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ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

岐阜県飛騨市、河合町羽根「埴土神社のトチの木と杉の木」(市指定)です!!

2025-08-14 20:07:47 | 巨樹・大木
 河合町羽根地区は、、飛騨市役所の北西約12km、飛騨市役所河合振興事務所の西南西約4kmのところです

 飛騨市役所河合振興事務所北側の国道3607号線を西へ、小鳥川の谷を道成りに進みます

 道成りに約4.2kmの「願徳寺」手間を右に鋭角に坂道を上ると

 埴土神社(はにじんじゃ)境内です、山の急な斜面に南南東向きに鎮座します

 埴土神社社號標です

 手水舎です

 参道石段の鳥居の上左にトチノキと右にスギの大木です

 鳥居下から見上げました、双方に細い注連縄が巻かれていますので御神木ですね

 まずは左手のトチノキを南東側から

 南西側から

 「天然記念物 埴土神社のトチの木」の標柱です

 石段上北東側から、目通り幹囲4.9mの大木です

 拝殿前から

 北西側から見ました

 右側の杉です

 南東側から

 「天然記念物 埴土神社の杉の木」の標柱です

 北西側から、目通り幹囲4.5mの大木です

 拝殿前から

 北東側から見ました

 拝殿です


 本殿覆い屋です

 覆い屋の中に本殿を見ることが出来ました
 *岐阜県神社庁ホームページには下記の事のみ記載が有りました
 社伝によれば、平安朝以前の創祀、元白山神社と称せしを大正2年(1913)10月29九日の埴土神社と改称する。
 元禄7年(1694)8月検地の砌白山権現宮地12歩除地村抱。
 昭和16年(1941)8月には、境内整備及び石鳥居・社号標・手水鉢・狛犬等を建設されています。
 *埴土神社という神社は、全国でここだけ唯一の社だそうです。

 では、次へ行きましょう
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岐阜県飛騨市、河合町新名「白山神社のトチノキ」(県指定)です!!

2025-08-14 07:14:00 | 巨樹・大木
 河合町新名地区は、飛騨市役所の北西約12km、飛騨市役所河合振興事務所の西南西約4kmのところです

 飛騨市役所河合振興事務所北側の国道3607号線を西へ、小鳥川の谷を道成りに進みます

 約4.9kmの左手の「白山神社社務所」の先を左(南東)へ、小鳥川を「新名橋」で渡ります

 約200mの「願念寺」前の三叉路を左(東)へ

 約300mで右手に白山神社が西北西向きに鎮座します

 手前の道路脇に車を止めさせて頂きました

 白山神社社號標です

 水没記念碑の石碑です
 碑面には・・・
 関西電力株式会社の保ダム(下小鳥ダム)建設に依り、石器時代より幾千年、現代氏子の先祖より数百年の正史を完し、河合村大字保鎮座銀幣社細女神社は末社4社と共に、昭和45年5月10日当神社に遷座し参る、また舟原鎮座白山神社も同年9月4日遷座し奉り、9月五鎮座祭り、  念篤き氏子は血縁信仰のもとに神社本庁の承認、岐阜県知事の承認を得て、当神社の崇敬者をして124戸の名を此の碑に留め永遠に子孫の為、伝えしと欲す。
       昭和45年9月吉日 細目神社正に白山神社宮司 ・・・・でしょうか
 *下小鳥ダムは、新名白山神社より南西に約7kmの小鳥川上流です

 参道を進みます

 社殿前に大きなトチノキです

 手水鉢です

 目的の白山神社のトチノキです

 「岐阜県天然記念物 白山神社のトチノキ」の標柱です
 *推定樹齢600年、1967年昭和42年(1967)6月14日、岐阜県の天然記念物に指定されました。
 
 西側から見上げました

 南側から、目通り幹囲6.6mの巨木です

 南東側拝殿前から

 東側から

 拝殿です

 社殿を見ました

 本殿覆い屋の中の本殿を見る事が出来ます
 *主祭神は伊邪那美神、相殿には伊邪那岐神や天照大神などの十柱が祀られています

 本殿南側の境内社のようです

 境内南側からトチノキを見ました

 では、次へ行きましょう




 
 2025・8・4・08・55
 
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岐阜県飛騨市、河合町大谷(大木)「大山神社のスギの木」(市指定)です!!

2025-08-13 18:36:00 | 巨樹・大木
 河合町大谷地区は、飛騨市役所の北西約8km、飛騨市役所河合振興事務所の南約3kmのところです

 飛騨市役所河合振興事務所北側の国道3607号線を東へ

 小鳥川を角川橋で渡って直ぐ(約400m)で右(南南西)へ、県道483号線です

 小鳥川の支流の稲越川の谷へ入って行きます

 約3.4kmで県道左手の擁壁に境内へ上る参道(舗装路)が有ります

 手前の神社作業道路を上ると境内に車を止めることが出来ました

 県道からの斜路を上り左に曲がって参道石段を上ります

 西向きに大山神社社殿です(太陽が正面に揚がって前面からの撮影が出来ませんでした)

 手水鉢です
 *社伝によれば平安朝末期以前創祀。
 往昔より当組の産土神として崇敬篤く、元「白山神社」と称せしが、明治44年(1911)9月14日大谷区字柿坂「村社大國主神社」を合併し「大山神社」と改称す。
 元禄7年(1694)6月検地では「白山権現宮」地1反1畝22歩、築昭和25年11月神苑整備参道改修。
 例祭日4月24日だそうです。

 目的のスギは鳥居北側境内端です

 東側から

 「天然記念物 大山神社の杉の木」の標柱です

 北東側から、目通り幹囲4.05m(実測)の大木です

 では、次へ行きましょう





 2025・8・4・08・25
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岐阜県飛騨市、古川町黒内「春日神社の大トチ」は伐られてしまっていました!!

2025-08-13 06:31:19 | 巨樹・大木
 古川町黒内地区は、飛騨市役所の西北西約6kmのところ

 飛騨市役所西側の「本町」信号を北西へ、県道476号線です

 約2.6kmの「諏訪田」信号で、国道472号線に合流して北西へ

 約2.4kmの「鷹狩橋」信号を左(南西)へ、鷹狩橋で宮川を渡ります

 道成りに約1.6kmの横断歩道のある右カーブの所を左(南)へ入ります、県道479号線です

 約300mの「桃源郷温泉⇨」の案内板を斜め右(南西)へ

 間も無く右手に春日神社が東北東向きに鎮座します

 前の道路脇に車を止めさせて頂きました

 春日神社社號標です

 鳥居です

 手水舎です

 鳥居の北西側に注連縄の巻かれたケヤキです

 西側から、目通り幹囲3.76m(実測)の大木です

 拝殿です

 拝殿前には杉の大木です
 
 南東側から、目通り幹囲4.84m(実測)の大木です

 南側から、注連縄が巻かれた御神木のようです

 本殿です、ここにトチノキの巨木があったのですが~

 切株もほとんど消えかかっています

 切株の真ん中に新しいトチノキの苗が植えられています
 
 説明版は道路沿いに新しく造り変えられて建っています
   黒内春日神社の大トチノキ
 かつて、樹齢400年と考えられるトチノキが立っており、県の天然記念物に指定されていた。
 目通り5.7m、高さ30m、枝張り東西16m、南北18.7mで春日神社の御神木であった。
          令和5年11月  飛騨市教育委員会
 *グーグルマップのストリートビューでも2014年10月の時期ですでに無くなっていました

 では、次へ行きましょう




 2025・8・4・08・00

 
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岐阜県飛騨市、古川町笹ヶ洞「恵比須神社大杉樹」(市指定)です!!

2025-08-12 18:43:57 | 巨樹・大木
 古川町笹ヶ洞地区は、飛騨市役所の西北西約6kmのところです

 飛騨市役所西側の「本町」信号を北西へ、県道476号線です

 約2.6kmの「諏訪田」信号で、国道472号線に合流して北西へ

 約2.4kmの「鷹狩橋」信号を左(南西)へ、鷹狩橋で宮川を渡ります

 道成りに約1.6kmの横断歩道のある右カーブの所を左(南)へ入ります、県道479号線です

 約600mで左手に恵比須神社の鳥居があります「笹ケ洞公民館」のところです

 恵比須神社神社の社號標です

 東へ入って行くと恵比須神社の境内に入ります

 駐車スペースに「向小島城」の説明版です
   向小島城跡  国史跡(姉小路氏城跡)
          令和6年2月21日指定
 【歴史と概要】
 向小島城は飛騨国司・姉小路氏の一家・向(小鷹利)氏の居城と伝わります。向小島城は小鷹利と近い距離にあることから、向氏はこの2城を居城とし、両城を含む地域を拠点にしていたと考えられます。
 16世紀になると、南飛騨より勢力を伸ばしてきた三木氏が台頭し、姉小路氏の分家の一つである古川氏の名跡を継ぎます。向(小鷹利)氏は16世紀中ごろ以降目立った活動が確認できず、その後いずれかの段階でこの城も三木方が押さえていたと考えられます。
 天正13年(1585)、羽柴秀吉の命を受けた金森長近・可重父子による侵攻によって小鷹利城が落城・廃城したと伝わっていることから、向小島城も同様に廃城になったと考えられます。
 向小島城の西側の尾根には小鷹利城や野口城でも確認できる畝状空堀群があり、横堀とセットで構築されています。これらは白川郷方面を向いていることから、保峠・湯峰峠を越えて攻め入る敵を警戒していたと考えられます。
 さらに畝状空堀群の上部には巨大な切岸と土塁が設けられています。畝状空堀群によって中に侵攻してこようとする敵の動きを鈍らせ、上部から弓で狙いやすくなるという仕掛けになっています。
 これらの遺構は、16世紀後半に三木氏が金森軍侵攻に備えて急遽構築した可能性があります。
 令和元年(2019)、主郭において実施した発掘調査で柱穴列を検出しました。また、石材を並べ大規模に切岸を造成した痕跡も見つかっています。城の南側に集中している堀切と合わせて、厳重な警戒を払っていたことが想定されます。遺物は16世紀前半頃の天目茶碗や瀬戸美濃焼の皿が見つかっています。
 向小島城跡には傾斜の強い切岸や巨大な堀切など迫力のある遺構が現在でも残っています。
 【向小島城跡周辺赤色立体地図】
 向小島城周辺の測量図です。向小島城は古川盆地北西側の山間地に位置し、その西側には殿川が流れています。向小島城の尾根を境に北側には信包地区、南側には笹ヶ洞地区が広がっています。
 この地域の街道は基本的に河川に沿って伸びており、信包地区から古川盆地へは向小島城の北側を通るルートと殿川沿いを北上するルートがあります。
 向小島城と信包地区を挟んだ位置には城見寺城があり、その南側を通って湯峰峠を抜けると白川郷方面へ続きます。また、信包地区の中心部にある善行寺(現:向善寺)をはじめ、寺社が多い地域です。

 拝殿です、ビニールシートで覆われています

 本殿です、御祭神は八重事代主神(やえことしろぬしのかみ)大宮能売神(おおみやのめのかみ)です

 社殿北側に目的の大杉です

 西側から

 「古川町指定文化財 恵比須神社大杉樹」の標柱です

 南側から、目通り幹囲4.41m(実測)の大木です

 東側から

 北側の道路に出て見上げました

 では、次へ行きましょ






 2025・8・4・07・45
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岐阜県飛騨市、古川町谷「信行寺の大イチョウ」(市指定)です!!

2025-08-12 06:52:31 | 巨樹・大木
 古川町谷地区は、飛騨市役所の北西約6kmのところです

 飛騨市役所西側の「本町」信号を北西へ、県道476号線です

 約2.6kmの「諏訪田」信号で、国道472号線に合流して北西へ

 約2.4kmの「鷹狩橋」信号を左(南西)へ、鷹狩橋で宮川を渡ります

 橋を渡り切った所の「⇐鷹狩駐在所」の案内板を、駐在所の反対の右(北西)へ

 道成りに坂道を約600mで信行寺境内に入りました

 境内に車を止めさせて頂きました

 東林山

 信行寺です

 鐘楼ですが、後方にイチョウの樹冠が見えています

 南西向きに本堂です

 本堂前庭には百日紅(サルスベリ)です、こちらも市指定天然記念物のはずなのですが表示はありません

 まだ三分咲くらいでした

 本堂南東側境内端に目的のイチョウです

 西側から、本堂裏側の墓地への通路です、逆光ですね~

 本堂脇の北側から、根回り6.9m、目通り4.8m、樹高30m、樹齢(推定)350年だそうです

 離れて見ました

 では、次へ行きましょう





 2025・8・4・7・35
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岐阜県飛騨市、古川町杉崎(岡前)「諏訪神社の三本スギ」(市指定)です!!

2025-08-11 18:34:45 | 巨樹・大木
 古川町杉崎(岡前)地区は、飛騨市役所の北西約3.5kmのところ

 飛騨市役所西側の「本町」信号を北西へ、県道476号線です

 約2.6kmの「諏訪田」信号で、国道472号線に合流して北西へ

 約600mの袈裟丸パーキング入口の信号機を右(北)へ、JR高山本線の踏切を渡ります

 約300mで右手に西向きの諏訪神社参道入口です

 すぐ先を右(北東)へ坂道をの上がると諏訪神社社務所脇に車を止める事が出来ました

 自然石の社號標です

参道を進みます

 南西向きに鳥居です

 手水舎です

 拝殿です


 本殿覆い屋です

 社殿の右手に目的の「三本スギ」です

 南西側から、細い注連縄が巻かれています

 説明版です
   諏訪神社の三本スギ
     市指定天然記念物
 根元の周囲8.5m、目通り7.1mのところで幹が三本に分れている。
 樹齢は650年と推定される。
              飛騨市教育委員会

 南側から

 東側から、三本の幹が分かります

 北東側から

 本殿覆い屋東側の境内社です

 三本スギ東側の大スギも市指定天然記念物です

 天然記念物標柱です、境内の2本が指定されています

 南側から見上げました、目通り幹囲4.63m(実測)の大木です

 もう一本の大杉は社殿西側です

 西側から、目通り幹囲4.74m(実測)の大木です

 幹にはセミの抜け殻が付いていました

 社務所南西側に五輪塔が並んでいます

 「飛騨国司姉小路家墳墓地」の石碑です

 説明版です
   姉小路家墳墓地
 南北朝時代の貞治2年(1363)に姉小路家綱は、北朝の後醍醐天皇より飛騨国司に任じられ、下向し飛騨国に入り、小島城・古川城・向小島城を拠点にして古川盆地の統治を行ないました。
 その後、天正13年(1585)羽柴秀吉に討伐を命じられた越前大野城主金森長近に滅ぼされる迄の230年の長きに渡り、豪族としての姉小路一族が飛騨を治めました。
 何時年、治世の幕を閉じた姉小路一族の代々の墓は、裏山深く埋没され宝篋印塔や五輪塔も散乱し消え去りました。
 然れども岡前(御構)の山裾から墓塔が発掘され、諏訪神社の境内に安置し墓前祭を斎行するものです。

 では、次へ行きましょう





 2025・8・4・07・15
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岐阜県飛騨市、古川町太江(下太江)「高田神社の五本杉」(市指定)です!!

2025-08-11 06:53:24 | 巨樹・大木
 古川町太江(下太江)地区は、飛騨市役所の報北西約3kmのところです

 飛騨市役所西側の「本町」信号を北西へ、県道476号線です

 約2kmの「杉崎」信号を右(北東)へ、県道75号線です、直ぐにJR高山本線の踏切を渡ります

 約800mで県道左手に高田神社 の鳥居が参道入口です

 高田神社社號標です

 ここに天然記念物説明版が有ります
   飛騨市天然記念物
     高田神社の大五本スギ
       昭和47年12月13日指定
 目通り4.1mにも及び、「地上15mほどで幹が五つに分かれた大変見事な樹形である」として市指定文化財となっているスギの樹木である。 
 樹齢は400年を超えていると推定され、高田神社のご神木として、地元では永らく大切に保存されている。
      令和元年7月         飛騨市教育委員会

 参道の道路を進みます

 *駐車場は、手前を左(北)へ入って、坂道を上った上側の道路の先(ニノ鳥居東側)に参拝者用駐車場がありますので利用させて頂きました

 ニノ鳥居です

 こちらにも社號標です

 説明石碑です
   式内社 金幣社 高田神社
     御祭神 主神  高魂命(たかみむすびのみこと)
         相殿神 白山比咩命(しらやまひめのみこと)・建御名方命(たけみなかたのもこと)・賀茂別雷命8かもわけいかづちのみこと)・天津彦根命(あまつひこねのみこと)
   御由緒
 当神社の境内近くに、4・5千年前縄文時代中期の聚落跡と見なされる五番屋敷遺跡があり、また多数の遺物や祭祀遺跡(建石など)が発見されており、既にその頃より当神社の芽ばえがあったことがわかる。
 社名の「高田」タカタは高台にある水田を意味し、現在地の西方50m余りの湿田には、古墳時代祭祀に使用されたとみられる土器が数多く出土していることから、その頃には神饌田もあり、神社としての形態が整っていたものと考えられる。
 また、当神社を中心に環状に配されている21基の古墳は、御祭神との関係を示すこの土地の氏族の墳墓と考えられることから、当神社はこの氏族の氏神であり、日本書記や三代実録、新撰姓代録等に見られる、敏達天皇6年(577)飛騨にも「日奉部」(ひまつりべ)が置かれ、、その伴造(とものみやつこ)が、萬物の繁栄の祈願をこめて始祖神の「高魂命」をこの土地に祀られたと考えるのが自然である。
 更に当神社の隣にある、寿楽寺附近で白鳳期の古瓦が出土し、近くに釜谷古窯跡もあることから、古い寺院の存在が判明しして、それは当神社の神宮寺的存在であったことが推定され、萬物の生成発展をつかさどる高魂命を祀る当神社は、当時広くこのあたり一帯の篤い信仰を集めていたと考えられる。
 当神社の御神威の発揚について、正史に見られるところでは、文徳天皇(実録によれば仁寿元年((851)正六位上に、三代実録には、清和天王貞観9年(867)従五位上授けられ、更に醍醐天皇延長5年(927)につくられた延喜式には、2月の祈年祭に官祭の班幣を戴く式内飛騨八社の一つに列し、穀幣の小社とされている。
 中世になり後醍醐天皇の建武の中興の御偉業に功績のあった飛騨国司姉小路家綱卿は、当神社を崇敬し、境内には「十楽館」(館)設けられた。それは平安京にならい、野中に賀茂神を祀り児島城を築いてその山々を東山、北の峰を北野嵯峨山、城下の細江川を賀茂川と名づけられた地名がいくつか現存していることから、飛騨国統治の中枢にされたことを物語っている。
 またその館跡が現存する今日においても、例祭の御神幸には当時の偉容を伝える武者姿が警護に当り、火縄銃を発射して供奉しているが、古書には神職が国司の姿をして佩剣したと有る。
 近世になり白山信仰の勢力が、飛騨にも伸びて、当神社は白山社と改称され、元禄検地帳には白山権現宮の名が見られる。
 しかし江戸時代文化年間、当時の神道の中心的存在であった京都吉田家の役人の調査により、高田神社であることが確認され、社号碑を建てて旧に復すことになった。
 その後明治5年には郷社に列せられた。そして昭和51年には岐阜県神社庁参向の金幣社の指定を受けている。
 当神社は国司姉小路家一族の刀剣や甲冑など武具の宝物も多数伝わり、随神と小島城主時光公所有とされる冬瓜蓑朱兜は、古川町指定文化財であり、御神木五本杉は天然記念物に、神楽獅子舞は県無形民俗文化財にしていされている。
 特にその舞中の采振りは独特のものとして評価され、神前のみで舞われることになっている。
     以下略

 神楽の説明版です

 かぶとの説明版です

 参道を進みます

 参道左手には「飛騨国司 姉小路氏顕彰碑」です

 飛騨姉小路家代々奥津城遺跡の石柱です、遺跡はここの東方450mミダ洞の麓です

 イチョウの大木です

 手水舎です

 手水舎の後に目的の「五本杉」です

 「五本杉」の飛騨市指定天然記念物の標柱です

 南東側から、太い注連縄が巻かれています

 南側から、目通り幹囲4.3mの大木です

 北側から

 拝殿です


 本殿です

 境内社です

 では、次へ行きましょう





 2025・8・4・06・35
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岐阜県飛騨市、古川町下気多「水穂神社の神木アカマツ」(市指定)です!!

2025-08-10 18:41:01 | 巨樹・大木
 古川町下気多地区は、飛騨市役所の北北西約1.5mのところ

 飛騨市役所西側の「本町」信号を北西へ、県道476号線です

 約1kmの信号機を右(北東)へ、約400mで右(南東)へ

 間も無く左手に水穂神社参道入口です

 手前の道路脇に車を止めさせて頂きました

 一ノ鳥居です

 水穂神社社號標です

 手水舎です

 参道を進みます

 拝殿です

 社殿本殿覆い屋の後側に背の高いアカマツが見えます

 社殿東側から斜面を上って行きます

 南東側から見上げました

 飛騨市指定(天然記念物)水穂神社の神木アカマツの標柱です

 南側から、実測しました目通り幹囲は3.07mの大木です

 西側から見上げました

 では、次へ行きましょう



 2025・8・4・06・17
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岐阜県飛騨市、古川町壱之町「福全寺跡の大イチョウ」(市指定)です!!

2025-08-10 06:37:04 | 巨樹・大木
 古川町壱之町は、飛騨市役所の直ぐ南側に有る地区です、「飛騨古川まつり会館」の南側の「飛騨の匠文化館」脇に「福全寺跡の大イチョウ」が有ります

 早い時間でしたが、市役所が無料駐車場となっていますので車を止めさせて頂きました

 市内の案内図です、地図には「福全寺跡の大イチョウ」は記入されていませんが南西側直ぐです

 市役所前の県道476号線の横断歩道を渡って南西に入ると

 「飛騨古川まつり会館」です

 説明版です
   まつりひろばと飛騨古川まつり会館
 ユネスコ無形文化遺産に登録されている「古川祭の起こし太鼓・屋台行事」。
 毎年4月19日夜から20日未明に行われる起こし太鼓は、二人の若者が打ち鳴らす櫓上の大太鼓めがけて12組の付け太鼓が、名誉をかけて激しく先陣争いを繰り広げながら町内を巡行する勇壮な裸祭で、この広場が発着点となっています。
 飛騨古川まつり会館では、一年中古川祭の感動と興奮を映像で紹介するほか、絢爛豪華な三台の祭屋台が展示され、からくり人形の実演も楽しんでいただけます。
             飛騨市
 
 飛騨古川まつり会館前から南側に目的の大イチョウの樹冠が見えます
 
 「気多若宮神社御旅所」です

 「飛騨の匠文化館」前には「飛騨の真柏」樹齢850年です

 目的の「福全寺跡の大イチョウ」です

 北東側から

 南東側から、目通り幹囲5.6mの巨木です

 南西側から

 「中部読売新聞社選定 東海の観光と史跡認定地」石柱です

 説明版です
   福全寺跡の大イチョウ 市指定天然記念物
 ここはかつて全福寺という真言宗の寺院があって、イチョウ樹の立っている地点は、境内の東隅にあたる。
 幹の目通り5.6m、樹高30m、男木で、樹齢700年と推定されている。
 この木にちなんでこの所を銀杏岡と呼ばれた。
 天正の末(16世紀末)旅僧快存上人が増島城主金森可重の帰依を受け当地に留まり、旧院を再興して福全寺と名付けた。
 一時期山伏が来往して実宝院と称したこともあったが、その後衰頽して国分寺の末寺となり、明治7年遂に廃寺となった。
 昭和47年まで当町役場庁舎がここに所在した。
                飛騨市教育委員会

 西側から見上げました、西側の広場周辺には「三寺めぐり朝市」会場です
 *飛騨古川「三寺まいり」
 飛騨古川で200年以上続く伝統行事「三寺まいり」は、毎年1月15日の夜、親鸞聖人のご恩を偲び、古川町内の円光寺・真宗寺・本光寺を詣でるならわしです。
 かつて明治・大正期には、野麦峠を越えて信州へ糸引きの出稼ぎに行った飛騨の女性たちが着飾って巡拝し、男女の出逢いが生まれたことから縁結びの行事としても知られるようになりました。


 水量豊富な水路には沢山の錦鯉が泳いでいます、雪の降る時期には鯉たちは深い池へ引っ越ししているそうです

 説明版です
   瀬戸川と白壁土蔵街
 天正17年(1589年)頃、当地を治めた金森可重が城下町として古川の町を築造する際、最初に造られた用水(瀬戸川)は、今も住民の生活・防火用水として利用され、その清らかな流れにはおよそ千匹の鯉が優雅に泳いでいます(冬期間を除く)。
 ここから上流400mの間の水路沿いには、2軒の造り酒屋の酒蔵をはじめ30棟余りの土蔵が建ち並び、人々に安らぎを与えるその空間は、飛騨古川の代名詞とも言える景観となっています。

 説明石碑です
   瀬戸川
 この瀬戸川は、400年の長い間清く豊かな流れの絶えることなく、常に古川町民の生活を支えてきました。
 福全寺中興第1世快存上人が、増島城の堀の水を貰い受けて通したとか、瀬戸屋源兵衛が工事の監督をしたとかいわれますが、金森氏藩政時代には、この川の東側にあった武家屋敷を守りための堀であったように思われ、川筋を境に西の方に発展した町人街の裏手に当たる為、背戸川とも呼ばれました。
 今もこの川は、農業用水、防火用水、流雪溝として重要な役割をもち、鯉の群れ泳ぐ川として親しまれています。
 ことし3月改修工事と周辺の修景整備を行いました。
     平成4年7月  古川町長 野村憲一記

 若山牧水の歌碑です

 では、次へ行きましょう





 2025・8・06・00
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岐阜県飛騨市、古川町是重1丁目「堀田森の大イチョウ」(市指定)です!!

2025-08-09 18:42:54 | 巨樹・大木
今回からは、2025年8月4日~6日の取材分の報告です、何時もの様に最後に取材日時を記入しておきますね

 古川町是重1丁目は、飛騨市役所の南東約1.5kmのところ
 
 飛騨市役所西側の「本町信号」から県道476号線を南東へ進みます、約500mの「殿町」信号を右(南西)へ

 道成り緩く左にカーブするように約1.3kmの「上町北」信号を左(北東)へ

 約200mで左手に「堀田森」という公園にも目的の「大イチョウ」です

 荒城川の土手道脇に車を止めさせて頂きました

 公園入口(南東側)から見ました

 「堀田森」の石碑です

 市制記念の石碑です
   市制記念碑
 郷土の古昔は、上町から下町にかけて高台地で水利に恵まれず、畑作に依存する苦しい生活であったが、「是重」という村人が、郷土を含む広大な地域の水田化の実現にに向けて、村々を精力的に奔走し、美田を完成させてと伝えられている。
 この献身的な先覚者の功績に、次代の村人が是重村と唱え、また神と称え祀ったのがこの地の大銀杏のある堀田社跡といわれ、大地に根強く歴史を刻み、現代に生きる私たちに語りかけております。
 大銀杏は、昭和31年の町村合併に伴って古川町「天然記念物」に指定され、その後、平成16年2月1日をもって飛騨市指定史跡として受け継がれた。
 飛騨市誕生という歴史的な行政改革を基に、三区の記念事業として先人たちが成し遂げた偉業を秘めた堀田森に「いしぶみ」を建立するとともに、区民に親しまれる憩いと語らいの森として整備し、豊かな風土づくりを目指すこととした。
       平成16年5月吉日    飛騨市古川町第三区
 *平成16(2004)年2月1日に、古川町、河合村、宮川村、神岡町の2町2村が合併し、飛騨市が誕生しました。

 南東側から

 説明版です
   堀田森の大イチョウ  市指定天然記念物
 根元の周囲8.3m。最も太い幹の目通り4.2m。樹の高さは32m。
 地上50cmのところで幹が3本に分かれている。
 樹齢は約800年と推定される雄の樹である。
 この地は、かつて大山咋大神を祀る日枝神社の境内地であったが、同社は明治40年貴船神社に御祀された。
                飛騨市教育委員会
 *貴船神社は、北西約200mの飛騨市古川町貴船町に鎮座し、境内周りには銀杏が多く植栽されています。

 南側から、太い幹が根元で重なっています

 西側から、太い注連縄が巻かれています

 北側から、三本の幹が分かります

 東側から見上げました

 では、次へ行きましょう




 2025・8・4・05・40
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長野県木祖村、薮原鳥居峠「鳥居峠の栃の木群(奈良井側)」です!!

2025-08-09 06:38:52 | 巨樹・大木
 *藪原宿(標高930m本陣付近)は、中山道六十九次(江戸日本橋から35番目)の宿場で、現在の長野県木祖村藪原に位置しまうす。
 鳥居峠(標高1197m)中山道六十九次の調度中間(宿場数で)を越えると奈良井宿(標高940m付近・中山道34番目)の宿場で、現在の長野県塩尻市奈良井に位置します。
 現在の国道19号線は、鳥居峠の南側「峠山(標高1415.7m)」の真下を「新鳥居トンネル」で貫けていて、北側にはJR中央本線の鳥居トンネルが藪原駅と奈良井駅間(約7km)をわずか5分で結んでいます。

 薮原鳥居峠は、木祖村役場の北北東約4kmのところ

 木祖村役場(標高920m付近)東側の生活道路を南へ、約100mの体育館脇で左(東)へ

 約100mで一時停止を左(北)へ、旧中山道です、約250mの横断歩道を右(東)へ

 JR中央西線の高架を潜って北へ線路沿いを進み、道成に約600mで右手に「天降社のオオモミジ」を見て

 さらに直進します、約1.1kmで旧中山道(遊歩道)を左に別けて車道を進むと右手には砂防堰堤工事現場です

 ここからは砂利道の林道となります、約3kmでと峠下の分岐を藪原側に入って「子産みの栃」などを見て来ました
 

 案内板で確認します、奈良井側にもトチノキが在るようなので行ってみます

 中山道鳥居峠です

 休憩舎(峠の茶屋)と水場です

 すぐ先に道路下に大きなトチノキです

 更に奥にもトチノキです

 旧中山道鳥居峠奈良井宿側に石畳の先にトチノキが並んでいます

 雷鳴が聞こえて(この後奈良井宿へ下る前から雷雨となりました)いますので、今回の取材は終わりにして埼玉へ帰りましょう



 2025・7・26・14・45
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長野県木祖村、薮原鳥居峠「鳥居峠の栃の木群(子産みの栃)」(村指定)です!!

2025-08-08 18:32:23 | 巨樹・大木
 薮原鳥居峠は、木祖村役場の北北東約4kmのところ、中山道の藪原宿と奈良井宿の間です

 木祖村役場東側の生活道路を南へ、約100mの体育館脇で左(東)へ

 約100mで一時停止を左(北)へ、旧中山道です、約250mの横断歩道を右(東)へ

 JR中央西線の高架を潜って北へ線路沿いを進み、道成に約600mで右手に「天降社のオオモミジ」を見て

 さらに直進します、約1.1kmで旧中山道(遊歩道)を左に別けて車道を進むと右手には砂防堰堤工事現場です

 ここからは砂利道の林道となります、約3kmでと峠下の分岐です(旧中山道では1.5kmの歩程です)

 この前に車を止めさせて頂きました

 案内板が有ります、藪原側に目的の「子産みの栃」があるようです

 林道を進みます、車止めのクマ除けの鐘を鳴らして進みます

 スギ林の中へ入って行きます

 左にカーブすると

 林道の右手に大きな木が見えて来ます

 一本目のトチノキです

 二本目のトチノキです

 三本目のトチノキです

 林道上側にもトチノキです

 4本目のトチノキです

 5本目のトチノキです

 目的の「子産みの栃」です

 説明版です
   子産みの栃(トチ)
 昔、この木の空洞に捨て子があり、子宝に恵まれない村人が育てて幸福になった事から、この木の皮を煎じて飲めば、子宝に恵まれると言い伝えられている。
   木祖村文化財「鳥居峠のトチノキ群」

 幹に開いている穴の周りには御賽銭?が供えられています

 6番目のトチノキです

 林道カーブの上側に大きなトチノキが見えました

 下から見上げました

 町指定天然記念物標柱です

 林道沿い7番目のトチノキです

 少し下側のトチノキで最後にしました

 戻って、峠を越えましょう


 

 2025・7・16・16・30
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長野県木祖村、薮原「天降社のオオモミジ」(村指定)です!!

2025-08-08 06:33:12 | 文化財・樹木
 薮原地区は、木祖村役場の有る地区です、木祖村役場の北東約1kmの所に天降社が西向きに鎮座します

 木祖村役場東側の生活道路を南へ、約100mの体育館脇で左(東)へ

 約100mで一時停止を左(北)へ、旧中山道です、約250mの横断歩道を右(東)へ

 JR中央西線の高架を潜って北へ線路沿いを進み、道成に約600mで

 右手に「天降社」の鳥居が有ります

 前の道路(中山道)の少し先の交差点を右へ入った「青年の家」脇に車を止めさせて頂きました

 車を止めて戻って来ました、北西側から

 西側から

 説明版です
   天降社のオオモミジ(カエデ科)
 県内でカエデの巨木はあまり見られないが、このオオモミジは胸高直径約80cm(幹囲2.5m)の巨木で、秋の紅葉がたいへん美しく、道行く人たちの目を楽しませている。
 天降社境内の森は、古来「大神宮の森」としてカエデの老木が多く見られ、中山道の街道沿いのため広く知られていたと伝えられている。
 このオオモミジが飛ばした種から、鳥居峠一円には多くのオオモミジが自生しており、近年、地元の人たちによるオオモミジの植樹も行われて、付近一帯が「モミジの里」になりつつある。
 昭和52年に木祖村天然記念物に指定。
 モミジとカエデは同じ意味に使われているが、モミジは、秋に草木が紅葉することを意味する動詞「もみず」からモミジとなり、カエデは葉の形がカエルの手に似ているため「かえるで」と呼ばれ、のちにカエデとなった。
 一般に、葉の切れ込みの深いカエデを「〇〇モミジ」、切れ込みの浅いカエデを「〇〇カエデ」と呼んでいる。
   木祖村文化財 「天降社のオオモミジ」

 南西側から

 天然記念物標柱です

 鳥居を潜って見上げました

 石段を上って見下ろします

 境内に上がって見下ろしました

 境内中程からオオモミジの樹冠見ました

 鳥居です

 社殿です

 天降社の石碑です

 では、次へ行きましょう





 2025・7・26・16・05
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長野県木曽町、三岳(日向)「日向八幡宮のヒノキ(4本)」(社叢:町指定)です!!

2025-08-07 18:36:14 | 巨樹・大木
 三岳(日向)地区は、木曽町役場の南西約4kmのところ

 木曽町役場を北東に出て一時停止を右(南)へ、JR中央本線の跨線橋を越えます

 約300mの「万郡(まんごうり)」信号を右(南西)へ、国道19号線です

 道成りに約2.5kmの「御嶽・大滝・三岳・県道20号線⇨」の標識に従って「元橋」信号を右(西北西)へ

 木曽川を元橋で渡って約2kmで右(北)上へ入ります、県道の一段上の河岸段丘面を約400mで

 日向集落中程の右手に大きなヒノキが見える日向八幡宮(グーグルマップの表記)です

 前の道路脇に車を止めさせて頂きました

 「八幡宮」の社號標です

 説明版です
   八幡宮の社叢
 社叢の面積は2337㎡である。
 社叢内には、樹齢質百年(数百年)を超えるヒノキの老木4本をはじめ、ヒノキ・杉の大木や若木が群生しており、この様な檜の大木が人里に群生しているのは珍しい。
   八幡宮神殿
 創立年月は不詳であるが、祭神は誉田別尊(応神天皇)である。
 旧三尾村の産土神であり、祭礼は4月30日と10月10日に行われる。
 神殿は、古来幾度か建て替えられたが、現存するものは弘化4年6月(1847)再建に着手し嘉永元年(1848)竣工したものである。
 建築は立川流の様式を受け、その彫刻に特徴がある。
                  木曽町

 手水鉢です

 左側のヒノキです、目通り幹囲は5.1mの巨木です

 ヒノキの間に両部鳥居です

 拝殿です

 右側のヒノキです、目通り幹囲は5.0mの巨木です

 拝殿左(西)側にも若いヒノキです、目通り幹囲は4.6mの大木です

 本殿です

 目的のヒノキは拝殿の右(東)側に太い注連縄が巻かれています

 近付いて見上げました

 南東側から、目通り幹囲6.0mの巨木です

 東側から

 本殿右(東)側に並ぶ境内社です

 大きな石碑は蚕玉大明神です

 では、次へ行きましょう



 
 2025・7・26・14・05
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