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ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

岐阜県高山市、総和町1丁目「飛騨国分寺の大イチョウ」(国指定)から後半です!!

2025-08-27 18:32:17 | 巨樹・大木
 総和町1丁目は、高山市役所の南東約500mの市街地の中心部です

 高山市役所南側の道路を東へ、約200mの「西小学校南」信号を右(南)へ、県道460号線です

 約300mで、右手に国分寺の三重塔が見えますので、境内へ入って駐車スペースに車止めさせて頂きました

 南側の県道74号線に面して国分寺参道入口です

 ここから前回の「飛騨国分寺」の続きです

 鐘楼門の先参道左に目的のイチョウです

 説明版です
   飛騨国分寺の大イチョウ
     〈国指定〉昭和28年3月31日 〈所有者〉国分寺 〈所在地〉高山市総和1丁目83番地
     〈樹齢〉推定1200年 〈員数〉1本
     目通り 約10m、樹高 約28m
 本堂と鐘楼門の間に位置し、樹齢約1200年の雄株で、枝葉が密生し、樹間の所々に乳のような気根が垂れ、樹勢は盛んである。
 由来については、往昔行基菩薩の手植と伝えられる。俗に「乳イチョウ」の名があり、乳の出ない母親がここでお参りすると乳が良く出るといわれている。根元には石像が祀ってある。
 昔から、国分寺のイチョウの葉が落ちれば雪が降るとも言い慣らされている。
                         高山市教育委員会

南側から

 西側から

 歌碑ですね

 北側から

 大イチョウの幹の窪みには石仏が納められています

 東側から

 本堂です

 説明版です
   国指定重要文化財(建造物)
     国分寺本堂
       単層入母屋造、銅板葺・四方廻縁・桁行12.4m、梁間8.66m、向拝3.33m
 奈良時代当時、七重塔、金堂、仁王門などを備えた壮大な伽藍があったと伝わる。
 「類聚国史」に「弘仁10年(819)8月飛騨国国分寺災」とあるが、その後近世まで記録がない。
 昭和29年、本堂の解体修理時に、建築様式と手法は室町時代中期以前、正面向拝と東側は桃山時代の修理であることがわかった。向拝等は金森氏が国分寺の再興を助けた際の大修理と考えられる。
 地下45cmには、南北4間、東西7間の金堂と推定される建物の礎石が確認された。
 建物の柱、垂木、構造材は太い。外陣の虹梁は絵様がなく、板蟇股の断面も逆バチ型で室町期の様式を示す。
           明治42年4月5日指定   高山市教育委員会

 本堂脇から見ました

 本堂東側に境内社が並んでいます、左は秋山自雲霊神堂です・・・説明書きには・・・
 当所安置の秋山自雲霊神は延享の頃(1744~1748)より、東京浅草三谷寺町本性寺において祀る日本最初枝療痔疾の霊神にして、明治11年高山の有志之霊を迎えて、此処に安置せり。
 爾来100年を経て堂宇破損甚しき為、基壇をコンクリートで固め、堂宇を修築し屋根をトタン葺に改む。
 願くは霊神威光自在にして、後世信仰者の心願を叶え給はん事成。
                     昭和53年5月8日 山主 敬白 

 子供地蔵尊です

 こちらにはお名前が有りませんでした

 玉垣の中に大きな礎石です

 標柱です

 三重塔です

 説明版です
   岐阜県指定文化財(建造物)
     三重塔  屋根銅平板葺 桁行、梁間共4.24m、高さ22m(礎石上端より宝珠上端まで)
  天平13年(741)の詔勅により建立された塔も、弘仁10年(819)に炎上し、斎衡年中(854~857)に再建した。
 さらに応永年間(1394~1428)には兵火にかかったと伝えられる。その後再建たが、戦国時代の金森氏が松倉城の三木氏を攻めた際に損傷し、元和元年(1615)、金森可重が三重塔を再建したと三福寺小池家文書「国分寺太平釘図」に記録されている。
 現在の塔は、寛政3年(1791)の大風で吹き倒されてから31年後、庶民の喜捨浄財金800両と大工手間550人工をかけて、文政4年(1821)ようやく竣工を見たものである。棟梁は三代目水間相模であった。
 昭和53年には、屋根の修理と自動火災報知設備・保護柵の設置行った。屋根は、建立当初杮葺であったが、大正11年に桟瓦銅板葺に変更され、昭和53年は銅平板葺となった。
 飛騨では唯一の塔建築で、金剛界、胎蔵界の大日如来(真言密教の教主)を安置する。
               昭和49年11月13日 指定   高山市教育委員会


 北側から見上げました

 では、次へ行きましょう





 2025・8・5・6・20

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岐阜県高山市、総和町1丁目「飛騨国分寺」(国重要文化財指定)です!!

2025-08-27 06:44:09 | 文化財・寺社
 総和町1丁目は、高山市役所の南東約500mの市街地の中心部です

 市内案内図です

 高山市役所南側の道路を東へ、約200mの「西小学校南」信号を右(南)へ、県道460号線です

 約300mで、右手に国分寺の三重塔が見えますので、境内へ入って駐車スペースに車止めさせて頂きました

 南側の県道74号線に面して国分寺参道入口です

 「国分寺」寺号標です

 説明版です
   日本遺産 飛騨匠の技・こころ ー木とともに、今に引き継ぐ千三百ー
     飛騨国分寺
 〇日本遺産構成文化財   ①飛騨国分寺の大イチョウ ②国分寺三重塔 ③国分寺表門 ④国分寺本堂 ⑤飛騨匠木鶴大明神像及び版木 ⑥藤原宗安像 ⑦飛騨国分寺塔跡 
 飛騨国分寺の歴史は、古くは奈良時代までさかのぼる。
 現在、奈良時代の飛騨の匠が造った建物を目にすることはできないが、境内には、七重塔の心礎や金堂の礎石(現在の本堂床下)が残り、その規模から飛騨匠の木工技術者としての技術の高さを想像することができる。
 その技術は後世にも脈々と受け継がれ、室町時代には本堂が、江戸時代には三重塔が造られた。
 また、本堂には「飛騨匠の祖」として崇敬を集める木鶴大明神・藤原宗安像が安置され、千年以上にわたる飛騨匠の歴史が刻まれた場所となっている。

 寺号標脇には庚申堂(青面金剛を祀った祠)や飛騨高山の民芸品の「さるぼぼ」(猿の赤ん坊)が祀られています

 「なでさるぼぼ」ですね

 説明版です
   願掛け なでさるぼぼ
 飛騨地方では母親が我が子の無事成長を願って「さるぼぼ」人形を作ったと言われています。
 石は古来より永遠不滅で霊が宿ると言われておりこの「願掛けさるぼぼ」に願いを込めてなでると念願が叶うという石像です。
 ☆頭をなでると 頭が良くなる
 ☆心臓をなでる と出世ができる
 ☆身体の不自由な所をなでると その場所が良くなる
 その他、商売繁盛・身体健全・学業成就等の駕籠があり
                飛騨のさるぼぼ製造協同組 

 六地蔵様です

 山門(表門)です

 説明版です
   国分寺表門(附棟札)
     〈市指定〉昭和52年5月8日 〈所有者〉国分寺
     〈時代〉元文4年〈所在地〉総和町1丁目83番地 〈員数〉1棟2枚
         四脚門(1棟) 桁行3.09m、梁間1.303m、二重杮軒付、銅版葺
         棟札 (2枚) ①棟木の下端西側に元文4年8月の創建棟札、大工松田太右衛門、葺屋冨田喜兵衛、内山傳四郎 
                ②棟木の下端東側に享和3年の葺替棟札、葺師前原平蔵
 元文4年8月、飛騨代官長谷川忠崇の手代小林儀右衛門ら4名の寄進により、飛騨の名工松田太右衛門が建てた。
 冠木上に架せられた板蟇股や、腕木の繰り形にこの地方中期の好例を残しており、形態も美しい。
 当初基壇がなく、地表面上に建てられていたが、保存のための基壇が設けられた。
 昭和53年にはのし板葺であった屋根も現在の銅版葺に攻められた。

 説明版です
   飛騨国分寺の概要(高野山真言宗)
 この寺は天平18(746)年、聖武天皇の勅願により、国家と国民の平安を祈念するために建立され、開基は行基菩薩と伝える当国第一の古刹である。
 天正13(1585)年、秀吉の武将森長近に松倉城攻略に当り当寺五重塔を焼いたが、その後飛騨を領し高山城構築と共に大いに当寺の再興を助け、本堂を大修理し境内地を寄進し、元和元年三重塔を再建した。
   国史跡    飛騨国分寺七重塔跡   境内
   国天然記念物 飛騨国分寺大イチョウ   1250年
   国重要文化財 本堂(室町時代)      約500年
   国重要文化財 薬師如来  木像     平安時代
   国重要文化財 聖観世音  木像     平安時代
   国重要文化財 平家重宝 小鳥丸 太刀  平安時代
   県重要文化財 阿弥陀如来 木像     平安時代
   県重要文化財 不動明王  木像     室町時代
   県需要文化財 三重塔          文政4年再建
   市有形文化財 表門(山門)        元文4年再建
   市有形文化財 鐘楼門          室町時代 上層は江戸時代
   市有形文化財 梵鐘           永正11年 古銘
   市有形文化財 飛騨匠木鶴神 木像
   市有形文化財 鰐口           慶長3(1598)年在銘
   市有形文化財 神鏡 3面        康正3(1457)年在銘
   市有形文化財 絵馬 4面        慶長5(1600)年 他
   寺宝     如意輪観世音 木像    南北朝時代
   〃      円空上人鉈ばつり  弁財天
   〃      円空上人      薬師三尊仏
   〃      円空上人筆一行書  「莫妄想」
   〃      天平伽藍礎石群   現本堂床下に散在 本堂間口26.40m
   〃      天平大塔の相輪部分 塔高約53m(推定)
   〃      天平の古瓦 芭蕉句碑 力士白真弓肥太左エ門・・・
          藻にすだく 白魚や とらば 消えぬべし(き) 桃青(松尾芭蕉の通称)  

 参道沿い右手には弘法大師像(高山21弘法大師第1番)です

 南天大慈悲母観音像です、説明書きには・・・
   国分寺悲母観世音菩薩像由来
 昭和40年9月5日花園大学・学長山田無文老師の御指導により開眼供養された悲母観音像は、高山市出身中村久子女史の父母孝養のため悲願建立されたものであります。
 女史は幼い頃、両手・両足を失いながらもあらゆる困苦を克服し、日本全国の身体障害者の力となり、昼夜をわかたず指導激励され、全国皆様から母のように慕われています。・・・手足を失った原因は凍傷だったようです・・・

 お不動様の祠です

 参道左の一願観音像です

 水盤です

 鐘楼門です

 説明版です
   高山市指定文化財(建造物)
     国分寺鐘楼門
       重層入母屋造六脚門、銅平板葺、桁行3.045m、梁間2.4m
 建築年代は安土桃山時代(16世紀)とされる。屋根はもと杮葺であったが、昭和30年に銅版葺とした。屋根の軒は一軒疎垂木、妻は木連格子である。
 上層は円柱で、簡素で力強い組物をもち、勾欄を廻す。下層は角柱6本で、それぞれに面取りがしてある。
 梵鐘(市指定文化財)には、永正11年(1514)の古銘があり、もとは吉城郡芝城郷三日町(現国府町三日町)の十王堂の鐘であった。宝暦11年(1761)、大萱村横山作助が、改銘して当山に寄進した。
 国分寺の梵鐘は、飛州八景の随一として「国分霊地絶繊塵 雁塔今経幾許春 好是楼前視聴楽 暮鐘声裡月清新」(国分寺の境内は古びた三重塔がそびえ静かである。暮れゆけば鐘が鳴りわたり、月影清く美しい)となる。
         昭和33年9月27日 指定    高山市教育委員会

 本堂です

 説明版です
   国指定重要文化財(建造物)
     国分寺本堂
       単層入母屋造、銅板葺・四方廻縁・桁行12.4m、梁間8.66m、向拝3.33m
 奈良時代当時、七重塔、金堂、仁王門などを備えた壮大な伽藍があったと伝わる。
 「類聚国史」に「弘仁10年(819)8月飛騨国国分寺災」とあるが、その後近世まで記録がない。
 昭和29年、本堂の解体修理時に、建築様式と手法は室町時代中期以前、正面向拝と東側は桃山時代の修理であることがわかった。向拝等は金森氏が国分寺の再興を助けた際の大修理と考えられる。
 地下45cmには、南北4間、東西7間の金堂と推定される建物の礎石が確認された。
 建物の柱、垂木、構造材は太い。外陣の虹梁は絵様がなく、板蟇股の断面も逆バチ型で室町期の様式を示す。
           明治42年4月5日指定   高山市教育委員会

 長く成りましたので続きとさせて頂きます<m(__)m>





 2025・8・5・06・10
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岐阜県高山市、八軒町3丁目「一本杉白山神社の矢立杉」(県指定)です!!

2025-08-26 18:54:48 | 巨樹・大木
 ここからは2025年8月5日の取材分です
 
 高山市八軒町3丁目は、高山市役所の南南東約1kmの市街地の中です

 高山市役所南側の道路を東へ、約200mの「西小学校南」信号を右(南)へ、県道460号線です

 約800mの「日赤北」信号を左(東)へ、約100mで斜め右(南東)の細い道路へ入ります

 間も無く右手に「一本杉白山神社」が見えました

 前の道路脇に車を止めさせて頂きました

 東側参道に社號標です

 説明版です
   一本杉白山神社の概要
 一本杉白山神社の創建は不詳ですが、大宝年間(701~704)役小角が、加越白山の遥拝所としたのが始まりとされており、「菊理姫命(くくりひめのみこと)、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)、伊邪那美命(いざなみのみこと)」が主祭神として祀られています。
 安土桃山時代に当地の高山城主金森氏から庇護され、高山藩が廃藩になると、その後は天領陣屋に詰める代官や郡代が庇護してきました。
 現在の拝殿は、江戸時代後期の天保10年(1839)に再建されたもので、宝形造り別名大成院といった寺院建築に近く、神仏習合の名残が見られる建物であり、高山市指定文化財となっております。
 拝殿背後にある「矢立スギ」(岐阜県指定天然記念物)は、役小角が創建した際に逆杉を立てたと伝えられている古木で、戦勝祈願のため枝に射立てられたと言われた御神木です。

 手水舎です

 拝殿前の杉の木には注連縄が巻かれています

 拝殿ですが、寺院の御堂の建物と同じ様式の建築物です

 拝殿は市の文化財です

 説明版です
   一本杉白山神社拝殿
     市指定有形文化財
 均整のとれた形態をもつこの拝殿は、神社建築の様式としてこの地方には見られぬ「方形造」の形態をもち、神仏混こうの思想の深かったこ当時の建築を表現しためずらしい建物であり、内部鏡天井には墨絵の龍が画かれている。
 棟札には慶長年間(1600頃)に創建し、天保10年(1839)に、この拝殿を再建したことが記されている。
       昭和33年9月27日   高山市教育委員会

 目的の矢立杉は、本殿南側(ブロック塀)の内側に立っています

 南西側から

 説明版です
   一本杉白山神社 矢立スギ 岐阜県指定天然記念物
 飛騨誌や飛騨国中案内に記載された有名な御神木であり、戦勝祈願のため枝に射立てられた尖根の鉄鏃は、民俗学資料としても興味がある。
 特に幹や根元をいためぬよう注意しましょう。
      昭和32年3月25日 高山市教育委員会

 西側から見ました

 では、次へ行きましょう




 2025・8・5・06・00

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岐阜県高山市、清見町巣野俣「恵林寺のコウヤマキとイチョウ」(市指定)です!!

2025-08-26 06:33:35 | 巨樹・大木
 清見町巣野俣地区は、高山市役所の西南西約16km、高山市役所清見支所の南西約9kmのところ

 高山市役所清見支所の北側の国道158号線を西南西へ進み約150mの「三日町」信号を左(南)へ、県道73号線です

 約2.4kmで「神明神社大スギと塚腰のマツ」と次の「了因寺のカヤ」を見て更に道成りに進みます

 約12kmで県道右手に、東南東向きに境内入口です

 参道の両側に駐車スペースが有りますので車を止めさせて頂きました

 山門左手に目的のコウヤマキとイチョウが見えます

 山門です

 境内に入ると水盤です

 本堂です

 鐘楼です

 境内南側にコウヤマキとイチョウです

 天然記念物石柱です

 側面には・・・
 いずれも恵林寺の開基である明応7年(1498)頃に植栽されたといわれ、樹齢は約450年以上と推定される。
 コウヤマキは目通り2.5mで、市内では数少ない文化財指定を受けているコウヤマキの一本である。
 イチョウは目通り3.5mである。

 本堂前の北西側から

 コウヤマキを西側から

 南東側から見上げました

 イチョウです

 南側に乳柱(気根)が見られます

 東側から

 南側への大枝からも沢山の乳柱(気根)が見られました

 では、本日の取材は終わりにして、高山市内へ戻りましょう




 2025・8・4・16・50
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岐阜県高山市、清見町三ッ谷(中村)「三ッ谷白山社の大スギ(3本)」(市指定)です!!

2025-08-25 18:41:39 | 巨樹・大木
 清見町三ツ谷(中村)地区は、高山市役所の西南西約12km、高山市役所清見支所の南西約5kmのところ

  高山市役所清見支所の北側の国道158号線を西南西へ進み約150mの「三日町」信号を左(南)へ、県道73号線です

 約2.4kmで「神明神社大スギと塚腰のマツ」と次の「了因寺のカヤ」を見て

 約2kmの「三福橋」を渡って直ぐを左(南)へ、約150mの田圃の中で右(西)へ

 約200mで左手奥に鳥居が見えますので左(南)へ、先の交差点を右(西)へ

 間も無く左手に参道入口です

 前の道路脇に車を止めさせて頂きました

 参道入口の標高はこの石柱に「海抜671.55m」の表示です

 左手には「市指定 天然記念物 「三ツ谷白山大スギ」の石柱です

 参道を進みます

 白山神社社號標です

 手水鉢です

参道には電気柵のワイヤーが張られていますので跨いで入ります

 参道石段を上ります

 中段から左手のスギ林の中に太い幹が見えました

 参道石段をのぼり切って左手の境内端から見ました

 天然記念物標柱と説明版があります
   清見村指定天然記念物(清文32号)
     三ッ谷白山社の大スギ(3本)
       指定 昭和54年11月3日
 三ッ谷白山神社・社叢のあるスギのうち特に大きなもの三本を指定した。
 スギ科の植物で樹齢は永く1000年以上のものも沢山あり、屋久島の縄文スギと呼ばれるものは4000~6000年といわれ現在も健在である。
  一号樹 高さ30m、幹廻り4.20m
  二号樹 高さ30m、幹廻り3.90m
  三号樹 高さ28m、幹廻り5.20m
       平成4年12月  清見村教育委員会

 南側から

 南東側から

 三号の南側境内端近くに二本のスギの合体木です

 北西側から

 二号の標柱です

 一号は境内北西端近くに有りました

 南側から

 一号の標柱です

 西側から見上げました

 拝殿です

 本殿です

 では、次へ行きましょう




 2025・8・4・16・20
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岐阜県高山市、清見町福寄「白山神社の福寄白山大杉」(市指定)です!!

2025-08-25 06:34:32 | 巨樹・大木
 清見町福寄地区は、高山市役所の西南西約11km、高山市役所清見支所の南西約4kmのところ

  高山市役所清見支所の北側の国道158号線を西南西へ進み約150mの「三日町」信号を左(南)へ、県道73号線です

 約2.4kmで「神明神社大スギと塚腰のマツ」と次の「了因寺のカヤ」を見て

 約1.5kmの選挙ポスター掲示板のある交差点を右(北西)へ、川上川を渡って直ぐ右(北東)へ

  約150mで左手に「白山神社」の社號標が建っています

 参道を進むと鳥居から境内への石段です

 鳥居前を左の車道坂道を進んで、境内南側の作業道路に車を止めさせて頂きました

 手水鉢です

 境内中央に目的のスギです

 近付きます

 南東側から見上げました

 「市指定 天然記念物 福寄白山大杉」の石柱です

 側面には・・・
 福寄白山神社は、飛騨地方における白山信仰の初期に遡るといわれ、境内一帯に多くのスギの大木が繁盛していたが、社殿の改築等で伐採され2本が残されていた。
 しかし、そのうちの1本が落雷にあって倒れてしまい、現在の本が残った。

 南側から

 北西側から、目通り幹囲3.7mの大木です

 北側から

 拝殿です


 本殿を覆い屋の中に見る事が出来ました
 *岐阜県神社庁のホームページには、主祭神菊理姫命(くくりひめのみこと)・伊弉諾命(いざなぎのみこと)・ 伊弉冉命(いざなみのみこと)の三柱。
 由緒由来 として、創祀未詳なれども、里伝に、元久三年勧請せりと伝へらる。
 往古乱世の際大野郡上枝村川上郷郷社新宮神社へ久しく奉遷して、新宮神社の別宮なりしところ、当時氏子中にて長く氏神を他神社に奉齋するは如何と協議なし、当時飛騨國郡代小野朝右衛門高山地役人奥田太藏取持を以て白山神社の本社を奉建なし、嘉永2年7月20日新宮神社神主、森丹波守藤原政継により還御し奉れり。
 元禄7年10月福寄村検地の折、白山権現宮地1町4段7畝8歩を除地せられし事現存検地水帳に有り。
 亦、安永年間郡代大原彦四郎検地奉行となり、同じく除地の件、現存安永検地水帳に記載を存す。
 明治25年9月社殿を改築す。明治42年9月本殿幣拝殿渡殿を新築す。大正12年9月15日石段を新築す。
 例祭日9月12日・・・と有りました


 では、次へ行きましょう





 2025・8・4・16・05
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岐阜県高山市、清見町藤瀬「了因寺のカヤ」(県指定)です!!

2025-08-24 18:51:15 | 巨樹・大木
 清見町藤瀬地区は、高山市役所の西南西約8km、高山市役所清見支所の直ぐ南西側の地区です

 高山市役所清見支所の北側の国道158号線を西南西へ進み約150mの「三日町」信号を左(南)へ、県道73号線です

 約2.4km県道沿い右手に南東向きで「神明神社大スギと塚腰のマツ」を見て、約150m左手に

 北西向きに県道に面した境内入口です

 手前の県道沿いの駐車スペースに車を止めさせて頂きました

 山門です

 山門を潜ると正面に本堂です

 左手には鐘楼です

 右手に目的のカヤです

 北東側から見上げました

 天然記念物標柱です

 説明版です
   了因寺のカヤ
    〈県指定〉昭和45年1月20日
    〈所有者〉了因寺
    〈所在地〉高山市清見町藤瀬
    〈樹 齢〉推定500年
    〈員 数〉1本
  目通り 約4m、樹高 約15m
 このカヤは、地上約4mのところで幹が3本に分れている。毎年3本とも実を付けるが、年ごとにその1本ずつが交互に、特に多く結実するという珍しい現象がある。
 カヤの実は、戦国時代には武士の携帯用食料として大切にされたといい、また飢饉のための貯蔵食料としても大切なものであった。寺では、年の暮れに行われる報恩講などでお客の茶菓子として喜ばれている。
 天保6年(1835)11月23日夜、火災が起きて本堂を焼失したが、このカヤによって経典や宝物の納めてある経蔵は無事であった。
 カヤ材は、碁盤・将棋盤を作る材としては最高級品とされ、加工のしやすさや美しさから彫刻などの工芸品にも用いられるため、このような大きなカヤは数が少ない。
                高山市教育委員会

 東側から

 南東側から

 南西側から見ました

 では、次へ行きましょう





 2025・8・4・15・55
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阜県高山市、清見町藤瀬「藤瀬神明神社大スギと塚腰のマツ」(市指定)です!!

2025-08-24 06:41:00 | 巨樹・大木
 清見町藤瀬地区は、高山市役所の西南西約8km、高山市役所清見支所の直ぐ南西側の地区で、約2.5kmのところに神明神社が南東向きに鎮座します

 高山市役所清見支所の北側の国道158号線を西南西へ進み約150mの「三日町」信号を左(南)へ、県道73号線です

 約2.4km県道沿い右手に南東向きで神明神社入口です

 手間を右(北西)に入って社務所の駐車場に車を止めさせて頂きました

 神明神社社號標です

 ニノ鳥居と拝殿です


 本殿覆い屋です

 社殿の左手(南西側)に目的の大スギです

 「市指定 天然記念物 藤瀬神明神社大スギ」の石柱です

 側面の説明書きです
 神明神社が建てられた弘化3年(1864)当時からあるものと考えられ、樹齢は200年位と推定される。
 現在は神社のご神木として崇められている。   

 本殿脇に天然記念物標柱が置かれています

 南側から、細い注連縄が巻かれています

 南西側から

 西側から、目通り幹囲は3.6mの大木です

 北側から

 東側から見上げました

 で・・・

 神明神社の北東側の地区集会所(社務所)の駐車場端に大きなアカマツです
 
 「市指定 天然記念物 塚腰のマツ」の石柱です

 側面には・・・
 藤瀬神明神社境内脇に居住した塚腰氏宅の庭木のひとつとして植栽されていたといわれている。
 樹齢は約400年で、枝振りも見事なものである。
 *樹高18m、 目通り幹囲2.4mを測ります。

 南西側から見上げました

 もう一枚です

 では、次へ行きましょう





 2025・8・4・15・40
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岐阜県高山市、清見町池本「葛谷の三本サワラ」(市指定)です!!

2025-08-23 18:43:17 | 巨樹・大木
 清見町池本地区は、、高山市役所の西北西約22km、高山市役所清見支所の北西約12kmのところです

 高山市役所清見支所北側の国道158号線を道成に西へ進みます

 約8.5kmで小鳥峠を越え、さらに約4kmで夏厩集落です

 右側に広い道路幅のところで「お宿みやはる」の先を右(北北西)へ下るように入ります

 間も無く右手に旧夏厩小学校で「漣徳寺のイチョウ」を見て更に北へ約200m県道478号線に合流します

 道成りに約5kmで、右手の斜面に目的の「三本サワラ」が有るはずなのですが、見つからなかったので先き「西光寺の枝垂れザクラ」を見にいって、戻って来ました

 手前の白山神社へ上る道路(東海北陸自動車池本トンネルなどの工事で舗装された道・林道?)は、入口がチェーンで封鎖されています

 この前の道路脇に車を止めさせて頂きました

 この道路をチェーンをよけて坂道を歩いて上って行きます

 約200m左下に大きな木が見えて来ました

 目的のサワラですが、かなり下ですのでこちらからでは根元へは行けませんね~

 墓地に立っています、数本の合体木だそうで、環境省データでは目通り幹囲7.8m(主幹3.8m)とされていますが、高山市のホームページでは5.2mとなっているの巨木です

 戻って、墓地への入り口を探してみましたが、やはり見つかりませんでした

 では、次へ行きましょう
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岐阜県高山市、清見町大谷「西光寺の枝垂れザクラ」(県指定)です!!

2025-08-23 06:42:40 | 
 清見町大谷地区は、高山市役所の西北西約24km、高山市役所清見支所の北西約14kmのところです

 高山市役所清見支所北側の国道158号線を道成に西へ進みます

 約8.5kmで小鳥峠を越え、さらに約4kmで夏厩集落です

 右側に広い道路幅のところで「お宿みやはる」の先を右(北北西)へ下るように入ります

 間も無く右手に旧夏厩小学校で「漣徳寺のイチョウ」を見て更に北へ約200m県道478号線に合流します

 道成りに約7kmで左(南西へ)枝垂れザクラの案内板です

 約800mで西光寺前に出ました

 南側の「大谷しだれ桜公園」駐車場に車を止めさせて頂きました
 
 「佐々木山西光寺」寺号標です

 周辺案内図です

 道路の南側に目的の枝垂れザクラです

 東側から

 南側から

 「県指定 天然記念物 枝垂れザクラ」の石柱です

 側面には・・・
 この枝垂れザクラは、ヒガンザクラの変種で、目通りは4.5m、樹齢800年以上と推定される。
 県下でも珍しい枝垂れザクラの巨木で、開花時には地表を掃くように枝が風に揺れる様は見事である。
 *ちなみに例年の開花時期は4月下旬、見ごろはゴールデンウイークからだそうです

 南西側から

 離れて見ました

 南東側の公園の池にはスイレンが咲いています

 では、次へ行きましょう





 2025・8・4・14・50
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岐阜県高山市、清見町二本木「西方寺朝鮮五葉」(市指定)です!!

2025-08-22 18:33:45 | 巨樹・大木
 清見町二本木地区は、高山市役所の西約20km、高山市役所清見支所の西北西約10kmのところ

 高山市役所清見支所北側の国道158号線を道成に西へ進みます

 約8.5kmで小鳥峠を越え、さらに約4kmで夏厩集落です

 右側に広い道路幅のところで「お宿みやはる」の先を右(北北西)へ下るように入ります

 間も無く右手に旧夏厩小学校で「漣徳寺のイチョウ」を見て更に北へ約200m県道478号線に合流します

 約200mで右手に「八幡神社のモミと大スギ」を見て間も無く左手の川に対岸にゴヨウマツが見えて来ます

 約1kmで左(西)へ入って橋を渡り左へカーブして、東海北陸自動車道の斜面東側を南へ 

 約500mで左手に南西向きに参道入口です

 「法鈴山 西方寺」寺号標です

 目的の朝鮮五葉(チョウセンゴヨウ)です

 説明版です
   西方寺朝鮮五葉
     清見村指定天然記念物(清文第26号)
     指定年月日 昭和54年11月3日
 この松の和名をチョウセンゴヨウと呼び、ヒメコマツと区別します。
 江戸時代までは本村にもこの密林があったらしく、将軍御用鷹の御巣鷹山が30ヶ所も有った記録があります。
 これは、この松の実に集まる小鳥をねらって鷹があつまったからといいます。
 また、この松の実を朝廷の御神事の贄(にえ・お供え)として、飛騨の国から献上していた古い記録もあります(続日本後記869・類聚国史892)が、現在はこんな大木はすっかり姿を消してしまいました。
         平成3年12月   清見村教育委員会  

 西側から、目通り幹囲3.2m、樹高24m、樹齢300年以上とされる大木です

 北西側から見上げました

 鐘楼です

 本堂です

 では、次へ行きましょう




 2025・8・4・14・50
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岐阜県高山市、清見町夏厩「夏廐八幡神社のモミと大スギ」(市指定)です!!

2025-08-22 05:39:20 | 巨樹・大木
 清見町夏厩地区は、高山市役所の西約20km、高山市役所清見支所の西約11kmのところです

 高山市役所清見支所北側の国道158号線を道成に西へ進みます

 約8.5kmで小鳥峠を越え、さらに約4kmで夏厩集落です

 右側に広い道路幅のところで「お宿みやはる」の先を右(北北西)へ下るように入ります

 間も無く右手に旧夏厩小学校で「漣徳寺のイチョウ」を見て更に北へ約200m県道478号線に合流します

 約150mで右手に西南西向きに八幡神社が鎮座します

 鳥居南東側の道路脇の広場に車を止めさせて頂きました

 八幡神社社號標です

 手水舎です

 ニノ鳥居と拝殿です

 本殿覆い屋です

 境内北側の建物は神楽殿のようです

 三本のスギの木が並んでいます

 北へ進みます

 県道脇近くに文化財標柱です

 モミと大スギの標柱が並んでいます

 脇の説明書きです・・・
 市内では数少ない文化財指定を受けているモミの大木の一本で、樹齢は300年以上と推定されている。
 大きさは目通り4.5m、樹高推定30mである。

 もう一本の側面・・・
 スギは長寿木といわれ、多くの神社の境内に茂っている。
 ここ夏厩八幡神社のスギは、目通り6mの大木である。
 その昔、下枝が道をふさぐほど垂れ下がり、道行く人が頭を下げてくぐったことから「拝み杉」と呼んだという伝説もある。

 斜面の奥にモミの木と大スギです

 まずモミノキを見上げましたが、根本には枯れた枝がちらばっています

 南側から、幹の皮も剥がれています 

 枯れてしまっています

 南側から登って行きます

 南西側から見上げました

 天然記念物標柱です

 南側から

 南東側から
 
 東側から見上げました

 一段下のモミノキをみました

 では、戻って次へ行きましょう





 2025・8・4・14・00 
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岐阜県高山市、清見町夏厩「旧夏厩小学校の蓮徳寺のイチョウ」(市指定)です!!

2025-08-21 18:42:30 | 巨樹・大木
 清見町夏厩地区は、高山市役所の西約20km、高山市役所清見支所の西約11kmのところです

 高山市役所清見支所北側の国道158号線を道成に西へ進みます

 約8.5kmで小鳥峠を越え、さらに約4kmで夏厩集落です

 右側に広い道路幅のところで「お宿みやはる」の先を右(北北西)へ下るように入ります

 間も無く右手に旧夏厩小学校です

 木造二階建ての旧夏厩小学校校舎は「青少年学習センター・里人学校」となっています

 校歌石碑です
   校歌
 若草もゆる夏厩の 山のみどりのやわらかさ 花咲き匂う学び舎に 集うわれらの身の幸よ
 流も清き谷川の 水にかがやく日の光 明るき里の学び舎に 鳥も歌うよ朗らかに
 深山の風の静けさに 心修めて智をみがく 希望の村の学び舎よ 集うわれらに光あれ

 校庭に「飛騨プラネタリウム」ですが、使われていないようです

 校舎との間に目的の「蓮徳寺イチョウ」が見えました

 南西側から

 南側から

 天然記念物標柱です

 側面の説明書きは・・・
 樹齢は約300年と推定され、蓮徳寺の開基時に防火用として植えられたと伝わっている。
 平成10年6月、東海北陸自動車道建設に伴い、本堂などが離れた場所に移築される中、昔から檀家の人々に親しまれた大木だったので、寺に近いこの広場に移植した。

 説明版です
   漣徳寺のイチョウ
     清見村指定天然記念物(清文第27号)
     指定年月日 昭和54年11月3日
 イチョウは世界中で、中国と日本にだけ生育している”生きた化石”といわれる植物です。
 種子になる胚珠(雌性の生殖器)が子房の中に納まらず、裸のまま着いていて、雄花は精子を風に運ばせて結実するので、植物の分類上はスギやマツと同じ裸子植物として、針葉樹の仲間に入れられています。
   樹高17m、目通周囲3.7m、枝張り 東5.6m、西5.3m、南5.9m、北5m
       平成3年12月  清見村教育委員会
 *清見村(きよみむら)は、岐阜県大野郡にあった村で、平成17年(20005)2月1日に大野郡内の白川村を除いた1町6村および吉城郡の2町村とともに高山市へ編入されました。

 南東側から

 東側から見上げました

 では、次へ行きましょう





 2025・8・4・13・50
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岐阜県高山市、清見町牧ケ洞(岩野)「牧ケ洞神社の御縁木」です!!

2025-08-21 06:57:04 | 巨樹・大木
 清見町牧ケ洞(岩野)地区は、高山市役所の西約8km、高山市役所清見支所の西北西約2kmのところ

 高山市役所清見支所北側の国道158号線を西へ

 約2.2kmで鋭角に右(北東)へ入ると牧ケ洞神社の参道です

 牧ヶ洞神社社號標です

 参道左(北側)に駐車場が有りますので利用させて頂きました

 参道を進みます

 右手の植え込みの中に説明版が有ります
   御縁木及び御縁石
 本殿横に御縁の「男杉、女桧」根がからみあって、長年共に天然巨木となっている。
 樹齢約200年の立派な「夫婦の木」があり、これに続き今度御縁の「自然夫婦巨石」が平成23年11月19日に奉納されました。
 (夫婦の木・夫婦の石)は牧ヶ洞神社の「鎮守の杜」にまつわる大切な宝物です。
 末永く萬の人に幸を与える(御縁木・御縁石)で各々手で触れて御祈願されたし。
         牧ヶ洞神社宮司  古川正

 西南西向きに鳥居です

 手水舎です

 参道の橋を渡って進みます

 南西向きに拝殿です

 目的の「御縁木」は、境内北端です

南側から見上げました、右側が男杉、左側が女桧ですね
 
 南西側から

 西側から

 北側道路から見上げました

 「夫婦の自然巨石」です

 説明版です
   夫婦の自然巨石
 この「夫婦の自然巨石」は「古事記の語部稗田阿連生誕の地」楢谷地域から平成23年11月19日初めて此の牧ヶ洞神社の境内地で晴れて結ばれた、大変縁起の良い幸夫婦のの立派な自然石です。
 この巨石の御縁で、良縁が整い、子宝に恵まれ、安産で若竹の如くすくすくと健康に育ち、立派に成人されることを御祈願され、願いが叶うよう各々手で触れ、この三夫婦(男杉・女桧、二ヵ所の御縁木)の幸運を御家族に持帰り、それぞれの若さを何時までも保ち続けられることを願うと同時に、家内安全・交通安全、萬の人の幸せも併せて御祈願してお帰り下さい。
         平成24年6月29日  牧ヶ洞神社 宮司 古川正


 由来の石柱です
 自然の巨石を崇拝するもの、縁結び・子宝・安産など祈願するは顕著なり。
 家庭円満・夫婦相和・家業繁栄喜厳に祀るも愛の証と後世へ願うもこれまた誠に顕著なり。
    平成23年11月19日 寄進者 牧ヶ洞神社宮司 古川正
 
 本殿北側には「子宝の木」です

 説明版です
   子宝の木
 桧と杉の巨木2本が同じ根元からからみ合い、つながって育っている。
 「杉が男、桧が女」と思われるところから、縁結びの木、又安産の木とされる。

 北側の道路から見上げました

 では、次へ行きましょう



 


 2025・8・4・13・25
 
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岐阜県高山市、清見町三日町(牧口)「二つ葉グリ」(県指定)です!!

2025-08-20 19:38:34 | 文化財・樹木
 清見町三日町(牧口)地区は、高山市役所清見支所の北西約1kmのところ

 高山市役所清見支所北側に国道158号線を西南西から北西へ道成りに進みます

 約1kmの「⇑1km 道の駅 ななもり清見」の標識のところを右(北北東)へ入ります

 約300mで道路左手に栗の木が見えて来ます

 住宅の前庭、道路脇に目的の「二つ葉グリ」です

 東側から、右(北側)の幹は枯れてしまっています

 奥側に「県指定 天然記念物 二葉グリ」の石柱です
 *岐阜県のホームページには・・・
  このクリは、根元の幹周囲3.5m、目通り幹周囲2.95m、樹10.00mである。幹は2つに分かれており南の枝は折れている。
 枝張り東西7.5m、南北13.0mである。二つ葉の数は普通の葉の10分の1でところどころにみられる。二つ葉の形状は中肋から分かれて二つ葉になるものと葉柄の近くから分かれて二つ葉になるものがある。中肋から分かれる部位は上・中・下部とまちまちでありかつ二つ葉の大きさもまちまちである。
 果実はシバグリに属する小さいものである。このクリの果実をまいて二つ葉グリを生じたことによりこの形質は遺伝することは確かである。

 北東側から見ました

 道路東側の側溝のグレーチングには栗のイガが落ちていました

 では、次へ行きましょう





 2025・8・4・13・15
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