磐杉沢台地区は、能代市役所の北北東約6kmのところ
能代市役所から国道101号線を北へ、米代川を能代大橋で渡り約3.5km進みます
交差点を右(東)へ県道209号線です、すぐにJR五能線の踏切を越えてまた直ぐに斜め左(北東)へ
まだまだ県道209号線を進みます
約1.4kmで斜め右へ小土集落へ入って行きます、そのまま集落を貫けると
正面にケヤキの森です
前の道路脇に車を止めさせて頂きました
祭神 馬ヶ相染神 外野神社跡の石碑です
祠です
*蒼前様(そうぜんさま)は、東日本に分布する馬の守護神で,相染,勝善とも書く。正月あるいは年に数度の厩祭をする場合が多く,厩に蒼前様のお札を貼り,祈禱してもらう。近世期には猿回しを専業とする猿太夫と称する者が厩祈禱と守護札の配札にまわっていた。秋田では,旧佐竹北家の厩番に伝えられてきたが,神仏分離以降祈禱師に転じたといわれ,彼らは厩祭だけではなく,獣医の役割や馬に関するいっさいの世話をしていたという
祠の後ろ側のケヤキです
南側のケヤキです
南西側のケヤキです
西側から見上げました、主幹が枯れてしまった形になっています
東へ農道を進むと「杉沢台遺蹟」の標柱です
説明版です
国指定史跡 杉沢台遺蹟
昭和56年9月3日指定
所在地 能代市磐字杉沢台
杉沢台遺跡は、東雲台地北側とその斜面にかけて形成されており、範囲は35000㎡に及ぶ。縄文時代前期を中心とする集落遺跡で、昭和55年秋田県教育委員会により4672㎡の範囲で発掘調査が行われた結果、多数の遺構が発見されている。
大形住居跡4軒を含む、合計44軒の竪穴住居跡が検出されたほか、貯蔵穴などに使われたフラスコ状ピットも100基以上発見されており、中には土器片や貝殻などが捨てられているものもあった。とくに長軸31m、総面積222㎡におよぶ竪穴住居跡は縄文期では日本最大級と注目を浴びた。この住居は、柱穴の重複関係から、少なくとも3回の建替えがおこなわれたと考えられている。大形住居を中心とした集落は東日本全般にわたって存在することが知られており、本遺跡は当時の集落や社会構造を解明していくうえで重要な遺跡である。
平成15~17年の能代市教育委員会の調査でもフラスコ状ピットや住居跡が史跡周辺から発見され、縄文集落が広がっていることが判明した。これまでの調査で、縄文時代前期・後期・晩期・弥生時代、平安時代の複合遺跡であることが確認されている。
能代合教育委員会
説明版の北側です
説明版の北西側です
南側です
杉沢台遺跡前から西側のケヤキのある社叢を見ました
では、次へ行きましょう
能代市役所から国道101号線を北へ、米代川を能代大橋で渡り約3.5km進みます
交差点を右(東)へ県道209号線です、すぐにJR五能線の踏切を越えてまた直ぐに斜め左(北東)へ
まだまだ県道209号線を進みます
約1.4kmで斜め右へ小土集落へ入って行きます、そのまま集落を貫けると
正面にケヤキの森です
前の道路脇に車を止めさせて頂きました
祭神 馬ヶ相染神 外野神社跡の石碑です
祠です
*蒼前様(そうぜんさま)は、東日本に分布する馬の守護神で,相染,勝善とも書く。正月あるいは年に数度の厩祭をする場合が多く,厩に蒼前様のお札を貼り,祈禱してもらう。近世期には猿回しを専業とする猿太夫と称する者が厩祈禱と守護札の配札にまわっていた。秋田では,旧佐竹北家の厩番に伝えられてきたが,神仏分離以降祈禱師に転じたといわれ,彼らは厩祭だけではなく,獣医の役割や馬に関するいっさいの世話をしていたという
祠の後ろ側のケヤキです
南側のケヤキです
南西側のケヤキです
西側から見上げました、主幹が枯れてしまった形になっています
東へ農道を進むと「杉沢台遺蹟」の標柱です
説明版です
国指定史跡 杉沢台遺蹟
昭和56年9月3日指定
所在地 能代市磐字杉沢台
杉沢台遺跡は、東雲台地北側とその斜面にかけて形成されており、範囲は35000㎡に及ぶ。縄文時代前期を中心とする集落遺跡で、昭和55年秋田県教育委員会により4672㎡の範囲で発掘調査が行われた結果、多数の遺構が発見されている。
大形住居跡4軒を含む、合計44軒の竪穴住居跡が検出されたほか、貯蔵穴などに使われたフラスコ状ピットも100基以上発見されており、中には土器片や貝殻などが捨てられているものもあった。とくに長軸31m、総面積222㎡におよぶ竪穴住居跡は縄文期では日本最大級と注目を浴びた。この住居は、柱穴の重複関係から、少なくとも3回の建替えがおこなわれたと考えられている。大形住居を中心とした集落は東日本全般にわたって存在することが知られており、本遺跡は当時の集落や社会構造を解明していくうえで重要な遺跡である。
平成15~17年の能代市教育委員会の調査でもフラスコ状ピットや住居跡が史跡周辺から発見され、縄文集落が広がっていることが判明した。これまでの調査で、縄文時代前期・後期・晩期・弥生時代、平安時代の複合遺跡であることが確認されている。
能代合教育委員会
説明版の北側です
説明版の北西側です
南側です
杉沢台遺跡前から西側のケヤキのある社叢を見ました
では、次へ行きましょう
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