ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

山形県南陽市、宮内菖蒲沢妹背の松(連理の松)です!!

2018-08-31 07:17:40 | 巨樹・大木
宮内菖蒲沢は、熊野神社のすぐ北側の地区です

大銀杏の東側道路を真直ぐに登って行きます

住宅地の中に妹背の松への案内板が出ています

右(東)へ曲がって小さな沢の先に妹背の松が在ります

説明版の前に駐車スペースが有りますので利用させて頂きました




案内板です



妹背の松です

南東側から

標柱です

説明版です
  県指定天然記念物
    妹背の松
      所在  南陽市宮内菖蒲沢(宮内字高日向)
      指定  昭和31年11月24日
 この「妹背の松」は、赤松が二本並立ち、地上約4mの
ところで斜め横に連結している、いわゆる連理という珍し
いものである。根本は一樹のように結合し目通りは東側の
ものが1,75m、西側のものが2,1mである。
 連結部の上方は東側のものは主幹が直上して約15mの
高さに達するが、西側のものは高さ9,5mのあたりで西
方に垂下し枝張りは10m西に及んでいる。
 全景夫婦相生の形に見立てられることから妹背の松の称
がある。
  平成3年11月      山形県教育委員会
               南陽市教育委員会

北東側から

東側から
 

南東側から

西側から、大枝の頑丈そうな支柱が設けられています

北側に伸びた大枝です

では、次へ行きましょう
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山形県南陽市、宮内熊野神社です!!

2018-08-30 07:03:02 | 文化財・寺社
宮内地区は、南陽市役所の北北西約4kmのところ

山形電鉄フラッワー長井線みやうち駅の北側

丘の上に熊野神社が鎮座します



案内板です

参道の大鳥居です

手水舎です

安倍右馬助顕彰碑です

ここで参道は直角に左に曲がります

狛犬です

参道石段を上ります

右手には土社神社です

案内板です
 山形県指定文化財(建造物の部)
   土社神社本殿(どしゃじんじゃ)
  所在   南陽市宮内
  指定   1977年3月28日
  所有者  熊野神社
 一間社流造の社殿であり、建造は室町時代末頃(16世紀)
と推定される。熊野神社本殿の東隣にある二の宮神社とは建造
時期や様式など共通点が多い。これら二つの社殿は、熊野神社
に現存する建物中では最も古いうえ、市内に残る中世の神社建
築物として貴重である。
 屋根は元々の茅葺きから1963年に鉄板葺き、1988年
に銅板葺きに変更されて現在に至っている。
解説
 一間社 正面の柱と柱の間が一つ(柱が二本)の社殿。
 流造  社殿の建築様式の一つで、反りのある屋根が手前に
     流れるように伸びるのが特徴である。全国に分布し
     ており、代表例としては京都の下鴨神社本殿などが
     ある。
2003年3月  山形県教育委員会 南陽市教育委員会 

次は幸和社です

更に大社神社 大地主神 土地を司る神様です

さらに湯殿山神社と月山神社です

境内に上がると

鐘楼です

銅鐘です

案内板です
 南陽市指定文化財(工芸品の部)
   洪鐘(寛永3年銘)
指定 1968年10月4日
 熊野一山の社殿等の復興をめざす安倍右馬助らにより、寛永
3年(西暦1626年 江戸時代)に寄進された大梵鐘(大鐘)
である。銘文によれば、鐘を作る経費のほとんどを安部右馬助
が奉納したものと考えられ、信仰の深さと財力がしられる。
 第二次世界大戦中の昭和17年(西暦1942年)に、全国
的に金属の回収が命じられたが、この大鐘は、文化的な価値か
ら免除された。

社務所の先に神楽殿です

向かい側が拝殿です

社殿の西側に境内社が東向きで並んでいます

まず八幡神社です

八幡神社の左側の祠には下の所に仏像が安置されています

右側には愛宕神社です

更に右に境内社が続きます、保呂羽神社(国土育成の神様)です

羽黒神社(五穀豊穣の神様)です

菅原神社(文殊堂)ですが、屋根が崩れてしまっています、祠自体も傾いているようです

熊野神社本殿です

本殿軒下の彫刻です


右に二の宮神社本殿です

案内板です
山形県指定文化財 (建造物の部)
   二の宮神社本殿
  指定 1975年3月31日
 一間社流造の社殿で、別名「若王子」。細部の手法は
禅宗様(中国風)に、和様(日本風)も取り入れている。
建造時期は室町時代末頃(16世紀)と推定され、市内に
残る数少ない中世の神社建築として貴重である。社殿正面
の蟇股という部分には、ウズラとオモダカの葉が彫られ。
美術的な評価が高い。


左に三の宮本殿です

案内板です
南陽市指定文化財(建造物の部)
   三の宮神社本殿
  指定 1968年10月4日
 三間社流造の簡素な社殿である。社殿内部に残っている
「寛永三年」の年号や、安部右馬助による熊野神社の再建
に関する古文書等から、寛永三年(西暦1626年江戸時
代初期)までには再建されたものと推定されている。市内
に残るこの時代の神社建築としては貴重である。
 解説 安部右馬助
     米沢藩の代官で、宮内の町作りも行った。
     東方の土社神社の側に顕彰碑がある。
和歌山県の熊野本宮大社と同じように三つの社が並んでいます

(熊野本宮大社については、2012年11月6日のこのブログをご覧ください)


社殿左側の突き当りは稲荷神社です

雷神社や大神宮・熊野山供養塔の石塔が並びます

千手堂です

正一位高平稲荷大明神です、この祠だけは南向です

稲荷神社の手前から本殿裏側へ行きましょう、彫刻の中に兎を探します

背面に彫刻があります


説明版です
  縁結びの神様
 日本で最初に結ばれた男女の神様。ご縁を結んだと言われるうさぎ。
熊野大社は、ご縁結ばれるところ。やさしく溢れる木漏れ日の下で。
  そっと願う、恋を。    縁結び祈願祭、月むすび
 満月の夜、月に一度の特別な夜、三羽のうさぎに導かれ
月明かりの下、想いが届きますように。
 日本最古の本に記された神様の言葉
   「あなにやし、えおとめお。」
 「ああ、なんと素晴らしい女性だろう。」シンプルで飾り気のない
素直な言葉。それは、この国で一番最初のプロポーズ。
  
  三羽のうさぎ
 本田裏のうさぎの彫刻。いつ頃からか定かではありませんが、
三羽すべて見つけると、「願ごとがかなう」「しあわせになれる」
と言い伝えられています。
  鳳凰頭の彫刻
 太陽が鳳凰の瞳に差し込むとき、手を合わせ願いを込めると、
こころ穏やかに、幸せになれるとと言われております。
 日が昇る東の鳳凰は「祈り」を、日が沈む西の鳳凰は「感謝」を
一日、一日を大切にするという、日本人の美しいこころを表しています。


左側の中央にうさぎの顔です

その右脇に波乗りうさぎです

鳳凰です

さてさてもう一羽のうさぎは何処でしょうか 

(誰にも教えてはいけません、願いがかなわなくなってしまいますからね~

本殿の東側の境内社を見て行きましょう
 
皇大神宮(皇大神社)です

厳島神社です

白山神社(縁結びの神様)です

義家神社です

景政神社です

和光神社(虚空蔵堂)です

そして、拝殿の東側には根元の融合した御神木の杉が在ります

では、次へ行きましょう
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山形県南陽市、熊野神社の大イチョウです!!

2018-08-29 05:48:37 | 巨樹・大木
熊野神社は、南陽市役所の北北西約4kmのところ

山形電鉄フラワー長井線みやうち駅の北側です

大銀杏の立つ参道の東側に無料駐車場が有りますので利用させて頂きました




案内板です

参道の大鳥居です


宮内街歩きマップです

参道の境内入口に大銀杏が在ります(南西側から)

県指定天然記念物 熊野大銀杏の石碑です

案内板です
 山形県指定文化財(天然記念物)
   熊野神社の大イチョウ
  所在  南陽市宮内
  指定  1956年11月24日(昭和31年)
  所有者 熊野神社
 根周り7,7m、高さ約30m、銀杏としては県内でも
有数の巨木である。樹齢は数百年に及ぶものと推定されて
いる。秋には葉が鮮やかな黄色に染まり、地域の風物詩と
なっている。
 源義家が後三年の役のあとに、家臣の鎌倉権五郎景政に
命じて植えさせたという伝説が残っている。
 解説
  源義家   平安時代後期(11世紀)の有力な武士。
       鎌倉幕府を開いた源頼朝や牛若丸の幼名で知
       られる源義経は義家の子孫である。
  後三年の役 1083~87年(平安時代後期)に東北
       地方で行なわれた戦い。源義家の名声が高ま
       り、源氏が栄えるきっかけのひとつとなった
       。
 2000年3月 山形県教育委員会 南陽市教育委員会



西側から、根周りは玉垣で保護されています

北側から、目通り幹周り7,5mの巨木です

東側から全体を撮ることが出来ました

では、熊野神社にお参りしましょう
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山形県長井市、芦沢観音の大杉です!!

2018-08-28 06:41:49 | 巨樹・大木
芦沢地区は、長井市役所の南東やく5kmのところ

最上川右岸の愛宕山(標高361m)の東側です

県道166号線で最上川を渡り、久保ザクラを過ぎて

県道248号線を南へ、約1,5kmの東側に入った所に

芦沢観音があります、、前の道路脇に車を止めさせて頂きました



参道入口です

観音霊場です

手水です

石塔が並びます

西側には黄色い鳥居があります

参道の門杉です

参道の上部左側に目的の大杉です

相当に古い案内板です

長井市指定天然記念物 芦沢観音のスギです



参道石段横から見上げました

石段上から見ました目通り幹周り5,3mの巨木です

社殿です

鰐口が下がります

境内から見ることが出来ました

社殿を西側から見ました


境内の西端には、神社の社があります

では、次へ行きましょう
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山形県長井市、上伊佐沢のホーキマツとブナです!!

2018-08-27 05:52:35 | 巨樹・大木
台風20号が過ぎて関東地方は涼しくなるのかなと思ていたら

昨日も暑かったですね~、今日も熱中症に気を付けましょう

残暑の厳しい中ですが、今週も仕事を頑張りましょうね




上伊佐沢地区は、長井市市役所の南東約5kmのところ

県道166号線で最上側右岸に渡ります

県道248号線を南へ進むと道路東側斜面に

まずブナの大木が見えて来ます

そのすぐ南にホーキマツへの登り口があります

手前の道路脇の歩道部分に車を止めさせて頂きました


丘の上に松が数本見えています

ホーキマツへの入り口です

案内板があります

長井市指定天然記念物 上伊佐沢のホーキマツです


藪状の道を上がって行きます

もうすぐ尾根道に出ます

右へ行きます

目的のホーキマツです

北側から目通り幹周り3,0mの大木です

東側から

西側の大枝です

では、戻りましょう

県道を北へ100m程の所にブナの大木があります


県道脇の斜面にブナの大木です

北西側から

案内板です

長井市指定天然記念物 上伊佐沢のブナです

では、次へ行きましょう
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山形県長井市、伊佐沢の久保ザクラです!!

2018-08-26 15:06:28 | 
伊佐沢地区は、長井市役所の南東約2kmのところ

県道166号線で最上川右岸に渡り東へ

間もなく右手に大きな久保の桜の看板があります

南へ入ると、小学校の校庭の南側に広い駐車場があります




入り口の案内板です、国定天然記念物 久保の桜

駐車場から小学校の南側フェンス沿いを東へ進むと



桜です

説明版です
 国指定天然記念物
   伊佐沢の久保ザクラ
  エドヒガンの巨木で目通り9m。天保・弘化年間
 (約150年前)のころは、枝が4反歩(約4千㎡)
 に広がり「四反桜」の名で親しまれていた。
  久保ザクラに関する伝説には、征夷大将軍坂上田
 村麻呂が当地に立ち寄ったさい、地元の娘お玉と思
 慕の仲になったが、田村麻呂の帰国後お玉が亡くな
 ったため、桜を送って植えさせたのが久保ザクラで
 あるといい、また戦国時代、当地に住む伊達の家臣
 桑島将監が、妻お玉と子を亡くし、その供養のため
 植えたのがこの桜であるともいう。
  現在桜の幹の中心部は朽ちて空洞化しており樹齢
 の特定は難しいが、推定樹齢1200年といわれて
 いる。地元の暖かい保護を受け、毎年4月下旬ごろ
 枝いっぱいに紅色の美しい花をつけている。
              平成5年3月

 伊佐沢の久保ザクラ
  目通り 9、00m 樹高 16,00m
  枝振北12,10m 枝振東12,30m
  枝振南 7,10m 枝振西 9,90m
              文化庁
              山形県教育委員会 
              長井市教育委員会



樹勢回復作業の説明版です

もう一枚には日本三大巨木桜の説明です
  日本三大巨木桜
 伊佐沢の久保桜は、山高神代桜、根尾谷薄墨桜とともに
日本三大巨木桜と言われています。ここ伊佐沢には、篤志
家の尽力で高山神代桜と根尾谷薄墨桜の苗木が植えられ、
三大桜をそろって見ることができます。


南西側から

グリーンやまがた110景の記念碑です

標柱です天然記念物 伊佐澤 久保櫻となっています

南側から

東側の大枝です

東側から

北東側から

西側から


駐車場の北側、久保の桜の入り口には二世木が大きく育っています

駐車場南側の淡墨桜です

では、次へ行きましょう
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山形県白鷹町、浅立諏訪神社の千年杉です!!

2018-08-25 10:00:39 | 巨樹・大木
浅立地区は、白鷹町役場の南南西約5kmのところ

国道287号線の道東側に平行して西部街道がはしります

街道に面して参道を西向きに諏訪神社が鎮座します

参道入口脇の公民館の駐車場を利用させて頂きました



諏訪神社案内板です

参道入口です

鳥居です、額には「正一位諏訪大明神」となっています

沼沢伊勢碑です慶長年間に諏訪堰開削を実行した人です

浅立の力石です別名「かつぎ石」とも云う大きな物は25貫だそうです

二の鳥居です

手水舎です


手水舎前から視線を上にすると大杉が見えました

石段を上がります

拝殿です

長い幣殿と本殿です

案内板です
  諏訪神社本殿・拝殿
   (町指定文化財)
 慶長17年(1612)諏訪堰の開削という
大事業を成し遂げた沼沢伊勢は、諏訪の神に、
感謝する意味で社殿を建立、この地に諏訪の神
を祭った。
 幾度かの改修を行っているが宝暦12年(1
762)の木造で一間社、流造りの本殿は、妻
部等に見事な彫刻を配し、また文久2年(18
62)再建の拝殿は木造入母屋造りで、重厚な
茅屋根を持ち、共に素晴らしい建築物である。
  平成3年   町指定有形文化財
             白鷹町教育委員会


名木十選諏訪神社大杉の標柱です

大杉は拝殿の南西側に在ります

大杉です

境内林案内板です
  諏訪神社境内木
 諏訪神社境内木は、岩ノ入より現在の地に遷座
諏訪の宮を建立した時に植えられたものと考えら
れる。杉の大樹は、慶長以来の長い年月、鎮守の
森として氏子の心のよりどころとなって、諏訪の
宮の尊厳を維持してきた神木である。
  昭和46年1月  町指定天然記念物
              白鷹町教育委員会
 

 




南側から

直先には鐘楼があります


境内社が拝殿南側、大杉の上の一角にまとめて鎮座しています

拝殿の屋根の葺き替え作業が行なわれていました


では、次へ行きましょう


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山形県白鷹町、深山観音寺観音堂です!!

2018-08-24 06:32:58 | 文化財・寺社
深山地区は、白鷹町役場の北西約4kmのところ

実淵川左岸台地上に観音寺観音堂が在ります

県道255号線から県道164号線で実淵川を渡って直ぐ左に

長い参道を進むと鳥居右手に広い駐車場があります

参道鳥居が見えて来ます

杉並木の石段を上がります

山門です

手水舎です

観音堂です

重要文化財です

説明版です
  国指定重要文化財
 観音寺観音堂
    昭和28年3月31日指定
 観音堂の建つ深山地区は、会津仏教と神仏習合の羽黒
修験との交流する交通の要路に位置していた。
 観音寺観音堂は、天台宗観音寺(元羽黒系修験宗)の
所属堂である堂は、阿弥陀堂建築として、古風な形を残
すところに、文化史的価値が認められ、昭和28年に重
要文化財に指定された。
 創建年代は明らかでないが、柱上組物の舟肘木と丸い
円柱は、平安風を思わせる。
 昭和29~31年の解体修理工事の時の調査で、唐様
式虹梁や構造的貫等の存在から、建立年代が室町後期と
推定された。
 建築様式が、阿弥陀堂建築であるのに対して、堂内に
安置されている本尊は、会津立木観音の流れをくむと考
えられている丈六をこえる千手観音像である。
 建物の規模
  桁行  26尺( 7,90m)
  梁間  26尺( 7,90m)
  棟高  35尺(10,76m)
平成3年12月       山形県教育委員会
              白鷹町教育委員会


鰐口です

右の軒下です

正面を左から

縁です

斜め後ろの様子です


西側には立木観音堂が在ったようです

 平成26年の発掘調査と前年の観音像のC-14放射線測定で、
ここに11世紀末~11世紀初頭に33尺の(~35)四方の観音
堂の存在が確認された。立木観音像は、杉の大木の切り株の位置に
あったと推測される。
 立木観音像は、立木のままノミを入れて仏像にしたもので、ここ
に丈六の千手観音像があったが、堂の火災で腰から下を失っている。
現在、本尊は境内の国指定重要文化財観音寺観音堂に安置されてい
る。
     平成26年  文化財活用活性化事業実行委員会

では、次へ行きましょう
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山形県白鷹町、深山観音堂の杉です!!

2018-08-23 06:18:48 | 巨樹・大木
深山地区は、白鷹町役場の北西約4kmのところ

県道255号線を北へ、県道164号線の交差点を東へ

実淵川を渡ると直ぐに参道入り口です

長い参道道路を進むと鳥居前右手に広い駐車場が有ります




参道入口鳥居と門スギです

目的のスギは、石段下部右側に在ります

石段上側から見ました、目通り幹周り6,3mの巨木です

杉並木の石段を上ります

もう一本の巨木が石段の上部左側にかなり斜めに立って居ます



木の肌のきれいな杉です、目通り幹周り5,0mだそうです


観音堂です

では、観音堂を見て行きましょう
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山形県白鷹町、山口羽黒神社社叢です!!

2018-08-22 06:45:08 | 巨樹・大木
山口地区は、白鷹町役場の西北西約5kmのところ

地区の西側山の上に羽黒神社が鎮座します

裏参道を車で登って行きましょう

羽黒神社の大杉を過ぎると間もなくです

参道石段前に駐車スペースが有ります

(この日、参道一帯にはアブが大発生していました

裏参道への入り口です

境内入口です

石段下の手水舎です

手水舎後側のスギは、三本の幹の内の1本が裂け落ちてしまったようです

(実測はしていませんが目通り幹周り5mほどあったようです)


石段中段から見ました

拝殿です

本殿です

説明版です
  羽黒神社
   (祭神 保食神)
 慶雲年間藤原心元という人は、越後乙邑(現在の新潟県
胎内市乙)より当山にご神体を移し、麓に慶雲寺という寺
を建立、別当、社務にはげみ、以来当村の鎮守として敬わ
れていた。
 中古、ふもとの源十郎という者が宗源と改め、歴代別当
となった。
 その後、領主上杉家の祈願所となった。
         白鷹町教育委員会

拝殿前右手に杉の大木がまとまって立っています

左の融合木は目通り幹周り5mを越えているようです

本殿脇から見ました、手前左側のすぎは目通り幹周り約4m程です(実測していませんが~)

では、次へ行きましょう
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山形県白鷹町、山口羽黒神社の大杉です!!

2018-08-21 05:50:12 | 巨樹・大木
山口地区は、白鷹町役場の西北西約5kmのところ

県道11号線の西側、山際に広域農道が有ります

表参道はこの農道に開いています

羽黒神社はこの先の山の上に鎮座しています


表参道入口です

表参道の手水舎と鳥居ですが~、アブがいっぱい飛んでいます

羽黒の森の案内図が有ります、この材は、推定樹齢350年の松材で

松くい虫によって枯死したものを後世に残したい思いで作られています

裏参道を車で登ることにしましょう


表参道入口の南約100mに町道羽黒神社線の案内板が有ります

(羽黒神社まで1200m車で4分)となっています

裏参道を車で上がって行くと、羽黒神社の手前で

車道脇に目的の大杉が見えて来ます

名木十選羽黒神社の大杉の標柱です

説明版です
  羽黒の大杉
 羽黒様の御神木は、樹高44m以上、幹周り7m以上
と測定されている。子供達が手をつないで幹のまわりを
取り囲む様を見てもその太さに圧倒される。近郷に類を
見ない巨木である。
 以前木材をふんだんに使って住宅を建築していた時代
には、この1本で40坪の家が建つと語られていた。
 逆光の大杉から望む、陽春の里、深い霧でおおわれる
夏、黄金色の下界が広る稲刈りの頃、降り積む雪に沈む
里を見下ろす元朝参り、この巨木から観る里の風景には
格別の風情がある。
 大杉には、時折蜜蜂が巣をつくる。蜜を敏感に嗅ぎつ
けて熊が大木によじ登る。その爪の跡が里山の動物と植
物の営みを語りかけている。



南側表参道から見ました

綺麗な杉です

根元にも説明版があります
  羽黒神社大杉
 幹囲7m、高さ約40mの巨木である。昔から土地の
人々は、神木として敬われてきた。
 羽黒神社を含めこのあたりは、スギの生育に適してい
る。
 江戸時代、「舟材」として伐り出された記録がある。
明治10年、山形師範学校が設立する際に、その用材と
して鮎買舟場より舟によって山形に運ばれている。
 白鷹町指定 天然記念物
 昭和46年10月2日指定
        白鷹町教育委員会




大杉の南側の表参道わきには御不動様です

説明版です
  不動明王
 不動明王は、燃える炎を背負い、右手に剣を左手に
網を持ち、両眼を怒らせ牙をむき出した憤怒のお姿で
ある。背中の火炎は煩悩を焼きつくす火であり、剣は
降摩をなぎ払い、綱は更に強い悪魔を退散させる。
 不動明王は、どんな苦難にも立ちむかう強い力を有
し眼病にも効験がある。民間信仰では、この仏様は、
水神、作神でもある。事実、裏参道が今のように切り
拓かれていなかった頃には、近くに、羽黒神社参拝に
先立って心身を清める、禊をする湧水があった。人々
は里に注ぐ用水の源となるこの周辺を小沢口(こさぐ
ち)と呼び、水神様を祀ったのではなかろうか。往時、
ここから先は女人禁制であった。



では、熊野神社へ行きましょう
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山形県白鷹町、山口十二の桜です!!

2018-08-20 15:19:27 | 
山口地区は、白鷹町役場の西北西約5kmのところ

県道11号線が西から南に向きを変える所の

西側少し上に大きな駐車場が桜の前に有ります



十二の桜の由来記です
  十二の桜の由来について

1、なぜ”十二”の桜なのか
  ”十二の桜”とは、一口に言えば山際薬師堂建立と関連で
 十二神堂が建てられ、そこに植えられた桜なので呼称された
 ものであろう。
  然らば、十二神堂とはそも何なのであろうか。それは、薬
 師如来の護法善神であり、薬師如来を信ずる者を守護する神
 であり、本尊は12体の木像である。その神堂がこの地にあ
 ったと思われる。安政6年(1859年)山口村水帳(土地
 台帳)に、小字十二神とこの地を定めて居る。少なくともそ
 の頃までは、十二神堂が現存したものと思われる。
  下って、明治9年(1876年)山口村地籍には神の字が
 消えて、十二とのみ字名が記されている。いつの日からか十
 二神堂が廃堂となったものであろう。今、十二神像は山際薬
 師堂内の一隅に安置されている。

2、いつ誰が植えられたものだろうか
  この桜を植えられた年代等について記載された文献など定
 かなものは無い。只、伝説等を詳細整理して見ると、現存す
 る桜樹は三代目の根生え樹と言われている。蚕桑村の郷土誌
 (昭和47年発刊)を参考に検討すると、次のような姿が浮
 かんでくる。
  即ち、平安後期(1120年頃)今から約870年前、藤
 原安親(横越太郎鮎貝氏の祖)が下長井の庄司として当地を
 支配した時代、彼は政治の基本を仏教に置き、各地に薬師堂
 等を盛に建立し、同じ樹種のエドヒガン桜を植えられたもの
 であろう。(高玉薬師桜・鮎貝西口の桜・伊佐沢久保の桜等
 数多い)、尚、山際薬師如来堂境内の老巨杉薬師大杉もこの
 桜と同年代のものと思われる。

3、平安の時代から平成の時代へ
  平安の時代から平成まで約870年、幾多の風雪を経て、
 しかも三代に亘り確実に成長をくり返してきたその生命力に、
 吾々は深く教えられるものがある。
  昭和9年(1934年)冬の大豪雪被害をうけ、且つて全
 国桜名木番附東前頭筆頭(雑誌家の光)にあった名木十二の
 桜(二代目)も老衰し、その根生えの三代目が後を継ぎ現在
 に至つた。
  平成の時代に入り、地域の人々が郷土愛に燃え、十二の桜
 保存会(昭和22年結成)に活を入れ、関係各位の力強い御
 賛同御協力を得て、十二の桜公園の整備を図った。使命を終
 えた初代初代かすかに古姿を残す二代目もさぞ満足であろう。
  そして、この三代目は力強く往時の全盛期を凌ぐ大桜樹と
 成って、後世の人々の目と心を和まして呉ることでしょう。

結び
  十二の桜は、薬師信仰と一体のものと思われる。平安末期
 の乱れた京の姿を見た安親は、一族が礎いた奥州平泉文化に
 あこがれたのも当然であろう。
  また、そこには病苦災厄なく百花乱れ咲き、霊鳥法音を発
 する浄土世界を建設されたとされる。薬師瑠璃光如来を信仰
 されたのも理解出来る。百花乱れ咲く文化の里の願を込めて
 植えられた十二の桜と思えてならない。公園整備にかける村
 人の姿を見るとき、その昔植えられた人の心と同じ心に思え
 るのは筆者だけであろうか。
  平成3年8月吉日       十二の桜保存会
 
 






十二の桜です

南側から


置賜さくら回廊の案内ボードです

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山形県白鷹町、高玉薬師ザクラと釜ノ越ザクラです!!

2018-08-20 05:59:18 | 
高玉地区は、白鷹町役場の西南西約5kmのところ

県道11号線の西側すぐに薬師ザクラが在ります

桜の前の広場薬師ザクラの標柱の側に車を止めさせて頂きました

薬師ザクラの標柱です


薬師桜です

説明版です
  県指定天然記念物
    薬師ザクラ
     昭和30年8月1日指定
 町内に現存する桜の老木の中で、最も風格のある
もののひとつである。薬師堂も薬師ザクラも現在の
ところ正確な由来がわかっていない。西の方に「観
音堂」の地名があり、現在、東高玉円福寺にある観
音像(県指定有形文化財)は、その昔観音堂の地に
あったものといわれている。
 老衰が著しいが、勢力の旺盛な頃は枝ぶりもよく、
広い面積に枝を張り、見事なものであったという。
今も花盛りには貫禄を示して、人々の目を楽しませ
てくれる。
 樹種  エドヒガン
 幹囲  約8m(目通り)
  平成4年9月
           白鷹町教育委員会




薬師堂です

南東側から

東側から

北東側から

置賜サクラ回廊の説明ボードです

英語、中国語の簡化字に繁體字、韓国語(ハングル)で

書かれているようです


では、釜ノ越ザクラに行きましょう



薬師桜から南へ約100m釜ノザクラの案内板です

ここを西に入った公園の中に在ります

桜は枯れてしまったのでしょうか

説明版です
  釜ノ越ザクラ
   (山形県指定天然記念物)
  樹齢   約  800年
  胸高周囲 約 6,00m
  樹高   約20,00m
  種類   エドヒガン
   指定年月日 平成25年11月29日
 遙かな時代を越え、人々に愛し育まれてきた
名木である。「釜の越」は古い地名である。樹
下に立つ三個の無名巨石には、八幡太郎義家が
居陣した時に、この石で竃を築き、兵糧を焚い
たとの伝説がある。
 開花期は4月25日頃
 ややうつむきながら咲く薄紅色の可憐な花の
姿は、見る人々を楽しませてくれる。
      白鷹町教育委員会



東側から

南側からこの時期、葉の出ている枝が見当たりません

説明ボードです、満開の釜ノ越ザクラの写真が載っています


では、次へ行きましょう

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山形県長井市、五十川蘊安(うんなん)神社のスギです!!

2018-08-19 05:34:36 | 巨樹・大木
五十川地区は、長井市役所の北約4kmのところ

県道9号線を北へ、草岡川の手前県道と

一本東側道路の間に蘊安神社が鎮座します

参道は東向きです、道路脇に神社の鳥居が有り脇にスギの巨木が立っています

南側の地域環境センターの駐車場を利用させて頂きました



県道沿いの参道入り口です、大杉は鳥居の右手です

蘊安神社です

大杉ですが、この方向からは大きさを感じませんね~

長井市指定天然記念物の標識が立ます

鳥居を潜って境内へ入りましょう

拝殿です

拝殿前から大スギを見ました

本殿です

境内社の太神宮です

赤い鳥居ですので稲荷社のようです

社殿の北側には石塔や祠が並びます

南西側から見ると根元が融合した双幹が分かります

北側から大きさが判りますね、目通り幹周8,7mの株立ちですが巨木です

では、次へ行きましょう
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山形県長井市、横町總宮神社の直江杉です!!

2018-08-18 07:05:16 | 巨樹・大木
横町は、長井市役所の北北西約1kmのところ

山形鉄道フラワー長井線あやめ公園駅の東側です

県道253号線に参道を開いています


県道から一の鳥居です

間もなく境内です

手水舎です

県社 總宮神社です


案内板です
  長井總宮神社
    長井市横町14番24号
 当社は平安の昔、坂上田村麿将軍が蝦夷地征服の
際、日本武尊の御神徳を追尊しして白鳥の社をここ
に創建されたのが始まりと伝承されているものであ
る。
 鎌倉時代以降、長井、伊達、蒲生、上杉と歴代領
主の信仰厚く下長井郷44ヶ村の神社をここに合祭
し、下長井郷総鎮守の社として總宮n社号を定めた
ものと伝えられる。当地の旧村名宮村はこの社に由
来するもので特に「宮の明神参り」は江戸時代に最
高の賑いを呈したものであったという。
 現在の御本殿は、明君上杉鷹山公ゆかりの宮財を
下賜せられ、郷民のすべてが浄財を寄進して建立さ
れたものである。
 御宝物に木造男神像・木造観音立像外懸仏・鬼面
古鏡・獅子頭など貴重な文化財を伝えている。
       中央史談会
       中央地区公民館


直江杉は境内南面玉垣脇に並ぶ一列の杉の総称です、まず左から2本


境内入口鳥居左手の2本


境内入口右手の2本

さらに右手の2本


右端の1本の計9本が直江杉です

9本の位置説明です
 慶長3年直江兼続が植えたとされる杉。
東西に一文字に並ぶことから舟運で栄えた
時代、船頭等は「宮の一文字杉」などと呼
び、長井に入ったことを実感したという。
 しめ縄がついた杉が全て直江杉です。

説明版です
  直江兼続(1560~1619)
 上杉謙信の教えを受け、約270年続い
た米沢藩の初代藩主となる景勝への「義」
と領民への「愛」を貫き通した智将。
 豊臣秀吉、徳川家康らを魅了、畏怖せし
め、戦国時代の歴史に大きく関わった武将。
  直江杉
 慶長3年(安土桃山時代1598)、上
杉景勝が越後から会津120万石に移封さ
れ、直江山城守兼続が米沢城に入った際、
下長井一ノ宮に参拝し、杉を植え(直江杉)
剣刀を奉納した。
 最上の陣の際には畑谷村(現山辺)、長
谷堂(現山形)近辺の神仏を集め總宮神社
に合祀している。後に。最上川舟運の船頭
たちは、直江杉を宮の一文字杉などと呼び、
長井に入ったことを実感したという。
 三の鳥居の両袖に東西に伸びる杉9樹。
幹周り3~4m強。幹高25~30mの巨
木。

拝殿前から見ました(東側)

西側です


一番大きいのは鳥居東側直ぐのスギです、幹は双幹になっています




狛犬です 

拝殿です

拝殿の懸額には赤崩山となっています

赤崩山の説明が有ります
  「赤崩山」について
 ご参拝ご苦労様です。
 視線を上に変えていただくと「赤崩山」という
神社には珍しい「山号」が掲げられています。
 ご祭神はヤマトタケルノミコトが最上川の上流
赤崩の地(米沢市)に剣を立てて洪水を鎮めたこ
とから冠することになりました。
 数百年後、直江兼続は赤崩の少し下流に「直江
石堤」を築きます。
 洪水を鎮め領民を守る思いは何時の時代も同じ
だということですね。
 拝殿内正面に視線を転じていただくと「扁額」
「總宮神社」と金字で書かれた額がございます。
伯爵、東郷平八郎直筆の書です。
 多くの偉人たちの信仰が如何に篤かったかが伺
えます。
     總宮神社 社務所

本殿です

本殿の彫刻です

本殿の周りには境内社が並んでいます

社殿東側境内の馬頭観音堂です

案内板です
 宮 馬頭観音(普門坊)
札所 置賜三十三観音札所 第十番
本尊 馬頭観音立像(木造彩色)
御詠歌
 夜もすがら月を見上げて
    おがむなり
       沖の川瀬に立つは白波
 当所は地勢的に西国三十三番札所第十番
三室戸寺(宇治川のほとり)になぞらえて
定められたもので御詠歌もほとんど同じで
ある。ご本尊は鎌倉時代の初期に都の仏師
の手になるすぐれた作品である。
 現在の本堂は天保年間の造立で東側に祭
礼の日(旧7月10日)参詣の馬が本堂に
登る渡り廊下が設けられてあった。
    中央地区文化振興会
    中央史談会


天地人のキャラクター「かねたん」です

直江兼続と同じ「愛」の兜をかぶってかわいいですね

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