ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

静岡県沼津市、戸田「下がり松と諸口神社」です??

2024-03-31 18:30:41 | 巨樹・大木
 戸田地区は沼津市の南の広い地域です

 沼津市役所の南西約25km、沼津市役所戸田庁舎の西約3kmの所に御浜岬公園があります

 沼津市役所戸田庁舎の北側の通り県道18号修善寺戸田線を西へ

 約1kmの「戸田三叉路」信号を左(南)へ、県道17号沼津土肥線です

 戸田の港を右に見て道成りに約1.3kmで斜め右の道路へ入ります、県道はここから坂道となって西へ登って行きます

 約600mで御浜岬の付け根の交差点を右(北)へ、一番奥の「戸田造船郷土資料博物館」まで車で行けます

 御浜岬公園トイレ3前の駐車場の車を止めました


 「根上がり松」から戸田港側の砂浜を北へ進みます


 大きなクロマツが見えて来まし(南東側から)

 東側から

 北東側から見ました

 もう一本は直ぐ北側です

 東側から

 北東側から、太い枝が地に着いています、これが「下がり松」なのでしょうか

 北側から見ました

 先へ進みました

 諸口神社の鳥居です、戸田の港向き(東向き)に建っています

 参道を進みます

 手水舎です

 式内社 諸口神社の社號標です

 拝殿です


 本殿です

 説明版です
  諸口神社
   祭神 橘姫命
   例祭日 4月4日
  由緒
 当社の創建由緒等詳ならざれとも「増訂豆州志稿」によれば、廷㐂式神名帳伊豆国那賀郡22座の内、国玉姫命神社にて伊豆国神階帳従四位上もろき姫の明神に座すとな。
 もろき姫、国玉姫、橘姫は同一神でもあろうか、現称諸口は「もろき」と同語にて古来当社を辨天と称し、女神なること明らかなり、航海及漁業者の守護神として崇敬あつく海上安全・大漁満足を祈願し、諸船この沖を通過すると言う。
 応永8年(1402)3月再建、明治12年(1879)8月村社に列す。
 現社殿は昭和28年(1953)4月改築。
  社宝 
 応永8年3月吉日棟札
 鰐口 武蔵国吉見郡久米田郷施主求敬白
 諸口大明神 「応永八年(己辛)霜月十五日」とあり(日本金石年表に見える)
 註・延㐂式内とは醍醐天皇の朝、延㐂年間(901~927)撰修の延㐂式神名帳所載の神社の意にて、単に式内社又は式社ともいう。
 *一般的には「延喜式神名帳」と表記されます

 境内社でしょうか


 次は、「友愛の松」です
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静岡県沼津市、戸田「御浜岬公園の根上りの松」(旧村指定)です!!

2024-03-31 06:47:32 | 巨樹・大木
 戸田地区は沼津市の南の広い地域です

 沼津市役所の南西約25km、沼津市役所戸田庁舎の西約3kmの所に御浜岬公園があります

 沼津市役所戸田庁舎の北側の通り県道18号修善寺戸田線を西へ

 約1kmの「戸田三叉路」信号を左(南)へ、県道17号沼津土肥線です

 戸田の港を右に見て道成りに約1.3kmで斜め右の道路へ入ります、県道はここから坂道となって西へ登って行きます

 約600mで御浜岬の付け根の交差点を右(北)へ、一番奥の「戸田造船郷土資料博物館」まで車で行けます

 御浜岬公園トイレ3前の駐車場に車を止めました

 富士山が綺麗に見えています

 御浜岬の案内図です

 松林を東(戸田港側)へ向かうと大きな黒松が見えて来ます

 目的の根上がり松の様です

 南西側から見上げました

 説明版です
   旧戸田村指定・天然記念物
      根上りの松
     沼津市教育委員会
 指定年月日 昭和48年4月11日
 施置年月日 平成 8年3月30日
 長い歳月にわたり、根元の砂が風浪により洗われて根が露出した。

*樹高30m、目通り幹囲4.0m、推定樹齢300年以上の大木です。


 北側から

 黒松の説明プレートです

 南東側から

 南側から見ると、貸しボートが並んでいました

 戸田の港を見ました

 北東側から根上がり松を見ました


 では、先(北)へ進みましょう
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静岡県沼津市、戸田「御浜岬灯台から富士山と見返り松」です!?

2024-03-30 18:30:59 | 巨樹・大木
  戸田地区は沼津市の南の広い地域です、旧戸田村は平成17年(2005)4月1日に沼津市に遍入合併しました。

 沼津市役所の南西約25km、沼津市役所戸田庁舎の西約3kmの所に御浜岬公園があります

 沼津市役所戸田庁舎の北側の通り県道18号修善寺戸田線を西へ

 約1kmの「戸田三叉路」信号を左(南)へ、県道17号沼津土肥線です

 戸田の港を右に見て道成りに約1.3kmで斜め右の道路へ入ります、県道はここから坂道となって西へ登って行きます

 約600mで御浜岬の付け根の交差点を右(北)へ、一番奥の「戸田造船郷土資料博物館」まで車で行けます

 御浜岬公園トイレ3前の駐車場の車を止めました、岬を見て行きましょう


 御浜岬案内図です

 若山牧水歌碑と富士山です
 「伊豆の国 戸田の港ゆ 船出すと はしなく見たれ 富士の高嶺を」日付が多く塗られて塗料で読めなくなっていました


 綺麗に晴れた青い空と白い雪をまとった富士山が駿河湾の北に眺められました

 灯台を見ました

 南側の道路脇に在るのが「見返り松」のようです

 西側から、V字型に幹が南北に広がっています

 南側から見ました「見返りの松」の案内板等は有りませんでした


 南側から見返り松と灯台です

 次は、直ぐ東側の「根上がり松」を見にいきましょう
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静岡県伊豆市、湯ケ島「八丁池入口の夫婦木」です!!

2024-03-30 06:31:00 | 巨樹・大木
 湯ヶ島は広い地域です、そんな湯ヶ島の南端の旧天城トンネル北側入口手前に八丁池への入り口が在ります

 伊豆市役所の南約15kmの所です


 ここを左に入って駐車場に車を止めました

 天城湯ヶ島山葵組合の自然保護啓発です

 国有林遊歩道案内図です

 踊り子歩道の説明板です
  踊り子歩道
 踊り子歩道は、小説「伊豆の踊子」の舞台となった天城路を歩く、「浄蓮の滝」から「湯ケ野」までの約18.5kmのコースです。
 東海道三島宿から下田へと続く古くからの伊豆の主要道路であった下田街道をたどることができます。
 今でも小説に描かれた当時を偲ぶ道標や天城隧道(旧天城トンネル)や宗太郎杉並木などの見どころがそのまま残っており、四季折々の自然、温泉、歴史文化を楽しめます。
 踊り子歩道は整備された歩道ですが、距離が長いので自分の体力に合った無理のない計画をたてたうえでお楽しみください。

 「夫婦木」は「なまこ岩」への途中にあるようです


 行ってみましょう

 土砂崩れの復旧工事は終わっています

 氷室は土砂に覆われ潰れたままになっています

 説明版は新しくなっているようです
   氷室(氷蔵)跡
 大正初期から昭和初期にかけて、当地では冬の天城山の酷寒を利用して、人工的に天然氷を製造し「氷室」と称する一種の氷蔵に、それらを夏の需要期まで貯蔵しておく工法が行われておりました。
 松本清張の短編小説「天城越え」の舞台になりました。

 広場の先へ進みます

 倒木を越えて進みます

 目的の夫婦木が見えて来たようです

 近付いて見上げます

 根元に立札が置いてあるようです

 南側に回り込みました

 夫婦木の案内板です


 東側から

 北側から


 なまこ岩までは10分ほどですがここで戻ることにしました

 では、次へ行きましょう
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静岡県東伊豆町、片瀬「奈良本国有林のオバケ杉(千手観音杉)」です!!

2024-03-29 19:03:19 | 巨樹・大木
  片瀬地区は、東伊豆町役場の北約8kmのところ

 東伊豆町役場の北北西約10kmのところの天城山の南側斜面の奈良本国有林にシラヌタ池や大杉があり、林道の先にオバケ杉が在ります

 東伊豆町役場の在る稲取から国道135号東伊豆道路を北へ

 約5kmの「白田信号」で左(西)へ、住宅街を約1kmで左(南西)へ直ぐ先のY字路を右へ進みます

 約1.6kmで右(北西)へ白田川を渡ります、白田川発電所(標高99m)の所です

 ここからは天城ハイランドへの急な上り坂です、約3kmで別荘地(標高約500m~)に入りさらに上って行きます

 白田川発電所の所から約4.3km「伊豆天城高原キャンプ場」(標高630m付近)の先を斜め左(北西)へ更に上って行きます

 約600mで左下にヘリポートとプールが見えます(標高約680m)、別荘地の一番上の地区です、ここで鋭角に右(東)へ

 道成に一度登って下って行きます、約800mで左(北西)へ、標高約650mのところです

 ここから林道を約1.6km進むと

 右手に案内板が見えました

 シラヌタの沼への入り口です、案内板には、オバケ杉までは林道から150mの表示が見えます、しっかり覚えて行きましょう

 約200mで「シラヌタの大杉」への入り口です

 林道をもう少し進むと遮断機で封鎖されています、遮断機前(標高740m付近)の奈良本林道駐車場に車を止めさせて頂きました

 遮断機の脇を通って南西への林道を、ストックを持って行きましょう目的地まで約1.9kmです

 カーブを過ぎて林道は北へ登って行きます





 道路脇のミツマタが見ごろです

 片瀬川歩道の案内板です、シラヌタの大杉の直ぐそばの橋の所からこの林道まで続いているようです

 林道が標高750m付近でなだらかになりました、林道脇に「昭和56年度、奈良本林道(片瀬側)新設起点」の標柱です

 間も無く砂防堰堤でしょうか

 林道が舗装路になりました

 間も無く林道の分かれ道です、標高約810mです

 左へ、「昭和61年度、東部(奈良本)林道、新設工事起点」の標柱です、西へ進みます


 沢の手前で舗装が切れました

 南へ進むと山の端を周って

 南西へ進んだ先にプレートが見えて来ました

 「オバケ杉入口」の案内板が有ります、標高850m付近です

 防獣フェンス沿いを下って行きます

 

 約100m下って来ました、標高差は僅かです、林の奥に太い幹が見えます

 オバケ杉手前のスギの大木です、目通り4m程でしょうか、シラヌタの沼入口の説明版にあった「門番」ですね

 目的の「オバケ杉(千手観音杉}です

 北西側から見上げました、明るいスギ林の中でオバケ感はありませんね

 北側から、別名千手観音杉と呼ばれるのが解かりますね

 東側から、シラヌタの沼入口の説明版に書かれていた文面には、「入口には門番、奥に森の見張り番三人衆を従えたオバケ杉があります。杉というと人工林で真っ直ぐなイメージですが、このオバケ杉は、枝が四方八方に張り出し千手観音杉とも呼ばれ親しまれています」と有りました

 南東側から、周りの林床にはミツマタが咲き誇っています

 南側から、目通りは5.4mだそうですしょうか

 西側から見ました

 南東側奥に進むと、防獣フェンス沿いに3本の杉の大木が並んでいます、これが「森の見張り番三人衆」ですね

 では、戻って次へ行きましょう

 *見学には営林署の入林許可が必要だったようです、注意したいと思います<m(__)m>
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静岡県東伊豆町、奈良本「奈良本国有林シラヌタの大杉」(県指定・森の巨人)です!!

2024-03-29 06:30:51 | 巨樹・大木
 奈良本地区は、東伊豆町役場の北約8kmのところ

 東伊豆町役場の北北西約10kmのところの奈良本国有林にシラヌタ池や大杉、おばけ杉等が在ります

 東伊豆町役場の在る稲取から国道135号東伊豆道路を北へ

 約5kmの「白田信号」で左(西)へ、住宅街を約1kmで左(南西)へ直ぐ先のY字路を右へ進みます

 約1.6kmで右(北西)へ白田川を渡ります、白田川発電所(標高99m)の所です

 ここからは天城ハイランドへの急な上り坂です、約3kmで別荘地(標高約500m~)に入りさらに上って行きます

 白田川発電所の所から約4.3km「伊豆天城高原キャンプ場」(標高630m付近)の先を斜め左(北西)へ更に上って行きます

 約600mで左下にヘリポートとプールが見えます(標高約680m)、別荘地の一番上の地区です、ここで鋭角に右(東)へ

 道成に一度登って下って行きます、約800mで左(北西)へ、標高約650mのところです

 ここから林道を約1.6km進むと

 右手に案内板が見えました

 シラヌタの沼への入り口です

 案内板には、シラヌタの大杉までは林道から432mの表示が見えます、しっかり覚えて行きましょう

 約300mで大杉への入り口です

 案内板が有りますので、前の道路脇に車を止めさせて頂いて

 ストックだけ持って行きましょう

 沢に橋が架かっています、ここを渡ります

 スギ林の中を登って行きます

 案内板が各所に有りますので迷う心配はありませんね

 大きなケヤキが見えてきます

 南東側から見上げました

 案内板がまた有ります

 小さな沢に橋が架けられています

 沢沿いには「片瀬川歩道」が左へ登って行っています

 案内板に従って更に登って来た沢をつめていきます

 奥に太い幹が見えて来ます

 目的の「シラヌタの大杉」です

 南側から見上げるように見ました

 森の巨人たち100選の説明版です
 No47「シラヌタの大杉」推定樹齢1000年、樹高 45m、幹周 8.16m

 *No46「天城山太郎杉」は、2021年1月26日にこのブログで紹介させて頂いております

 標柱です

 町が営林署から借り受けて管理しているようです

 南西側から

 西北西側から、シラヌタ沼入口の説明版の文面にには「推定樹齢千年以上といわれ、伊豆半島第一級の老巨木で、幹は永年風雨に耐えた痕を物語るかのように縦じまが数条走り、その完全な形状は圧倒的。周りの杉と合体しているさまは、力強い生命力を感じさせる。樹高45m、根廻12m、目通し9m、枝張りは東西25m、南北に約30m。」とあります

 北西側から、左側の細いスギと連理になっているようです

 北側から、上下2ヶ所で連理になっているのは珍しいと思います

 北北東側から

 北東側から

 東側から

 南東側から見上げました

 では、次へ行きましょう

*見学には営林署の入林許可が必要だったようです、注意したいと思います<m(__)m>
 
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静岡県熱海市、下多賀「長浜海浜公園前のクロマツ」です!!

2024-03-28 18:55:08 | 巨樹・大木
 下多賀地区は、熱海市役所の南約5kmのところ

 熱海市役所の南側道路から南へ進んで、約1kmで国道135号線に合流します

 道成りに約5kmで、道路右側に


 クロマツの木が三本並んでいます

 長浜海浜公園駐車場がまだ開園前だったので、入口脇に車を止めさせて頂きました

 北東側から

 国道の東側から

 東側から、真ん中の一番太いクロマツを見ました

 目通り幹囲3.5mのクロマツの大木です

 南東側から見ました

 では、次へ行きましょう
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静岡県熱海市、上宿町「湯前神社のクスノキ」(市指定)です!!

2024-03-28 06:31:04 | 巨樹・大木
 ここからは2022年3月22日取材分です

 上宿町は、熱海市役所の直ぐ北側のところ

 熱海市役所東側の消防署前を北北西へ坂道を上がります

 一時停止を右(東北東)へ、橋を渡った先の十字路を左(北西)へ坂を上って行くと

 左手に熱海温泉の中心的な源泉の大湯間歇泉があります

 すぐ先の道路右手に湯前神社が南向き参道で鎮座します

 前の道路脇に車を止めさせて頂きました

 湯前神社(ゆぜんじんじゃ)の社號標です

 目的のクスノキは境内西側道路沿いに在ります

 南側から

 根元に説明版です
   熱海市指定文化財
 天然記念物 湯前神社のクスノキ
    指定 昭和52年4月25日
  クスノキ科
   目通り幹囲 7.2m
   樹高   17.0m
 樹幹の2分の1ほどは焼損しているが、樹勢はきわめて旺盛である。
 クスノキは、材の木目が美しいので、仏像、仏壇、家具材として貴重な樹木である。
     熱海市教育委員会


 根本は大きな洞になっていて、焦げ跡が確認できます

 北西側から



 一ノ鳥居です

 説明版です
  熱海市指定文化財
    湯前神社 石鳥居・石燈籠
      平成18年12月4日熱海市教育委員会指定(第建3号・第建4号)
 〈指定理由〉
 湯前神社石鳥居、石燈籠(境内中段左右2基)は、江戸時代に熱海温泉に湯治した大名が寄付した石造物で、熱海温泉の歴史を考える上で特に意義のある資料です。
 熱海市内には、江戸時代に遡る石丁場がいたるところに存在し、産石業が盛んであったと考えられるが、伊豆東海岸で多く産出される安山岩を使用して作られた石鳥居、石燈籠は熱海市の産石業を考える上で貴重な資料です。
 〈由来〉石鳥居
 安永9年(1780年)8月に第7代久留米藩主有馬頼種公が来湯し、9月に御帰館する際、湯前権現(現湯前神社)にきしんされたものです。
 石鳥居の高さは345cm、横幅410cm、柱の太さは105cm(直径35cm)で両柱の石をくりぬき造りあげた石の鳥居は、全国的にも稀な建造物です。
    石灯籠
 宝暦8年(1758年)夏に第7代久留米藩主有馬頼種公が熱海に来湯した際、湯前権現(現湯前神社)に寄進されたものです。
 石灯籠の高さは205cm、横幅75cm、柱の太さは105cm(直径35cm)
 石鳥居・石灯籠とも関東大震災等多くの自然災害にも倒壊することなく今日に至っていますが石鳥居は、柱に捩れが生じたことから平成15年5月に基礎部分の修復工事を行いました。
 寄進の時期は、石鳥居・石灯籠の本体に刻印があります。
 〈有馬頼種公〉
 正徳4年11月24日~天明3年10月23日(1714年~1783年)
 有馬頼種公は、久留米に生まれ享保14年久留米藩第7代藩主となり、治世は11代藩主中で最も長い55年間でした。(享年70歳)
 関流算学の大家として日本数学史上に特筆され、その功績により明治44年11月15日、明治天皇より従三位を追贈されました。
 年譜(熱海関連)
 宝暦8年(1758)4月28日 腰痛の歩行困難、願い出て豆州熱海へ御湯治
 宝暦8年(1758)5月26日 御帰殿
 明和元年(1764)8月 8日 豆州熱海、宮ノ下湯治のため御出駕
 明和元年(1764)9月 7日 御帰館
 安永9年(1780)8月 8日 豆州熱海湯治御願済
 安永9年(1780)8月16日 御出駕
 安永9年(1780)9月18日 御帰館、熱海御湯治中熱海権現へ常夜灯油代御寄附
      平成20年10月  湯前神社奉賛会 


 湯前神社由来記です
   湯前神社由来記
  祭神 少彦名神
 玄古 大巳貴神、少彦名神の二柱が我が秋津洲民が天折することを憫み禁薬と温泉の術を尋めたまいき(伊豆風土記)とある如く温泉の神とて古代から尊崇されている。
  例祭 2月10日。10月10日。
  由緒
 旧記に依れば「今から一千二百余年前(天平勝宝元年)神、小童に託した曰く、諸人此なる温泉に浴せば諸病悉く治癒せんと因って里人祠をたて少彦名神を祀る」とあり。
 然れども往古熱海に温泉の湧出せし時には既に祀られしものと考えられる。永正18年、寛文7年に再興している。
 平安朝の頃より徳川明治に至る迄、公家、将軍、大名等を始め入浴者及び一般庶民の崇敬が厚い。
  特殊神事 献湯祭。湯汲み道中。
 毎年春秋二季の例祭に当たり、神前に元湯の温泉を献湯して浴客の健康安全を祈り併せて江戸城へ当温泉を献じし、往古を偲んで古式に則り「湯汲み道中」行われ。此の日は市中が賑わう。
     撰文 雨宮治一
     書  鈴木丹陽



 説明版い有った「燈籠は」どちらでしょうか

 石段を上がった所(北東側)から

 燈籠の脇(北側)から見ました
 

 社殿です

 境内には「源実朝」の歌碑があります「都より 巽にあたり 出湯あり 名はあずま路の 熱海といふ」源実朝

   「源実朝の歌碑」について
 建仁3年(1203)9月15日、鎌倉3代将軍となった源実朝は、初代源頼朝によって始められた箱根権現と伊豆山(走湯)権現の「二所詣」を、最も真摯に受け継ぎました。
 この歌は建保2年(1214)正月、実朝23歳、第4回目の二所詣のとき、箱根権現から三島社を経て伊豆山権現に向かう途中、熱海のこの地にさしかかり、海岸に湧出する温泉(大湯)を見て、崇め讃えて詠んだものと思われます。
 天和元年(1681)に描かれた「豆州熱海絵図」にも湯前神社を示す絵図とともに実朝のこの歌が記されています。
     案内板提供・湯前神社奉賛会

 では、次へ行きましょう
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群馬県邑楽町、鶉「恩林寺のイチョウとケヤキ」(町指定)です!!

2024-03-27 18:21:13 | 巨樹・大木
 鶉(うずら)地区は、邑楽町役場の北東約4kmのところ

 邑楽町役場の北側の通りを東へ進みます

 約1.8kmの携帯電話の基地局のある交差点を左(北)へ入ります

 道成に約1.1kmで止まれの交差点を右(東)へ、橋を渡って約100m先の交差点を左(北)へ

 約900mで国道122号線を越えて、約300mを右(東)へ入ると

 鍵の手に曲がって東向きの恩林寺山門前に出ました

 山門の北東側に駐車場が有りますので車を止めさせて頂きました

 臨済宗建長寺派 東光山恩林寺です

 山門を入ると右手に手水舎です

 左手(南側)奥に鐘楼です

 東向きに本堂です

 *本尊は薬師瑠璃光如来です、開基と再興については、『群馬県邑楽郡誌』によって確認でき、大正6年(1917)12月に刊行された同書には、「文和2年(1353)3月東林雄丘和尚の開基にして、後中絶、應永2年に至り僧正胤之を再興す」と記されています。(ウィキペディア一部抜粋)
  

 目的のイチョウは、山門前北側(駐車場入り口)に在ります、手前には六地蔵様です

 東側から

 町指定天然記念物 恩林寺のイチョウの標柱です

 北側から見ました

 北側の境内には恵比寿様と大国様と町指定天然記念物のケヤキの大木です

 では、次へ行きましょう
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群馬県太田市、新田木崎町甲「貴先神社のヒヨクヒバ」(新田の名木)です!!

2024-03-27 06:30:42 | 巨樹・大木
 新田木崎町甲地区は、太田市役所の西約7km、太田市新田庁舎の南南東約3kmのところ

 太田市新田庁舎の南側の通りを東へ出ます、約600mの「新田庁舎東」信号を右(南)へ

 約2kmの信号を斜め左(南東)へ県道311号線です

 道成りに約500mの「新田木崎町」信号を左(東)へ県道312号例幣使街道です

 約300mの信号を右(南)へ入ると
 

 左手に北西向き参道で貴先神社が鎮座します

 前の歩道脇に車を止めさせて頂きました

 貴先神社の社號標です(逆光になってしまいました)

 ニノ鳥居です

 手水舎です

 手水舎の東側に目的のヒヨクバイです

 西側から見ました

 北側から見ると、南北に延びる大枝に幹が隠れてしまいます

 東側から

 説明版です
   新田の名木 
  樹木名 ヒヨクヒバ(比翼檜葉)
  所在地 貴先神社境内
  樹齢  2~300年
  目通り 3.7m
 一般的には「イトヒバ」と呼ばれ、わが国では本州の東北中部以南、四国、九州まで植栽し、樹形は楕円形。
 日当たりのよい場所で、土壌は乾湿中庸な肥沃土を好む。成長はやや遅いが萌芽両力があり、刈込みに耐える。潮害にやや弱く、煙害には中程度。
 比翼とは2羽の鳥が互いにその翼をならべることの意がある。
     平成17年3月  新田町観光協会

 南東側から見上げました

 離れて見ました

 南西側から

 貴先神社社殿です

 西側の八坂神社です

 更に西側にみお社殿です(名前が有りませんでした)
 
 貴先神社社殿前のモミノキです

 社殿東側のカシノキです

 社殿南側には石塔や祠が並びます

 では、次へ行きましょう
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群馬県伊勢崎市、連取町「旧村松家住宅のカヤ」です!!

2024-03-26 18:44:17 | 巨樹・大木
 連取町は、伊勢崎市役所の西北西約3kmのところ

 伊勢崎市役所の北側の県道18号線を西へ進みます、約1kmで広瀬川を渡って次の交差点からは県道24号線となって西へ

 約1.1kmの「連取町十字路」信号を斜め右(北北西)へ

 約1kmで、「ニトリ伊勢崎店」の向かい側「横浜ラーメン吉田屋」の前を右(東)へ入り斜め右へ

 間も無く左手奥に大きな門が見えます

 道路脇に車を止めさせて頂きました

 表門です
 

 門の前左手にはダイオウショウです

 説明版があります
  伊勢崎市指定重要文化財
     旧森村家住宅
 旧森村家住宅は、享和元年(1801)建築の伊勢崎藩陣屋遺構を取り込み、明治9年(1876)に再建されました。
 森村家は、旗本駒井氏の地方代官を務めた家柄で、約1000坪の敷地には、主屋、土蔵2棟、長屋、表門、裏門、馬屋を配しています。
 母屋は2階建て瓦葺き入母屋造で、1階正面に陣屋の式台を配置し、西側には陣屋の書院が移築されています。
 大黒柱や差鴨居に残る刀傷は、慶応4年(1868)3月11日の打ちこわしによるものです。
 敷地内には樹齢300年をこえるカヤをはじめ多数の古木が茂り、屋敷全体が貴重な歴史的空間を形成しています。
   主屋の規模 【1階】桁行12間(22.65m)   梁間5間(9.43m)
         【2階】桁行12.75間(23.18m)梁間6間(10.90m)
   平成16年10月1日
        伊勢崎市教育委員会
 *主屋の規模の記載が間違っているような気がしますが、大きな2階が小さな1階に載っているのは、お城の石落とし等の防衛設備にも見られますね~


 開館案内です、毎月第1・第3日曜日に中を見学できるようですので、又来たいところです


 門の右手にシラカシです

 南東側道路から主屋を眺める事が出来ました

 敷地南西側の塀にの上にカヤの梢が見えました

 敷地北西側から見ました

 次に来るときは、敷地内部から見学できるように、第1か第3日曜日に来て、カヤ等の古木を見たいと思います

 では、次へ行きましょう 
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群馬県伊勢崎市、波志江町「いせさき聖苑の疣薬師とカヤの大木」です!!

2024-03-26 06:31:08 | 巨樹・大木
 波志江町は、伊勢堺市役所の北約5kmのところ

 伊勢崎市役所前の「市役所東」信号から、県道14号線から県道68号、県道73号線へと北へ進みます

 約1,6kmで東武伊勢崎線とJR両毛線の高架を潜り、さらに1.3kmからは県道103号線となった北へ

 更に約1.6kmで「聖苑西」信号を右(東)へ入ります

 約200mで左手に「いせさき聖苑」南側の入り口です

 まだ開苑前ですので、門前の道路脇に車を止めさせて頂きました

 「疣薬師とカヤの大木」の入り口は直ぐ手前(西側)です

 左手にマテバシイです

 右手にヤマモモの木が並びます

 右手に又案内板です

 東側奥にカヤの木が見えました

 西側から


 説明版です
    疣薬師とカヤの大木
 このカヤはもと鹿島町の都市計画道路北部環状線内にあった大木で、傍には疣薬師と呼ばれる石仏と五輪塔の残骸があります。
 疣薬師は江戸時代、行倒れになった旅人を鹿島町の大賀俊之氏の祖父が手厚く介抱しましたが、そのかいもなく、臨終にあたり
 「お世話になった恩返しに疣で悩む人を救うためにお役に立ちましょう」と言い残しました。
 そこで大賀家ではカヤの大木の下に石仏を祀り供養を行いました。
 やがて、疣で悩む人はここに参詣して川原石を奉納する風習が現在まで伝わっています。
 今回カヤの移植にあたり根元から14世紀中頃の板碑や五輪塔の破片が出土しました。
 このことからカヤは600年以上にわたって信仰されていたことがわかります。
    昭和63年3月   伊勢崎市


 南側から見上げました

 南側根元に「疣薬師」の石仏と五輪塔です

 東側から
 
 北側から見ました

 では、次へ行きましょう
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群馬県前橋市、河原浜町「大胡神社のムクロジ」(市指定)です!!

2024-03-25 18:30:36 | 巨樹・大木
 河原浜町は、前橋市役所の東北東柏10km、前橋市大胡庁舎の北東約200mのところです

 前橋市大胡支所南側の「おんたけ坂」を東へ下り、「大川橋西詰」信号を左(北)へ
 
 大胡城跡入口の先を左(西)へ「堀下絆すずかけ通り」です

 間も無く右手(南向き)に大胡神社参道入口です

 大胡神社の大きな案内板です

 前の歩道脇に車を止めさせて頂きました

 石段を上ると鳥居です

 手水舎です

 説明版です
  前橋市指定天然記念物 大胡神社のムクロジ(無患子)
    指定年月日 平成20年3月19日
    所在地 前橋市河原浜町615 大胡神社
    所有者及び管理者 大胡神社
 このムクロジは、目通り周3.7m、樹高25mに達する巨樹で、地上3.8mの高さで3幹に分かれています。
 枝張りは、東西18.2m、年木21.7mに及び、根周りは非常に大きく周50m以上に達しています。
 環境省の調査によると、樹齢は300年以上と考えられています。
 ムクロジは、西日本の山林には自生していますが、群馬県での自生は知られていません。
 このムクロジも移植されたものと考えられます。
 ムクロジの実は、石けんとして利用されたほか、羽子板の追羽根や数珠としても利用されました。
  前橋市指定文化財 大胡神社の算額
    指定年月日 平成6年4月5日
    所在地 前橋市河原浜町615 大胡神社
    所有者及び管理者 大胡神社
 算額とは、和算家が自分で研究した問題と解答を社寺の軒下に奉納掲揚したものです。
 この額は、大正4年に船津伝次平を師とする、和算家である大原福太郎(茂木町)が奉納したもので、3つの問題が載せられています。
 和算は江戸時代に盛んでしたが、明治以降衰えたため、大正期の算額としては珍しく、県内唯一のものです。
  前橋市指定重要無形文化財 太々神楽の舞
    指定年月日 昭和44年7月7日
    所在地 前橋市河原浜町615 大胡神社
    保存団体 足軽町太々神楽保存会
 この舞は、往古より徳川時代までの神慰の行事として、足軽町に伝えられてきました。
 明治42年の神社合祀により、足軽町神明宮の神楽殿は大正元年に大胡神社へ移転されました。
 以後、河原浜と足軽町の人たちが毎年交互に舞ってきましたが、現在は、5月3日の春の例大祭に足軽町太々神楽保存会が奉納しています。

 拝殿前右手に目的のムクロジです

 南南東側から

 南東側から

 西側の参道から見上げました


 拝殿です


 本殿です



 本殿裏側には石祠が並びます

 境内東側には神楽殿です

 では、次へ行きましょう
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群馬県前橋市、河原浜町「大胡城跡」(県指定史跡)です!!

2024-03-25 06:44:04 | 城跡・館跡・陣屋跡
 河原浜町は、前橋市役所の東北東柏10km、前橋市大胡庁舎の北東約200mのところです

 前橋市大胡支所南側の「おんたけ坂」を東へ下り、「大川橋西詰」信号を左(北)へ
 
 約250mの「城山橋」の所を左(西)へ入ります

 トンネルが見えて来ます

 トンネル入り口右手に「大胡城跡」の石碑です

 左手には城跡の斜面が城壁となっています

 トンネルを潜って右手に石段がありますが、真っ直ぐ進んで二の丸に車を止める事が出来ました

 大胡城二の丸の標柱です

 二の丸から本丸南西側土塁と本丸西側の空堀を見ました

 南東側から本丸南側の空堀です

 説明版です(斜めなのは太陽が反射していた為です)
  群馬県指定史跡 大胡城跡
    所在地 前橋市河原浜町660-1
    指定年月日 昭和42年2月2日
 城郭は、南北に走る丘陵上にある平山城で、本丸を中心に二の丸を囲部的に配し、北に北城(越中屋敷)、近戸曲輪、南に三、四ノ曲輪があり、東は荒砥川が流れ、その間に根小屋、西には西曲輪の平坦部が附加され、南北670m、東西最大幅310mの規模を持つ。
 枡形門、水ノ手門虎口、空濠、土塁等の跡が良く残っている。中世上野の名士である「大胡氏」が拠ったと言われている。
 天正18年(1590)徳川家康の関東入部により牧野氏が大胡領2万石に封ぜられ、康成、忠成二代の居城となった。
 牧野氏は、元和2年(1616)に越後(新潟県)長峰へ、そして長岡へと転封された。
 以後、大胡城は前橋藩領となり、酒井氏時代には城代が置かれたが、寛延2年(1749)酒井氏が姫路へ転封し際し、廃城となった。



 二の丸南西側には、橋の欄干が集められています

 附近に「水の手門」があったようです

 二の丸南東側には

「枡形門跡」です

 石垣が残ります

 北側です

 西側です

 二の丸南東側から大胡の街(南側)を見下ろしました、前橋市大胡支所のある場所は、城の三の丸だったようです
 
 *現在トンネルになっている所は、土砂崩れ防止のために空堀をトンネルにしたようになっています。本丸出入には、ここに木橋を架けていたのではないでしょうか
 
 戻って、トンネルそばの石段を本丸へ上ります

 石段を上がりました


 大胡城本丸です 

 本丸南西側土塁は高さ約3mの高土塁です

 本丸東端から南側です

 東側です

 北側には赤城山の裾野広がっています

 本丸北側にはカスリン台風による被害者の慰霊之塔です

 水害記念碑です昭和22年(1947)9月14日~15日に大胡では荒砥川が土石流となって多くの死者が出ています
 *この台風による死者は1077人、行方不明者は853人、負傷者は1547人となりました(理科年表) 。 その他、住家損壊9298棟、浸水384743棟 、耕地流失埋没12927 ha など、罹災者は40万人を超え、戦後間もない関東地方を中心に甚大な被害をもたらしました。

 北側の空堀です、この先にも北城や大胡神社のある近戸曲輪などが続きます
 
 
 神社のようですがお名前が分かりませんでした

 すぐ西側に記念碑です
  記念碑
   大胡城墟碑
  貴族院議員従三位勲三等子爵牧野忠篤撰弁篆額
 大胡城者藤原秀郷八世孫大胡次郎成家之所築也成
 家無子第重俊嗣稱大胡太郎任官左馬助歿在十四日
 逸年月其後子孫相継居於此至常陸介高繁移武州牛
 込天正十八年牧野右馬允康成来治於此慶長十四年
 十二月十二日歿子忠成嗣元和二年十二月移封於越
 後長峰而城墟焉爾後属前橋城主治下荒廃經年遂為
 竹林徒留城山之稱巳
 王政維新後為官有地明治七年春前橋藩士秋田啓太
 郎請官購有之明治三十一年十二月二十四日啓太郎
 歿所養女波留嗣後有故将以城山地貿貨河原濱村民
 相謀鳩金一千三百圓買之約永久不轉賣於是山林一
 町七段七畝十九歩為本村共有財産寶明治四十年四
 月四日也至今年更議建碑記顛末以論後昆云
   大正七年二月乙午之日 大竹勝衛敬書

 *二の丸の説明版より詳しく書かれていますね

 本丸の西側の土塁が切られています

 本丸西側の空堀です

 北西側の空堀です

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新潟県阿賀野市、水原「瓢湖は春を感じています」です!!

2024-03-24 18:38:42 | ドライブ
 今月も16日に新潟へ行った来ました

 水原地区は、阿賀野市役所の東約400mの所にあります

 白鳥会館前の広い駐車場に車を入れて、瓢湖を廻りながらカモ達を写真に撮りました


 いつもの歓迎門から瓢湖の本池を見ましたが、ハクチョウが見当たりません

 歓迎門の脇に張り紙があります、3月15日現在、ケガなどで帰れない子だけになっているようです


 まだまだカモ達は残っています、ホシハジロです


 キンクロハジロです

 オナガガモです


 オオバンです


 あやめ園の中にハシビロガモの夫婦です

 コガモが水草の根を咥えて上がって来ました

 アヤメの芽が伸び始めた中にメスがいました

 本池の島の縁にカモ達が並んで休んでいます、白いお腹はハシビロガモですね

 カワウが並んで羽を開いています


 カイツブリが水に潜ろうとしています


 大急ぎで沖へ進むミコアイサの♂と♀です

 水の上に出ている杭の上にカルガモです

 マガモの家族でしょうか

 東の新池との境にラムサール条約湿地の案内板です

 新池の脇でカモ達が根を啄んでいます

 黒い嘴と頭の白いオオバンや、尾羽の長いオナガガモ、茶色い頭に額の白いヒドリガモ♂、茶色い頭のヒドリガモ♀です


 カワウが魚を狙って潜っています

 本池北側のコガモ達です

 本池北西側の岸にも沢山のカモ達です


 岸のヤナギの芽も膨らんできていました

 では、次へ行きましょう

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