ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

富山県南砺市、井口「井口郷総社 神明宮の大杉3本」です!!

2024-04-30 19:04:59 | 巨樹・大木
 井口地区は、南砺市役所の東南東約4km、南砺市役所井口市民センターの直ぐ西側の地区です

 南砺市役所井口市民センターの西約1kmのところに「井口郷総社 神明宮」が東向きに鎮座します

 南砺市役所井口市民センター西側の県道284号井波井口城端線を南南東へ

 約500mで十字路(右手の小屋に防火水槽の赤丸標識あり)を右(西)へ

 約700mで一時停止の丁字路を左(南西)へ、県道21号井波城端線です

 約200mのX字路を鋭角に右(北)へ入って北西へ進みます

 約400mで道路左手に神明宮の社叢です

 前の道路脇に車を止めさせて頂きました

 参道入口鳥居です

 社號標です

 手水舎です

 境内には数本の杉の大木が見られます

 参道右手すぐに注連縄を巻かれた御神木の杉です。

 右奥の杉が境内で一番太く、目通り幹囲5.4mの巨木です

 参道左手(南側)の杉です、こちらは5mに達していないようです


 社殿です

 拝殿南側の小堂です

 説明版です
   村指定文化財 井口神明宮
     板碑(板石塔婆)とその木造小堂
   〔板碑(板石塔婆)〕
 南北朝時代に造立されてと推定される石塔の一種。
 名称は扁平な塔型による。造立推定年代が古いこと、硬質な川石をそのまま用いていること蓮華座を刻んだ装飾的であること、高さ81cmですこぶる大きいこと、などが特色であり、砺波地方では珍しい遺品である。
 刻まれている梵字(古代インド文字)は「バン」で、金剛界大日如来を意味する。ただし現在は八幡宮の脇立観音という伝承と信仰があり、現在位置より南約700mの八幡宮旧地、俗称「ハチマンドウ」にあったという。おそらく、その地にあった塚上に造立されたものであろう。
   〔木造小堂〕
 建物は桁行・梁間とも1間の小堂である。
 屋根は矩勾配の切妻屋根で、当初は板葺であったと考えられる。
 造りは、正面桁行中央に引分け板戸があり平入りの形をとる。
 他の三面は堅板張りで貫に釘打ちとなっているが、両妻壁の小屋部分は横板嵌めであり、床は板張りである。
 また、妻面の破風と合掌部には懸魚が付けられており、破風の下端部と懸魚に唐草文の彫刻が施られている。
 小堂の壁板内面に天明5年(1785)の由緒書きがあり、造建年次の明らかな木造建造物としては井口村最古のものである。
    昭和62年12月26日指定
      井口村教育委員会
      井口村文化財専門委員会

 *井口村は、平成16年(2004)11月1日、 東礪波郡福野町、井波町、城端町、平村、上平村、利賀村、井口村及び西礪波郡福光町が合併して、南砺市が発足しました。

 では、次へ行きましょう
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富山県南砺市、松島「松島大杉(市指定)と松島古城公園」です!!

2024-04-30 06:40:49 | 巨樹・大木
 松島地区は、南砺市役所の東約9km、南砺市役所井波市民センターの南東側の地区です

 地区は旧井波城の城域でしたので、地区内には観光施設が多数存在します

 南砺市役所井波市民センターの西側「京願町」信号を南へ、県道27号線です

 約600mの交差点南西側に観光用有料駐車場が有ります

 「井波八幡宮の大杉」を見て参道前まで戻ります 

 案内図です

 北東へ進むと鳥居が見えて来ます「松島八幡宮」の参道入口です

 手前右上に目的の「松島大杉」です

 石段を上がります、ここが元の大手口だそうです 

 すぐ西下側から見上げました

 南側から

 説明版です
   市指定文化財 松島大杉
     昭和41年7月1日指定
 県内で、幹が1本立ちとなるスギの中で十本の指に入る大杉である。
  幹周り  7.6m
  樹高  40.4m(「巨木・名木百選」平成13年より)
  推定樹齢 450~530年(富山県林業技術センター)
 いまから約500年前、瑞泉寺は一向一揆の拠点となり、周囲に土塁をめぐらして城の形になった。
 この大杉はその城郭の正面入口附近に位置し追手門の大杉とも呼ばれた。
 天正9年(1581)武将の佐々成政が瑞泉寺を攻め町家とともに焼失したが、この大杉は残った。
 遠くからも望める大きなスギは、瑞泉寺と井波城の威容を称えてきた歴史の生き証人でもある。
     昭和17年3月22日
 スギについて
 スギの有力語源である、「すぐ木」。
 「真っすぐな木」の通り、幹は直に上に向かって伸びる。
 枝ぶりは、はじめ円錐状にシルエットであるが、老樹になると樹冠が丸みをおびてくる。
 杉は「木の文化」と言われる日本の文化を支えてきた樹で、日本人とスギの関わりは極めて深い。日本特産である。
     南砺市教育委員会


 南東側から

 すぐ奥に鳥居が見えましたので行ってみます

 松島古城公園(井波城二ノ丸跡)です

 説明版です
   市指定文化財 井波城址(瑞泉寺旧地)
        昭和30年7月指定
 周囲を土塁が囲み、北東側に深い谷が残る戦国末期の典型的な平山城である。
 一向一揆の拠点になった瑞泉寺は、寺の周囲に土塁や外堀を築いて防御した。
 しかし、天正9年(1581)に、武将の佐々成政に攻められて町家とともに兵火にかかった。
 その後、成政の家臣前野小兵衛が入って城として整備された。
 阿弥陀堂跡が本丸となり、祖師堂跡が二ノ丸、太鼓堂跡が三ノ丸になったと記録にある。
 まもなく、天正13年には前田利家に攻められて落城した。
 城の規模は、東西250m、南北230mで城としての遺構がいまよく残っている。
 現在は本丸跡に井波八幡宮の社殿、その東側に庭園のある臼浪水、そして二ノ丸跡に招魂社の社殿がある。


 手水舎です

 神武天皇像(忠魂碑)です

 ニノ鳥居です

 神馬像です

 井波町招魂社拝殿です

 由緒石碑です
   井波町招魂社 由緒
 祭神は町とかかわり深い、戦没者の御霊四百有余柱を奉斎しています。
 創建は、町民総意で決定し、住民の浄財奉献労働奉仕で、昭和13年11月社殿が完工、鎮座祭が盛大に執り行われました。
 祭礼は、例祭 11月3日に、お盆慰霊祭 8月15日に、厳粛に斎行されています。
 護持は、戦前、町が、戦後、奉賛会が鋭意務めています。
 社殿は、総体が神明造で、主として桧材です。屋根は、檜皮葺を銅板葺に替えられました。
 祖国に殉じた御霊を、より高く広く尊崇し、御加護を願って、この碑を建立しました。

 境内のサクラも満開ですでした

 では、次へ行きましょう

 2024・4・12・6・15
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富山県南砺市、松島「井波八幡宮の大杉」です!!

2024-04-29 18:32:57 | 巨樹・大木
 松島地区は、南砺市役所の東約9km、南砺市役所井波市民センターの南東側の地区です

 地区は旧井波城の城域でしたので、地区内には観光施設が多数存在します

 南砺市役所井波市民センターの西側「京願町」信号を南へ、県道27号線です

 約600mの交差点南西側に観光用有料駐車場が有ります

 井波交通広場観光案内所前の観光案内板です

 八日町通りを南東へ向かいます

 瑞泉寺への参道です

 突き当り右手には大きな石垣に囲まれた「瑞泉寺」の山門です、かつて一向一揆の拠点だった言わば元の井波城址です

 ここは瑞泉寺の境内石垣沿いに北東側へ石畳の道路を進みます

 分かれ道です、左がこの後に行く予定の「松島の大杉」・斜め左が「松島古城公園」です

 案内図です

 斜め右の緩い石段が北西向きの井波八幡宮参道です

 鳥居です

 手水舎です

 参道右手にが目的の大杉です

 北側から、注連縄の巻かれた御神木です


 幹には「地域に残したい巨木・名木100選 八幡宮の大杉」のプレートが掛かります

 北東側から、目通り幹囲5.9mの巨木です

 東側の拝殿前参道から

 拝殿南側の南東側から見ました

 拝殿です、境内がかつての井波城本丸のようです

 
 本殿です

 本殿東側の石垣の上には蚕堂です

 説明版です
   建造物 井波の蚕堂
     平成15年11月27日
     南砺市指定文化財
 幕末に建立された蚕堂は当時の地場産業、そして井波堂塔建築の特徴をのこす貴重な建造物である。
 江戸時代の中頃に「町第一の商売」として営まれた井波町の蚕産業は、明治を迎えて全国的に販路を拡大して発展をとげていった。
 文久元年(1861)に蚕種を営む町の業者たちが、蚕神を祀り、蚕の霊を鎮めるため、現在地に一間社切妻造の総ケヤキの蚕堂を建立した。
 井波の拝領地大工の系列にある松井角平12代の恒久が棟梁となって施工した。
 当初のこけら葺屋根は後世の修理で銅板葺となった。
 向拝を唐破風として前側を広く開放するなど特色ある神社の小堂構造がみられる。また、細部にわたる精密な施工と、木組みの技法にも優れた技をみることができる。さらに脇障子の精巧な半肉彫りの彫刻にも、幕末期の井波堂塔建築、井波彫刻の見事さがのこる。
 両妻には蚕に関わる中国故事の馬の彫刻、正面向拝にクワの木彫りがあり、唐破風の飾り金具の彫金などにも、養蚕の社にふさわしい装飾がある。
 明治40年、風害による修理が行なわれ、昭和60年に覆屋が設けられた。
        平成16年4月    南砺市教育委員会 


 境内を北へ出ると直ぐ右手に綽如上人瑞泉寺創立之霊跡「臼浪水」です

 門を入ると左手に井戸です

 説明版です
   史跡 臼浪水
       昭和30年7月1日
       砺波市指定文化財
 この臼浪水は、瑞泉寺発祥の機縁となった霊泉で、本願寺5世綽如上人の勧進状に「此地に霊水あり、故に瑞泉寺と称す」とある。
 南北朝の頃、越中の真宗の拠点を求めて、この地を訪れていた綽如上人に朝廷から上洛の要請があった。その上洛の途中、乘っていた馬の蹄先から清水が湧き出した。これを寺院建立の趣意とした上人は、勧進状をしたため、人々の寄進で、この地に瑞泉寺を建立されたという。
 一向一揆の頃には、寺城一帯に土塁が築かれて要塞の地となった。天保年間には、小庵と庭園が整えられた。
 ゆかりのある臼浪水と、周辺の四季を通じての風情を尋ねて、多くの文人墨客が足跡を残した。安永の頃に訪れた伊勢の俳人三浦樗良もその一人である。
    「世に古りし すすきが中の 泉かな  樗良」
       平成10年9月    南砺市教育委員会


 井戸には水がいっぱいに湧いています

 奥側にも井戸があるようです

 綽如上人瑞泉寺創立之霊跡の霊殿です

 では、次は「松島の大杉」です

 2024・4・12・6・20
 
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富山県南砺市、井波「諏訪川原の大杉」(市指定)です!!

2024-04-29 06:30:17 | 巨樹・大木
 ここからは、2024年4月12日取材分です

 井波地区は、南砺市役所の東約9km、南砺市役所井波市民センターのある地区です

 南砺市役所井波市民センター西側の「京願町」信号を南へ、県道27号線です

 次の「中新町」信号を左(東南東)へ、坂道を上って行きます

 約600m「北川」信号の北東側に「道の駅井波 いなみ木彫の里」があります(北川信号を南側から)

 道路南側にも「大門川河川公園」の駐車場がありますので、ここに車を置いて行くことにしました
 
 北側信号から南南西へ約50mで東大谷橋が架かっています

 その橋の先右手に目的の杉が見えます

 橋の上から見ました、杉の立っている所は、かつての井波城二の丸の斜面のようです、この谷は城の空堀なのかもしれません

 北東側から

 *この大杉は、諏訪川原の大杉と呼ばれ、かつての井波城の東側約60mのところにあった。この杉の木のあたりに、井波城の守り神であった諏訪大明神をまつる祠があった。
 諏訪大明神の祠は、いつ頃に建てられたかは、はっきりしないが、この大杉は、長い間井波のうつりかわりを見守ってきた。
 (南砺市文化芸術アーカイブズより一部抜粋です)
 

 南側から、天然記念物の標柱や説明版は見当たりません、根元のササの中に隠れているのかもしれませんね

 大門川河川公園を見下ろしました、木造彫刻の点在する中にハクモクレンやサクラが咲いています

 東側から

 南東側から

 南側の道路から見ました

 では、次へ行きましょう

 2024・4・12・6・00
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富山県南砺市、高屋「高屋古宮の大杉」です!!

2024-04-28 18:36:36 | 巨樹・大木
 高屋地区は、南砺市役所の北東約9km、南砺市役所福野庁舎の東約4kmのところ

 南砺市役所福野庁舎(市民センター)に西側の県道20号線を北へ進みます

 約1.0kmの「松原(西)」信号を右(東南東)へ、国道471号線です

 約700mで斜め左(東)へ、約900mで右からの「南砺スーパー農道」に合流して東へ

 約1.1kmで今度は左からの県道143号線に合流しました

 約600mで「二万石用水」を渡って直ぐ砂利道を左(北)へ入ると

 目的の杉が盛り土の上にのっています

 南西側から

 二万石用水には、田植え前で大量の水が流れています  

 二万石用水改修事業 竣工記念碑です
 庄川用水合口ダムにより取水された水が、まずは岩屋八見神社前で用水が二分して、また高屋古宮の大杉の前で横江宮川への流路(上の写真左側)と主路を二分する場所です。
 主路はここから北西へ進んで、南砺市福野や砺波市の西側で田圃を潤しています。

 西側から

 太い幹をみました、目通り幹囲5.7mの巨木です

 根元の祠です、右側はお不動様のようです

 北西側から

 北側から

 北東側から見ました

 そろそろ陽が傾いてきたので、今夜の車中泊予定していた「道の駅井波」いなみ木彫りの里へ行ってみました

 しかし、道の駅は売店の終了時間、近くにコンビニも無いので、約2km戻って「道の駅庄川」に決めました

 同じ敷地にドラッグストア、向かい側にコンビニ、直ぐ近くにスーパー、もう一店舗ドラッグストアやホームセンター2店舗があり便利でした


 2024・4・11・16・40
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富山県南砺市、福野「福野神明社のケヤキ」です!!

2024-04-28 06:36:27 | 巨樹・大木
 福野地区hあ、南砺市役所の北東約6km、南砺市役所福野庁舎の北北東側の地区です

 南砺市役所福野庁舎(市民センター)西側の県道20号線を北へ

 約600mの「横町」信号を右(東)へ、間も無く商店街の左手に石燈籠が見えました

 左(北)へ入ると鳥居が見えました

 参道左側の手水舎脇に車を止めさせて頂きました、後ろの建物は神明社春季祭礼の曳山の倉庫です

 一ノ鳥居です

 境内にも手水舎です

 拝殿です、南向きに鎮座します

 本殿です

 本殿西側に境内社が並びます、左側の赤い鳥居は稲荷社ですね


 参道の左手境内奥に一際大きなケヤキが見えます

 南東側から

 東側から、目通り幹囲5.8mの巨木です

 北側から

 西側から見上げました


 南側にももう一本大きなケヤキです

 西側から見上げました、実測してみると目通り幹囲4.7mの大木です


 北東側から見ました

 では、次へ行きましょう


 2024・4・11・16・25
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富山県南砺市、安居「安居寺の大ケヤキ」(市指定)です!!

2024-04-27 18:30:01 | 巨樹・大木
 安居地区は、南砺市役所の北北東約5kmのところ

 南砺市役所の東側の国道304号線を北へ出ます、約200mの「福光駅前」信号を左(西)へ、県道27号線

 約500mの「富山県信用組合 福光支店」前を右(北東)へ、途中の小矢部川を渡る時には川沿いの千本桜が綺麗でした

 ここから県道48号線です、約5km道成りにすすむと「安居寺前」信号を過ぎて直ぐ

 左手に安居寺の案内板が有ります(帰りに撮影したので北側からの写真です)

 西へ入ります

 左(西)へ坂道を上って約200mで駐車場に入りました

 安居寺公園の案内図です

 概念図です、目的のケヤキは駐車場前(目の前)に在ります

 東側参道石段前から見ました

 枝落下の注意書きと参道石段はロープで封鎖されていました

 南側から

 南砺市指定天然記念物標柱です

 南西側から、樹高36m、目通り幹囲7.6m、推定樹齢500年の巨木です

 南西側から

 弥勒山安居寺寺號標です

 仁王門前(西北西側)から見ました

 参道を進んで、観音堂へ行きましょう

 六地蔵様です、参道はここで右に直角に曲がっています

 奥に山門が見えました

 北陸観音霊場第27番 当国観音霊場第1番 弥勒山 安居寺の新し寺号標ですです

 右手に鐘楼です

 山門です

 手水舎です

 観音堂が見えて来ました

 観音堂前に御神木の杉です

 幹半分(西面)は既に枯れてしまってキツツキに穴をあけられています

 観音堂です

 北側一段下に本堂です

 文化財案内板です


 本堂前のシダレザクラはまだ3分咲きほどでした

 では、次へ行きましょう


 2024・4・11・16・00
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富山県小矢部市、岩崎「岩崎素盞嗚社の俊寛逆さ杉2本」です!!

2024-04-27 06:32:42 | 巨樹・大木
 岩崎地区は、小矢部市役所の北西約3kmのところ

 小矢部市役所東側の県道270号線を北へ進みます
 
 約1.5kmの桜町」信号を左(北西)へ、約200mで国道8号線を越えます

 約2.1kmの右カーブの内側に赤い水門のハンドルが見えます、ここに車を止めさせて頂きました

 坂道を上ると社號標が見えて来ます

 更に折り返すと

 素盞嗚神社の社號標です

 さらに坂道を上がって行くと

 左手奥に鳥居が見えました

 見上げる位置にスギの樹幹が見えます

 鳥居です

 鳥居前の桜は見頃です

 石段を上がります

 石灯籠です 

 燈籠の台座石の苔にスミレが咲いています


 正面には拝殿が東向きに鎮座しています

 本殿覆い屋です

 境内南東端に目的のスギです、参道石段に近い方です

 北西側から、目通り幹囲6.1mの巨木です

 もう一本はすぐ南西側です

 西側から、目通り幹囲5,8mの巨木です

 境内南東端に二本の大スギが並んでいるのが分かりますね

 拝殿前(西側)から、元の参道へスギの間を通っていて門杉状態だったように思われます

 拝殿前(北西側)からみました

 *「俊寛逆さ杉」の名前についてネットでの情報では、平安時代末期に俊寛によって植えられてとの伝説があるそうです
 俊寛は、、康治2年(1143年)~ 治承3年3月2日(1179年4月10日))は、平安時代後期の真言宗の僧です。

 京の鹿ヶ谷で平家打倒を企てたものの、密告により複数名が捕らえられた「鹿ヶ谷事件」。
 その密議場所の山荘を提供したのが僧の俊寛で、藤原成経、平康頼と共に3人は薩摩の硫黄島に流されたと平家物語にみえますが、実はこの小矢部市に流されたという伝説があります。

 と言うことで、このスギの樹齢は約850年となるのかもしれませんね



 アズマイチゲのようです

 では、次へ行きましょう


 2024・4・11・15・05
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富山県小矢部市、桜町「神明宮(桜町神社)のスギ」です!!

2024-04-26 18:48:00 | 巨樹・大木
 桜町は、小矢部市役所の北約2kmのところ

 小矢部市役所の東側の県道270号線を北へ進みます

 道成りに約1.5kmで左(北西)へ、県道74号線です

 約200mで国道8号線の「桜町遺跡」信号ですが、手前の擁壁の脇の細い道を左西に入ります

 約200mで道路左手に 神明宮の社號標です

 社號標の前に車を止めさせて頂きました

 鳥居が有ります

 石段を上がります

 石段右手に大きなスギが見えて来ました

 南東側から見ましたが、目的のスギは境内にあるようです

 境内に上がって来ました正面に拝殿です、東向きに鎮座します

 本殿です

 左手の建物が社務所です
 

 境内北西角に目的のスギです

 南側から、境内のサクラ越に見上げました

 拝殿前から、目通り幹囲5.0mの巨木です

 西側から見ました


 スミレです


 ショウジョウバカマです


 車に戻るとアナグマが近付いて来ます

 気が付いたようですが、餌を探している様子で逃げませんでした
 
 *ニホンアナグマは、食肉目イタチ科アナグマ属に分類される食肉類。標準和名はアナグマとだけ呼ばれています
 
 では、次へ行きましょう


 2024・4・11・14・45
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富山県射水市、浄土寺「禅照寺の杉」ですが・・・!?

2024-04-26 06:30:35 | 巨樹・大木
 浄土寺地区は、射水市役所の南約5kmのところ

 射水市役所の南側道路を南東へ進みます、約700mの「本開発(中)」信号を斜め右(南)へ、国道472号線です

 約4.7km道成りに進んだ「青井谷」で国道は左の標識があります

 左(南東)の国道に入って下条川の橋を渡ると

 右手に禅照寺の駐車場がありますので利用させて頂きました

 参道入口です

 寺號標です

 山門です

 山門を入った左手に鐘楼です

 蓮如上人の歌碑です

 説明版です
   蓮如上人直筆詠歌 歌碑について
 本願寺第8代ご門主の蓮如上人(御往生は85才)は、70歳を迎えられたときの所感を2首の歌に託されたもので、一幅の掛け軸としてご本山に所蔵されています。
 この旅、ご本山の好意により、当寺の歌碑建立のため、その「書字」の許可を頂いたものであります。
  詠歌1、「七十地に 身はみつしほの にしの海 ふなぢをてらせ 山の端の月」
  詠歌2、「なき跡に 我をわすれぬ 人もあらば ただ弥陀たのむ こころをこせよ」 
 当寺は昔、真言宗の寺であったと伝えられています。
 今から500年余り前、当寺の住持であった浄心法師が蓮如上人の名声を聞き、加賀二俣の本泉寺へ上人がご来化の機に、その法を聞き、念仏の大法に感動し浄土真宗に帰し、当寺の初代となり今日(現住職は第19世)に至っています。
 因縁の厚いその上人の歌碑が建立されたことは、まことに意義の深いことと喜ぶものであります。
      金龍山 禅照寺


 本堂です

 目的のスギは本堂と庫裡に裏側に有る様なので本堂の南側から回って見ましたが・・・

 建物の陰に成ってしまって樹冠を確認するしかできませんでした

 2024年1月1日の能登半島地震の時に、射水市も震度5だったようです

 墓石が倒れて、まだそのままになっています

 では、次へ行きましょう

 2024・4・11・13・45
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富山県富山市、中老田「中老田のモチノキ」(市指定)です!!

2024-04-25 18:31:03 | 文化財・樹木
 中老田地区は、富山市役所の西約9kmのところ

 富山市役所西側の城址大通りを南へ進みます、約400mの「城址公園前」信号を右(西)へ、県道44号富山高岡線です

 道成りに約4.1kmの「茶屋町」信号を左(南西)へ、県道9号富山戸出小矢部線です

 道成りににしに向かい約4.5kmで、水路の橋の手前を左(南)へ入りました

 間も無く水路の西側にこんもりとしたモチノキが見えて来ました

 南側から水路の橋を渡って近付きました、未舗装路の脇に車を止めました



 東側から

 説明版です
   中老田のモチノキ
 このモチノキは、樹高約7m、根回り2.5mをはかり、樹齢400年~500年と推定されます。
 幹は地上36cmで2本に、1.6mで3本に分かれ、さらに細かな枝分かれによってこんもりとした半球状の見事な繁茂をみさています。
 モチノキは九州地方に多い暖地性の樹木で、本州中部以南では広く庭木として植えられています。
 またイチョウと同じく雄株と雌株の区別があり、本は雌株で秋には球状の果実をつけます。
 昭和48年3月28日、富山市指定天然記念物に指定されました。
 この地はかつて加茂社の境内で、本樹も神殿と拝殿の間に生えていました。神社は移転しましたが、モチノキは加茂社をしのぶ記念樹として地域の方々に大切にされています。
      平成21年3月    富山市教育委員会

 
 北側から


 西側から


 南側から

 では、次へ行きましょう


 帰り際の北側の農道から「モチノキ」を見ました


 2024・4・11・13・30
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富山県上市町、眼目「②立山寺の銀木犀と羅漢槇」(町指定)です!!

2024-04-25 06:33:51 | 文化財・樹木
 眼目地区は、上市町役場の東約4kmのところ

 上市町役場北西側の「役場前」信号を東へ、約1.7kmの「北島」信号を斜め左(北東)へ、富山中部広域農道です

 約2.5kmで上市川右岸に渡った「野島」信号を右(東)へ、約1.2kmで一時停止を斜め右(南東)へ

 間も無く右手に立山寺の並木口駐車場が有ります

 スギの参道を抜け、トガの参道を過ぎて、左手に大椎の巨木を見て

 南西向きの立山寺山門前に至りました

 立山寺案内図です(本堂西側駐車場にあります)
 曹洞宗 眼目山 立山寺(りゅうざんじ)〔通称眼目の寺(さっかのてら)〕  
  由来と歴史
 当山は建徳元年(1370年)に曹洞宗大本山總持寺第2租峨山紹碩禅師の創設による屈指の寺であり、全国でもめずらしい、開創は山神と龍神の神霊による開基の寺であり、立山権現と北海大龍女を開基としている。
 眼目村は上市川扇状地の扇頂部平野および段丘上に位置し、咲花とも察花とも記された。
 慶長10年(1605)3代藩主前田利常が巡視した際、眼目山立山寺の由緒を聞き、察花の字を「眼目」にしてサッカと読むようにしたといわれる。
 本寺は正しくは眼目山護国殿立山寺と称し、新西国33ヶ所、6番目の寺で、開山は建徳元年(1370年)曹洞宗大本山總持寺二代峨山紹碩禅師の高弟大徹宗令禅師による開山の寺。
 七堂伽藍の整った立派な寺であったが、永禄年間(1558~1569年)上杉謙信が加越能攻めの兵火に類焼し開山堂のみ残った。
 天正年間(1573~1590年)、佐々成正が富山城築城のときに神通川の神を鎮めるため立山寺に祈祷を命じ、察花(眼目)村・極楽寺村の土地の中に寺領を設定し、立山寺の山の字から一画をとり、川の字にして立川寺と称せしめたといわれ、明治32年(1899年)34世長谷川天頴は立川寺の寺号を立山寺と改称した。
 

 町指定天然記念物説明版です(同上)
   立山寺境内町指定天然記念物 4種
      所在 上市町眼目15他 所有または管理者 立山寺
   立山寺のギンモクセイ  昭和43年3月16日指定
 本堂前に左右一対に植栽されている。
 ギンモクセイ(キンモクセイ)は、暖帯性の常緑広葉樹であって、古来より悪魔を追い払う信仰から植栽されている。
 樹齢は約300年で寺院との配置からも価値の高いものである。
   立山寺のらかんまき   昭和52年6月15日指定
 本堂左にあり、古木の風格がある。樹齢約400年と推定される。
 「らかんまき」は「いぬまき」の変種とされる。中国に原種があり、九州南部、沖縄に自生する常緑高木である。

 総門から入って参道を進むと・・・


 三門です

 中雀門です

 中雀門を潜ると左手に鐘楼です

 目的のギンモクセイ二本が左右に並んでいます

 境内左側の一本です

 南側から

 「上市町指定 天然記念物 立山寺の銀木犀」の標柱です


 南東側から

 北東側から


 境内右側の一本です、こちらには天然記念物の標柱は建っていません

 北西側から

 北東側から

 境内奥側から二本を見ました


 本堂前左手にもう一つの目的の「立山寺のらかんまき」です


 南東側から

 「町指定 天然記念 立山寺のらかんまき」の標柱です

 南西側から

 北西側から

 北東側から

 本堂(開山堂)です

 本堂前から振り返りました

 本堂前から突然・野兎が現われて逃げようとしませんでした

 では、次へ行きましょう


 2024・4・11・12・10
 
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富山県上市町、眼目「①立山寺のトガ並木(県指定)と大椎(町指定)」です!!

2024-04-24 19:03:51 | 巨樹・大木
 眼目地区は、上市町役場の東約4kmのところ

 上市町役場北西側の「役場前」信号を東へ、約1.7kmの「北島」信号を斜め左(北東)へ、富山中部広域農道です

 約2.5kmで上市川右岸に渡った「野島」信号を右(東)へ、約1.2kmで一時停止を斜め右(南東)へ

 間も無く右手に立山寺の並木口駐車場が有ります

 駐車場脇の案内板です
   大岩山県定公園ご案内
    立山寺哲学の道
 1370年、立山寺の開山、大徹禅師は人生の在り方を人に伝え、心の安定した生き方を広めようと眼目に道場を開きました。それは静かに考えることのできる自然のすばらしさが、ここにあったからです。
 わたしたちは自然から生まれ、自然に帰る生きものです。大自然の息づく中を歩きながら、生きる本来の在り方を静かに考えてみましょう。
    上市町
 

 参道入口はもう少し南側です、左への道は立山寺境内脇の駐車場への道路で

 哲学の道の右手のコース「坐禅石コース」を行きましょう

 参道入口です、参道は杉の大木が並んでいます

 「曹洞宗大本山總持寺 御直末・元輪番地 眼目山 立山禅寺」寺號標です

 説明版です
   眼目山(がんもくざん)立山寺(りゅうせんじ)
 ・開創
 曹洞宗大本山総持寺第2租峨山禅師の五哲の一人大徹宗令禅師が、立山権現の要請によって創まる。建徳元年(西暦1370年)
 ・坐禅石
 開山大徹禅師と開基立山権現師が対坐した石。東南500m先の林中にある。
 ・大徹禅師木造
 開山ご在世中に城の房太郎が仏師に彫刻させた等身大の坐像。昭和31年県文化財指定
 ・栂
 当山16世拗山是越禅師が伽藍再興の折植えたもの。三代将軍家光の寛永期の頃で、樹齢400年ほど。昭和33年県の天然記念物指定。
 ・櫛形山観音霊場
 本堂後の松山に三十三ケ所、観音を安置し、頂上に聖観世音、十三仏、弘法大師を安置した堂宇がある。眺望絶景の森林浴の山。大祭は6月18日


 参道中程までは杉並木です

 右手にはサクラの咲く公園に成っています「芝生広場」ですね

 「富山県指定天然記念物 立山寺参道のとが並木」標柱です

 *トガ(栂)とは、北陸地方でのモミノキの呼称で、能登地方に多く産します。

 樹年齢400年、樹高約20m、太さは約3mの大木の並木です

 總持寺租院から三代将軍家光の寛永期、16世拗山是越大和尚時代に植樹されたと伝えられています

 トガの並木が切れると左手に町指定天然記念物の大椎です

 南側から

 「立山寺の大椎」の天然記念物標柱ですが、幹に倒れ掛かっていました

 町指定天然記念物説明版です(境内西側駐車場にあります)
   立山寺境内町指定天然記念物 4種
      所在 上市町眼目15他 所有または管理者 立山寺
   立山寺の大椎  昭和43年3月16日指定
 山門近くの杉林の西南にある巨木である。
 樹幹は巨大だが、樹枝は貧弱である。これは、上市川右岸の段丘にあるため西南の風にさらされたためと考えられている。
 常緑広葉樹で植栽によるものと思われる。


 西側から

 北側から

 総門前の段丘崖上から上市町(南西方向)を見下ろしました

 総門です

 右手に六地蔵様です

 参道から大椎を見ました

 東側から

 「町指定の天然記念物・立山寺のねじき」を探してみましたが、「座禅石コース」に見つかりませんでした

 長く成りそうなので、②に続きます

 
 2024・4・11・12・00 
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富山県黒部市、宇奈月町浦山「鶏野神社の月訪の桜」(市指定)です!!

2024-04-24 06:30:11 | 
 宇奈月町浦山地区は、黒部市役所の東約7kmのところ

 黒部市役所の西側の道路を北へ、「大町」信号を右(東)へ、県道124号本野三日市線です

 約250mからは県道14号黒部宇奈月線となって東へ進みます

 約5kmで北陸自動車道と北陸新幹線の高架を潜ります

 道成りに約4kmで鶏野神社参道入口です

 直ぐ東側の駐車スペースに車を止めさせて頂きました

 鶏野神社の社號標です

 「月訪の桜」(つきといのさくら)の案内板があります

 鳥居です

 手水舎です

 境内西側には相撲の土俵です

 拝殿です

 本殿覆い屋です



 境内東側に境内社が並びます

 大伴家持の歌碑の後ろに目的の「月訪の桜」(エドヒガンザクラ)が見えました

 歌碑です

 説明石碑です
   歌の由来
 越中国司 大伴家持卿(716~785年)が、領内巡視の折、浦山の上野までくると日が暮れた。
 熊野権現の社で夜を明かそうとして、この歌を奉納したと伝えられている。
 翌朝早く羽音とともに鶏の声が聞こえてきたので、以来、上野の鶏野と呼ぶようになった。
 また、家持卿手植えの桜は「月訪の桜」と呼ばれ、樹齢数百年を経、昭和7年9月の台風で倒木、しのうんずい(ひこばえ)が二代目として生長、市指定文化財に指定されている。
     平成元年8月(宇奈月町)
       黒部市宇奈月町浦山財産区
       黒部市教育委員会
 
 逆光に成ってしまいますね~

 「黒部市指定 天然記念物 月訪の桜」の標柱です

 東側の道路に出ました

 北側から

 東側から、満開ですね

 南東側から

 南側から見ました

 では、次へ行きましょう


 2024・4・11・10・50

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富山県黒部市、三日市「旧三日市小学校の百年桜」(市指定)です!!

2024-04-23 06:39:04 | 
 黒部市の中心部、市役所の敷地の北東角に「百年桜」が在ります

 市役所の駐車場に車を止めさせて頂きました

 市役所案内図です

 西北西側から

 説明版です
   黒部市指定天然記念物
     旧三日市小学校の百年桜
 指定年月日 平成18年8月29日
 所在地   黒部市三日市1288番地
 所有者   黒部市
 品種    ソメイヨシノ
 幹回り   約2.65m ・ 樹高約11m ・ 東西枝張 約11m ・ 南北枝張 約16m
 由来
 この桜の古木は、明治40年(1907年)三日市町立尋常高等小学校に新任教師として赴任された、森立正民先生によって校庭に植えられたものです。
 三日市は中世の頃から「桜井の荘」と呼ばれてきた由来により、数本の桜の苗木が選ばれました。
 大正12年(1923年)当地へ校舎が移転した際に、児童や保護者の手でこれらの桜も共に移植され、幾多の卒業生を見送ってきました。
 ソメイヨシノの樹齢は短いとされているにもかかわらず、この一樹は平成19年(2007年)で樹齢100年となり、今なお爛漫と咲き誇っています。
 富山県内のソメイヨシノの中では最長寿の樹と思われます。
        黒部市教育委員会


 満開から散り始めていました

 西南西側から

 桜と学校を詠んだ歌碑です「古まさる 桜樹の肌は 巌と化し まなびの子らに 未来みつむる」でしょうか

 南西側から、市の広報の助成が百年桜の動画撮影をしていたので邪魔をしないようにしました

 南側から

 三日市尋常高等小学校の標柱です、校門に建っていたのでしょうか

 南側から、幹を見上げました

 東側から

 北側から

 では、次へ行きましょう


 2024・4・11・11・10
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