ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

佐賀県佐賀市、兵庫北「西中野天満宮のクスノキ」です!!

2019-11-30 11:23:41 | 巨樹・大木
兵庫北7丁目地区は、佐賀市役所の東北東約1,5kmのところ

市役所から県道294号線を東へ、県道333号線に出る手前を北

JR長崎本線の南側に西中野天満宮が東向に鎮座します

境内鳥居南側に車を止めさせて頂きました


ウォーキングコースの案内板です、南コース脇に西中野天満宮が有ります

東向きに鳥居です

堀を越えて神門です

説明版です
  西中野天満神社(大字藤木字西中野鎮座)
         (兵庫北7丁目8番21号)現在
祭神 
  菅原道真を祀る、文武両道の神、五穀豊穣の神として
 祀られてきた。

由緒 
  昔は一町歩ぐらいの境内で、四方が大堀で囲まれてい
 た。
  その中に中野・下村両家の屋敷または出城であったと
 も伝えられ、祟廟天満宮跡の石の祠があった。
  永禄6年(1563)領主龍造寺隆信は、豊後勢(大
 友宗麟)との戦いのとき、この神社に武運を祈願し出陣
 し、大勝利を収めた隆信は、ここに社殿を造営したと伝
 えられる。
  その後の戦いでも当社に戦勝祈願し勝利を収めたため、
 代々佐賀藩主、龍造寺隆信、鍋島直茂は祭りの費用や社
 殿の造営は藩で賄った。

昭和の大改修
  昭和11年に氏子の強い願いで、老朽化した村社 天
 満神社改築に皇紀2600年記念として、戸上電機(株)
 が基本金3千円を神社境内拡張のため寄附、総工費2千
 5百円で改築された。
  又、神楽殿が北の方にあり、地区の祭りに使用されて
 いた。
  尚、境内に安永8年(1779)己亥年12月吉日天
 照大神宮が祀られている。

平成の大改修
  兵庫北土地区区画整理事業の中で4地区の天満宮改築
 の決定に伴い、平成19年神門が修理され、幣殿・拝殿
 が改築された。同時に左大臣像、右大臣像の修復にいた
 る。
  尚、本殿(屋根銅葺)は80年前のその姿を今に残し
 ている。

おまつり
 百手祭       (1月 一年の実りを祈願する祭り)
 ひゃーらんっさん祭り(4月 子供を水難事故から守る祭り)
 天満神社秋季祭   (12月2日 一年の実りを感謝する祭り)

   平成29年7月吉日 NPO法人夢の里兵庫


手水舎です

狛犬です


拝殿です

本殿覆い屋です

拝殿右(北側)に目的のクスノキです

北東側から

佐賀の名木・古木、樹齢400年 登録番号0127291(県)と保存樹標識(市)です

北東側道路から

天照太神宮の石碑です

では、次へ行きましょう
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佐賀県佐賀市、諸富町大堂「大堂神社のクスノキ」です!!

2019-11-29 07:01:23 | 巨樹・大木
諸富町大堂は、佐賀市役所の東南東約6kmのところ

県道2号線を東へ、蓮池信号を南へ県道48号線です

諸富北小学校の手前の農道を東へ進むと約1kmで

大堂神社が鎮座する参道に出ました

境内西側入り口から境内に車を止めることが出来ました


境内入口の鳥居です

説明版です
佐賀県重要文化財(建造物)
昭和46年6月23日指定
  大堂神社銅造明神鳥居  江戸時代
              寛永17年の銘あり
 大堂神社は、弘安2年(1279年)創始したと伝えられ、
事代主神・大山衹命・豊玉姫命・平将門・宗像三女神をまつる
、境内中央に見られる唐獅子の灯籠には、諸富津周辺の船頭や
舟問屋・舟大工などの信仰を伺わせる。
 この銅造鳥居は、県内唯一の鋳銅製明神鳥居であり、島原の
乱に出陣した初代小城藩主鍋島元茂が、彼の産土神である大堂
神社に戦勝祈願成就に寄進したもので、鳥居左柱には、銘が刻
まれている。歴史的な意義ばかりでなく鋳銅技術史のうえから
も価値が高い。
 この時期の鍋島氏は、島原の乱における軍礼違反により幕府
の尋問を受け、佐賀領内や江戸表では、佐賀藩改易が心配され
ている。
 銘文中に見られる「武運彌盛」「子孫繁行」の文字は苦況に
たたされた鍋島家の安堵を願う元茂の心が表れたものと推察さ
れる。


平成2年3月    佐賀県教育委員会
          諸富町教育委員会






堀を太鼓橋で越えます

手水舎です

狛犬です

拝殿です

本殿です

目的のクスノキです

佐賀の名木・古木の表示板です
 
登録番号08329 クスノキ 推定樹齢900年 です


参道(西側)から


拝殿前から

南側から見上げました、目通り幹囲mの巨木です

本殿東側には樫ノ森稲荷社です

拝殿東側の石碑ですが~、高良神社(久留米市・大社)関係の物なのでしょうか

境内社の祠ですが名前は不明です

境内端には仏像や板碑、ソテツの木などが有ります

では、次へ行きましょう・・・・


参道の先に鳥居が見えます

見えた鳥居の先にも鳥居が・・・

こちらが一の鳥居でしょうか

銅鳥は三の鳥居ですね

では、次へ行きましょう
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長野県御代田町、豊昇「豊昇神社の梨沢のイチイとサワラ」(町指定)です!!

2019-11-28 06:42:59 | 巨樹・大木
豊昇地区は、御代田町役場の南東約4kmのところ

しなの鉄道みよた駅南側から線路沿いを東へ

御代田中学入口信号を南へ

信号を左(東)へ県道137号借宿小諸線です

楓ヶ丘信号を右(南)へ北陸新幹線を越えて道なりに

湯川の露切峡を越えて県道156号草越豊昇佐久線です

トンネルの手前を右(南)へ道なりに進むと

右への大きなカーブを登って行くと右手に豊昇神社が西向きに鎮座します

北側道路脇に車を止めさせて頂きました



トンネル手前の案内板です

カーブの外側に森が見えて来ます

北側の道路から社殿の両側に大木が見えます

西から神社入口です

由緒の石碑です
   豊昇神社由緒
豊昇神社御祭神 十二大明神
  證誠殿   国常立神
  速玉宮   国狭槌尊
  結之宮   豊酙渟尊
  若殿    泥土煮尊
  禅師宮   大戸道尊
  聖之宮   面足尊
  児之宮   伊侍諾尊
  子守宮   天照大神
  十万宮   天忍穂耳尊 煮にぎの尊
  勧請十五所 彦炎出見尊
  飛行夜叉  鵜葺草葺不合尊
  米持金剛
諏訪大明神   健御名方命
神明宮高根社  天照大神
 豊昇神社は往古室町時代初頭、十二坂地積に
熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社の
熊野三山・熊野十二所権現を修験千朱院勧請す
る。
 室町時代、永禄10年戌辰3月27日(15
67)現城跡地積に依田妥女助 大檀那となり
祝神左衛門本願により十二大明神を移し、大工
杢介 により社を建立して諏訪大明神を勧請合
祀する。
 次の建立、正保4季丁亥2月15日(164
7)本願 泉珠院 市村武右衛門、大工 金作
人数 31人、入目 30貫文
 次ふき替え 延宝7年7月13日遷宮仕候
      (1680)
 次建立   元禄14年辛巳季12月2日
      御遷宮也(1701)
       宝永7年(1711)上久能地
      籍に神明宮高根社が勧請、創建さ
      れる
 次建立   享保18年丑年に始まり同20
      年寅5月遷宮也(1733)
 明治42年(1909)御布告により城跡の
十二大明神・諏訪大明神と合祀して、村社 豊
昇神社となる
 拝殿は昭和4年(1929)県の建築係の設
計によって作る、拝殿向拝共によく特に向拝は
鎌倉形式を主として之に平安の様式を加えたも
ので、なかんずく斗栱及び木鼻がよいといわれ
る、なほ、境内には江戸時代元和年中(161
6)勧請の金山社を始め、阿夫利社、秋葉社、
天神社、水分社、稲荷社、愛宕社、浅間社、飯
綱社、春日社、大星社、道祖神、馬頭観音がま
つられている。

史跡 梨子沢館城跡の標柱です
 この史跡は、鎌倉時代承久3巳(1221)
大井庄司・大井朝光二男・大井朝長・長倉牧分
領梨子沢居城(館)「本城岩田城(大井城現岩
村田地区)」梨子沢館城、向城(古城)、宮平
城とこの地区に三城を持ち、当時館内を区画整
備した道路は現在もその姿を残す。
 岩村田方面から宮平を通り長倉方面に抜ける
古道が村内を通過している、中世の城館跡であ
る。

石塔が並びます

参道です



境内西端のサワラの木です
(目的のサワラではありません)

保存木2号サワラの標柱です
 このサワラとスギは、町指定天然記念物イチイ・
豊昇文化財保護委員会指定のスギと同じ年代に植え
られたものと推定され、長野県下でも珍しい巨木で
ある。(一部間違いがある様なので修正しました)

神社入口に建つのは火の見櫓とイチイの大木です

天然記念物標柱です
  町指定天然記念物 梨沢のイチイ
 本イチイ(イチイ属)は幹囲4mをこえるもので、
北佐久郡下でも稀な巨木である。
 この樹木は本豊昇神社の屋根書き巻え記事のみえる
永禄10年(室町時代末1567年)にはすでに生育
していたと推定できるので、その樹齢が400年は下
らない古木である。
 イチイは町木として町民に親しまれている樹木であ
る。

西南西側(境内端)から見ました

拝殿前から

拝殿です、左右に大木が在ります

拝殿右手のスギです

保存木1号スギの標柱です
 このサワラとスギは、町指定天然記念物イチイ・
豊昇文化財保護委員会指定のサワラと同じ年代に植
えられたものと推定され、長野県下でも珍しい巨木
である。

南東側から


本殿は覆屋の中です

本殿右手に双体道祖神です

境内社の祠が並びます

拝殿北側に天然記念物のサワラです
(こちらが目的のサワラです)

町指定天然記念物標柱です
  梨沢のサワラ
 梨沢のサワラは推定樹齢400年という古木である。
 大きさは、地上1,5mの幹回りが5m、推定高23
m、ヒノキ属の常緑針葉高木で陰樹、湿気の多い肥沃地
を好む。岩手県以南の本州と、九州の一部に分布する。


東側から見上げました

では、次へ行きましょう

(ここまで10月6日長野県東部のドライブでした)

 
 


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長野県御代田町、「旧御代田駅のSLーD51」です!!

2019-11-27 06:22:53 | 機関車、列車車輌
御代田町役場のすぐ南側に、しなの鉄道みよた駅が有ります

駅の北東側に御代田町交通記念館?があります

D51 787が静態保存されています

道路脇に車を止めさせて頂きました


フェンス越しですが、D51です

炭水車はフェンス無しに見ることが出来ます

斜めからでは、木の枝が邪魔ですね~

正面から見ました

説明版です
  御代田町交通記念館
D51-787 蒸気機関車
 D51-787号は、昭和18年(1943)9月29日
に誕生した蒸気機関車で、デゴイチと愛称されるD51の全
1115両のなかで787番目に製造されたものです。炭水
車まで含めた全長は19.51m、重さは125トンありま
す。この機関車は、昭和18年から昭和29年(1954)
7月9日まで東京鉄道局水戸機関区に配置され、7万199
2kmを走り続けました。
 昭和29年7月10日からは長野鉄道管理局の配置となり
、昭和46年(1971)6月29日まで木曽福島を中心と
して名古屋~塩尻間の旅客列車貨物列車をけん引、年末年始
・夏の臨時急行列車の主役として、11万5514kmを走
行しました。全走行距離18万7506km、地球を4周以
上した計算になります。
 このデゴイチは27年5ヶ月という長い間走り続けました
が、昭和46年、当時の国鉄の近代化(無煙化)の波に乗っ
てついに現役を引退する事になりました。木曽路をひたすら
走り続けること16年8ヶ月間、木曽福島機関区に名残を惜
しみつつ、同年4月20日に長野運転所へと入り、化粧なお
して完全な姿に戻りました。
 4月23日午前2時50分、長野駅を電気機関車にけん引
されて出発、スイッチバックなどで思い出深い旧御代田駅の
あったこの場所へと向い、午前5時25分、安着しました。
         御代田町教育委員会


では、次へ行きましょう
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長野県御代田町、塩野「真楽寺の神代杉」(市指定)です!!

2019-11-26 07:06:59 | 巨樹・大木
塩野地区は、御代田町役場の北西約2kmから

浅間山南面に広がる広い地域です

役場前から北小学校前うやまゆりの咲く公園脇を通り

県道80号小諸軽井沢線に出ます

西に向かうと間も無く真楽寺参道入口が有ります

長い参道を北へ進むと鞍掛石が有ります、ここから参道です

駐車場は車道を直進すると真楽寺本堂手前、仁王門の並びに有ります


浅間山 真楽寺への参道入口です

石仏が並びます

文化財標柱も立っています
 町指定文化財 真楽寺 仁王門・観音堂・三重塔・神代杉・寺叢入口となっています

では、参道を北へ入ります

鞍掛石です


御代田町の観光案内版です



参道を進みましょう

仁王門が見えて来ます

仁王門です

説明版です
  町指定有形文化財
    真楽寺仁王門
 門内に安置されている金剛力士像には、
応永2年(室町時代1395年)の記年銘
がある。臼田十郎・野沢七郎・佐久二郎な
どの侍名字をもつ土豪層や、三郎四郎・又
二郎・弥平三・又七・源四郎などの名をも
つ農民層が結んだ「一結講」の諸檀家が共
同出資し、建立したものである。
 仁王門自体は茅葺の寄棟造の八脚門で、
上下に粽のついた円柱、木製礎盤、頭貫木
鼻は禅宗様で古風であるが、組物はなく、
垂木も新しい。おそらくは17世紀後半頃
に以前の形式をまねて再建され、その後も
さらに屋根等に改造が加えられたものであ
ろう。
   昭和41年4月1日
       御代田町教育委員会 指定




長い石段の上に観音堂が見えて来ます

観音堂正面です

説明版です
  町指定有形文化財
     真楽寺観音堂
 真楽寺観音堂は、寛文5年(江戸時代1
665年)に建立されたもので、別名「厄
除観音」とも称される。
 本尊聖観世音菩薩が安置されている。
 建物は梁間三間、桁行五間で、前面に一
間の向拝がつく。屋根は、もとは茅葺であ
ったが現在は銅板葺で、いわゆる撞木造と
する。粽付円柱、台輪、拳鼻付出組をもち
い、中備は唐獅子等の彫刻を入れた本蟇股
である。
 17世紀後半の様式的特徴を示し、全体
的に地方色のない標準的な様式でつくられ
ている点は、この時期の県内の仏堂として
はめずらしい。
    昭和41年4月1日
       御代田町教育委員会 指定



側面を見ました

水盤です

頼朝公の逆さ梅ですが、枯れてしまっているようです

牛の像です



観音堂の右手に目的の神代杉が在ります


注連縄の懸けられた御神木です

町指定天然記念物の標柱です
  真楽寺神代杉
 神代杉は、樹齢千年あまりといわれ、周囲10mを測る。
幹の下方の黒く焦げた空洞は、文化13年(江戸時代181
6年)の火災によるもので、その際聖天堂も焼けそうになり
、杉に聖天様がまたがった伝説を伝えている。


主幹は既に枯れてしまっています


北側から、こちら側の枝はまだ生きていますね

北東側から見ました

境内東端に三重塔です

南西側から

説明版です
  町指定有形文化財
    真楽寺三重塔
 真楽寺三重塔は、露盤銘に寛延4年(江戸時代1751)
とあり、慶長18年(江戸時代1613年)の焼失の後再建
されたものである。
 塔の規模は初層の一辺が12,5尺の計画寸法で、三重塔
としては中規模である。上層に向って逓減率は少なく、縁が
高く、江戸時代三重塔らしい外観をもっている。
 初層の内部の須弥壇上には春日厨子があり大日如来が安置
されていた。また、中備は中央の間は彫刻を入れた本蟇股、
脇の間は撥束をもちいる。彫刻は、蒲公英・竜・水芭蕉・麒
麟である。
 郡内では、臼田町新海三社・佐久市貞祥寺の三重塔ととも
に代表的建造物である。
     昭和41年4月1日
          御代田町教育委員会 指定

立派な宝篋印塔です

シダレザクラです

「砂ずり枝垂れ桜」という名前です

こちらの松は

「弁慶腰掛の松」という名前です

町指定天然記念物標柱です
  真楽寺 寺叢
 境内4346坪を指定。巨樹がみられ、センダンバノボダ
イジュ(太さ1,7m)、リギダマツ(太さ1,8m)、佐
久地方ではここにしか生育していないウラシマソウなどの珍
種がある。

鐘楼です

本堂です


境内案内図です

(駐車場からでは、本堂から回ることになります)

では、次へ行きましょう
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長野県上田市、岩下「天神宮のケヤキ」(市指定)です!!

2019-11-25 06:24:49 | 巨樹・大木
岩下地区は、上田市役所の南東約5kmのところ

千曲川右岸としなの鉄道に挟まれた地区です

住宅地の北側田圃に面して天神宮が鎮座します

北側道路脇に車を止めさせて頂きました



南側からの参道入口?でしょうか

子供さんとお母さん達が拝殿前の公園で遊んでいたので拝殿の写真は無しです

境内社殿の南側に目的のケヤキが在ります

本殿です

説明版です
  天神社(天満宮)
鎮座地  長野県上田市岩下字岩谷堂117番地
本殿   一間社流れ造り杮葺両開桟唐戸
      「柱と柱の間が一間の本殿」
覆屋   一間三面吹き放し茅葺切妻平入
      「本殿を保護する為の建屋」
      「現在の覆屋は昭和51年に銅板に葺替」
御神体  天神様「胴体は石造り頭部は木造で胴体に押入」
祭神   菅原道真公
拝殿   五間三面 切妻造 平入散瓦葺 舞台造り
      「拝殿は慶応4年(1868年)に建設され芝居の
     舞台にも使用され、明治22年の神川村の初議会等の
     仮議場にも使用されました。」
創建年  両殿とも不詳「右は本殿の判読出来る棟札(祈願札)
            で文政2年(1819年)と記載」
祈願札  「奉再建天満宮本殿並表屋社頭康栄郷中繁栄擁護祈啓」
注釈   お宮様と郷中(村民)の健康と繁栄をお守り下さる様に
     本殿と表屋を再建し敬ってお祈りいたします。
由来   
 天神社(天満宮)は平安時代に実在した菅原道真公を学問の神様
として広く崇拝されています。道真公の神霊に対する「天神信仰」
と「怨霊神」として恐れて怒りを鎮めてくれるよう祈り「雷おも従
える天の神様」として又、大地に恵みを齎すことを願って、「火雷
天神」と名付けられたといわれています。
 岩下郷は鎌倉時代の豪族、海野氏の領内地として神川を西境にし
たとの記録があります。当時の信仰として天神社が勧請され元禄時
代から戦前までの天神講として地元では毎月24日に当番でお祭り
が行なわれていました。現在は毎年4月にお祭りを行っております。
 社殿に彫られている神紋は菅原道真家の家紋の梅鉢です。
 社殿の横の二本の欅の大木は推定樹齢千数百年といわれ長野県で
も二番目の大木として上田市の天然記念物として指定されています
。なお社殿前の槐の木は更に古いともいわれています。
 平成22年11月  岩下自治会・岩下ふるさと文化保存会




南東側から見ました

天然記念物標柱です

説明版です
   市指定記念物(植物)
文化財保護条例第五条の規定により左記の通り指定する
    記
1、種別    記念物(植物)
1、名称    天神宮のケヤキ
1、所在地   上田市岩下117番地
1、指定年月日 昭和52年3月12日
 東西に並ぶ二本のケヤキの大木は、東側が樹高約12m
目通り周囲10,8m、西側のそれが約13mと10,5
mである。
 いずれも樹幹中心に落雷の跡が歴然としており中央部は
空洞化しているが、まわりの樹皮が発達し成育している。
 東側の一本は、根本から独立した一本の幹があり、その
目通り周囲は3,3m、樹勢も旺盛である。
 この二本の大木は、推定樹齢が千数百年として市内でも
最古の大木と考えられることから貴重な存在である。
    昭和52年3月   上田市教育委員会


南西側から

西側から

北側からの本殿です

北側の道路から見ました


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長野県坂城町、北日名「北日名のカヤ」(町指定)です!!

2019-11-24 06:04:14 | 巨樹・大木
北日名地区は、坂城町役場の北西側です

坂城神社参道から道なりに道路を進みます

急な坂道を登った上信越自動車道路近く

坂の上にカヤの木の先端が見えます

細い道に入って道路脇の空き地?に車を止めさせて頂きました



住宅の蔭にカヤの木が見えて来ました

登り口は~

住宅の横を通おらせてもらいましょう


東側から見上げました

祠です

説明版です
   坂城町天然記念物
 北日名のカヤ
 所有者 池田喜三郎
 指定年月日  昭和60年7月1日
      記
 このカヤの木は目通り約5,3m、根回り約6,5m
総高約19mで、県下でも有数の巨木である。太平洋戦
争中大枝が何本も伐り落とされるなどして、本来の樹姿
が損なわれたものの、依然としてその威容を保ち、新し
い枝を簇出させて旺盛な樹勢をしめしている。

北側から



上側の田圃から見ました

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長野県千曲市、羽尾「三嶌宮のケヤキ2本」です!!

2019-11-23 07:19:29 | 巨樹・大木
羽尾地区は、千曲市役所の南約4kmのところ

千曲川左岸の段丘上県道77号線が通ります

さらしなの里古代体験パークの北側住宅地に端に

三嶌宮が鎮座します

境内入口鳥居前に車を止めさて頂きました




参道入口です

境内西側道路沿いにケヤキの大木が並びます

参道東側から見ました

参道から手前のケヤキを見ました

手前のケヤキを社殿側から

西側道路から見ました

奥(社殿側)のケヤキです


社殿前から

西川道路から見ました


保存樹木標識です

千曲市指定第57号と第58号の保存樹木共に平成19年2月8日指定です

説明版です、共に目通り幹囲7mの巨木です

社殿です

社殿の北東側にはケンポナシの木が二本並んでいます

千曲市指定第59・60号の保存樹木で、平成20年1月18日指定です

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長野県千曲市、八幡「齋森神社のケヤキ2本」です!!

2019-11-22 06:17:25 | 巨樹・大木
八幡地区は、千曲市役所の南東約4kmのところ

武水別神社から南へ進むと斉の森バス停が有ります

ちょうど齊森神社が鎮座します、バス停の前です

境内に車を止めさせて頂きました



千曲市循環バス 斉の森バス停です



境内入口です、境内の両側にケヤキの巨木が在ります

正面に社殿です

本殿は覆屋の中です

境内社の祠です


社殿の右境内に御神木のケヤキです

更埴市指定15号保存樹木、平成6年1月7日指定の標識です

後側は空洞になってしまっています

北東側から見ました、目通り幹囲7,4mの巨木です

もう一本を北側(社殿前)から見ました

西側から

更埴市指定38号保存樹木、平成14年8月9日指定の標識です

東側から見ました


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長野県千曲市、八幡「武水別神社の社叢」(県指定)です!!

2019-11-21 06:01:32 | 巨樹・大木
八幡地区は、千曲市役所の南西約4kmのところ

国道403号線を西へ、千曲川を千曲橋で越えて

すぐの信号を南へ県道77号線を進みます

道路左手に武水別神社が鎮座します

(笹焼神社の説明版に有った武水別神社です)

鳥居の脇から境内の駐車場に車を止めました


参道入口の鳥居です

武水別神社です

石の太鼓橋です


説明版です
  武水別(たけみずわけ)神社御由緒
御祭神
 主祭神 武水分大神  たけみずわけのおおかみ
 相殿  誉田別命   ほんだわけのみこと
     息長足比売命 いきながたらしひめのみこと
     比咩大神   ひめおおかみ
三大祭  祈年祭    3月15日
     例大祭    9月15日
     新嘗祭   12月12日
御由緒
 社伝によると、武水別大神は第8代孝元天皇の御代に
御鎮斎と伝えられており、善光寺平の五穀豊穣と千曲川
の氾濫防止とを祈念して祀られました。12月の大頭祭
(新嘗祭)は、御神徳に対し氏子民が感謝の誠を捧げる
、この地方最大の祭典であります。 
 八幡三神は、安和年間に京都の石清水八幡宮より勧請
され、相殿に奉斎されました。誉田別命は応神天皇、息
長足比売命は応神天皇の御母君の神功皇后のことであり
、比咩大神とは田心姫・端津姫・市杵嶋姫の三女神の総
称で国家鎮護、航海・交通安全の守護神と仰がれており
ます。


参道左手のシナノキです

説明版です
  シナノキ
シナノキ科落葉高木。
別名 ヘラノキ
 古代、木の内皮の繊維で布や縄・蓑が作られた。
初夏に葉の付け根に香りの良い房状の小花が咲き、
この花蜜からとった蜂蜜が科蜜と呼ばれている。
 かつて信州の山野に多く自生しており、シナノノ
クニの語源になったという説がある。因みに県内に
は更級(科)・埴科を始め、神科・妻科・立科・浅
科・保科・明科・仁科など、シナのつく地名が数多
くある。


境内西端にはケヤキの大木が並びます

参道右手に特異な幹のケヤキです



参道左手のケヤキの御神木です

参道奥側から見ました、目通り幹囲5,6mの巨木です

説明場です
  長野県天然記念物
    武水別神社社叢
      昭和40年2月25日指定
 この社地(面積18896㎡)に生育する樹木は、
ケヤキ・スギを主として20数種類におよび、その数
は400本を超える。
 民家に接した沖積層の平坦地に、このように老木を
交えて広大な地域を占める樹林は珍しく、この地方に
はまれに見る社叢である。

立派な天然記念物石碑です

手水舎です

手水舎の後に「川中島の戦い初戦の地八幡」の石碑です


説明版です

参道を進みましょう

狛犬です



滝壺の石です
 献納滝壺の石、献納された年代は不詳、養和元年源氏
の武将木曽義仲が平家軍との合戦に臨んで戦勝を祈願し
た時、祈願文を奉持した使者がこの石に湛られていた水
で、具足の汚れを洗い清めてから神前に額突いたと伝え
られている。
 明治維新後、廃仏棄釈によって境内を整備した際、此
処に据え置かれた。

拝殿です

幣殿の無い大きな本殿です

本殿西側の境内社です

本殿裏側の回ります、角の石碑のところにもケヤキの大木です

 
本殿北東側のケヤキの大木です

では、次へ行きましょう
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長野県千曲市、八幡「武水別神社」です!!

2019-11-20 07:31:51 | 文化財・寺社
八幡地区は、千曲市役所の南西約4kmのところ

国道403号線を西へ、千曲川を千曲橋で越えて

すぐの信号を南へ県道77号線を進みます

道路左手に武水別神社が鎮座します

(笹焼神社の説明版に有った武水別神社です)

鳥居の脇から境内の駐車場に車を止めました

参道入口の鳥居です

武水別神社です

石の太鼓橋です


説明版です
  武水別(たけみずわけ)神社御由緒
御祭神
 主祭神 武水分大神  たけみずわけのおおかみ
 相殿  誉田別命   ほんだわけのみこと
     息長足比売命 いきながたらしひめのみこと
     比咩大神   ひめおおかみ
三大祭  祈年祭    3月15日
     例大祭    9月15日
     新嘗祭   12月12日
御由緒
 社伝によると、武水別大神は第8代孝元天皇の御代に
御鎮斎と伝えられており、善光寺平の五穀豊穣と千曲川
の氾濫防止とを祈念して祀られました。12月の大頭祭
(新嘗祭)は、御神徳に対し氏子民が感謝の誠を捧げる
、この地方最大の祭典であります。 
 八幡三神は、安和年間に京都の石清水八幡宮より勧請
され、相殿に奉斎されました。誉田別命は応神天皇、息
長足比売命は応神天皇の御母君の神功皇后のことであり
、比咩大神とは田心姫・端津姫・市杵嶋姫の三女神の総
称で国家鎮護、航海・交通安全の守護神と仰がれており
ます。

参道左手の境内社の祠が仲良く三つ並んでいます

秋葉社の三社です

参道左手の玉垣の中には茅葺きの社がありますが、説明が有りません

次も立派石鳥居の建つ社です

説明版です
  長野県宝
    武水別神社摂社高良社本殿
      昭和50年7月21日指定
 高良社本殿はの創建及び沿革については、確かな記録は
ないが、建築様式からみて室町時代後期、16世紀ごろに
建てられたと考えられる。
 この建物は、一間社流造の系統に属するが、ふつうの流
造にみられる周囲の廻縁や正面の階段は省略され、正面に
小さな縁をつけるのみで、いわゆる、「見世棚造」に類似
した形式となっている。
 主屋の柱上の組物は舟肘木を用い、軒も垂木を用いない
板軒であるなど省略した形式であり、この建築の意匠に一
種の軽快な趣を与えており、この時代の本県の神社建築の
なかで特色ある存在となっている。また、側面の妻飾に大
瓶束と扠首組を併用しているのは珍しい手法であり、虹梁
や木鼻の絵様などは、室町時代の特色を示す貴重な建造物
である。
 平成5年、屋根を建築当初の杮葺に修理を行い、さらに
保存のために覆屋を設けた。    長野県教育委員会
                 千曲市教育委員会
                 所有者 武水別神社

参道の中央に舞殿の様です

拝殿です

幣殿の無い大きな本殿です

本殿西側の境内社です

本殿北側に境内社が並びます

左(西)から子安社です

妙義社・東照宮・金刀比羅社・御嶽社が並びます

天神社です

地神第5代 鸕鷀草葺不合尊(ウガヤフキアヘズノミコト)

地神第4代 彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト)

地神第3代 瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)

地神第2代 天忍穂耳尊(アマノオシホミミミコト)

地神第1代 大日孁貴(オホヒルメノムチ)

天神第7代 伊奘冉尊(イザナミノミコト)伊奘諾尊(イザナギノミコト)

天神第6代 惶根尊(カシコネノミコト)面足尊(オモダルノミコト)

天神第5代 大苫辺尊(オオトノベノミコト)大戸之道尊(オオトノジノミコト)

天神第4代 沙土煮尊(スイジニノミコト)埿土煮尊(ウイジニノミコト)

天神第3代 豊斟渟尊(トヨクムヌノミコト)

天神第2代 国狭槌尊(クニサツチノミコト)

天神第1代 国常立尊(クニノツネタチノミコト)

荒神社は、火産霊命・奥津日賣命・奥津日子命の三柱が祭神です

宇氣母智仲を祀る駒形社

目洗い石です

宿禰社です

八剣社です

では、県指定天然記念物の社叢を見て行きましょう
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長野県千曲市、八幡「笹焼神社のケヤキ」です!!

2019-11-19 06:11:50 | 巨樹・大木
八幡地区は、千曲市役所の南西約4kmのところ

国道403号線を西へ、千曲川を千曲橋で越え道なりに南へ

八幡小学校西信号を西へ入ります

通の突き当り、郡区公民館の北側に

笹焼神社が鎮座します

境内に車を止めさせて頂きました




千曲市循環バス 姥捨線 郡バス停です

郡区公民館です


神社入口の鳥居です

説明版です 
  笹焼神社
 笹焼という字地に鎮座する郡の産土神である。
古代はみな笹・やぶ等を焼き払って農業を営むと
ころから開拓神ではないかという一説もある。し
かし、笹焼神社は穢れを払い清める瀬織津姫命を
祭神としている。
 この神は、明治41年、宮川建雄の「笹焼神社
由緒書」によれば、祓処四柱中の一神で天照大神
の分魂である。続いて武水別神社の新嘗祭に当り
神託によって定められた五頭人が、各斎庭に営ん
だいわゆる小竹葉造りの遥拝所を祭りのあととり
壊し集めて、この地で焼くことから生じた名称、
神社である。と伝承を書き記している。
 武水別神社に、京都石清水八幡宮から別宮が勧
請された際、不用の荷物が焼かれたというが、往
古より不用・不浄な品物はすべて焼き尽くしてい
た。東道路沿いの境内に道祖神が立ち、正月の松
飾や古いお札・達磨などのドンド焼きは、焼却の
好例であろう。
 巽(東南)の方にあった往時の笹焼神社の火災
焼失後、1反15坪の当地へ移り、現在の拝殿が
造営されたのは明治17年であった。それまでは
矢崎山の天神社に神楽が奉納され獅子が舞ったと
いう。これに先たつ寛政6年(1794)11月
、願主和田右衛門によって社殿が奉建され、また
、禰宜宮沢権大夫が宮守として仕えていた。春季
祭は八幡宮と同日であったが、今は桜花の咲く2
0日前後の日曜日に変わり、秋祭は9月20日で
ある。
 同名の神社は少なく、善光寺七社の一つ左喜焼
神社(現柳原神社)は、昔から善光寺の掃除のと
きに使用した笹をここで焼く風習があり、笹焼明
神と呼ばれたという。なお、「石神石仏」で有名
な筑北村の修那羅山に、神像一体、ささやき明神
と刻まれた文字碑4基の石神が安置されている。


拝殿前に目的のケヤキです


東側から


拝殿前(北側)から、目通り幹囲7,1mの巨木です


東側にケヤキの大木が並びます

拝殿です

本殿は覆屋の中です

本殿西側の若い杉の木が御神木の様です



境内に祠が点在します

説明版にあった境内東側の道祖神の石碑です

では、次へ行きましょう
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長野県千曲市、杭瀬下「千曲神社のケヤキ」です!!

2019-11-18 06:02:13 | 巨樹・大木
杭瀬下地区は、千曲市役所の東側の地区です

千曲坂城消防本部公職消防署前の交差点南東側に

千曲神社が鎮座します

神社の入り口前に車を止めさせて頂きました



神社境内入口です

鳥居です

千曲神社です

境内西側、道路沿いにケヤキの大木が並びます

境内東側から土俵越に境内西側に並ぶケヤキを見ました


拝殿です

本殿です

拝殿よりのケヤキです

千曲市指定第47号保存樹木です

拝殿脇(北側)から




境内社は諏訪神社と八幡宮でしょうか




本殿両側に祠や石碑が点在します

拝殿前境内の若いケヤキの大木です

では、次へ行きましょう
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長野県千曲市、粟佐「粟狭神社のケヤキ」です!!

2019-11-17 07:54:14 | 巨樹・大木
粟佐地区は、千曲市役所の北東約1kmのところ

西船山通りを北へ進みます、粟佐西信号を右(東)に入って

次の交差点を右(南)に入り道なりに進みます

丁字路を右(西)に向くと粟狭神社の境内です

境内に駐車スペースが有ります



参道入り口です

延喜式内 郷社 粟狭神社です


では、参道を進みましょう

鳥居脇のケヤキの大木です

神社説明版です
 粟狭神社(あわさじんじゃ)
祭神  健御名方命
    事代主命
    少彦名命
由緒
 往古の鎮座にして創立勧請の年月は不詳であるが、
延喜年中(910)に埴科郡五座の筆頭をもって神明
帳に記載された延喜式内の名社である。
 船山郷を含む近郷にわたる総社であり郷民の崇敬は
厚く、大領の時代は祈願所として尊崇を受け、代々の
領主よりは、祭典の寄進があった。
 七年に一度の御柱大祭を斉行するを例とし船山郷(
杭瀬下、新田、鋳物師屋・寂蒔・内川・打沢・小島・
桜堂・粟佐)の9ヶ村にて執り行われて来た。
 境内は古木多く古社の姿を観し、旧本殿は、正徳年
間(1288)以前の建造物であり、本殿は慶応2年
(1866)の御造営である。

年間祭典です

二ノ鳥居です

参道の左手に目的のケヤキの目通り幹囲6,5mの巨木です

幹の反対側(社殿側)はすっかり空洞になってしまっています

千曲市指定第13号保存樹木です

参道を進むと、樹形の特殊なケヤキが在ります

拝殿側から見ました

拝殿です

本殿です

説明版です
  粟狭神社本殿
 この本殿は総欅の素木による生木を生かした
建築彫刻で、建築形式は唐破風を配した一間社
流れ造りになっている。文久3年(1863)
8月に起工して慶応2年(1866)3月に落
成した。
 工匠は妻科出身の池田文四郎で、彼は当時盛
んになった立川流建築を、諏訪の名匠、立川和
四郎富昌に21歳の頃より学び、晩年は立川姓
の名跡を許された。
 この本殿は文四郎39歳の作で、繊細流麗な
彫刻はより一段と本殿の荘厳さをひき立たせて
いる。


拝殿前右側のケヤキの大木です

北側から

境内端のケヤキの大木です

境内西側の境内社の後にもケヤキの大木が並びます

旧本殿です

説明版です
  粟狭神社旧本殿
 古本殿、権殿、宝蔵とも言われ、現本殿が御造営
されるとともに、この地に移された。
 建造年代は、正徳年中(1288)再興と棟側の
鬼面に墨書され鎌倉時代である。
 御修造を加えたといえども旧観を保っており、そ
の工法は工匠の驚く処であり貴重な文化財建築であ
る。

旧本殿右と現本殿です

では、次へ行きましょう 
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長野県千曲市、森「大宮神社の御神木ケヤキ」です!!

2019-11-16 12:07:26 | 巨樹・大木
森地区は、千曲市役所の東4kmのところ

県道392号線を東へ進みます

高速道路の高架をくぐりあんずの里信号を南へ

県道335号線あんず街道を進みます

まもなく右手に大宮神社が鎮座します


参道入口前に車を止めさせて頂きました



参道入口です

大宮神社です

一ノ鳥居です

ニノ鳥居です

狛犬です

拝殿です

本殿は覆屋の中の様です

参道西側拝殿前の御神木が目的のケヤキです

拝殿前から見ました


説明版です
  御神木
 この欅は三社合併以前に植えられ近郷希に見る古木
である。
  樹齢 900年以上
  周囲  7m
  樹高 20m
 再度の落雷に依り頭部欠損するも尚繁茂をを続ける
のである。
  昭和58年11月     大宮神社

北西側から見ました


境内参道東側のケヤキです

境内本殿東側のケヤキです

東側道路から見ました

境内社です

大岩の上にも祠が載ります

大きな石碑には「大満宮」の文字が有ります

では、次へ行きましょう


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