ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

兵庫県南あわじ市、松帆櫟田「日光寺のビャクシン」です!!

2024-06-23 18:48:58 | 巨樹・大木
 松帆櫟田地区は、南あわじ市役所の北西約6kmのところ

 南あわじ市役所西側道路を北北西へ、三原川右岸沿いを進みます

 約1.7kmで三原川左岸側の道路へ移り北北西へ

 約1kmで信号を斜め右(北東)へ、県道66号線です

 約800m高速道路の下を潜った「掃宗」信号を左(西北西)へ、県道125号線です

 約1.6kmで鋭角に右(北)へ、目印はJAあわじ島松帆センターです、約100mで突き当りを左(北西)へ

 約1.1kmで倭文川を松木橋で渡って、更に約100mで斜め右(北東)へ入ると間も無く

 山門です

 法性山 上宮院 日光寺です

 山門を入った境内に車を止める事が出来ました

 境内東端に鐘楼です

 中央に大きな宝篋印塔です

 大きなソテツが境内に数株見る事が出来ます


 布袋尊です


 聖徳太子像です

 本堂です

 由来石碑です
   法性山上宮院日光寺由来
 当山は、推古天皇21(西暦613)年仲秋、時の摂政聖徳太子が初めてこの地に行幸され、慶野海浜の浪間に漂う一つの筥を獲り、これを開かれた処、如意輪観世音の尊像であり、常に御身を離さず尊信護持されていたが、たまたま奇瑞の事あり七堂伽藍をその場所に創建、用明、推古両帝の御木像並びに聖徳太子御自身の御木像を安置。
 さらに如意輪観世音の尊像を写彫して、御本地(観音堂)に崇祭。
 産宮を鎮守として御自身の御名上宮聖徳勝鬘の二字を冠し、上宮院日向寺と号して南海道仏法最初の霊場と定められた。
 然るに創立以来700年を経る中、兵乱、地震、津波、大風、洪水等の天変のため、伽藍悉く廃頽したのを元亨年中、因幡の国の一阿聖人霊夢を感じて海路を渡いでこの地に訪ね来り。
 不思議にも当国の一阿という同名の禅尼とこの場所で遭遇。互いに夢を語ってその奇瑞を喜び、忽ち再建の志を一つにして広く道俗を勧奨、浄財を集めて旧観に復したのであります。
 この時に寺名が、州号(日向の国)にに混じやすいとの事由で「日向」を「日光」に改め一阿聖人を中興とされたと古記に記されてあります。
 時恰も御醍醐天皇の御代に当たり、現存する大なる五輪塔(県文化財)の中央に元享2(西暦1322)年11月4日と誌されてあるが、一阿聖人の碑と伝承されている。
 又明応年間(1492~1501)にも再興の記録があり。以来星霜を経て、永禄6(1564)年の大地震に太子寄進の田園20町歩悉く荒野となり、後に松生えて日光寺松原と称する様になった。今尚残る中御堂屋敷跡周辺一帯がそれである。
 檪田現在地に移転の歳月は詳らかではないが、恐らく明応年間以降と推測される。その頃の勧進状に「後に峨々たる高山あり、前に冷々たる蒼海あり」と記されているところから案ずると、正しく海浜近くにあった事が立証され、数度の天変を恐れて現在の平地に移転してきたことが窺われるものであります。     「日光寺縁起」より

 本堂東側に薬師堂です

 不動堂です

 不動堂の後に目的のビャクシンの樹冠が見えます
 
 寺務所手前にビャクシンです

 夫婦柏槇樹の石碑です

 説明書きです
 この柏槇は樹齢約750年といわれており、柏槇では淡路島の中で最も古いとされている天然記念樹です。
 二本の大樹が寄り添うように重なり合い枝分かれしている様子から、古来より「縁結び」「子宝成就」「男女和合」「夫婦円満」など御利益があるとされ、夫婦柏槇樹として大切にお祀りされてきました。
 皆様にも良き「ご縁」がございますよう是非大樹に触れていただきお参り下さい。
       山主敬白

 北西側から
      
 北側から、合体木ですが目通り幹囲5.7m、樹高20mの巨木です

 北東側から見上げました

 では、次へ行きましょう


 2024・6・7・7・30
 
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兵庫県洲本市、五色町鳥飼中「鳥飼八幡宮のホルトノキ」(市指定)です!!

2024-06-23 06:31:33 | 巨樹・大木
 五色町鳥飼中地区は、洲本市役所の西15km、洲本市役所五色庁舎の南南西約5kmのところ

 洲本市役所五色庁舎東側の「都志」信号から県道31号線を南西へ「淡路サンセットライン」です

 約5.4kmの「鳥飼川」にかかる「鷹橋」の手前を左(南東)へ、鳥飼川右岸に沿って進みます

 約800mで丁字路を左(北東)へ出ると

 すぐに南向きの鳥飼八幡宮参道入口です

 「石清水 八幡宮 鳥飼別宮」の社號標です

 説明版です
   鳥飼八幡宮
 鳥飼八幡宮は、京都石清水八幡宮淡州別宮として勧請されました。
 境内には露盤の上に鳳凰を据えた国指定重要文化財である神輿や淡路最古の建築遺構で県指定文化財でもある本殿、町指定文化財にもなっている大変珍しいホルトノキの巨木があります。
 また、秋祭りの最後に直径80cm、長さ30mの大綱を浜と陸に分かれて氏子たちが引き合う「大綱引き」は豊漁、豊作を占う行事で、江戸時代の「淡路国名所図絵」にも描かれた有名な綱引きです。
    近畿自然歩道・環境庁・兵庫県

 鳥居です

 参道左手に目的のホルトノキです

 南側から、参道側の大枝は伐られてしまっています

 東側から、西側の鳥飼保育園側には大きな枝が伸びています

 ソテツの葉の影に説明版です
   町指定文化財(天然記念物)ホルトノキの巨木
     昭和62年11月20日指定
 ホルトノキ(モガシ)は、千葉県から西の暖かい地方に生える常緑高木であるが、県下では淡路島にのみ自生し、淡路島でも主として五色町、三熊山、由良とに自生しています。
 五色町では、神社、寺院や個人の屋敷内などに生き残っており、現在五カ所に確認しています。
 この木の大きいものは、通常幹回り6m、になるとされているが、本物件のように、目通り幹回りが4.1mに及ぶ巨木は極めて珍しく、天然記念物にして保護する価値がある。
 ●樹種名・ホルトノキ(モガシ)
 ●樹高・17.1m●根回り8.0m●目通り幹回り4.1m回り●枝張り・東へ10.0m・西へ7.6m、南へ7m、北へ4.5m
 ●推定樹齢600年
    昭和63年3月    五色町教育委員会

*平成18年(2006)2月11日に 津名郡五色町と洲本市が対等合併し、改めて洲本市が発足しました。


 北東側から 

 すぐ北側にはソテツの大木です

 手水舎です

 ニノ鳥居です

 石段の上には神門です

 神門を潜ると右手にはイブキです

 左手にがクスノキです

 力石です、これで150kgですね

 拝殿です

 本殿です

 由緒石碑です
   鳥飼八幡宮由緒
由緒
 平安時代の貞観元年(西暦859年)京の都、朝廷の守護神として男山に石清水八幡宮が鎮座されてより数年後、淡路島の八幡宮として淡路島鳥飼別宮が造られたといわれている。
 明治6年郷社、大正11年県社、昭和27年鳥飼八幡宮
御祭神(本宮と同じ)
 応神天皇(おうじんてんのう)
 比売大神(ひめおおかみ)
 神功皇后(じんぐうこうごう)
御神徳
 豊作・大漁・厄除開運・家内安全・海上安全・交通安全・知徳向上・勝負運などの守り神として広く崇敬されている。
例大祭
 10月第3日曜日
 勇ましい神輿や舟檀尻、布団檀尻、大太鼓の練り寄せ、大綱引きなどで賑わう。
文化財
 神輿(平安時代)国指定重要文化財
 本殿(慶長8年)県指定重要文化財

 説明版です
   県指定文化財 鳥飼八幡宮本殿
     指定年月日 昭和42年3月31日
     所有者・管理者 鳥飼八幡宮
 鳥飼八幡宮は、京都石清水八幡宮の別宮として建立された歴史を持つ。
 現本殿は棟札から慶長8年(1603)に再興されたものであることが確認されている。
 建築様式は、三間社流造りで、杮葺の屋根を現在銅版葺で覆っている。
 向拝の一部、扉、縁回り、屋根などに補修の跡が見られる。
 蟇股、手挟、笈形などの形はよく桃山時代の建築様式を示しているが、彩色が失われているのが惜しまれる。
 古建築の少ない淡路島にあっては、貴重な建築遺構である。
     平成7年2月


 本殿東側の境内社です、左が若宮神社、真ん中が織姫神社、右が天神社です

 本殿西側のイブキです

 高良神社です

 二社宮は左に天照皇大神・恵美須大神・ーーーーー、出雲大神と右に太子殿です

 左に月讀神社、右に日讀神社です

 玉垂神社です

 社務所前にはイチョウですが小さく切り詰められてしまっています

 では、次へ行きましょう


 2024・6・7・7・10
 


   
 
 
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