ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

福島県安達郡大玉村、南町のケヤキです!!

2016-11-30 07:15:11 | 巨樹・大木
南町のケヤキは、大玉村役場の南約1kmのところ

町の南側を流れる、安達太良川の河岸段丘上

田圃の耕地の上、住宅が並ぶ南側にあります

ケヤキの根元に湧く清水は、織井の清水とよばれています

前の道路が狭いので、少し東側の道路の広い所に車を置かせていただきました


道路右手にコンモリとケヤキが見えて来ます


北側の木の根元からは水が湧いています


南側のケヤキです

説明版があります
  織井の清水
    所在地  大玉村玉井字馬場
    この清水の由来についてはいくつかの説がある。
    一つ目は、江戸の天保年間にまとめられた「相生集」によるもので「折井」ときされている
   もの、二つ目は、明治44年に安達郡役所が編纂した「安達郡案内」によるもので「降井」と
   記されているもの、三つ目は、昭和7年にまとめられた玉井小学校の「郷土誌」によるもので
   「織井」と記されるものである。
   いずれも内容が異なるが、現在伝えられている由来は「郷土誌」によるもので、「源義家が奥
   州平定の際、義家の側女が産気づいたが、付近に水がないのを心配し矢の根で試掘したところ、
   清水がこんこんと湧き出た。その後、いかなる晴天続きでも涸れることがなかった。」といわ
   れている。
    なお、相応寺境内に、義家の側女を祀った社「織井御前」が奉納されている。
    清水の側に「南町の大ケヤキ」(県緑の文化財登録第111号)があるが、これは、樹齢4
   00年、樹高23m、胸高周囲5,9mの巨木である。
                           大玉村・大玉村教育委員会




北側のケヤキ、こちらが「南町のケヤキ」です




西側から




南側のケヤキは、少し若いようです

では、馬場桜へ行きましょう
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神奈川県厚木市、上荻野陽福寺観音堂のスダジイです!!

2016-11-29 06:46:11 | 巨樹・大木
荻野地区は厚木市役所の北北西約9kmのところ

国道412号線を北上すると右手に荻野公民館上荻野分館がります

この先の浅間神社前を左手の道路に入って行きます

約600mで右手小川の先にスダジイの大木が見えます


右手の丘の斜面に大木が見えます



南西側から望遠レンズで撮影しました

少し戻って、道路脇の広場に車を止めさせて頂きました

路地を入ります

住宅の脇から大木が見えます

入り口石段です

手水です

陽福寺観音堂です

境内にはお地蔵様です

御堂右手の高い所に熊雄神社の祠が有ります




御堂の左手に回り込むとスダジイの巨木があります

厚木市の保護樹木に指定されています




崖際から見上げました



北側から

では、次へ行きましょう
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神奈川県厚木市、関東観音霊場第六番札所飯山観音長谷寺です!!

2016-11-28 06:36:21 | 坂東三十三観音霊場
飯山観音は、厚木市役所の北西約8kmのところ

県道60号線に従って進むと

東向きの参道入口前信号です

参道を案内板に従って進みます

車は、山門前右手奥まで上がることが出来ます

関東第六番札所の石碑です

あつぎの文化財獨(ひとり)案内板です

かながわの景勝50選の石碑です

石段の上に山門(仁王門)です、上がりましょう

急な石段を更に登ります

手水舎です



参道脇にイヌマキの大木です

かながわの名木100選の石碑です
 樹高 17m  胸高周囲 2,8んm 樹齢 約400年(伝鈔)

厚木市指定天然記念物にも選定されています

南側から

六地蔵様です

さらい石段を上がりようやく境内です

鐘楼です

銅鐘です

銅鐘は厚木市指定重要文化財です

説明版です、こちらは神奈川県指定重要文化財になっています

境内の手水舎です

大きな宝篋印塔です

本堂です

北側の軒下です

厚木市指定重要文化財の観音堂です





境内南側に樫の大木がありました

では、次へ行きましょう
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神奈川県中井町雑色、中井の槐(エンジュ)です!!

2016-11-27 09:33:04 | 巨樹・大木
中井町雑色は、中井町役場の西約1kmのところ

県道77号線を西へ進むと

道路南側、住宅の間を入ると左手に巨木がありま

南側は駐車場になっているので利用させていただきました



中川のエンジュです

天然記念物石碑です

こちらも天然記念物碑です

県指定天然記念物碑です
   神奈川県
     県指定天然記念物      昭和33年6月17日措定
      中井のエンジュ      和名:イヌエンジュ(マメ科)
     後白河天皇のころ、比叡山の僧義円が地面に刺した杖が発芽成長したものと伝えれれている。
    県内のイヌエンジュとしては、他に類を見ない巨木・古木である。
     昭和59年12月には、「かながわの名木100選」に選定されている。
    樹  高  16,0m
    胸高周囲   8,0m
    樹  齢  約800年(伝承) 
     イヌエンジュは北海道から中部以北の本州に分布する落葉高木で、秋には扁平なさやができ、
    中に数個の豆が熟す。
     樹高18m、胸高周囲10m、樹齢約500年に達するものもあると言われている。 


説明版です 
   槐の木の由来
     保元2年(1151年)伝により、後白河天皇の御代比叡山の僧義円が東国行脚の途上
     霊夢により祠を建立した、(五所八幡宮の奥宮)その折、雑色のこの地に休みて挿した
     杖が、発芽成長したものであることが伝えられている。
      高さ16,2m、周囲目通り9,3m、
      昭和33年6月2日神奈川県天然記念物に指定されている。




南西側から




南側から

南東側 駐車場から見ました

では、次へ行きましょう
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神奈川県小田原市、石橋山古戦場です!!

2016-11-26 06:55:48 | 遺跡・史跡
石橋山古戦場は、小田原市役所の南南西約6kmのところ

国道135号線を南へ、西湘バイパス石橋インター南1kmほどを右斜めに入ると

案内板があります、線路脇の農道を進むと


石橋山古戦場の石碑です

JR東海道本線のトンネルの上のそばにあります

佐奈田霊社の駐車場を利用させていただきました

線路上の道を南へ入ると「ねじり畑」です

佐奈田与一義忠討死の地の標柱です

先に三文堂に行きましょう

入り口です

石段を上ると

三文堂です

中には石碑が祀られています

前の道を進んで行くと、ミカン山の上に出ました

太平洋を見下ろせます、戻りましょう

佐奈田霊社へ行きましょう

石段入口です

長い石段を登り切ると

小田原ふるさと原風景百選案内板です
   「石橋山の合戦」(米神・石橋)は、治承4年(1180)、以仁王の命令を受け挙兵した
  源頼朝が平家方の大場景親、伊東祐親らと戦ったところ。
   佐奈田霊社は、頼朝方の先陣・佐奈田与一義忠の遺骸を葬ってある与一塚の傍らに建ってい
  て、与一の戦死の故事に、せき、ぜんそくなどに霊験あると言われている。
                             小田原市   

境内南側に石塔や石仏が並びます

与一塚です

標柱です

石塔です


神奈川県指定史跡説明版です
  (詳しい説明が書かれています、本堂前の説明版が要約されたものです)


手付き石です、手形が残ります

観音堂です

本堂です

説明版です
   石橋山古戦場と佐奈田霊社
     この付近は、源頼朝が治承4年(1180)以仁王の遺命を受けて平家追悼の挙兵をした
    処である。このとき、相模の名族三浦党の岡崎四朗義実や、その子真田(佐奈田)与一義忠
    も参陣した。しかし、急の挙兵のため、頼朝軍は僅か300であり、攻撃の平家軍は大庭景
    親以下3000であったため頼朝軍は忽ち苦戦とった。このとき真田与一は、15騎で豪雄
    俣野五郎の75騎と戦い、両将組討となったが与一が勝ったか俣野は組み敷かれ、与一はこ
    れを討とうとしたが刃に付いた血が固まり短刀がさやからぬけず手間取ったうちに駆けつけ
    た敵のため25歳の命を花と散らした。
     与一の郎党文三家安は、主の討死を聞き群がる敵中に飛び入り主人の跡を追い討死した。
    この後、討死の地には与一塚が建てられ与一お祭神とする佐奈田霊社が祀られた。
     また、その先100mの処には、文三を祭る文三堂があるが共に今日県指定史跡となって
    いる。霊社下の畑は組討した処と伝えれねじり畑と呼ぶが、このためこの畑の作物はすべて
    ねじれてしまうとも伝えられる。
     頼朝は、建久元年(1190)伊豆山権現参詣の帰途両基を訪れ、無き両人の忠節をしの
    び涙を流したと伝えられる。



相模湾に定置網を見る事が出来ました

では、次へ行きましょう
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静岡県熱海市、来宮神社の御神木(日本第二位の楠巨木)です!!

2016-11-25 06:20:29 | 巨樹・大木
来宮神社は、熱海市役所の北西約500mのところ

県道20号線で、JR東海道線のガードをくぐると直ぐにあります

鳥居の右手道路脇に駐車スペースが並んでいます


来宮神社です

大楠の案内板が有ります

境内案内板です、大楠は社殿の左手奥にあるようです

由来の説明版です

手水舎です





参道右手にも大楠があります

第二大楠です

拝殿に向います

こちらにも手水です

拝殿です

本殿です



大楠があります

説明版です
  



天然記念物来宮神社の大樟の石柱です




根元に祠が祀られています




東側から





北側から


こちらにも説明版があります

来宮神社には、外にも多くの大木や、社・祠が祀られています

では、次へ行きましょう
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雪のニュースと、又地震です!!

2016-11-24 07:01:31 | Weblog
ほぼ2日振りの地震です

先日の余震なのでしょうか

津波は無い模様とニュースです

まだまだ、余震があるかもしれません

又、関東地方での雪は、11月として54年振りです

南部はこれから霙か雪の予報が出ています

午前7時窓の外、道路には積もっていませんが畑は白く成っています

電車の遅れ等は出ていませんが

通勤通学では足元が心配ですね

皆さん、注意してください
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神奈川県湯河原町、五所神社の銀杏と七福神像です!!

2016-11-24 06:31:06 | 巨樹・大木
五所神社は、湯河原町役場の西南西約2kmのところ

大イチョウは、東側駐車場の入り口に覆いかぶさる様に立っています




駐車場入口に大イチョウがあります



東側から

案内板です
   湯河原町指定天然記念物
    五所神社の銀杏
     樹  高   25,0m
     胸高周囲    8,8m
     推定樹齢    800年
    平成9年5月1日指定
       湯河原町教育委員会



西側から

湯河原町七福神です

大黒天です

恵比寿神です

毘沙門天です

布袋尊です


福禄寿です

寿老人です

残念 弁天様を撮り忘れてしまいました~

では、次へ行きましょう
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神奈川県湯河原町、五所神社の御神木楠です!!

2016-11-23 06:04:32 | 巨樹・大木
五所神社は、湯河原町役場の西南西約2kmのところ

県道7語号線を西へ進むと、JR東海道新幹線のガードを過ぎて直ぐ右に有ります

神社の手前に駐車場入り口があります



五所神社です

手水舎です

説明版です
 五所神社
  鎮座地  神奈川県足柄下郡湯河原町宮下359-2
  祭 神  天照大神        彦火火出見尊      素戔嗚尊
      (あまてらすおおみかみ)(ひこほおでみのみこと)(すさのおのみこと)
       天忍穂耳尊         鵜茅草葺不合尊       伊弉諾尊
      (あめのほしほみみのみこと)(うがやふきあえずのみこと)(いざなぎのみこと)
       瓊瓊杵尊     誉田別尊       伊弉冊尊
      (ににぎのみこと)(ほんだわけのみこと)(いざなみのみこと)
  由 緒  当社は、今からおよそ千三百有余年前第38代天智天皇の御代加賀の佳人二見加賀
      助重行等の手によってこの地方が開拓されたとき土肥郷の総鎮守として祀られ、治承
      4年(1180年)8月、源頼朝伊豆より挙兵の時、この地の豪族土肥次郎実平は一
      族と共にこれを助けて頼朝の軍を土肥の舘に導き、石橋山合戦進発の前夜は、社前に
      おいて盛大な戦勝祈願の護摩をたいたといわれています。以来、土肥一族を始め藩主
      領主、庶民の崇敬厚く、現在に至っております。明治6年7月20日旧足柄県指令に
      より村社となり、大正4年11月神奈川県告示により神饌幣帛料共進神社に指定、昭
      和19年7月22日神奈川県指令により郷社に昇格、昭和43年1月24日神奈川県
      神社庁より献幣使の参向する神社に指定される。
  例祭日 8月1日・2日





楠があります

御神木「楠」の案内板です




西側から




東側から



東側駐車場から

拝殿です

本殿は一段高く成っています、防犯ライトが点いてしまって上手く撮れませんでした  

神奈川県指定重要文化財です



拝殿前から、一段下の境内にあるため根元が見えません

拝殿東側に境内社の山神社です

つづきます

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神奈川県湯河原町、史跡「明神の楠」です!!

2016-11-22 05:52:25 | 遺跡・史跡
明神の楠は、湯河原町役場の西南西約2kmのところ

県道75号線を進むと、右側に五所神社が有ります

神社の鳥居の前、道路南側に大きな楠があります

五所神社の駐車場を利用させていただきました

史蹟 明神の楠の大きな看板があります


クスノキです



北西側から

湯河原町指定文化財 史蹟 明神の楠の票柱です

説明版です
    史跡「明神の楠」
      五所神社は、古くは五所大明神社、又は五所大明神と称し、今を去る約千三百有余年
     天智天皇の御代、加賀の国の住人二見加賀之助重行らの手によってこの地方が開拓され
     たとき土肥郷の総鎮守として天照大神をはじめ五柱の神霊が鎮座されたと伝えられてい
     ます。
      治承4年(1180年)8月源頼朝伊豆より挙兵の時、この地の豪族土肥次郎実平は
     一族と共にこれを助けて頼朝の軍を土肥の舘に導き、石橋山合戦進発の前夜は、社前に
     おいて盛大な戦勝祈願の護摩をたいたといわれています。
      この時、実平によって佩刀一口が奉納され、今なお社宝として保存されております。
      以来、領主、庶民の崇敬特に厚く、長寿長命の神、湯の産土神として今日に至ってお
     ります。
      昔の神社の境内は広大幽遂で参拝者は前方の千歳川の清流で禊をおこない、この「明
     神の楠」の下を経て神社に参拝しておりました。
正保3年(1646)この樹下の参道をもって当時入谷村といわれたこの地方が宮下
     宮上の両村にわかれていました。
      その頃の参道には数多くの楠の巨木が生い茂っておりましたが、世の移り代わりと共
     に、今はこの一樹のみが歴史の跡を物語っております。
        昭和54年4月1日       湯河原町文化財
      クスノキ(くすのき科)
      根回り15.6m
      樹齢800年以上

      





南西側から



南側から

クスノキの洞にお地蔵様がいらっしゃいます

では、五所神社に行きましょう

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栃木県大田原市、雲巌寺のスギです!!

2016-11-21 05:49:41 | 巨樹・大木
雲巌寺は、大田原市役所の東約17kmのところ

国道461号線を東へ、県道13号線、321号線とたどって

参道入り口前になります

参道前に大きな駐車場があります


参道入り口に大杉を見る事が出来ます

天然記念物 雲巌寺のスギの標柱です




参道内側から見上げました目通り幹周り5,2mの巨木です


山門です

案内板です

説明版です
   禅宗東山雲巌寺由緒
     柳々東山雲巌寺の由緒を訪ぬるに、開祖 勅謚仏国應共広済国師(西暦1241~1316)
    は、達磨大師第27代、臨済宗祖慧照禅師より17代の法孫、鎌倉円覚寺開山 勅諡仏光円満
    常照国師の法嗣にして、御修業中関東地方を行脚せられ、此の霊境に菴を結び給うや、八溝山
    の高梨勝願法印、国師に就いて禅を学び弟子の礼を執り、此の山を国師に献ぜしに創り、弘安
    6癸未年(1283)時の執権北条時宗公大壇越となり、国師の為に一大禅刹を建立せしに成
    れり。
    ・・・

仏殿です

鐘楼です

方丈へは三ケ所の階段から行けますが、仏殿の西側は”通行止め”です

鐘楼側の石段を上ります

方丈です

懸額です

方丈前から仏殿・大杉を見下ろします

庫裏の前を通って東へ向かいます




熊野神社前に大欅です

三仏塔です

裏門から出ます

裏門を外側から見ました



前の川沿いにもケヤキの大木があります


川の南側から

紅葉が綺麗です


では、次へ行きましょう

(2016・11・6)
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福島県石川郡浅川町、小貫春日神社の大杉です!!

2016-11-20 16:22:13 | 巨樹・大木
小貫地区は、浅川町役場の西約3kmのところ

地区の南側、社川と県道277号線の間

消防団の屯所や公園、野球場などの中に春日神社があります

野球場の入り口道路前に車を置かせていただきました


浅川町消防団の屯所と公園があります

北側の道路から春日神社の裏側を見る事ができます



野球場側に参道入り口があります

村社春日神社です

手水です

社殿です

本殿覆い屋です

東側の境内社です

社殿西側に境内社が並びます




社殿の直ぐ脇に注連縄の巻かれた御神木の大杉です

案内板です
  福島県緑の文化財
    春日神社大杉
     樹齢約500年以上
     周囲   6,0m
     樹長 約50,0m




北西側から


西側に石塔石仏が並んでいます


樹高の高い杉で綺麗な杉です

では、次へ行きましょう
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福島県矢吹町、陣屋の二本カヤです!!

2016-11-19 03:10:21 | 巨樹・大木
中畑地区は、矢吹町役場の南東約4kmのところ

県道44号線を南東へ進み

澄江寺の南側で県道と平行する東側道路を南へ

まもなく左手に郵便局があります

南側道路を東へ入ると正面に二本のカヤの木があります

駐車スペースがありますので利用させていただきました

目印は中畑郵便局です

南側道路を東へ入ると



正面に二本カヤがあります


北側のカヤです


南側のカヤです


福島県指定天然記念物 陣屋の二本カヤの標柱です

説明版です
 福島県指定天然記念物
    陣屋の二本カヤ
      昭和46年4月13日指定
      所在地 矢吹町中畑228番地
      所有者 岡崎憲一郎
    南側のカヤ
      根まわり 5,8m  樹高21m
    北側のカヤ
      根まわり 5,2m  樹高19m
     二本カヤのある岡崎氏宅は、天保8年(1837)、当地の領主となった旗本松平軍次郎
    の陣屋(江戸時代に代官などが任地に所有していた役宅)で、この二本カヤは陣屋建築当時
    すでにみごとな生育をしていたので残したと記録されている。
     南北に1mの間隔で並立する二本のカヤは、いずれも地上1m内外で数本の大枝に分岐し
    て直上している。樹高が高く、樹勢もよく、旧陣屋庭園内にあることも特記に値する。
                              福島県教育委員会
  



北西側から


南西側から見ました

では、次へ行きましょう      



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福島県郡山市、夏出の大イチョウと大キャラです!!

2016-11-18 05:00:03 | 巨樹・大木
夏出地区は、郡山市役所の北西約9kmのところ

国道49号線の喜久田町信号を西へ

県道29号線長沼喜久田線で西へ向かうと

道幅が狭くなって道路が左に曲がった所に

東北自然歩道の説明版があります

目的地へは車で入れそうに無かったので

少し先に進んだ道路脇に車を止めさせて頂きました


東北自然歩道(新奥の細道)の案内板の前から見上げると、イチョウの木がわかりました

案内板の右側道路を入って行きます



薬師堂の石段の右側に、案内板にあった大キャラがあります


左側が目的の大イチョウです

石段脇には、郡山市指定重要文化財 木造薬師如来坐像の標柱があります

石段を上がります

説明版です
   郡山市指定重要文化財 
      木造薬師如来坐像
        昭和43年3月13日指定
       木造薬師如来坐像は、高さ130cm、膝の幅120cmの、杉を用いた珍しい仏像で
      す。
       ここはかつて、瑠璃光山円福寺という寺がありましたが廃寺となり、この仏像のみが薬
      師堂に安置されたものです。
       天保12年(1840)に編集された「相生集」によると、この仏像は運慶の作で、昔
      ある盲人がこの仏堂を建てたところ、目が見えるようになったとの記載があり、江戸時代
      には参詣の人でにぎわったようです。
       この仏像は寄木造りでありますが、顔自体に杉を用いた木地の荒々しいなかに木目肌が
      みられ、いかにも手作りのあとが見い出せます。
       地方産の杉材を使用した大胆な作り方には親しみを感じさせるものがあり、密教的要素
      も多聞に見られます。               郡山市教育委員会      





大イチョウです

郡山市指定天然記念物 夏出の大イチョウの標柱です

説明版です
   郡山市指定天然記念物 
      夏出の大イチョウ
        平成5年2月16日指定
       夏出の大イチョウは、樹高約35m、胸高直径は約220cm、幹周りが7,0mあり
      枝張りも東西南北ともに約20mあり、とても大きな木です。
       イチョウは、松や杉と同様に裸子植物であり、中生代(2億3千年前から6千5百万年
      前)に栄え「生きた化石」といわれる植物です。雌雄が異株で、雌の樹には銀杏が咲きま
      す。
       このイチョウは、雄の樹で円福寺が造営された際に植栽されたものと思われますが、そ  
      の樹齢は、約400年と考えられます。
       樹勢は旺盛で、枝枯はほとんど見られません。イチョウの古木、巨木は県内にも多数あ
      りますが、それらにひけをとらない市内屈指の巨木です。
                              郡山市教育委員会 



大キャラは、境内から斜めに生えています

こちらも、郡山市指定天然記念物 夏出の大キャラの標柱です

説明版です
   郡山市指定天然記念物 
      夏出の大キャラ
        昭和43年3月13日指定
       夏出の大キャラは、樹高約12m、胸高直径は約85cm、幹周りが約250cmあり、    
      枝張りも東西に約18m、南北に約10mある大木です。
       キャラは古くから香りの高い木として知られおり、イチイ科に属する常緑灌木で、樹形
      もイチイに似ています。葉は線形で上面は濃緑色、下面は蒼白色で春に花がさきます。
       また、キャラは寺院の境内等に好んで植えられることが多く、円福寺が盛んであった頃
      に、この木も植えられたとおもわれます。
       古木のため、少々傾斜して成長しているものの、葉は元気に繁っております。
                              郡山市教育委員会





境内東側には、立派な杉もあります

杉の根元から境内端に石塔や石仏が並びます

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福島県猪苗代町、都沢の大イチョウです!!

2016-11-17 06:21:48 | 巨樹・大木
都沢地区は、猪苗代町役場の南東約7kmのところ

国道49号線志田浜信号を北へ、県道322号線を進みます

JR磐越西線せきと駅前を過ぎて間もなく御堂が見えて来ます

境内に目的の大イチョウがあります

道路脇に車を止めさせて頂きました

南側からの眺めです

金剛山の大きな石塔があります

地蔵堂です



東側から


北側に張り出した大枝が特徴です


説明版です
   町指定天然記念物
     都沢の公孫樹
       昭和60年3月28日指定
      木彫りの等身大の地蔵6体を祀ってある地蔵堂の境内に植栽されている。
      樹高25m、胸高幹周6、m、樹齢推定700年という巨木です。
      公孫樹は火災のときに、葉から水分を発散して社寺を護るといわれている。
      また大量の実は、村人に秋の恵みをもたらし、黄金色した葉が散り尽くすと、
      冬も間近で、移り行く季節を知らせる存在でもある。
      福島県緑の文化財登録第350号
                    猪苗代町教育委員会(平成5年10月設置)




北側から

乳が見えます


根元には、石塔が並びます

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