ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

長野県諏訪市、湖南「北方御社宮司社のケヤキ」です!!

2020-06-30 06:29:00 | 巨樹・大木
湖南北方地区は、諏訪市役所の南南西約5kmのところ

県道16号線の湖南小学校信号を南へ入ります

坂道を登って中央高速道路を見上げる所に

北方御社宮司社が北向きに鎮座します

高速道路側の道路の広く成った所に車を止めさせて頂きました

鳥居です

幟の支柱です、嘉永4(1852)歳のもののようです

大木の並ぶ参道の杉並木です

社殿は屋根の葺き替え工事中です

社殿の後ろ側斜面に目的のケヤキです

目通り幹囲5,1mの巨木ですがまだまだ若そうです


境内の御柱です

境内の祠は弁才天でしょうか、御柱が建ちます

では、次へ行きましょう
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長野県諏訪市、湖南「田辺御頭御社宮司社のケヤキ」です!!

2020-06-29 06:04:00 | 巨樹・大木
湖南地区は、諏訪市役所の南南西約4kmのところ

国道20号線の四賀普門寺信号を西へ入ります

道なりに、上川を越えて約2km宮川を渡ると直ぐ左(東)に

湖南地区公民館田辺分館が有ります

すぐ東側に御頭御社宮司社が鎮座します

公民館の駐車場を利用させて頂きました

レトロな雰囲気の公民館です

隣に神社の入り口です

幟の支柱に安政三と田邊郷の文字が有ります

鳥居です

水盤です

狛犬です

拝殿です

拝殿の上に樹冠が見えます、目的のケヤキでしょうか

説明版です
  御頭御社宮司社
 御頭御社宮司社は田辺の氏神で
慶長18年諏訪神社御頭親郷15
ヶ村に一つとして枝郷は高木村、
今井村、上蔦木村、下蔦木村、湯
の町(下諏訪町の一部)、木の間
村で、その後記録には前記各村の
ほかに若宮、横吹、芋の木、広岡
、先能の各村がある。
 氏神の境内には往代より住民の
信仰を物語る左記の諸祠がおる。
妙義神社 石祠 御嶽蔵王大権現 石祠
秋葉神社 石祠 湯殿山山大権現 石祠
事比羅神社石祠 津島牛頭天王  石祠
山の神社 石祠 天満宮     石祠
少彦名社 木祠 神武天皇    石祠
不動明王 石祠 豊受大神    石祠
     諏訪史跡要項・抜粋
 平成11年3月30日
    湖南地区健康文化推進会議



境内には多くの石塔や境内社が並びます

本殿の裏側に目的のケヤキが在りますが~

根元は玉垣の中ですね、目通り幹囲5,0mの巨木です

東側から

隣の寺院との境に立つケヤキです

永久寺参道です

鐘楼です

永久寺の参道には御頭御社宮司社の境内社や石碑の背併せに石碑が並びます

永久寺本堂です

本堂側から見ました

本殿右側の石碑の裏側が見えました

境内の水道記念碑です


前の道路脇にも、四方に御柱の立つ格家の祠が並びます

では、次へ行きましょう
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長野県茅野市、宮川「からかさ松」(市指定)です!!

2020-06-28 06:23:00 | 巨樹・大木
宮川地区は、茅野市役所の南約2kmのところ

前宮駐車場から西へ県道16号線に高部信号が有ります

案内板に従い信号の手前を南に入って下馬沢川沿いを南に進むと

諏訪南行政事務組合静香苑の手前に案内板が出ています

案内板を入った所に駐車スペースが有ります



高部信号です、笠松2kmの案内板があります

ここから奥へ進みます

笠松の案内板が有ります、左に入って直ぐに駐車スペースが有ります

林道を歩いて行きましょう

チェーンで車の通交を規制しています

笠松800mの案内板です

沢を橋で渡ります

ゆるく登って行きます

林道の分岐に笠松200mの案内板です

林道が狭くなって来ました

送電線の鉄塔を過ぎて下りになると間も無く笠松です

北側から笠松です

説明版です
  茅野市指定天然記念物
   からかさ松
 指定 昭和47年12月26日
 所在地 茅野市宮川高部 高山
樹種 アカマツ マツ科
大きさ
 幹周囲 
  地上約10cm 6m60cm
  地上約70cm (分岐の位置)
           6m10cm
 高さ   約14m
 枝開帳 東ー西 約18m00cm
     南ー北 約18m50cm
   (昭和62年7月調)
 このからかさ松は、地上約70cm
で幹が大きく二つにわかれており、東
側を男松、西側を女松と呼んでいる。
目通り(地上約1m50)で幹の周囲
は男松3m85、女松3m03である
。古くより注目され、昭和12年の長
野県史跡名勝天然記念物調査報告第1
8集に当時の状況が記載されている。
当時と比較すると男松約20cmの周
囲の増加がみられる。また、41年の
市教育委員会の調査とでは、男松に1
3cmの周囲の増加と、枝開帳で東西
・南北それぞれ約2mの伸張がみられ
る。女松には12年以降生長がみられ
ない。女松は男松側に空洞が開などい
たみが見られ、枝も少ないが、男松と
共にからかさ状の樹形を形づくってい
る。形・大きさはもとより、山の中で
長い年月風雪に耐えてきた風格ある姿
のすばらしさは、諏訪地方はもちろん
、県下でも最大級といえるであろう。
 南側の根もとの祠は、金毘羅社・御
岳社・浅間社である。これら三社は、
このみごとな松があって、後に逐次ま
つられたものであろう。樹齢は350
年前後と推定される。
  昭和62年10月
      茅野市教育委員会
南西側から

西側から

北西側から

説明版にあった三社の祠です

北側から

東側から

南東側から見ました

では、戻って次へ行きましょう
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長野県茅野市、宮川「諏訪上社末社・子安神社のケヤキ」です!!

2020-06-27 06:58:00 | 巨樹・大木

諏訪前宮参道入口の西側約400mほどの所に子安神社が鎮座します


境内入口鳥居です

子安神社です

説明版です
  子安神社(末社)
御祭神 高志沼河姫命
(こしのぬなかはひめのみこと)
例祭日 12月22日
 諏訪大神の御母神 高志沼河
姫命をお祀りしている。
 古来縁結び・安産・子育ての
守護神として諏訪大神を補佐さ
れ、お子安様とも称され親しま
れている。
 底の抜けた柄杓は安産の祈願
に奉納されたもので、水がつか
えずに軽く抜けるよう楽なお産
が出来るようにとの願いがたく
されている。

手水舎です

西向きの社殿です、上社本宮の方を向いているようです

社殿の右側に目的のケヤキです、回りをたくさんの底の抜けた柄杓が取り囲んでいます

安産柄杓掛けです、生まれ月の棚が並んでいます

南側から
src="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/e2/6f4ebab48502e571c8d3e669bf845718.jpg" border="0">
東側から、目通り幹囲5,4mの巨木です

北東側から

では、前宮駐車場に戻って、次へ行きましょう
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長野県茅野市、宮川「諏訪上社前宮の樹叢」です!!

2020-06-26 06:36:00 | 巨樹・大木
宮川地区は、茅野市役所の南約2kmのところ

国道152号線に前宮前信号が有ります

信号に向って北東向きに参道が開きます

信号の北側に広い駐車場が有りますので利用させて頂きました

参道を進んで、社務所前のケヤキと

御室社のケヤキと見て来ました


鎌倉道遊歩道の図です

参道をもう少し進みます

前宮拝殿です


本殿です

説明版です
  上社前宮本殿
 前宮とは上社本宮に対して、
それ以前にあった宮の意味とも
考えられている。
 前宮の祭神は、建御名方命と
、その妃八坂刀売命と古くから
信じられ、ここ前宮の奥に鎮ま
るところが墳墓と伝えられる。
古来より立入ることが固く禁じ
られ侵すと神罰があるといわれ
た。四方には千数百年の歴史を
有する御柱が七年目毎に建てら
れ、現在の拝殿は昭和7年に伊
勢神宮から下賜された材で造営
されたものである。
  昭和49年5月
     安国寺史友会


拝殿北側の「前宮一の御柱」です

説明版です
 前宮一の御柱、長さ5条5尺
(約17m)直径1,2m(目
通り)の樅の木である。御神徳
の更新を祈る氏子の魂を結集し
た御柱である。上社綱置場(御
柱置場)より二十数キロの行程
を数千人の氏子に奉仕により、
曳行されるので裏側は擦り減っ
ている。
 茅葺の御宝殿と共に、寅歳と
申歳の七年目毎に建て替えられ
る御神木で、神域の四隅に建立
される。
 御柱祭は、天下の奇祭として
有名であり、次回の御柱大祭は
平成34年寅歳に行われる。
  諏訪大社
*平成34年は令和4年ですね


拝殿の南側には「前宮二の御柱」です

本殿南側には「前宮三の御柱」です


本殿の裏側には大木が数本在ります


太いフジの蔓とケヤキです

西側から

更に北側のケヤキです

更に北側に二本のケヤキです

北側から視ました

本殿北側の「前宮四の御柱」です

では、次へ行きましょう
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長野県茅野市、宮川「諏訪上社前宮御室社のケヤキ」です!!

2020-06-25 06:26:00 | 巨樹・大木
宮川地区は、茅野市役所の南約2kmのところ

国道152号線に前宮前信号が有ります

信号に向って北東向きに参道が開きます

信号の北側に広い駐車場が有りますので利用させて頂きました

前宮参道の石段を上がると参道は鉤の手に曲がります

そこに御室社が鎮座します

目印になる大きなケヤキが覆いかぶさっています

御室社のケヤキです

小さな祠が御室社です

説明版です
  御室社
 中世までは諏訪郡内の諸郷の
奉仕によって半地下式の土室が
造られ、現人神の大祝や神長官
以下の神官が参篭し、蛇形の御
体と称する大小のミシヤクジ神
とともに、「穴巣始」といって
、冬ごもりをした遺跡地である。
 旧暦12月22日に、「御室
入り」をして、翌年3月中頃寅
日に御室が撤去されるまで、土
室の中で神秘な祭祀が続行され
たという。
 諏訪信仰の中では特殊神事と
して重要視されていたが、中世
以降は惜しくも廃絶した。
     安国寺史友会



北側から

西側から、目通り幹囲5,5mの巨木です

直ぐ西側に五輪塔が有ります

説明版です
  諏訪照雲頼重の供養塔
 この地は、もと「大祝様御
屋敷地」といわれた神殿に近
く、明治初年に五輪塔及び多
宝塔等の石造物残欠が多数出
土したし、付近住民によって
私有地の一角に保存されてき
た。
 当寺は五輪塔火部に「照雲」
との銘が判読できたという伝承
があり、中世前期の形式をそな
えた貴重な歴史的遺物である。
 照雲とは上社大祝をつとめた
三河入道頼重のことで「太平記
」にも名をとどめ、建武2年(
1335)7月14日に北條氏
再興をはかってこの地に決起し
、北條時行(高時の遺児亀寿丸
)を擁立して「中先代の乱」を
戦い鎌倉を占領した信濃勢の総
大将であった。
 しかし、足利勢の大軍に敗退
し、8月19日、遂に勝長寿院
大御堂にて壮絶な自害をし果て
たと記録されている。
 近年これら石造物も風化損傷
がひどくなり地元保存会が補修
整備を行なったものである。
  平成4年3月
      安国寺史友会




そばの観光施設の交流広場は閉鎖中でした

鎌倉道遊歩道の案内図が有ります

前宮へ行きましょう

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長野県茅野市、宮川「諏訪上社前宮社務所前のケヤキ」です!!

2020-06-24 06:32:00 | 巨樹・大木
宮川地区は、茅野市役所の南約2kmのところ

国道152号線に前宮前信号が有ります

信号に向って北東向きに参道が開きます

信号の北側に広い駐車場が有りますので利用させて頂きました



駐車場入口に大きな看板が出ています

車を止めた目の前に「荒玉社」です

説明版です
 荒玉社
 「新御魂社」とも書き、原始農耕
の神事として田の神を降し、稲の御
霊をまつる社で上社の重要な摂社で
ある。
 古書によれば正月元日いはまず大
祝以下の神官氏人が参詣し、旧暦2
月晦日(みそか)の春祭の最初にあ
たり神使(こうのと)が出仕して、
「野出の神事」が行なわれたとあり
現在も続いているが簡単な神事だけ
になっている。
 なおこの社の造営は、古来より山
浦の中村郷の役であった。
   昭和49年5月
       安国寺史友会

前宮参道入口です

官幣大社諏訪上社前宮

鳥居を入ると右手の林の中に溝上社です、側には太いフジのみきが伸びています



社務所前に二本のケヤキの大木です


参道側のケヤキは合体木です、目通り幹囲6,0mの巨木です

南西側から



参道の左手に手水舎です

境内案内図です

狛犬と二の鳥居は青銅製です

参道の左側(南)に並んで石段が有ります


十間廊です


参道右側には内御玉殿です

更に参道を進みます
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長野県茅野市、ちの「上原御社宮司社のケヤキとトチノキ」です!!

2020-06-23 06:13:00 | 巨樹・大木
ちの上原地区は、茅野市役所の北西約2kmのところ

JR中央本線に沿って国道20号線を西へ進みます

上原頼岳寺信号のすぐ先に諏訪信用金庫のATMがあります

すぐ先に細い路地を入った所に御社宮司社が鎮座します

ATM脇に車を止めさせて頂きました




北東向きの参道入口です

大きなトチノキが見えています

鳥居が見えて来ました

鳥居です

東向きの祠です

右側にも南向きに祠です

よく見ると二本のケヤキとトチノキが並んでいます

手前(東側)のトチノキです

奥側(西側)のケヤキです、こちらのケヤキの方が目的のケヤキです

幹には大きな傷が見えます

北側から、目通り幹囲5.2mの巨木です

西側から

では、次へ行きましょう
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長野県茅野市、宮川「達屋酢蔵神社のケヤキ」(市指定)です!!

2020-06-22 06:17:00 | 巨樹・大木
宮川地区は、茅野市役所の南約2kmのところ

国道20号線横内信号を東に入ると

達屋酢蔵神社が南向参道で鎮座します

鳥居前の道路脇に車を止めさせて頂きました




参道入口です

達屋酢蔵神社です

黄色のカキツバタと水盤です

天然記念物に指定されているのは神社の社叢、その説明版です
市指定天然記念物
  達屋酢蔵神社境内社叢
    昭和55年3月14日指定
 当社叢は、4本のケヤキとサクラ・
スギ等よりなる。本殿北側のケヤキは
、目通り幹囲7,20mで上原葛井神
社に次ぐ市内で2番目の巨木であり、
樹齢は400~500年と推定される
。他の三本のケヤキもそれぞれ幹周3
m以上あり、樹勢よくみぎとな社叢を
形成している。
 当社は、達屋(立屋又は楯屋)社・
酢蔵社の両社を合祀したもので、「諏
訪神社祭典古式」には「此日、国誌栗
林郷立屋社に着ク」とあり、中世以来
由緒をもつ神社として、また当社の御
柱は、八ヶ岳の御小屋神林より曳出す
特権を有することで著名である。
 昭和56年3月 茅野市教育委員会




神社の由緒書きです
 達屋 酢蔵 神社由緒
祭神 達屋社 大巳貴命 (おおなむち)
       手置帆負命(たおきほひ) 
       彦狭知命 (ひこさち)
   酢蔵社 八意思兼命(やいおもいかね)
祭神と神社名の変遷
天白神    ・諏訪28天白の総社「天白七五三社」の聖地であること
(ミシャクジ)・延喜三癸亥(903)神長守矢書曰
        「楯屋神社は天白楯、天白太刀併祭之由」
       ・御神体は霊石で、現存している。
五龍女神   ・上社物忌令(1236)頃より
(五龍姫宮)  「達屋二社五龍三尊二体アリ」
(五料姫宮)   陰陽道の神 奈良朝廷が陰陽寮を設け強力に
        利用してその影響は江戸末まで続き当社は広大な
        南北栗林郷の産土社として栄えた。
現在の祭神・神社名
     祭神は明治以降のものである。
     神社名が、建造物そのもの。非常に珍しい。
達屋   原義は館屋、客人をおく舎である。様々な宛字が使わ
    れた。建屋として工匠の宮、楯矢として楯矢を造った宮
    等である。そして交通の要地、また神社仏閣等人の集ま
    る所、大きな建造物の近くに造られた。
     当社が、館屋の館によく建、立を宛てたことから大工
    建築に関係ありと、明治の改革時には自然と日本工匠の
    神、手置帆負、彦狭知命が祀られたようである。
     日本全国の著名な城郭の天守には、多く此の二神が守
    護神として祭られている。
酢蔵   原義は簀蔵、簀子組の校倉式食糧貯蔵用の倉庫である
    。宛字は、酢、酒、須、等。従って単独では存在しない
    もの、館屋、寺社等に付属してあるもの。
     中世、神長官文書神事事書三月条に
    「丑日前宮神事同日内大県神使殿並二外大県神殿オシツ
    マリノ日也、同日国司栗林郷立屋社着」とあり、信濃松
    本国府ヨリ国司一行(20名位)は上社前宮の春秋大祭
    神事執行のため横内館屋に宿泊して、翌日の大祭に備え
    たのである。
御造営(御柱祭)
     寅申の干支御造営に関し当社はその御用材を、本宮同
    様八ヶ岳御小屋山神林より伐り出せる特権を有している
    。七町二反歩が当社分である。これは他社に類例の無い
    ことで古くから本宮との因縁を証するものであろう。
                         以上
修復平成25年9月記 矢嶋壽雄氏 達屋酢蔵神社評議委員会


参道左広場の天神様です

拝殿です
.
本殿です

参道の左手のケヤキの大木、目通り幹囲3,10mの③です

境内東端のケヤキの大木、目通り幹囲3,85m④のです

本殿裏側に目的のケヤキの巨木です①

北東側から見上げました、目通り幹囲7,20mですね

西側から、こちらの面は大枝が折れたのでしょうか、すっかり枯れが進んでいます

境内北西端のケヤキの大木、目通り幹囲3,00m②です

境内社です

達屋酢蔵神社の西側に隣接して横内不動尊です

水盤です

石碑が並びます

説明の石碑です
  厄除 開運 横内不動尊
 横内村には古来より護摩講あり、
信者は行屋に籠り水垢離を取り護摩
を焚き行を積みこの不動尊を信仰し
た。諏訪高島城主九代諏訪忠誠公御
病の時、横内護摩講を城中に召され
、御病平癒を命ぜられた、五味惣七
翁礼盤に登り御祈祷の結果霊験顕か
にて速に御病気全快なされた、御褒
美に刀剣二振賜わられ、これを達屋
酢蔵神社の宝物として奉納した、こ
の頃(安政5年西暦1858年)飢
饉と疫病近郷近在に流行したが、部
落民は熱心なる祈願により、罹病を
まぬがれたという。
  昭和51年3月 横内区

*横内不動尊の写真を撮っていたところに

声を掛けられました

「良いものが有りますので差し上げますよ」

と!!

そして頂いたのが

諏訪大社氏子安全守護の用紙と茅野めぐりマップです

一眼レフカメラを持っていたので地元の方か?と思いましたが

すぐ東側のお宅に入ってこれを頂いたので

宮司さんだったようです


では、次へ行きましょう
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長野県茅野市、宮川「酒室神社のケヤキ」です!!

2020-06-21 07:07:00 | 巨樹・大木
宮川地区は、茅野市役所の南東約2kmのところ

国道20号線の酒室トンネルの北側、県道197号線に坂室信号が有ります

信号を北に入ると左手に酒室神社が鎮座します

境内の駐車スペースを利用させて頂きました

この日、前の道路で工事が行なわれていて

工事関係者の車が多く止まっていました



茅野市指定史跡 酒室神社です

鳥居です

大きな自然石を彫り込んだ手水鉢です

狛犬です


拝殿です

本殿を覗くことが出来ました

社殿の北側に目的のケヤキです

南側から

西側から、目途り幹囲5,5mの巨木です

北東側から

この神社にも「御柱」が建ちます

境内社です

境内には大きな石が有ります、神様の憑代のようでした

では、次へ行きましょう
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長野県茅野市、玉川「長円寺のセンダンバノボダイジュ(市指定)とトチノキ」です!!

2020-06-20 18:14:00 | 巨樹・大木
玉川地区は、茅野市役所の東南東約4kmのところ

県道196号線(御柱道)の南側に参道を北向きで長円寺が有ります

参道の東側に広い駐車場が有りますので利用させて頂きました

境内入口から杉並木です

真言宗 智山派 清龍山 長圓寺です

説明版です
真言宗智山派 清龍山長圓寺
 當山は慶安2年(1649)
武田慶尊阿闍梨が高野山金剛峰
寺金剛頂院の本院を相続して創
建された。寺格は格院、本尊は
金剛界大日如来、要穴山長圓寺
と号したが、其の後火災にあい
焼失(年代不詳)した。
 延享3年庫裏(1746)延
享4年本堂を再建し、火伏の為
山号を清龍山と改める。
 文化8年(1811)鐘楼門
・土蔵、慶応2年隠寮、明治1
7年観音堂が作られている。
 特に山門は諏訪の大隅流の大
工でよく知られた伊藤儀左エ門
・長左エ門兄弟の作である。梵
鐘は百五十貫の名鐘であったが
、昭和19年大戦の為供出し、
永らく鐘声が跡絶えていたが、
昭和38年當山檀信徒一丸とな
って二百貫の大梵鐘を鋳造する
と共に庫裏を改築した。その庭
園は、京都丸山派の庭師の作と
伝えられ京風の作りで、諸木老
い茂り景勝を以て著名である。
 又観音堂に安置されている木
造薬師如来(秘佛)百番観音他
多数の石佛が茅野市文化財に指
定されている。


境内には多くの観音像等が並んでいます

説明版です
  市指定文化財
    長円寺の石佛
 長円寺は真言宗で、慶安2年
(1649)慶尊法印の開基と
伝えられる。参道の左側には梵
字碑二基と23体の石佛が、右
側の池のまわりには、百観音が
並ぶ。百観音のはじめの石碑に
「西国當村 秩父中道 坂東菊
澤 當山15世 法印祐慶造立
」と彫られているから、この百
観音は、15世法印祐慶の在世
の年代から推定して、江戸時代
末期から明治初年頃造立された
ものであろう。像容は如意輪観
音8、千手観音28、十一面観
音26、馬頭観音3、准提観音
2、聖観音33である。石工は
不明であるが、彫が極めて深い
のが特徴である。百観音は、は
じめ参道沿って左側に一列に建
立されたが、日露戦勝記念に京
都の楓を植えたため、現在の位
置に移されたという。
 左側石垣の上に安置された石
佛は、大日如来梵字碑・弘法大
師像・地蔵菩薩像等多種多様で
であるが、渾然として融和し、
百観音と共に信仰形態を示す民
俗文化財として、また石造文化
財として貴重である。
  昭和53年3月
    茅野市教育委員会


西向きに楼門です

楼門を入ると左手に本堂が南向きに建っています

正面右手に目的の菩提樹です

西側から見上げました

説明版です
  市指定天然記念物
長円寺のセンダンバノボダイジュ
   昭和58年4月26日指定
樹種 センダンバノボダイジュ
        (ムクロジ科)
大きさ 目通り周 2,04m
    高さ  約10m
    枝の開張約12m
 センダンバノボダイジュは葉が
センダン(オウチ)に似、果実が
ボダイジュの実に似ているところ
から名が出たという。寺院などに
植えられるが諏訪地方ではまれで
ある。このセンダンバノボダイジ
ュは、同種としては最大級のもの
で、樹勢よく、7月下旬には黄色
のみごとな花穂がつく。花は中央
に赤斑があり、形が龍の頭部に似
るところから、釈迦誕生のとき龍
となって甘茶をそそいだという伝
説がある。果実は径7mm前後の
球形で、黒く堅く、数珠や首飾り
に用いられ、炒ると食用にもなる

 「諏訪郡諸村並旧蹟年代記」に
「穴山新田正保元年嘉兵衛仁兵衛
、同四丁亥年要穴山長圓寺立、菩
提樹有(略)とあるが、ここに記
載の菩提樹がこのセンダンハノボ
ダイジュを指しているとすれば、
樹齢はおよそ百三・四十年と推定
される。但し、ボダイジュはシナ
ノキ科でセンダンバノボダイジュ
はムクロジ科である。いずれにせ
よ、このセンダンバノボダイジュ
は珍しく、永く保存したい貴重な
樹木である。
   昭和59年1月
      茅野市教育委員会

本堂前から見ました


本堂西側のイチョウの大木です

境内南西端には観音堂が有ります

文化財説明版です

トチノキは参道の中ほどから本堂の裏側を境内東側の墓地に向います

観音像の奥に太い幹が見えます

南西側から見上げました

東側から、目通り幹囲5、0mの巨木です

東側墓地から見ました


トチノキの花が満開です、秋のトチの実も楽しみですね

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長野県原村、中新田「津島社の大藤」(村指定)です!!

2020-06-19 06:35:43 | 巨樹・大木
中新田地区は、南東約3kmのところ

県道17号線を南東へ進みます

県道が南に向くところ東側に「四百年碑」が有ります

この手前を東に入り左へ進むと

西南西向き参道の津島社が鎮座します

神社の南西角に出ます

境内の社殿北側に駐車スペースが有ります



神社が見えて来ました

境内入口鳥居です

狛犬です

拝殿です

拝殿前のモミノキは幹が途中で切られています

拝殿右手のサワラに目的の大藤です

枝先にフジの花が残っています

本殿右手から

天然記念物標柱です

説明版です
 原村指定天然記念物
   津島社の大藤
    昭和47年4月1日指定
樹種  フジ(ノダフジ)マメ科
大きさ 幹周囲  2,4m
    全長 約40,0m
樹齢  推定三百年余
 この大藤は、近在稀にみる大樹で
、三本のサワラの木と並立し、一本
の幹からなっている。
 ノダフジは、山野に自生するもの
で、比較的寿命が長いものであり、
つるは長く伸び、他の木などに右巻
きに巻き付く性質を持っている。
 花序がヤマフジより長く、花は花
序の基部の方から咲き、つるは丈夫
で、昔はかごを編んだり、物を縛る
のに使った。
 中新田開発(1610年)当時か
ら存在していたともいわれていて、
多くの村人に知られた名木である。
 平成元年3月  原村教育委員会

境内北側には舞台です

説明版です
 原村有形民俗文化財
   津島社の回り舞台
    昭和58年3月8日指定
 津島社の回り舞台は、「八右衛門
年代記」には、天保12年(184
1)6月より建立をはじめたことが
記されており、また中新田区文書「
舞屋勧化帳」には、弘化5年(18
48)と記されているので、この頃
建立された建物であると思われる。
その後、修復して今日に至っている

 建物の大きさは、間口6間(実測
11、2m)奥行4間(時速7,6
m)で、棟までの高さが約8,1m
、舞台の床までの高さが約1,2m
である。
 この回り舞台は、江戸時代末期か
ら、大正時代にかけて、浄瑠璃や村
芝居が舞われていたものであり、構
造は、舞台中央に円形の回り舞台が
有り、一つの幕が終わって舞台を1
80度回せば、あらかじめ裏側に準
備された舞台セットに直ちに替えら
れるようになっている。
  平成元年3月 原村教育委員会



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長野県茅野市、泉野「中道神明宮のサワラ」(市指定)です!!

2020-06-18 06:12:00 | 巨樹・大木
泉野地区は、茅野市役所の東約7kmのところ

字中道は、県道17号と県道188号線の交差点大泉山信号を

東へ県道188号上槻木矢ケ崎線を進んだ南側です

JA信州諏訪茅野南部支所泉野営業所を南に回り込んだ所に

南向き参道で神明宮(神明社)が鎮座します

参道東側に駐車スペースが有ります


境内入口です

拝殿です

本殿は覆屋の中です

本殿の東側に目的のサワラです

北東側から、太い幹に細い幹が寄り添っています

北側から

説明版です
 市指定天然記念物
   中道の神明宮のサワラ
     昭和55年3月14日指定
樹種  サワラ(ヒノキ科)
大きさ 目通り幹囲 5,75m
 このサワラは、市内で最大級のもの
である。
 主幹は、地上約80cmで二つに分
かれ、それぞれ4,45m、1,90
mで樹勢よく木ぶりもみぎとである。
4月頃、小枝端に小形の雌花及び雄花
をつける。
 このサワラは、樹齢350年前後と
推定され、神明宮(中道新田の氏神・
のち村社)とともに、享保18年(1
733)書上げの「諏方藩一村限村地
図」にみえている由緒をもつ古樹であ
る。
  平成30年11月
       茅野市教育委員会

本殿裏側にはケヤキの大木と「御柱」です

境内東側のケヤキの大木です

大きな石柱が並びます

天満宮の文字の石柱です

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長野県原村、払沢「払沢のヒメバラモミ」(村指定)です!!

2020-06-17 06:38:00 | 巨樹・大木
払沢地区は、原村役場の東1kmのところ

地区を南北に通る県道17号線の中央高原入口信号が有ります

信号の東に臥龍遺跡が有り、その南斜面にヒメバラモミの大木が在ります


中央高原入口信号です、ここを右に、直ぐまた右の道路に斜めに入ります

この建物の右手です

目的のヒメバラモミです、左の玉垣のなかにはサワラの大木です


東側から見上げました

天然記念物標柱です

説明版です
 原村指定天然記念物
   ヒメバラモミ
     昭和47年4月1日指定
樹種   ヒメバラモミ(マツ科)
大きさ  胸高囲 3,7m
     高さ 30,0m
樹齢   推定 四百年余
 日本特産の常緑針葉樹で樹皮は灰褐
色で厚く、鱗片状に裂ける。若枝は無
毛で黄褐色、花は初夏に、球果は秋に
熟する。
 村内では最大級のもので、樹勢、枝
張りともに見事な大樹である。
 この一帯にわずかに自生するほか、
南佐久郡川上村御所平に神木として、
また八ヶ岳国有林中薙沢と柳窪の終点
牛道に存在が確認されている。
 村内では最大級のもので貴重な樹木
である。
  平成元年3月  原村教育委員会
*説明書きの中の南佐久郡川上村御所
平の御神木は、樋沢のヒメバラモミと
思われます、このブログ2020年5
月13日の投稿をご確認ください

南東側から見ました、目通り幹囲3,9mの大木です

回りには石塔などが並んでいます

隣のサワラの根元にも「臥龍芳瑞大和尚」の石版が置かれています

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長野県富士見町、富士見「御射山神戸一里塚のケヤキ」です!!

2020-06-16 06:13:00 | 巨樹・大木
神戸地区は、富士見町役場の北東約5kmのところ

国道20号線の神戸八幡信号の茅野市より側に

国道からそれる形で甲州街道が左に上がって行きます

甲州街道に入って間もなく一里塚が有ります

左側の塚上に植えられたのが目的のケヤキです

右側の塚の前に車を止める事が出来ました

東側から見上げました

石碑が有ります
  石碑文面内容です
 江戸日本橋より下諏訪宿に至る
53里余りの道を甲州道中と云い
慶長15年開通され同時に日本橋
を起点として一里毎に道の両側に
方5間の地を占め、上に塚を築き
榎か欅を植えた。旅人は木陰に足
を投げ出して休み、握り飯を食し
次の一里塚を目当てに進んだ。こ
の塚は48里塚で、東塚は榎であ
ったが明治二十年代枯れ、西塚は
当時のままの欅で、県内唯一のも
の、県の史跡に指定されている。
  富士見町
昭和44年4月8日
   御射山神戸区


右側にもケヤキの立つ塚です、前に説明版が有ります

説明版です
富士見町指定史跡
  御射山神戸の一里塚
 関ヶ原の決戦に勝利した徳川家康
は、江戸を政治の中心とするため、
慶長7年(1602)に江戸と地方
を結ぶ幹線道路として五街道を定め
た。甲州街道(道中)はその一つで
、最初は甲府までであったが、慶長
15年ころになって下諏訪(中山道
)まで延長整備された。
 街道には、往来する人々のために
宿場や一里塚が設けられた。一里塚
は道中の目安のため一里(約4km
)ごとに街道の両脇に盛られた塚で
、大きさは5間(約9m)四方とい
われ、そこにケヤキやエノキなどが
植えられた。
 この一里塚は集落の北はずれにあ
って、江戸の日本橋から48里め(
49里との説もある)の塚であると
いわれ、明治中頃までその役割を果
たしていた。道路の東塚にはエノキ
が、西塚にはケヤキが育っていたが
、東塚のエノキは明治初期に枯れて
しまったという。
 残っている西塚のケヤキは、塚が
つくられた慶長年間に植えられたも
のと推定出され、樹齢はおよそ38
0年を数える。現在では目通り高で
幹の太さが周囲6,9m、樹高は約
25mの巨木となり、永い歳月を風
雪にたえて堂々たる風格をそなえ、
樹勢もなおさかんである。
 甲州街道でこのように塚・ケヤキ
ともに往時のものが保存されている
例は他になく、実に貴重な存在であ
る。
  平成10年3月
      富士見町教育委員会
*推定樹齢400年を過ぎたことになるようですね


北側から

直先の交差点から

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