

 鐘楼堂です

 多宝塔です

 手水舎です

 本堂ですが、そろそろ参拝時間が終了間近だったので、線香をあげる事が出来ませんでした(職員の方にお願いされました)

 説明版です
   四国霊場第二十四番札所
     室戸山明星院 最御崎寺(むろとやま みょうじょういん ほつみさきじ)
 宗旨
 宗派 真言宗豊山派
 本尊 真言宗の本尊は普門総徳の大日如来です。
    このお寺の本尊はその別徳の虚空蔵菩薩です。
 祖師 宗祖  弘法大師(西紀 774年ー 835年)
    中興祖 興教大師(西紀1095年ー1143年)
    派租  専誉僧正(西紀1530年ー1604年)
 伝承 
 今から千有余年の昔、弘法大師が唐に渡り、諸仏の本祖である大日如来から嫡々相承した秘法を恵果和尚から伝承して、日本へ帰り真言宗として開宗されました。
 それから300年後一宗の紀鋼が漸く弛んだ時に興教大師が宗風が興隆されました。
 このお二人を両祖大師とあがめ、更に500年後に専誉僧正が大和の長谷寺を中心にこの教を弘めましたので両祖大師と共に三祖と申し上げております。
 教義
 1・即身成仏(この身このままで仏になること)
 2・密厳国土(この世の中を浄土にすること)
 仏のような心で仏のように行い、仏のように語れば、私達の日々の生活は自ら浄らかになりこの身このまま仏(覚者)になります。
 この世の中は浄土となります。この事が即身成仏であり、蜜厳国土であり、わが真言宗の教義であります。
 総本山 大和の長谷寺(奈良県桜井市・西国三十三所第8番)
 お経  般若理趣経・般若心経・光明真言・観音経等をよみます。真言蛇羅尼は大切なお経です。
 縁起
 最御崎寺は大同2年(807)唐から帰った弘法大師が再びこの地を訪れて、お寺を建立し、虚空蔵菩薩を刻んで本尊として安置したのがはじまりという。

 本堂西側にも鐘楼です

 参道を戻って「鐘石」です

 大師堂です

 一畑薬師です
 
 では、納経所に寄って次へ行きましょう




 2024・6・11・16・50
 
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徳島県美波町、奥河内寺前「四国八十八ヶ所第23番・薬王寺」です!!

2024-07-29 12:33:06 | 四国八十八霊場
 奥河内寺前地区は、美波町役場の西南西約1kmのところ

 美波町役場が国道55号線から東に離れた所にありますので、国道55号線を徳島市や阿南市側から南下してくると

 美波町市街地に入ってすぐ、国道55号線の信号西側に参道の仁王門が建っています

 すぐ南側の「薬王寺温泉 湯元 醫王の湯」の駐車場が参拝者用の駐車場となっています

 日和佐散策絵地図です、現在地は左端です、町役場が中央上側にあり、そして前回の大浜海岸や八幡神社は右端に載っています
 「薬王寺温泉 湯元 醫王の湯」で一汗流してから薬王寺にお参りしたいところでしたが、6月11日は「火曜日・定休」でした

 信号から参道入口仁王門です

 境内案内図ですが、薄れてしまっています

 手水です

 仁王門です

 説明版です
   弘法大師厄除御祈願所
 当薬王寺は、神亀3年(726)、行基菩薩が聖武天皇の勅願を受け、この地に巡錫し、一寺を建立された。
 弘仁6年(815)、弘法大師が42歳のとき、平城天皇の勅命によって本尊厄除薬師如来を刻んで開基なさった。
 当寺は、厄除根本御祈願所として、全国にその名を知られている。
 また、高野山真言宗の別格本山とされ、嵯峨上皇、淳和天皇は、厄除の祈願を願われ、土御門上皇は嘉禄2年、皇居として行在せられた。
 そして後醍醐天皇は、寛元元年当山の伽藍の再建をして、仁助親王が落慶の法莚に入られたと伝えられている。
       四国第23番霊場 別格本山 薬王寺

 日本遺産プレートです
日本遺産「四国遍路」
     四国霊場第23番札所 薬王寺 
 弘法大師空海ゆかりの霊場を巡る四国遍路は、四国を全周する全長1400kmにも及ぶ壮大な回遊型巡礼路であり、約1200年を越えて発展継承され、今なお人々ににより継続的に行われている。
 地域住民の温かい「お接待」を受けながら、国籍や宗教・宗派を超えて行われる四国遍路は世界でも類を見ない巡礼文化であり、2015年に日本の文化・伝統を語るストーリーの一つとして、日本遺産に認定された。
 第23番札所の薬王寺は、医王山無量寿院と号する真言宗寺院で、阿波最後の札所。
 弘法大師厄除の寺として広く信仰を集めている。
 春の彼岸の終わりから、紀州接待講による接待が行われることでも知られる。

 急な石段を上ります、一段づつに「一円玉」が置かれています

 一円玉の由来石碑がありますので合点がいきました、文面には・・・
 「石段を厄年の男女が織るように上下しており、登る者は一段のぼるごとに一枚ずつ一円アルミ硬貨をおとしてゆく」
 司馬遼太郎著「空海の風景」より

 右手の納経所への通路脇に鐘楼です

 参道の線香立てです、杵と石臼は何に使うものなのでしょうか

 また急な石段を上ります

 正面(南東向き)に本堂です

 本堂前左手に魚籃観音の像です

 本堂左(南)に神社の祠と同じ形の鎮守堂です

 大師堂です

 地蔵堂です

 六角堂です

 本堂右手(北側)に朱色の「瑜祇塔」を見ました

 多くの石仏の並ぶ十王堂です

 境内から市街地の眺めです

 日和佐城天守が見えました

 では、境内にある「大楠」を見て行きましょう





 2024・6・11・13・15

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徳島県阿南市、新野町秋山「四国八十八ヶ所第22番・平等寺(びょうどうじ)」です!!

2024-07-26 18:57:00 | 四国八十八霊場
 新野町秋山地区は、阿南市役所の南西約13kmのところ

 *JR牟岐線桑野駅近くの、国道195号線の「阿南市桑野町」信号からの説明とさせて頂きます

 国道195号線を西へ、道成りに進みます

 約2.8kmで「⇐22番札所・平等寺3km」の標識に従って交差点を斜め左(南西)へ、県道284号線です

 約2.6km道成りに進んだ「22番札所・平等寺0.6km⇒」の標識に従って交差点を右(西)へ入ります

 約600mで右手に平等寺です

 左手に広い駐車場が有ります

 四国自然歩道の説明版です

 四国第22番霊場です

 仁王門です

 仁王門を潜った左手に鐘楼です

 参道右手に弘法大師様です

 参道左側にはお地蔵さまです

 手水舎です

 石仏が並びます

 石段手前に「弘法の霊水」です

 長い石段を上ります

 石段を上り、振り返りました

 本堂です

 本堂の南西側に護摩堂です

 石段を下って戻ると大師堂です

 納経所に寄って次へ行きましょう





 2024・6・11・10・45
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徳島県阿南市、加茂町龍山「四国八十八ヶ所第21番・太龍寺(たいりゅうじ)」です!!

2024-07-26 06:31:06 | 四国八十八霊場
 加茂町龍山地区は、阿南市役所の西南西約15kmです

 太龍寺へ行くには、南西側の「道の駅鷲の里」脇のから大龍寺ロープウェイ鷲の里駅(海抜約50m)から101人乗りのゴンドラで、太龍寺の南側の太龍寺駅(海抜約460m)まで一気に行ってしまうのが一般的ですが

 歩き遍路が利用する遍路道の山路は車では行けませんので、太龍寺の職員さんたちが使う林道を経由して行くことにしました

 *JR牟岐線桑野駅近くの、国道195号線の「阿南市桑野町」信号からの説明とさせて頂きます

 国道195号線を西へ、道成りに進みます

 約6.3kmに「大龍寺6km⇑」の標識がありますが、「歩きへんろ太龍寺7km⇒」と「加茂・県道28号線⇒」の標識に従って信号を右(北)へ


  約2.3kmで太龍寺への林道入口です

 四国自然歩道案内板です
   四国のみち(四国自然歩道)
    ◀深山幽谷のへんろみちコース▶延長10.5km
 ●太龍寺(21番札所)
 当山は、弘法大師三度の登山修行によって建立されたといわれた因縁深い寺である。
 神武天皇東征のとき、この地に通夜した折、舎心の石盤に五寸の神像が天降り霊水が湧き太龍の守護によって、常住した古事から当山の称号が生まれたと伝えられる。
 明治27年に火災にあったが、今なお境内に千古の老杉が茂り、本堂、大師堂、多宝塔、求聞持堂等の荘厳な姿を残している。


 林道を西へ約500mからは、マイクロバスも通行禁止に成っています

 更に林道を進むと、途中から登り下りで一方通行になり、つずら折りの所には切り返しをしないと抜けられない所もあります

 林道入口から約3.5kmで海抜320m附近の広い駐車場に入ります

 駐車場からは、二輪車以外は一般車進入禁止になっています、入れる二輪車も1km先の仁王門迄です

 寺まで1000mです

 参道が右にカーブしています

 この先左にカーブですが、上から降りて来る車に驚きました、寺の職員さんですね

 寺まで600mです

 寺まで400mです

 すぐ先に、四国のみちの道標です

 急な坂道の所で、下から登って来た、寺の職員さんに「車に治って行きませんか?」と声を掛けて頂きましたが「もう少しなので歩きます」とお断りさせて頂きました

 道路脇に石仏です、ここでまた下から登って来た車が急な坂道をアクセルべた踏みで上がって行きました、冬道路が凍ったら無理ですね~

 また石仏です

 道路奥に仁王門が見えて来ました

 仁王門です

 仁王門前の石仏は六地蔵様ですね

 祠です

 仁王門を潜ると、石仏の前に二輪車駐車場です

 大日如来像です

 寺まであと200mです

 境内入口です

 四国霊場第21番大龍寺です

 四国自然歩道の案内板です

 六角堂です

 護摩堂です

 納経所前を更に進みます

 説明版です
   大龍寺
 当山は、舎心山常住院大龍寺と称し、四国霊場八十八ヶ所の第21番札所で、古来より西の高野と呼ばれている。
 弘法大師24歳の時の著作として有名な”三教指帰”に「19歳の時、阿国太龍嶽に登り、虚空蔵求聞持の法を修し・・・」とあり、境内より南西方向へ600mの”南の舎心”が正に大師御修行の史跡である。
 青年時の大師の思想形成に多大な影響を及ぼした当山は、大師信仰の歴史の中で重要な位置を占めている。
     四国のみち 環境省 徳島県

 石段の上にまた仁王門です

 仁王門を潜ると手水舎です

 更に急な石段を上がります

 本堂や大師堂のある境内に上がりました

 相輪橖です

 弘法大師様です

 池の中には弁才天堂です

 本堂です

 正面です

 説明書きです   

 大師堂へ行く前に多宝塔へ行きましょう

 多宝塔です

 説明書きです

 東側から見上げました

 相輪橖まで戻って大師堂へいきましょう

 中興堂です、中には石塔が並んでいます

 大師堂です

 説明書きです

 では、参道の木々を見て行きましょう


 
 2024・6・11・9・00


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徳島県勝浦町、生名鷲ケ尾「四国八十八ヶ所第20番・鶴林寺(かくりんじ)」です!!

2024-07-23 18:30:19 | 四国八十八霊場
 生名鷲ケ尾地区は、勝浦町役場(標高約30m)の南南西約2kmのところっですが

 第20番札所の鶴林寺は標高480m程の山の上ですので距離的には約5kmの距離があります

 勝浦町役場前の県道16号徳島上那賀線を東へ進みます

 約400mで「第20番鶴林寺・6km」の標識に従って斜め右(東南東)へ

 約250mで「鶴林寺⇒」の案内板を右(南)へ

 道成りに約2.9kmの「鶴峠」で、「鶴林寺⇒2km」の案内板を右(北西)へ

 道成りに約1.6km坂道を上っていくと鶴林寺の駐車場に入ります

 駐車場まで上がって来ました

 参道の先に山門が見えて来ました

 山門の仁王門です

 「四国第20番 別格本山 鶴林寺」です

 もう一枚石碑です

 日本遺産プレートです
    日本遺産「四国遍路」
     四国霊場第20番札所 鶴林寺 
 弘法大師空海ゆかりの霊場を巡る四国遍路は、四国を全周する全長1400kmにも及ぶ壮大な回遊型巡礼路であり、約1200年を越えて発展継承され、今なお人々ににより継続的に行われている。
 地域住民の温かい「お接待」を受けながら、国籍や宗教・宗派を超えて行われる四国遍路は世界でも類を見ない巡礼文化であり、2015年に日本の文化・伝統を語るストーリーの一つとして、日本遺産に認定された。
 第20番札所の鶴林寺は、霊鷲山(りょうじゅざん)と号する真言宗寺院で、弘法大師が老杉に雌雄2羽の鶴に守られた黄金の小さな地蔵菩薩を発見し、喜んで自ら地蔵菩薩を刻み、そこに黄金の菩薩を納めて本尊としてと伝える。 

 山門を入ると六角堂です

 参道を進みます

 参道の苔がきれいです

 お地蔵様です

 参道杉並木です

 一番大きな杉です

 手水舎です

 四国自然歩道の案内板です

 遍路マップです、第12番焼山寺に次ぐ厳しい遍路道だそうです

 石段の上に本堂が見えました

 お不動様です

 本堂です


 本堂前には狛犬ならぬ「狛ツル?」です

 ここのもお地蔵様です

 本堂北側には三重塔です

 三重塔の額です

 案内板です
   鶴林寺の丁石
 南北朝時代に建立されたもので、現在11基が残っています。
 丁石には年号が刻されており、本県では最古の丁石であるとともに、昔の鶴林寺への参道を知る資料としても貴重なものです。
      昭和33年11月25日県指定
   鶴林寺三重塔
 三重塔は、江戸末期に再建されたもので、各層はその様式がことなり、和様、唐様の手法が見られます。
 塔は江戸末期における代表的建築物であり、藩政時代に建って残っている県内ただ一棟の三重塔です。
      昭和27年6月25日県指定
        四国のみち 環境省 徳島県

 石垣の上にも御堂です

 参道石段の脇を南へ入って大師堂です

 大師堂北側に附属した御堂です

 では、大師堂隣の納経所に寄って次へ行きましょう





 2024・6・10・16・00 
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