ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

赤山陣屋に行ってきました!!

2011-12-17 18:49:20 | Weblog
今日は、川口市に赤山陣屋を見に行きました

場所は、東京外環自動車道の直ぐ脇にありました

国道4号線を草加で外環の下を通る

国道298号で西に向かいます

川口東インターチェンジの手前安行西の信号先うを

側道に入って直ぐ左に案内が有りました

細い道を南にはいていくと

石碑に赤山城祉とあり、ここが本丸のようです








外環と首都高川口線の間に挟まれた一帯です

近くに、植物振興センターや農協園芸センター等も有って

城跡碑の周りは、植木の畑や、植木農家の家などがあり

静かなたたずまいの所です

今も、陣屋敷や曲輪といった地名が残っています

帰りに西側から、本丸一帯を見ました



赤山城は、関東郡代伊奈氏の居城でした。

伊奈氏は、家康の関東入国とともに鴻巣・小室領一万石を給され、熊蔵忠次以後12代に

わたって関東郡代職にあたり、関八州の幕領を管理し、貢税・水利・新田開発等にあたっ

た、三代忠治の時に、赤山領として幕府から七千石を賜り、寛永六年に小室から赤山の地

に陣屋を移した。これが赤山城で、以来十代163年間伊奈氏が居城としたものであるが

現在では、東側に堀と土塁を一部残すのみである。

城祉の南方に隣接する源長寺は、伊奈氏の菩提寺として、四代忠克以後の代々の墓があり

五代忠常建立の”しょくとく碑”には、忠次・忠政・忠治の業績が刻まれている。
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東扇島北公園から埠頭で釣り!!

2011-12-11 17:43:51 | Weblog
今日は、何時ものように

川崎の勇竿で青イソメを買って

東扇島北公園に車を止めて

西側の埠頭へ行きました。

ここは、釣りは禁止ですよ

なのに、今日も多数の釣り人が

約30人、隣の東埠頭側にも

見える範囲に約20人

ちなみに、千鳥公園側も釣り禁止ですが

約15人の釣り人がーーー

ま、そんなことは気にせずに

釣りを始めましたが

アタリは余りなしですねーーー

天気が好くて、風も無く

冬の日差しはあったかで

工場の間に富士山が真っ白に見えて(写真撮ったのに保存していませんでした)

のんびりするには最高です!!

目の前を大きな船が右に行ったり







左に行ったり、そのたびに大きな波が来ますが





この波も、埠頭ゆえでしょうか

で、結局釣れたのは

キスが2匹でした、隣の釣果もキスでした(撮影失敗今日は調子が悪いー

大物は出ていませんでしたね



23センチと18センチで

もって帰って

てんぷらにして、美味しく頂きました
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皆既月食!!

2011-12-11 00:46:32 | Weblog
皆既月食を撮ってみました

一眼レフのバルブ機能を利用して

約20秒の撮影です



なかなか上手く取れませんでした。
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続いて、与板城に行きました!!

2011-12-08 08:28:03 | Weblog
与板(よいた)城祉は、本与板城祉から南に2kmほど

与板町の南西端の所です、城山(じょうやま)と呼ばれています

上杉景勝の重臣であった樋口与六は、御館の乱後の恩賞に不満を持った者に殺害された、

直江景綱に跡継ぎがいなかったため、直江家が断絶することを惜しんだ、上杉景勝のに

従って直江家を継いだのでした。


「天地人」の主人公、直江兼続のが作った城、1581年上杉家の重臣直江影綱の娘・お

船と結婚して与板城を本拠地とし、直属の家臣121名を与板衆として、強い権限を与え

年貢、検地、水利事業、農政、産業振興など越後全土にわたる国づくりを進めました、米

沢に移ってからも、与板衆は中心となって活躍しました。


与板城は西山丘陵のほぼ中央部に位置し、中越地方を一望に収め、全山すべて自然に城郭

の型をなし、更に人工を加えた豪壮な山城で、実城(みじょう、本丸)は104mの山頂

にあり、二の郭・三の郭から兵溜りなどの主郭は一列に配され、それぞれに土塁をめぐら

せ、各郭は4mから9mの空堀によって区切られ、兵溜り側には斜面15mの大空堀があ

有ります、また、実城北側の出丸は一線の尾根にいくつか設けられ、東側一帯には各尾根

に大小様々な付属郭があります、兵溜りには烽火台の跡もあり、大壕東側に、馬場・弓場

・射撃場跡も見られます、頂上へは上り口より約15分、途中には「お船の方」にまつわ

る「お船清水」があります、城祉と自然の美しさを今に残し、会津移封にあたり植樹した

といわれる「城の一本杉」など往古を偲びながらの眺望はすばらしい、登山道も整備され

誰もが容易に登られる遊歩道散策の地であります(パンフレットより)。


町営スキー場の駐車場が与板城祉駐車場に指定されています



隣の広場に直江兼続館跡の看板が有りました



駐車場から、登城口まで少し距離がありますが歩きましょう

(回りの道路に駐車してはいけませんよ)

道路の向かい側、法立寺の隣の八坂神社の階段が登城口です

登城口のパンフレットが置いてありました

頂いて、登城します




大手口は向かって右に900mくらいいた所にあります














おせん清水は、枯れているようでした




門の跡のようですが、門が想像できませんね





上が実城(本丸)です、赤い鳥居がいっぱいあります









登城完了です、本丸には色々在ります


















ここからの眺めもいいですね



四等三角点がありました





二の郭、三の郭、千人溜りへと城は南に続いていましたが

時間が遅いので、行きませんでした

帰りは、大手口に下ります







下り切った所に石碑がありました





帰りに南麓より城山を望みました

最後に登城口で頂いてきたパンフレットです










以上3枚でした
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本与板城に行ってきました!!

2011-12-07 21:07:02 | Weblog
今回も、戦国越後の城跡で

まず、本与板(もとよいた)城へ行って見ました

関越自動車道を中ノ島見附インターチェンジで出ます

国道8号線を新潟方面へ

直ぐ左に与板・寺泊方面の標識が出てきますので

標識に従って、左・左・左と道成りに進みます

信濃川の橋を渡ると左に連なる丘陵地が

本与板城から与板城の山々です

NHK大河ドラマ「天地人」の影響や

ゲームキャラクターのブーム等で

観光地化が進んでいるようです

本与板城は、西山丘陵の先端の自然を巧みに利用した戦国時代の典型的な山城で、山頂の

実城を始め、二の郭・三の郭・帯郭・土塁を巡らし深い空壕によって区分されている郭併

列式山城です、与板城主は1334年新田義顕一族の籠沢入道が最初といわれ、南北朝時

代には中条与次郎景宗が居城とし、室町時代には越後の守護・上杉家重臣の飯沼氏などが

居城としたようです、その後、天文15年頃には上杉謙信の重将・直江景綱の居城となり

内外政に手腕を発揮し、信綱・兼続と3代にわたり使用され、天正年間に与板城に移りま

した。(パンフレットより)

よ本与板城の案内看板にしたがって

町並みを抜けたところに立派な案内版が有ります



工場の入り口のような所を登り

林道に入っていくと、駐車スペースの看板があります



登城口は直ぐそばです





縦堀でしょうか?


直ぐしたを林道が通っています







実城下の万歳郭は日清戦争関連の施設です





南郭です


大空堀で実城と二の郭が区切られています





大空堀の奥に井戸があったようです











実城の端から信濃川が足元に、

遠く守門岳が雪を被って見えます









林道まで戻り、登城口の反対側を下っていきます








切通しを抜けると、民家が立ち並んでいます



大きなお寺の本堂や鐘楼があります












お船の方の生誕の地ですが

本与板城の武士団の本拠地だったようです


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